第85話 同窓会の翌朝


 夫が寝室から出てきたのは、朝の十一時を過ぎてからだった。


「おはよう……」

「おそようさん」


 家事が一段落して、ダイニングテーブルでコーヒータイムを楽しんでいた私は、まだ寝ぼけた様子の夫に対してそう声をかける。

 大きなあくびをしながらテーブルに座った夫と入れ替わるように、私は立ち上がってキッチンに向かった。


「貴弘は?」

「サッカーの練習に行ってる」

「そっか……うーん、まだ、頭が痛い」

「飲みすぎたんでしょ。十年ぶりの同窓会だったんだから」

「そうかも……」


 夫は二日酔いのようだったので、冷たい水をコップ一杯分入れて、夫に渡す。

 それを一気に飲み干した夫に朝食はどうするかと尋ねると、あんまり食欲はないと返された。


「でも珍しいね。あなたがそんなになるまで飲むなんて」

「あー、そうだねぇ」

「楽しかった?」

「まあ、そうだったよ」


 夫の向かいに座り、コーヒーカップを片手に尋ねてみても、返答はどこかぎこちない。

 何かあったのだろうかと思いつつ、無理に聞き出すのは悪いだろうなと、無難な話題を振ってみた。


「みんな、変わっていたでしょ」

「んー、確かに、変わっていたけれど、」


 夫は、その一言になぜか渋い顔をした。


「全然変わっていない子がいたなぁ」

「え、何それ、羨ましい」


 アラフォーになって、疲れがなかなか落ちなかったり、白髪が増えたりしてきた私は、正直な気持ちを口にする。若い頃には意識していなかったけれど、若いっていいことなんだと、今更ながらに実感していた。

 ただ、夫は私の食い付きと反比例するように、この話題を続けたくない様子だった。しかし、わたしの熱視線に負けたかのように、二の腕をさすりながら話し始めた。


「昨日の同窓会に、高校二年の時のクラスメイトで、学年のマドンナみたいな子が、久しぶりに来るっていうから、楽しみにしていたんだよね」


 私は無言で頷く。

 それを聞いても、嫉妬心みたいなものは湧き上がってこない。私も、自分の同窓会でサッカー部のエースに会えたのにドキドキしたから、お互い様だ。


「彼女、大学はアメリカで、仕事もあっちでしているから、誰も今まで何しているかを知らなかったんだけど。会うのも、大体二十年ぶりくらいじゃないかな? 卒業式以来だね」

「その子が、変わっていなかったの?」


 高校生の頃から可愛くって、それが変わっていないなんて、すごい話じゃないか。

 そんなことを考えながら相槌をしたら、夫は酷く青ざめた顔になっていた。


「変わった変わらないのレベルの話じゃない」

「え?」

「高校生の時とそのまんまだった」

「……」


 まさか、話盛ってるでしょ、と笑い飛ばそうとしたが、夫の硬い表情を見ると、無理な茶々を入れられない。

 夫は溜息をついて、額を拭った。


「みんなびっくりして、何と話しかければいいのか分からなくて。でも、本人は普通に振舞っているからさ、あっちから『久しぶりー』と来てくれて、ぎこちなくも話し出すって感じだった」

「あんまり、自覚がないのかな?」

「いや、こうなった理由は、はっきり話してくれたよ。自分から」


 夫は、空っぽのコップの縁をさすりながら、ゆっくり話を続けた。


「彼女、アメリカに渡る前に、祖父母が住んでいる田舎の方に行ったって。それで、この景色もしばらく見れないのかって、寂しく思いながら散歩していたら、山の方に入っていく、見たことのない細道があって、そこへ進んでみたんだ。しばらく木々の間を進んでいくと、ちょっと開けたところがあって、そこに祠が一つだけ立っていた。祠は、老朽化のせいで崩れてしまったみたいだった」


 私は、夫が淡々と語る言葉に聞き入っていた。森の中の、崩れてしまった祠を想像する。


「なんとなくそこに近付いてみると、崩れた木材の隙間から、白い蛇の鱗みたいなのが見えた。正直、彼女は蛇とか苦手だったけれど、死んでても生きててもこのままじゃあ可哀そうだと、木材をどかしてあげたんだ。木材の下から出てきたのは、一匹の白蛇だった。ぐったりとしていたが、その黒い瞳が見開いて、彼女をしっかりと見た。すると、蛇は身を起こしながら、白く輝きだし、さらにだんだんと宙に浮かんで、彼女の身長よりも高い位置から見下ろした」


 ごくりと、私は生唾を飲んだ。

 夫はまた額を拭う。クーラーが付いている室内だけど、汗が出ているのかもしれない。


「蛇は、テレパシーのようなもので、彼女に語りかけた……『娘よ、私を助けた礼として、そなたに不老不死の肉体を与えよう』……。その直後、光が一層強くなって、彼女は思わず目をつぶった。再び目を開けた時には、その蛇はどこにもいなくなっていた……」

「その、蛇の神様? みたいな存在を助けたから、本当に不老不死になっちゃったってこと?」


 不可解な話なりに、私が飲み込めた部分を尋ねると、夫は首肯した。


「それから、本当に老けなくなっちゃったって、彼女は笑っていたよ。みんなは、必死にそれに合わせて笑っていたけど」

「はぁ~、不思議な話もあるものねぇ」


 私は感心しながら返すが、まだ夫は浮かない顔をしている。

 そのマドンナが老けない理由が分かったのなら、何が引っかかるんだろうと思っていると、夫は再び口を開いた。


「実は、彼女が僕たちのいるグループから去った後、本当に不老不死か確かめてみようといってくる人がいて」

「え? 確かめる?」


 不信感を強くにじませながら訊くと、夫はすぐには返答せずに、コップを持って立ち上がった。

 キッチンへ行った夫は、冷蔵庫から水の入ったペットボトルを取り出して、中身をコップに注ぎながら話を続けた。


「刃物で刺しても、死なないんだったら大丈夫なんじゃないかって、田下が」

「……その田下って人、仲良いの?」

「いや、高二の時のクラスメイトではあったけれど、グループが違うから、友達と言うには微妙なところかな」


 ペットボトルを冷蔵庫に戻しながら、夫はそう説明してくれた。

 それから、テーブルに戻ると、今度はちびちびと水を飲み始めた。


「僕が、『本気じゃないよね?』って聞いたら、『冗談だよ』って笑っていたけれどね。それでも嫌な気分がしたからさ、気になって」

「そうだねー。ねえ、そのマドンナさんって、何て名前?」

「古ヶ崎のばら。名前負けしてないねって高校の時から言われてたけど、今もそうだね」

「ふーん」


 平静を装って帰したけれど、夫は違和感を覚えたらしい。

 コップを傾けていた手を止めて、じっと私を見る。


「なんか気になるの?」

「ううん。なんとなく聞いてみただけ」


 私の返答に、「そっか」と夫は返した。

 今ついた嘘を夫は全く疑っていない様子だった。


 ……夫が起きて来る前の朝のニュースで、私は「古ヶ崎のばら」という女性が、「田下穣一」という男性に、包丁で胸を刺されたというニュースを見た。被害者の方は軽傷で、加害者は逃げ出したがすぐに逮捕されたと言っていた。

 二人とも夫と同じ年齢だと思っていたが、それ以外にも、気になる点があった。普通、胸を包丁で刺されたのに、軽傷で済むなんて、ありえるのだろうか?


 その理由は、夫の話を鑑みたらなんとなく分かる。田下さんが、古ヶ崎さんを刺してしまった訳も。

 でも、このニュースは夫に話さないでおこうと思った。いずれ耳に入るのかもしれないが、二日酔いで気分が悪そうなのに、これ以上ショックなことは伝えられない。


 私は、夫の意識を同窓会から離れさせるために、「昨日ナースステーションでね……」と、自分の職場の話を始めた。












































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