第121話 同期の飲み会にて
久しぶりに東京の本社を訪れた。数年ぶりなのに、あまり変わったところはなく、ちょっとほっとした。
同期で、唯一の営業部女性社員だった須藤さんは、次長に出世していた。彼女と、一対一で仕事の話をした後に、「そう言えば」と尋ねられた。
「橋立君、今日は名古屋に帰るの?」
「いや、東京で宿を取っているよ」
僕はそう返す。新幹線に乗れば帰れる時間ではあったが、金曜日なので、久々の東京を楽しみたいと思う気持ちがあった。妻と娘も、今日は好きな歌手のコンサートに行っているから、家に戻ってもどうせ一人だ。
すると、須藤さんはぱっと顔を明るくした。
「丁度良かった。今夜、同期の飲み会があるのよ。どう?」
「飲み会かぁ」
「梶井君も来てくれるけど」
「えっ、ほんとに?」
賑やかな場所が苦手なので、飲み会のお誘いは嬉しくも渋っていたが、「梶井」という名前を聞いて、心情が百八十度変わった。梶井と会うのも、随分久しぶりだ。
須藤さんから、飲み会の場所と時間を教えてもらい、会社を出た。終業後は、あのレストランで食事をしようと計画をしていたけれど、もう頭の中は飲み会のことでいっぱいだ。心の中で、スキップするように街を歩いていった。
△
梶井は、僕と同じ年齢で、高校卒業後に会社へ入ってきた営業部の同期だった。周りが大卒ばかりだったので、僕らは自然と話をするか回数が多かったけれど、性格は正反対だった。
僕は、図体がでかい癖に気が弱い。一方で梶井は、先輩にも上司にも敬語を使わず、毎日不機嫌そうな顔をしていた。イケメンなのにもったいないというのは、他の女子社員の意見だ。
彼は非常に短気だった。いつも何かに怒っていたが、しかし一本の筋が通っていた。
例えば、無意味な慣習、上司のパワハラ、取引先の酷い言葉などに、梶井は怒り、真正面からぶつかっていった。その結果、危うく暴力沙汰になりかけたことがしばしばあったけれど、僕にはそれが眩しかった。
先輩から、「まるで舎弟だな」とからかわれるほど、僕はいつも梶井のそばにいた。彼の暴走をなだめながらも、いつか彼のようになれたらと密かに思っていた。
子供の頃の僕はいじめられっ子だった。成長するにつれて、誰も僕にいじめることはなかったけれど、それは身長が伸びたお陰だった。見た目と中身が釣り合っていないことが恥ずかしく、僕はずっと自分が嫌いだった。
入社して三年経った頃、名古屋に住んでいる父が、交通事故に遭った。一命はとりとめたものの、下半身不随となってしまった。
母だけでは父の世話に苦労するため、一人っ子の僕が実家に戻った方がいいと考えていた。丁度その時、僕が担当していた大きな取引が、相手側の都合で立ち消えた。
しばらくして、僕が出していた転勤届が受理されて、名古屋支店に移動となった。しかし、それについて、ある噂が部署を駆け巡っていた。
以前の取引で先方を怒らせてしまったため、僕は左遷されてしまったのだという。父のことは上司にしか言っていなかったとはいえ、なんでそんな噂が出てくるのだろうと呆れてしまった。
だが、この噂は事情を知らない部署のみんなにはかなり信じられていた。梶井も、その一人だった。
梶井は、僕の待遇が不公平だと抗議しに行った。その相手は、営業部の部長でも、人事部でもなく、この会社の社長だった。
……社長室に乗り込んだ梶井が、何と言ったのか、どんなことをしたのかは知らない。
ただ、噂が誤解だと判明した時、梶井は社長に土下座したらしい。……というのを、嘘か本当か分からないが、聞いたことがある。
東京本社の最後の出勤日、営業部のみんなに送り出される時に、梶井とちょっと話をした。彼は、自分が僕の移動について勘違いしていたせいで、騒動を起こしてしまったのもあってか、非常に気まずそうだった。
「……まあ、あっちでも元気でやれよ」
「うん。ありがとう。君も元気で」
それが梶井との最後の会話となった。仕事の都合で本社に来ることは何度もあったけれど、彼が外回り中のことが多くて、移動後は一度も会ってはいない。
すでに、あれから十六年も経っていた。それぞれ結婚して、子供もいて、出世もして、環境は大きく変わった。現在の梶井はどんな姿で、どんな話になるんだろうか。
△
「おー! 橋立か! 久しぶりだなぁ!」
都内の和風居酒屋の奥座敷で、梶井と再会した時、僕は彼が本当に梶井なのかと疑ってしまった。
顔や体形があまり変化していないのにそう思ったのは、雰囲気が全然違っていたからだ。表情が柔らかく、若い頃は四六時中刻まれていた眉間の皺が無くなっている。
「なんか……変わったね」
「そりゃ、お互いアラフォーだもんな」
梶井は、笑いながら僕の背中をポンポン叩く。正直、戸惑っていた。
確かに、梶井には家庭もあるし、係長という地位もあるから、いつまでも不良青年のままではいられない。それでも、この陽気さにがっかりしてしまっている自分がいた。
「あなたたちがこうして並んでいるのも、久々ね」
隣同士に座った僕と梶井を、須藤さんは真正面から眺めながら、しみじみと呟いた。懐かしそうに、目も細めている。
まだ、参加者全員が集まっていないので、料理の注文も乾杯も始まっていない。仲のいい同期同士で固まり合って座り、軽くお喋りを交わしていた。
「考えてみれば、あの頃はいつも一緒だったな」
「そうだったね。外回りも良く組まされていたよ」
「怒った梶井君を止められるのは橋立君ぐらいだから、お鉢が回ってきていたのよ」
須藤さんからの意外な打ち明け話に、目を丸くしながら梶井の方を見ると、彼は恥ずかしそうに頬を掻いている。
「あー、あん時は、色々迷惑かけたな」
こんなにしおらしい梶井を見たのも初めてだった。妙な居心地の悪さを感じつつ、これはあの時のことを聞ける一世一代の大チャンスなのかもしれないと、僕は思い切って口を開く。
「ねえ、僕が移動する直前に、勘違いで社長室に乗り込んで、誤りを知った後に土下座したって本当?」
「あ! 注文しろってよ! 生でいいか?」
しかし、切り出そうとした瞬間、梶井に無理やり話を変えられた。腰を半分浮かして、幹事の大林さんの問いかけに返している。
僕は、「いいよー」と苦笑を噛み殺しながら返した。彼が三人分の飲み物を注文している隙に、須藤さんの方を見ると、彼女は口パクで「ほんと、ほんと」と教えてくれた。
それからみんなで運ばれてきた飲み物で乾杯して、料理もつつき始めた。大林さんが選んでくれたお店は、和の魚料理がおいしくて、店員さんも親切で、とてもいい場所だと思えた。
話題は、家族や仕事のこと以外では、体のことが多い。腰や肩の凝りを訴えたり、健康診断の良くない結果を話したりして、年を取ったんだなと切なくなってしまう。そんな中、梶井だけが二十代の頃と変わらない健啖家で、なんだかほっとした。
「梶井は、今もよく食べるね」
「そうそう、梶井君、食欲だけは変わらないのよ。でもそれ以外は結構……禁煙もしていたわよね?」
「ああ、子供が生まれた頃にな」
「煙草、辞めたんだ。次の現場に行く間にかならず吸ってたのに」
「確かに、酷いヘビースモーカーなのに、スッパッと断ち切ってたわ。なんかコツとかあったの?」
「まあ、気合で」
もごもごと、三巻目の赤身寿司を食べながら梶井が答える。彼は裏表がないように見えて、どこか掴みにくい所があった。
ふと、テーブルの上を見回してみると、空いている皿の方が目立っている。この後も料理が来るだろうし、一回空き皿を集めて、この座敷の外の縁側のようなところに置いたら、店員さんが回収しやすいかもしれない。そう思って、僕は皿をまとめて、障子を開けた。
奥座敷の外は、長めの廊下になっている。その先、テーブル席が配置されている所で、女性の店員さんがぺこぺこと頭を下げているのが見えた。
もしかしたら、クレーム対応しているのかもしれないなと思いながら、障子を閉める。自分の席に戻って、僕はさっき見たものをシーザーサラダを根こそぎかきこんでいる梶井に話そうとして、はっと思った。
僕は、あの頃と何も変われていない。梶井に頼ってばかりで、舎弟だとからかわれた時と同じじゃないか。もう一度腰を上げて、今度は座敷の外へ出た。
あるテーブル席で、女性の店員さんが、二人の若い男性客に、「すみません」と繰り返している。客の方の言い分から察するに、料理が席に運ばれるまでの時間が長いことに怒っているらしい。
「あのう、」
その三名のいる席に近付いて、僕は声を出した。ぎろりと、二人分の視線がこちらに向けられて、足元から縮み上がりそうになるのを、何とか踏ん張る。
「もう、いいじゃないですか。こんなに謝っていますし。これ以上は他のお客さんの迷惑になりますよ」
「なんだと、テメェ」
僕のすぐ目の前の客が、乱暴にテーブルを叩きながら立ち上がった。自分が悲鳴をあげそうになるのを、奥歯を噛んで必死に耐える。
こちらを見上げる客の瞳を、僕も睨み返す。このまま、一歩も引けない、そう思っていると、テーブルの反対側の客の方が弱々しく「なあ」と声を掛けてきた。
「もう、いいじゃねえか? 十分だろ」
座ったままの客は、周囲の目線を窺うようにしながらそう言ってくる。僕にガンを飛ばしている客は、溜息をついてから、席に座り直した。
店員さんが「失礼します」と言ってから、厨房の方へ向かうのを見てから、僕も奥座敷に繋がる廊下へと向きを変える。すると、そこには梶井が立っていた。
「い、今の、見てた?」
「当然」
小声でそう尋ねると、彼はにやにやしながら頷いた。自分は何も悪いことはしていないのに、突然恥ずかしくなってくる。
「橋立は変わらなくて、ほっとした」
「え? そうかな?」
僕は自分を変えたくて行動したのに、梶井の反応は意外なもので、小首を傾げた。廊下を歩きながら、梶井はしみじみ語り出す。
「昔、電車の中で俺が痴漢を捕まえたことがあっただろ?」
「うん。覚えている」
「あれ、最初に気付いたのは橋立の方だったぞ」
「え? そうだったっけ?」
女性のお尻を触っていた男の腕を、梶井が捻り上げたのと、その後に警察に引き渡すのが大変で、正直、そっちの方が印象に残っていた。
瞬きを繰り返す僕の瞳を、梶井は穏やかな微笑と共に覗き返す。
「いつも周りを見ていて、いざという時は行動する。お前は昔から、そういう奴だった」
「そっか……そうだったんだね」
ずっと自分に自信が無かった。でも、昔から憧れていた梶井に、そう思えていたなんて、僕はとても嬉しくて、誇らしい。
そうして飲み会の席に戻ってから、僕らは心行くまで話した。明日からの生活は、また別の色を見せてくれるだろう、そんな予感を胸に抱きつつ。
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