第126話 ファミレス夜噺一席


 二十四時半。国道沿いのファミレスの駐車場に愛車を停めてから、西条秋代はもう一度スマホで電話を掛ける。しかし、何度もコール音が鳴っても、電話は取られない。


「やっぱ、寝てるかなー」


 スマホの画面に映った、男友達の淳太の名前を見ながら、秋代は苛ついて、運転席で貧乏ゆすりをする。鞄を持って、車から降りてからも、また電話をかけてみる。


「いらっしゃいませー」


 自動ドアをくぐると、耳元のコール音に被さるように、女学生のホールの声が聞こえた。


「何名様でしょうか?」

「一人で」


 こちらに駆け寄ってきたホールに、そう秋代は返す。

 「お好きな席へどうぞ」と言われたので、窓側のBOX席の出入り口がすぐ目の前にある位置に座る。ここなら、誰が入ってきてもすぐに分かるからだ。


「――ということで、最近はタイムマシーン説が優勢なんだが」

「うん」

「やっぱ、UFOは異星人の乗り物なんだと、俺は信じたいんだよ」

「そうだね。異星人に会うのが、君の夢だからね」


 結局、取られなかった電話を切ると、背後からそんな会話が聞こえてきた。座るときにちらりと見えた隣の席は、自分と同じ二十代ほどの喪服を着た男性二人組だった。

 秋代は、ため息を吐きながら、メニュー表を捲る。とはいえ、状況が状況なので、あまり食欲がない。店員を呼び、ドリンクバーだけを注文した。


 ドリンクバーへ行こうと、立ち上がった秋代は、隣の席の真横を通る。こんな時間にUFO談議に花を咲かしているのは、喪服姿の青年たちだ。葬儀屋さんだろうかと、UFOに詳しい自分の席の真後ろに座る彼をちらりと見ながら、秋代は思う。

 ファミレスは、自分とその青年たち以外に誰もいなく、がらんとしていた。ホールもバックヤードにいるらしい。ドリンクバーでメロンソーダを入れながら、秋代は片手のスマホを何度も確認する。


 淳太を呼び出すのは、もう諦めた方がいいかもしれない。自分の席に戻りながら、秋代は落胆した気持ちを引き摺る。

 あと二十分、一時には恋人の牧彦が来てしまう。淳太がいなければ、説得できないかも……追い詰められた秋代が、打開策を考えていると、また隣の席の声が聞こえてくる。


「また、近年では、白くて小さな群衆型UFOも各国で見られるようになり――」


 決意を固めた秋代は、椅子から立ち上がり、隣の席に回った。急に現れた秋代を、青年二人は目を丸くして見上げている。

 「あの」と言いながら、秋代は彼らを見比べた。秋代のすぐ後ろに座っていたUFOに詳しい方が背が高く髪が短い。相槌を打っていた方は、表情が乏しい印象を受けた。テーブルの上には、コーヒーカップが二対だけある。


「私の新しい恋人のふりをしてくれませんか?」


 相槌をしていた方に秋代がそう告げると、彼は瞬きをしながらも、頷いた。






   □






 牧彦と同居してから二年目、彼は唐突に仕事を辞め、転職に必要な金を秋代に無心するようになった。最初は渋々渡していた秋代も、牧彦がそれをギャンブルに使っていることを知ってから、それを止めた。

 すると、牧彦は秋代の財布から金を抜くようになった。気付いた秋代が注意すると、牧彦は彼女に平手打ちをした。


 もともと激情家だった牧彦だが、手を出してきたのは初めてだった。このままでは命が危ない。そう感じた秋代は、彼と別れることを決意した。

 しかし、普通に別れ話を切り出すと、牧彦が逆上してくるかもしれない。そこで、人の目のあるファミレスで、男友達の淳太と付き合うことになったから別れてほしいと伝えれば、彼も諦めてくれるのでは。そう思ったのだが……。


「何度電話しても、その男友達が取ってくれないんです……。でも、予定を延長したら、彼から怪しまれてしまいそうで……」

「だから、こいつに頼ったのか」


 秋代の説明を聞いてからも、UFOに詳しい方の青年――露岡は渋い顔をしていた。彼女は気まずそうに頷く。

 唐突な申し出に、無表情な方の青年――岩根は承知してくれたが、露岡が待ったをかけた。秋代は、その彼が元々座っていた席に腰掛け、ここまでの経緯を正直に話し、岩根の方に向き合う。


「恋人のふりを、やってもらえますか?」

「うん。いいよ」

「ありがとうございます!」


 あっさりとした返答に対して、秋代はテーブルにぶつかりそうなほど頭を下げた。

 だが、受け入れてくれた岩根に対して、露岡は心配そうだった。


「その恋人、大分見境なくなってるみたいだが、説得できるのか?」

「彼は、内弁慶な所があるので、流石にここで怒ったりはしないと思います。合鍵を取り返して、車内の彼の荷物を渡したら、縁を切って逃げますから」

「そう言うのなら……。あとはこいつ次第だな。演技は出来ないけれど、その分ボロも出ないだろうし」

「大船に乗ったつもりで」


 露岡に指さされて、岩根は言葉とは裏腹の無表情で言い切った。

 本当に大丈夫だろうか? 今更ながらの不安を、秋代は苦笑して自分を誤魔化した。






   □






 窓の外に、牧彦の車が停まるのが見え、秋代は「来ました」と外を指差した。隣の岩根もその指先で、一台の黒い乗用車がライトを消すのを認めた。

 すぐに、牧彦がファミレスに入る。ホールの店員が駆け寄ってくるよりも早く、秋代と岩根の席を見つけると、そちらへ大股で歩いてくる。


「……何? 話って?」


 不機嫌さを十二分に発散させながら、牧彦は二人の向かいにドカッと座った。彼と背中合わせになるように、露岡が元々は秋代の席に座り、スマホをいじっている。

 秋代は、言葉を発する前に岩根の右腕に抱きついた。しかし、相手は全く驚かず、まるで木のように動かない。牧彦は、ぽかんと口を開けた。


「ごめんだけど、私、彼と付き合うことにしたの」

「え……? そいつ、誰?」

「私の高校の同級生。この前、偶然再会してね、意気投合しちゃった」

「岩根です。秋代ちゃんの恋人です」


 淳太に対して使おうとしていた設定を流用して、岩根を紹介する。彼は、丁寧ながらも無機質さを感じさせるような動きで、ぺこりと頭を下げた。

 秋代が固唾を飲んで見守る中、牧彦の顔は、どんどん険しいものになっていった。だが、怒りだすようなことはせず、頭を掻きながら切り出した。


「俺とは終わりにしたいんだ」

「当然。合鍵を返してね。あんたの荷物は、私の車に積んでいるから、もう二度と現れないで」


 容赦なく宣言すると、牧彦はズボンのポケットから鍵束を取り出し、その中から、秋代の家の合い鍵を外した。

 思ったよりもスムーズに事が進んだことに、秋代は拍子抜けした。自分で決意したことだが、彼には愛着がもうないのかと、寂しさも感じる。すると、牧彦は片手をテーブルの上に出した。


「え? なに、その手?」

「慰謝料。あんたが浮気したんだから、俺に払うのが当然だろ?」

「はあ!?」


 秋代は素っ頓狂な声で叫ぶ。平手打ちされた時にも思ったが、ここまでクズに成り下がってしまっていたとは。彼女は、恋人の変化に呆れて、何も言えなかった。

 牧彦は、ちらりとテーブルの上の合い鍵に目を落とす。嫌な予感がした秋代は、それを彼よりも早く手に取った。しかし、牧彦は秋代の手首を、ギュッと掴んだ。


「ちょっと、何すんのよ」

「慰謝料を貰えるまでは、別れない」

「あんた、自分が何言ってんのか分かってる? 散々お金を巻き上げておいて、慰謝料なんて……」

「無茶苦茶言ってるのはそっちだろ!」


 牧彦が、声を荒げる。秋代は恐ろしさのあまり、膝が震え出していた。

 横目で、岩根の方を見た。しかし、彼はぼんやりと自分の目の前の光景を眺めているだけで、口も手も出さない。岩根の人形のような表情にも、秋代は恐怖を抱いた。


「おい」


 顔を真っ赤にした牧彦の耳元に、そんな声が囁かれた。極地の風が吹きつけてきたかのように、牧彦の全身に鳥肌が立つ。

 バッと牧彦が振り返ったので、手に入った力が抜けて、秋代は彼の拘束から逃れられた。一方牧彦は、自分の後ろの席に立つのが、だということを認めて、安堵を覚えていた。


「な、何なんだよお前は!」

「あいつの同僚」


 焦りながら息を荒げる牧彦に対して、露岡は岩根を指差した。岩根は岩根で、何でもないようにこくんと頷く。

 露岡は、自分のスマホを牧彦に見せた。画面は、インカメラの動画録画状態になっている。


「これをしかるべきところに出したら、不利になるのはそっちじゃないか? ここは彼女に従うのが、賢明だと思うが」

「っ……!」


 奥歯を噛みしめるだけで、何も言い返せなかった牧彦は、この場から立ち去ることしか出来なかった。

 ――牧彦の車がファミレスの駐車場から出ていくのを見て、秋代はまた頭を下げた。


「ありがとうございます。本当に、本当に助かりました」

「いや、流石にムカついたから」

「うん。俺は何もしていなかったし」


 いけしゃあしゃあとそう言う岩根を、露岡は苦笑しながら指差した。


「こいつ、打てば響くタイプだが、逆に言うと打たないと響かないから、助けてほしかったら口に出さないと」

「そう。助けてって言ってたら、相手の腕を折るくらいはしていたかも」

「そこまでしなくとも……」


 秋代は戸惑いながらも、彼なりのジョークだろうと受け取って、苦笑する。

 お礼の代わりにと、二人の食事代は彼女が請け負うことにした。二つ分の伝票をレジで支払い、秋代は車へ戻る。


 トランクを開けると、牧彦の荷物が詰まっていた。結局返すことは出来なかったが、これを売れば、多少は彼に取られた分を取り戻せるだろうかと、秋代は考える。

 新しい物好きの牧彦は、変なものをたくさん買っていた。夜に上げるための光る凧で遊んだ時は、UFOだと勘違いされて大変だったなと思い返す。


 その時、ファミレスの二人に、もう一つのお礼を思いついた。秋代は運転席に乗り込むと、小高い場所にある公園に向けて出発した。






   □






「妙なことに巻き込まれたな」

「そうだね」


 微かに残ったコーヒーを飲みながら、露岡が呟くと、岩根も同意する。


「何とか丸く収まったけど」

「うん。でも、珍しいね。君が人間のごたごたに首を突っ込むなんて」

「先に突っ込んだのはお前だけど。まあ、関わってしまった以上、中途半端には出来ないだろ……ん?」


 苦い顔をしていた露岡は、何気なく夜空を見上げて、あるものを発見した。

 それは、光る飛行物体だった。全体像は見えないが、八の字を書くように動き、飛行機や人工衛星とは思えない。


「UFOだ!」


 露岡はそう叫ぶと、勢いよく立ち上がり、そのままファミレスの外へ走り出した。同じものを見た岩根も、立ち上がり、ゆったりと追いかける。

 二人が出て行った後、自動ドアが閉まるのに合わせて、ホールが「ありがとうございましたー」とだけ告げた。





































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