第99話 フレデリカは機嫌が悪い
網タイツを履いたスラリと長い脚を組み、少々前のめりになった格好で、フレデリカはウイスキーのロックを飲んでいた。
ぽてっとしたルージュの唇はへの字に曲がり、ふさふさの長い睫毛とラメ入りのアイシャドーがばっちり決まった目も鋭く吊り上がっている。
……誰がどう見ても、フレデリカは不機嫌だ。
客商売にふさわしくない顔だけど、常連に対して気を許しているのだと思うと、それほど悪い気はしない。
何かあったの? と尋ねると、フレデリカは眉を顰めてこちらを見た。
「昼に、宅配便が来たんだけど、配達員が高校の時のチームメイトだったの」
ええ、と驚きの声が出てしまった。
フレデリカは、小中高とサッカー部だったことは以前に聞いていた。特に高校は強豪校で、フレデリカが在籍していた間、三年連続で全国大会に進出したという。
「ほんっとサイアク。もう、ネットショッピングできないじゃん」
そう嘆きながら、フレデリカはメイクが崩れるのもお構いなしに両手で顔を覆う。
多少言葉を選びながら、ええと、そのチームメイトって……と尋ねてみると、フレデリカは左手の隙間から、ブラウンのカラーコンタクトをした目を覗かせた。
「知らないよ。その時も、すっぴんで上下スウェットだったからね。髪も、今は違和感ない感じだからねー」
フレデリカは、ピンクの下地に銀のストーンが張られたネイルで、明るい茶色のボブをいじりながら返した。
今夜のフレデリカは、黒くて裾にレースをあしらったドレスを着て、赤いピンヒールを履いていた。この姿に見慣れ過ぎていて、説明されても、オフの時のフレデリカの様子を想像できない。
「それに、彼、暇だったみたいで、私と話そうとしてくるの。まあ、自分自身の近況が中心だったからまだマシだったけれど。でも、」
言葉が途切れたフレデリカは、ため息をついた。そのまま、地面にぼとんと落ちてしまったのではないかと思えるほど、重たい息だった。
「なんでサッカー辞めたの? って聞かれた時、上手く返せなかったな……」
ウイスキーをくいっと飲んで、フレデリカは遠い目をしていた。自分にしか見えていない、青春時代の幻影を眺めているようだった。
「本当は、プロにならないかって話も来ていたし、もちろんサッカーは好きだったし。でも、それ以上に、このまま自分を偽り続けるのはきつかったから。今の自分に後悔はしていないけれど、」
フレデリカがグラスの縁をなぞると、びいいんという音が、賑やかなお店の中で寂しく響いた。
「あんまり、サッカーの試合を観ないようになってたね」
フレデリカは、すぐに溶けだしてしまいそうなほど、弱々しい笑みを浮かべた。
△
土煙を巻き起こしながら、回るサッカーボールに、フレデリカは誰よりも早く追いついた。矢を放つ前の弓のような緊張感で足をしならせると、スパイクをボールにぶつけた。
勢いがさらに加速されて、飛んでいくボールが、キーパーの手をかすめ、ゴールの網を揺らす。巻き起こる歓声よりもずっと近くから、リアンヌママの「キャー!」という悲鳴が聞こえ、画面が大きく上下に揺れた。
見せてもらったスマホの動画から、フレデリカの方を見る。ユニホームを脱いだ彼女は、今夜、赤いドレスを纏い、照れくさそうだが誇らしげにしていた。
すごいね、と素直に褒める。こうしてリアンヌママが撮ってくれた映像だけでも、フレデリカの蹴ったサッカーボールが起こした風を感じられた。
「でも、結局、この後点を取り返されちゃって、まだ一勝できていないんだよね」
最近、彼女はドラァグクイーンやニューハーフ、ゲイやトランスジェンダーなどを集めて、社会人サッカーチームを結成した。選手の技術レベルがバラバラだったり、対戦相手がすぐに見つからなかったりと、苦労はたくさんある。
でも、先週末に行われた初試合を見ると、フレデリカもチームメイトたちもみんな生き生きとしていて、勝ち負けよりもサッカーそのものを楽しんでいるようだった。この試合は、仕事の都合で行けなかったが、無理をしてでも見に行けばよかったと激しく後悔している。
「サッカーを再開してから、いいことづくめだよ。運動したから、ちょっと痩せたし、肌ツヤも良くなった気がするし」
スマホでじっと試合を見ていると、フレデリカは、半分独り言のように呟いた。
確かに、変わったね。フレデリカをじっと見て、そう言い切った。ただそれは、外見の話だけではない。
「お世辞がうまいね。ま、ありがとう」
フレデリカは、以前の不機嫌さなど微塵も感じさせない、かつてサッカーに夢中だった青春の時のように無邪気に笑った。
その笑顔に見惚れながら、今度の試合は絶対に見に行くよと約束した。
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