第105話 茶会の肴①


「なにそれー、ムカつくー」


 僕らの斜め前のテーブルに座っている女子高生の一人が、不満そうに言ったのがこちらまで聞こえた。

 ホットコーヒーのカップから顔を上げて、チラリとそちらを見る。制服の三人組が、不機嫌な顔を見合わせて話していたのだが、その音量までは届かず、誰がそう言ったのかまでは分からなかった。


「……『ムカつく』って言葉、私たちが小学校の時にはなかったよね?」


 レアチーズケーキの、硬いタルト部分をフォークで苦労しながら切った、目の前の彼女が、突然ぽつんと呟いた。

 先程の女子高生の一言に感化されて出た言葉なのだろう。今まで話していた会話が丁度途切れたところだったので、僕は「ああ」と頷いた。


「いつの間にか、聞くようになって、気が付けば、浸透していたよね。なんとなく、自分が使うのには抵抗があったのを覚えているよ」

「一時の若者言葉だと思ったけれど、息が長い。老若男女問わず、使われている気がする」

「一部の辞書には収録されているんじゃないかな?」

「そうかもね。でも、どこから出てきた言葉なんだろう」

「うーん。胃がむかつく、から来ているのかもしれない」


 僕が首を捻りながらそう言うと、彼女は、なるほどと深く頷いた。


「こういう言葉を作った人って、やっぱりセンスがあるんだろうね。胃がむかむかする感じを、若者言葉にしようという発想はなかなかないよね」

「確かに。既存の言葉では言い表せないような怒りに対して、新しい言葉を作ろうってなるのもすごいよ。小説家とか、言葉を使う仕事ならともかく」

「言いだした本人も、ここまで浸透するなんて思いもよらなかっただろうね。千年後にも残っていたりして」

「そう言えば、しゃもじは、平安時代、物に『もじ』ってつけて呼ぶのが流行っていたから、そう呼ばれるようになったと聞いたことあるよ」

「へえ。千年残った流行語って、実際あるんだね」


 僕の聞き齧った知識に、彼女は目を丸くしていた。僕は少し鼻を高くしながら続けた。


「当時、しゃもじって面白半分に呼んでいた人たちは、それが千年後も通じる言葉になるなんて、思いもしなかったんじゃないかな」

「小説とか、絵画と、音楽とか、芸術作品って、千年後にも残せるようにって、作る人は一生懸命でしょ? でも、それとは関係なく、誰が言いだしたのかも分からない言葉が、いつの間にか広がって、受け入れられて、そして、残されていくって思うと、正反対で興味深いね」

「そう思うと、今、僕たちが使っている言葉も、どんな風に残されていくのか、全然分からないな」

「千年も経てば、言葉は学校で勉強しないと理解できないくらいに変化しちゃうからねぇ。でも、古典文学の中に知っている言葉があると、嬉しくなるよね」


 彼女はうっとりと目を細めて、紅茶を一口啜った。

 今、僕たちの会話を、千年後の人たちが聞いたらどれくらい伝わるのだろうか。そんなことに思いを馳せてしまう、穏やかな午後だった。































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