第90話 自尊心の話


「えー、では、前回のコンクールの入賞者を発表します」


 窓のない部室に押し込められた、俺たちは七人の男女は、テーブルの一番端、ホワイトボードの前に立った種子島部長の方に目を向けた。

 部長は朗らかな表情で、優しさをたっぷり含めた口調で、話し始める。


「審査員賞、蜂須賀!」


 高らかと言い放った部長に合わせて、部員たちが拍手を始める。それに持ち上げられるように、俺は椅子から立ち上がった。

 こういう時、どのような顔をすればいいのかを、この三年間で熟知している。気恥ずかしそうに、しかし誇らしそうに。それが一番角が立たず、部員も心から祝福してくれる。


 それから拍手が落ち着いてきたところを見計らって、俺は椅子に座る。

 完全に拍手が途切れたタイミングを見計らって、部長がもう一度高らかという。


「優秀賞、三好!」


 先ほどよりも、大きな拍手が沸き起こる。もちろん俺も拍手をするのだが、その時も、祝福しているような顔を作るのを忘れない。

 立ち上がったのは、俺の隣に座る三好だった。ひょろ長い体を曲げ投げて、鳴りやまない拍手に応える。


「いやー、今回のコンテストも、三好と蜂須賀が取ったか。こんなに有望な部員が二人もいるのは、この写真サークルが始めって初めてじゃないか?」


 三好が座り、拍手も止まった後に、部長がそんなことを言って話を蒸し返し、「がっはっは」と豪快に笑った。

 苦笑している三好以外は、全員納得したように頷いている。特に一年の睦は、三好に羨望の眼差しを向けるのは隠そうとしなかった。


 俺も必死に苦笑を浮かべる。こうして置かないと、この場空気に押し潰されてしまいそうだ。

 本人も気付いていないが、部長には、入賞者を成績の低い順から発表する癖がある。そして俺は、同じ学年の三好より、先に呼ばれたことが一度も無かった。






   △






 今回も、大きいとは言えない規模の展覧会に行ってみた。場所はいつもと同じ、五棟の五階だ。

 渡り廊下を出たところにあるテーブルや椅子の置かれたちょっとした広場が、写真サークルの展示会場だった。黒い布に覆われた壁に、様々な写真が飾られている。


 優秀賞である三好の写真は、一番手前に貼られていた。それは、太陽に顔を向けた向日葵の写真だった。

 八月のコンクールだからと、向日葵を題材にするなんて、ベタだから誰もやらないだろう。しかし、三好はそれに真正面から取り組み、力強さと優しさを感じる一枚に仕上げていた。


 横に並んだ、俺の写真を見る。俺は海岸を写した。左側に海、右には砂浜、白く波が泡立ち、青色が眩しい。

 これを撮った直後は、今回こそと思っていた。しかし、優秀賞と見比べると、いまいちパンチが足りない。むしろ、審査員賞をもらえただけでもたいしたもんだろう。


 俺は、中学生の頃から写真を撮ってきた。高校の時も、写真部として活動してきた。

 写真家になるのが夢だ。母親に反対されて、美術大学には入れなかったが、その思いは変わらない。この大学の写真サークルに入って、腕を磨こうと決意していた。


 そんな俺とほぼ同じタイミングで入部したのが、三好だった。彼は、俺以外に写真のコンクールに興味を持っていた唯一の部員だったが、経験はなかった。

 素人だったはずの三好に、こうして抜かされてしまうなんて。才能があるのか、と考えてしまうと、あまりの悔しさに気が狂いそうになる。


「あ、ほんとだ。展示会やってる」

「あれ、蜂須賀も来てたんだ」


 そんな声が聞こえて、右を向くと渡り廊下を渡って、洲本と三好だった。

 三好は、最近よく洲本と一緒にいる。二人が付き合っているんじゃないかという噂を聞いたこともあるが、そんなことはどうでもいい。ただ俺は、女に現を抜かしているような奴に負けるなんてと、腹が立ってくる。


 もちろん、そんな気持ちはおくびにも出さず、俺は二人に微笑しながら会釈した。

 俺たちは同じ三回生だったが、仲が良いかと訊かれるとちょっと中途半端なラインだ。ただ、俺の方が他の部員たちと距離を取っているとも言えるが。


 二人とも三次の写真が見たいだろうと、俺は場所を譲った。自分の写真を素通りして、他の部員の写真を眺めていく。

 正直なところ、賞を取った写真以外はぱっとしない。見どころがあるのは睦くらいか。今年は入ってきた睦は、三好から写真の撮り方を習いながら、著しく成長している。


「睦も上手くなったな」


 塀の上に座る猫が顔を洗っている写真を眺めていると、不意に声をかけられた。

 右を見ると、三好が立っていた。眼鏡の奥で人懐っこい笑みを浮かべているのは、俺が一方的にライバル視していることを知らないからだ。


「光の写し方が、前回よりもよくなってる」

「まあ、確かに」


 俺は驚きが表れないように、生返事をしながら写真を見た。睦の上手くなっている所は分かっていたが、それを三好も気付いていたとは、予想もしていなかった。

 そういえば、洲本はどうしたのだろうと首を巡らせてみると、渡り廊下の方に出て、電話をしていた。手すきになった三好が、こっちに来たのだろう。


「睦はあくまで趣味で写真を撮っていると言っていたけど、コンクールに挑戦したら、強敵になりそうだな」

「……」


 三好は愉快そうに笑っていたが、俺はそれに対して返事をできなかった。

 「睦が強敵になる」という言葉の裏は、「俺のことは強敵とは思っていない」なのか、「俺たちにとっての強敵」なのか、どちらの意味が隠されているのか、考え込んでしまっていたからだ。


 他の部員たちの写真を見ている三好を、盗み見る。

 写真について話している時、こんなに生き生きしている奴だとは知らなかった。腕とか関係なく、全ての写真に羨望の眼差しを注いでいる。


「三好は写真が好きなのか?」

「ああ、好きだよ」


 無意識に零れ落ちた俺の疑問も、三好は真っ直ぐに受け止めた。瞳の中に、一等星の輝きを灯して、彼は微笑む。


「俺、絵が下手だからさ、美術にはずっと苦手意識があったんだ」

「ああ……」


 いつだったか、三好が犬の絵を描いた時、あまりの下手さに大騒ぎになってしまったことを思い出した。

 犬というのに、なぜか二本足で立っていて、耳が四つあるその犬の絵を、こっそり覗き見て、俺も衝撃を受けた。


「でも、写真なら、全部そのままに撮ることができる。俺が綺麗と思ったものを、カメラを通して、伝えることができる。今までにない感覚で、深みに嵌ったよ」

「そうなんだな」


 三好は、正直に写真を好きな理由を話してくれた。

 まだまだ青臭いとは思ってしまうけれど、そうやって撮ることを楽しんでいるのは、俺にもなんだか嬉しかった。


「蜂須賀はどうなんだ?」

「え?」


 単純な質問なのに、意味が分からず聞き返した。


「写真、好きなのか?」

「……」


 俺は、無邪気に尋ねる三好に、何も言えず、ぽかんと口を開けていた。






   △






 土曜日、俺はいつもよりも早く起きて、家を出た。

 持っているのは、スマホと財布だけだ。カメラを持たずに出かけるなんて、いつ以来だろう。


 朝の空気は酷く澄んでいる。紅葉した街路樹の木漏れ日が、風に吹かれてチカチカと瞬く。

 小憎たらしくなるほどの晴れた空だ。秋の半ばの薄い青に、絵にかいたような間抜けな形の雲が浮かんでいる。


 三好から、写真が好きかどうか聞かれた時、自分が一番目を背けていたものを突き付けられた気持ちだった。すぐに、三好からの質問には「好きだよ」と無難な表情をして答えたので気付かれていないと思うが、心の中では「本当に?」と刃物を突き付ているような声が響ていた。

 俺は、本当に写真が好きだろうか。三好というライバルができて、彼に勝つことばかり考えて、写真の楽しさを忘れてしまったのではないか。


 だから俺は、コンクールなど気にせずに、写真を撮りに行こうと決めた。

 カメラを構えたら、気負ってしまうから、スマホの機能だけを使って、自分が本当に撮りたいものだけを探そうと思った。


 どこに行こうかなと、風に吹かれてくるくる回る落ち葉を目で追いながら思う。今までなら、いい写真が撮れる場所を選んでいたのだが、それを気にしないとなると難しくなる。

 当てもなく歩くしかないかと、ぶらぶら歩を進める。土曜日だからか、土曜日なのになのか、人の姿は少なかった。


 大学に行くために使っている、屋根とベンチが一体になっているバス停にも、誰もいなかった。普段は意識していないが、ここの屋根はかまぼこ型だ。黒い梁が、半透明の屋根から注ぐ光によってシルエットを落としている。

 それさえも美しくて、俺はスマホのカメラを構えた。向こうの道にも車が通っていない寂しさを、そのまま捉えることができたと思う。


 バス停を後にして、ふと目に留まった、普段は通らない路地へと曲がる。

 そこは住宅街だった。知らない家の間を歩くのは、なぜだか緊張する。


 塀の上からのぞく松の木を眺めていると、目の前をつうっと何かが通り過ぎた。振り返って確かめると、それは鮮やかな茜色の赤トンボだった。

 スマホのカメラを起動しながら、追いかける。上下に移動しながら、トンボは飛んでいく。シャッターチャンスがなかなか来ないので、やきもきする。


 やっと、赤トンボが止まったのは、とある民家の竹垣の一本だった。逃げないように距離を取りながら、カメラで限界までズームする。

 こうしてまじまじと見ると、赤トンボは赤一色ではなく、腹は上が濃ゆい赤で下はオレンジになっていることに気付いた。エンドウ豆みたいな色の眼には黒い点が浮かび、網目模様の羽にも黒い点が落ち、背中には毛が生えている。


 一枚、シャッターを切る。灰色の隣家の壁を背景に浮かび上がる、トンボの赤。精密な機械のような足の節々も、綺麗に切り取れた。

 虫はあまり撮っていなかったが、被写体としては向いているかもしれない。苦手な人もいるだろうなと思い、コンクールには出せにくかったせいで、この溜息が出るほどの美しさを見落としていた。


 トンボを残して、踵を返し、元の進行方向へと歩く。しばらくすると、大通りに出た。

 左の方に、公園があるのでそこへ足を向けた。公園内は家族連れや子供たちで賑わっている。そこをきょろきょろして歩いているので、ずいぶん不審だっただろう。


 視界に、花壇が入ってきた。ピンク色のコスモスが一斉に、秋風に揺れている。

 近付いて、足を止めた。柔らかそうなその花々を眺めていても、すぐにスマホを取り出すことができない。


 花を見て思い浮かぶのは、三好のことだった。あいつは何故か、花を撮るのが好きで、よくその写真が入賞している。

 いつだったか、コスモスも写していた。俺が同じように撮っても、あの写真には敵わないのではないか……。


 長く長く、息を吐いた。いつの間にか強張っていた肩から、力を逃がす。

 ごちゃごちゃ考えるのはやめよう。勝つか負けるとか関係なく、俺は、綺麗だと思ったから写真を撮るんだ。


 スマホを構えながら、アングルに悩む。上から見ると、黄色い花粉の部分との対比がはっきりとするが、横から見て、トゲトゲとした葉もフレームに入れるのもいい。

 四方八方からぐるぐる回って、斜め下から写すことにした。目の前の一輪にピントを合わせると、奥の花たちはぼんやりと、しかし壮大な背景に様変わりした。


 このちょっとした変化に、どうしようもなく心が躍る。普段見えているものが、カメラを通した途端、表情を変える。

 そうか、俺は、プライドにまみれて、この瞬間を忘れていたのか。そんな満足感と共に、スマホの中のシャッターを押した。



















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