第124話 プチプチ


 薄型テレビの画面の中で、猫のようなデフォルメのキャラクターが、大小さまざまなジャンプで、上へ下へと立ち回る。そうやって、巨大なロボットが発射する弾を全て紙一重で避けていた。

 こちらの猫の体力ゲージを見ると、後一発でも当たれば、ゲームオーバーだ。しかし、巨大ロボットも同じ状況である。


差唐さしから! あと、一発、あと一発だ!」

「くっ、分かって、るって! くそ、喰らえ!」


 ゲームコントローラを握る差唐が、歯を食い縛りながら、操作キャラの動きに合わせるかのように、右へ左へと体を傾けている。いつもよりも口が悪いのは、最強クラスに設定したボスラッシュの最後の一体で、ありえないほど緊張しているからだった。

 ラスボスが、通常の三倍ほどの巨大な弾を撃った。それを、差唐は前方へのスライディングで躱す。そして、大技を決めた後のロスがあるラスボスに、こちらの弾をぶつけて、撃破した。


「……か、勝った!」

「お、おおおおおおおおお!」


 爆発して倒れ込むラスボス、鳴り響くエンディングの曲に、俺は興奮の声を出した。少し遅れて、勝てたという実感が持てたのか、差唐が雄叫びを挙げる。

 三時間の激闘の末に、最強ボスラッシュの制覇したんだから、ありえないテンションになっても仕方ない。俺たちは、ハイタッチをして、それでも飽き足らずに、硬いハグまで交わした。


 今のプレイのどこがすごかったのかを、お互いに言い合ってから、時間が経つと、急に落ち着いてくる。たかがゲームで、スポーツの試合で勝ったかのようにハグするのは大袈裟だったんじゃないかと、俺が恥ずかしく思ってきた頃、満足そうに差唐が行った。


「あー、満足した、今日はもう、コントローラーを握りたくない」

「けど、まだ五時だぞ。なんか別のゲームしようぜ」


 健全な男子高校生としては、やることなくなったとはいえ、友達の家から六時以内に帰るのはちょっともったいない。なんだったら、俺の方が何かゲームで縛りプレイしてもいい、そう思っていたが、差唐は仰向けに寝転んだまま、動こうとしない。

 少しして、「あ、そうだ」と彼は起き上がった。ゲームのエンドロールをスキップして、セーブしていた俺は、何事かとそちらを見る。彼は、本棚の方へ行く。


 漫画でも取り出すかと思ったが、差唐は本棚の後ろ、壁との僅かな隙間に手を入れる。

 まさか、エロ本を……と目を大きく開いた俺に、彼は「それ」を見せた。


「……プチプチ?」

「そう。兄貴が買ったパソコンの梱包だったんだ」


 なぜか自慢げに言う差唐は、俺と自分の間に、その巨大プチプチを広げる。その大きさは、優に一畳はありそうだった。


「暇だったら、これ潰そうぜ」

「はあ?」


 自信満々な差唐の顔と、恐らくまだ潰されていないピカピカのプチプチを見比べて、眉を顰める。


「いくら暇だからって、これを潰すだけって、時間がもったいないだろ」

「バッカ野郎。男子高校生の夏休み、こんなところで浪費せずして、どうするんだって言うんだ」


 なぜか、差唐は怒って言い返した。なんだそれはと呆れてしまったが、言われてみると、先程までのゲームのチャレンジも、毒にも薬にもならないわけで、どっちもどっちなのかもしれない。

 言いくるめられた俺は、差唐と向かい合う形で、長方形のプチプチの短い辺から潰していく。しばらく、二人がプチプチしている音が、冷房の音に交じって響いていた。


「……なあ、差唐」

「何だ、次上つぎうえ

「お前、この前告白するって言ってたけど、どうなった?」


 この静けさに耐えかねて、二人きりじゃないと聞けそうにないことを尋ねてみる。すると、差唐がプチプチを潰す音が止まった。

 流石に、話題が突拍子もなかったかと、顔を上げると、彼は呆れるというより、憐れむように俺を見据えていた。


「次上、お前、それはプチプチを潰しながらするには、もったいない話だぞ」

「はあ?」

「無意味なプチプチ潰しをしている時は、無意味な話をするべきだ」

「意味分からん」


 告白の話をしたくなくてはぐらかしているのかと思ったが、彼の眼は存外に真剣だ。どうやら、こちらがなんといっても、意味のある会話はしたくないらしい。


「そう言うんだったら、無意味な話をしてみろよ」

「そうだな……じゃあ、幸せな指ランキングを決めよう」


 自身の手元に目を落としていた差唐は、そんな提案をした。


「ちょっと待て、幸せな指ランキングって何だ」

「言葉以上の説明は必要ないだろ」

「確かに、そんなランキング、決めても無意味な事だろうけど……」

「じゃあ、最下位から。これは中指だな。間違いない」

「勝手に話を進めんな」


 こちらは、「幸せな指ランキング」すら呑み込めていないのに、差唐は話を続けた。


「というか、なんで中指が最下位で固定なんだよ」

「ほら、中指単体で使うことって、滅多にないだろ? それに、中指だけ立てたら、悪い意味になる」

「――その考えで行くと、四位は親指か? ほら、ブーイングの形とか」

「ああ、そうだな。でも、親指を上に立てると、グッドラックのサインだから、微妙なラインだ。だから中間の、三位がいいかもしれない」

「他の指はどうなるんだ。薬指は……婚約指輪するから、強そうだけど」

「うーん。それは、左手限定だからなぁ。幸福度が半減するかもな」

「ただ、婚約指輪は、左手だけだとしても強いと思うぞ。小指の方が、大変じゃないか」

「いや、小指は運命の赤い糸が結ばれているから、強い」

「確かに……とはいえ、小指は指切りげんまんでも使うからなぁ」

「なんで? ああやって約束するのは、微笑ましい幸せな風景じゃないか」

「その分、約束のプレッシャーが圧し掛かってくるぞ。小指の小ささで、それを支えるのは辛そうだ」

「あー、言われるとそうかもな。じゃあ、小指は四位だ」

「で、親指が三位、薬指が、二位かな」

「次上、さっきはなんやかんや言ってたくせに、ノリノリじゃないか」


 差唐がニヤッと笑う。こいつは、俺が乗せられやすい性格なのを知っていて、そう言ってくる。


「火を付けた奴に言われたくない」

「とまあ、最後に残ったのは、人差し指なんだが」

「うん」

「こいつを一位にしてもいいのか?」

「うん?」


 差唐は、右手でプチプチを潰しながら、右手の人差し指をピコピコと動かす。変な所で器用な奴だ。


「よく使っている指だから、そうだろ。物を指したり、『一番』と示したり、色々と」

「とは言え、お前の小指プレッシャー理論によれば、」

「そんな理論はない」

「一番使われていることが幸せというイコールは、成り立たないんじゃないか?」

「……言われてみると、人差し指は過労死寸前のブラック企業戦士に見えてきた」

「そうだろ? せめて、人差し指にも幸せと思えるような仕事があればいいのだけど……」


 人差し指にも幸せな仕事……ラブレターを書く、のはほぼ全部の指を使うか。好きな子に電話を掛ける――プッシュホンが減っている今、携帯を使うと考えれば、それは親指の仕事だろう。

 こうやって、プチプチを潰してストレス解消しているのも、親指の方だ。本当に、人差し指が報われる瞬間はないのかもしれないと同情心が生まれたところで、差唐が「あ!」と叫んだ。


「思い付いた」

「何を」

「好きなあの子の家のチャイムを押す瞬間」


 そう言いながら、差唐はそういうジェスチャーを加える。

 俺はそれを見て、「おおー、ああ~」という声を出していた。自分で思いつけなかったのを、悔しんでいる所で、あることに気付いてしまった。


「俺たち、指の幸せを考えていたけれど、恋愛関係ばっかりだな」

「あ、そう言えば」

「なんか、恋に飢えているみたいじゃねぇ?」

「止めろよ。無意味な話題に意味ができてしまっただろ」


 差唐は本気で嫌そうな顔をしていた。一方俺は、虚しさすら感じていた。

 夏休み、男二人で、プチプチを……五七五だ。


「次上はなんか無いか?」

「ん?」

「意味のない話題」

「……そうだな」


 最早乗り掛かった舟だと、こいつの注文に答えようと考える。


「俺、時々考えるんだけど」

「何を?」

「今日って、記録するに値する日なのかなって」

「記録? 記憶じゃなくて?」

「そう記録」


 差唐も俺も、プチプチを潰した数は、このシートの半分ぐらいになっていた。あと半分潰せば、この退屈なのか何なのか分からない時間も終わる。


「例えば、俺たちのことを知らない第三者が、この瞬間を見て良かったと思えるような時間なのかなって」

「説明されてもな……」

「俺、日常系の漫画が好きなんだよ。まあ、ギャグ漫画なんだけど、本当に事件らしいことは起きない、なんか、日常的なあるあるの漫画」

「そう言えばそうだな」

「ただ、そう言う漫画に対する感想で、『何も起きないから面白くない』というのがあったんだよな」

「そいつには合わなかっただけだろ」

「まあな。ただ、俺はカチンときて、お前の日常も似たようなもんだろって思ったんだよ」

「おう。言ったら大喧嘩だな」

「思っただけだから。ただ、この反論も、俺に対するブーメランになる」

「見事なまでの堂々巡りだ。確かにな。俺たち、帰宅部だし、委員会にも入っていないしで、無味な日常を送ってるって言われたら、肯定するしかないし」

「そう。だから、余計に思う」


 プチッと、俺の親指が、プチプチを潰す。


「こんなプチプチを潰している時間を、見ている価値はあるのか?」

「……とするとあれか? お前は、見ている誰かを楽しませるために生きているのか?」

「そういう訳じゃないけど」

「そうだったら、気にすんなよ。俺たち以外も、人間の生活の大半は無意味な行為の連続だろ」

「まあ、そういう考え方もあるけど」

「なら、お前と同じ趣味のやつが楽しんでるって考えればいいんじゃないか?」

「うん? どういうこと?」

「お前みたいに、何も起きない平凡な日常を見るのが好きですって奴だったら、こういう時間も、熱心に見てくれるよ」

「なるほどな。見る側が楽しみを見つけるってわけか」

「そうそう。あと、この時間が、未来の伏線になるかもしれないし」

「伏線? プチプチを潰しているだけの時間が?」

「例えば、俺か、お前のどちらかが、梱包の製品の会社に入るとか」

「可能性低くないか?」

「他には、プチプチの楽しさに目覚めて、『世界プチプチ同盟』に加入するとか」

「その伏線はお前が回収してくれ」


 そう言って、互いに笑った。自分の人生なんて、「普通」を煮詰めたようなものだと感じていたので、差唐の言葉は新鮮に聞こえた。

 ただ、それを言ってくれた当の本人が、今度は厳しい顔をしている。


「……無意味な話題を出してくれ、って言ったのに、哲学的な話になったぞ」

「哲学的か?」

「結局、無意味な話ができてないじゃないか」

「言葉自体が、意味を持っているから、無意味にしようというのが無理な話だったんだろ」

「じゃあ、どうする?」

「黙るしかないな」

「OK」


 プチプチの列は残り四つほど。それを、俺たちは強い意志で口を噤み、本当に無意味で無駄な時間を感じながら、丁寧に潰していった。
















































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