第123話 幻影と母娘


 ……はい、次は私の番ですね。


 こうして、「第六感」の持ち主の集いに集まるのは初めてですが、中々バラエティ豊かで、興味深いですね。幽霊が視える陰陽師さんに、魔力が視える魔女の末裔さん、未来が視える占い師さんも、初めて会いました。

 ですが、「普通の人には視えないもの」が視えてしまうというのは共通していますので、妙な親近感が湧きます。皆さんになら、私の半生も、全て包み隠さず話せます。


 私は、ある霊能力者の女性の娘として生まれました。その霊能力者は、とても有名な方で、テレビにもよく出ていました。皆さんも見たことがあるかもしれません。

 霊能力者は、私を自分の後継者にすることに決めました。身内の殆どが、彼女に心酔していましたので、誰も反対しませんでした。


 さて、あまり知られていないことですが、その霊能力者は、片目を怪我して見えなくなってしまったことで、霊視ができるようになりました。その娘である私には、生まれつき霊視ができなかったので、自分と同じ状況にしようと決めました。

 ――ああ、すみません。言葉足らずでしたね。ある文学作品のように、針で突いたとかではありませんよ。ちゃんと麻酔をして、手術を施しまして、全然痛くなかったので、ご安心ください。


 手術の成果は、退院して一週間後、私の小学校の入学式の日に現れました。小学校へ、母である霊能力者以外の家族とともに歩いて学校に向かっていた時です。

 車の通りも少ない住宅街の車道の真ん中に、人が倒れているのを見つけました。明らかに腕を折っていて、頭から血を流しています。


 私は、悲鳴を上げて、家族に「あの人を助けて!」と叫びました。しかし、みんな訝しげにしています。

 そして、私が言う「あの人」が私にしか視えていないことに気付いた時、彼らは歓声と共に私の体を持ち上げました。胴上げのような形です。


 それから、私は色んなものを視ました。ビルの上から飛び降りる人、海で溺れている人、右腕が燃えている人……印象的なのは、それらですね。一方、塀の上でまどろむ猫や、誰もいないのにお喋りをしている人や、公園で走り回る子供たちなど、平穏なものも視ました。

 初めの内は、生きている人間とその視えているものの区別がつきませんでしたが、それらが、半透明の姿をしていることに気が付き、見分けられるようになりました。他にも、それらは人のいない場所で不意に現れるということも、一つの特徴でした。


 ……中学を卒業した後、私は、母である霊能力者の信者たちの前で、正統な後継者としてお披露目することになりました。いつも忙しいその霊能力者と会うのは、私が幼少期以来のことでした。

 しかし、私と霊能力者が顔を合わせるのは、信者たちの見つめる舞台上だということが決まっていました。舞台袖から、霊能力者が話しているのを見て、ふと、観客の方に目を向けたとき、私は信じられないものを見つけました。


 人ごみの中に、以前、私が視たはずの、右腕が燃えていた人がいたのです。私は、近くの親戚に、そのことを伝えました。

 その観客の一人は、以前に火事に遭い、右腕にやけどを負ったものの、一命をとりとめたということでした。火事の場所は、私が霊視したところと一致していました。


 お披露目の機会は延期され、家族と霊能力者とで、話し合いがなされました。私はその場にいなかったのですが、一度、ちゃんと私には何が視えているのかを確かめるべきだという結論に達しました。

 私は、母である霊能力者と共に、かつて空襲に見舞われた街を訪れました。私には何が視えているのかを、把握するためです。


 高級車の後部座席で、私は母である霊能力者と再会しました。彼女は真っ白な顔をしていて、写真で見た時と同じ、仮面のように変わらない表情をしていました。

 片方の目をよく見ると色が薄くなっています。私も、その点は同じです。


 私達は、街中をあちこち回りました。その結果、私達の視たものは殆ど食い違っていました。

 例えば、霊能力者は、死んだ後の姿をした魂が、佇んでいるのを視ていました。一方、私は、人が死ぬ瞬間を数多く視ました。


 どうやら私には、生き物がその場所でどうしたのかを視る、過去視の能力が宿っているのだと判断されました。

 親戚たちの落胆は、大きかったです。一方、母は、こんな場合でも表情が変わらず、喜んでいるのか悲しんでいるのか、全く分かりませんでした。


 しばらくして、私は、その霊能力者を祀り上げていない、会ったこともない親戚に預けられました。これにより、私が後継者ではなくなったということは、明らかでした。

 ……別に、悲しくはありませんよ。飼えなくなったペットを知り合いに譲るような、とても合理的な判断だと思っています。


 その親戚の援助で、私は無事に大学まで出れました。今は、この過去視の力を生かして、調査会社に勤めています。

 ただ、実を言いますと、私の視力を失った方の目は、角膜移植で見えるようになるということが、最近判明しました。そうなると、私はきっと、この過去視の力を失ってしまうのでしょう。


 どうするのか、非常に悩みました。過去が視えることでのメリットとデメリットを並べてみても、中々判断が付きません。

 そんなある日、私はふと、ある病院の前で、過去を視ました。


 それは、若い頃の母の姿でした。両腕で、赤ん坊を抱いています。私には兄弟がいませんので、あれが私だということは間違いありません。

 母は……私の方を見て、嬉しそうに笑っていました。腕の中の私をゆったり揺らしながら、べろべろばあと舌を出して、笑わせようとしています。


 きっとあれが、母の母としての、真っ直ぐな愛情だったのでしょう。私は、胸を締め付けられるような気持ちを覚え、目を治すのは止めようと思いました。

 この第六感は、私にとって、呪縛であり、祝福でもあります。たくさんのものを奪い、同時に与えてくれたこの力と共に、生きていくのだと感じました。


 ……以上が、私の第六感と半生の話です。

 最後までご清聴いただき、ありがとうございました。





























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