第82話 潜れ。そして進め。
酸素は生きていくために必要である。
そんなことは、小学生に上がる前の子供でも、いや、生まれたばかりの赤ん坊でも本能的に知っていることだ。常識以前の当然だともいえる。
だが、世界には好き好んで酸素のない場所へ向かう人間がいる。
その中でも一番身近なのは水中だろう。もちろん、息継ぎをすることができるけれど、一切呼吸をせずに潜り続けるという競技も存在する。
フリーダイビングと、その競技は呼ばれている。酸素の入ったタンクを背負わずに、海底へとより深く深く潜っていくイメージが強く、映画の題材にもなった。
だが、フリーダイブにもさまざまな種類がある。垂直に潜る、水平に進む、何もせずに浮かんでいる、フィンの有無やウエイトやロープの扱い方などで、細分化されている。
僕は、水平方向にフィンなしで泳ぎ続ける、ダイナミック・アプネア・フィンなしという競技を行っている。
ただ、プロと言う訳ではない。大会に出ることもあるけれど、本業は会社員だ。
再開したダイビングプールは、まだ人がまばらだった。見知ったスタッフに挨拶をしながら、ロッカールームへ向かう。
水着に着替えた後、隣のヨガルームで体をほぐすことに。同じタイミングで入った競技仲間である彼と、サポートとレスキューを兼ねたバディを組んで練習する流れになった。
一言二言、お互いに最近の生活や仕事の変化について話す。あまり深刻になりすぎないように気を付けた。
こちらの話も、相手の話も、「大変ですね」という一言では言い切れないものばかりであったが、僕も彼もこれから久しぶりのプールということもあり、どちらかと言えば表情は明るかった。
「今年の大会、延期してしまって、残念でしたね」
ふと、会話の途中で彼からそう言われて、僕は今年の事実を思い出していた。「そうですね」と答えながら、二〇二〇年開催予定のリーグやスポーツ大会が次々と中止・延期がされている中で、この大会も例外ではないだろうと覚悟をしていたため、彼ほどダメージを受けていなかった。
もしも僕が怪我や病気で大会出場をあきらめることになっていたら、悔しさと焦りとで疲弊していただろう。しかし、今回のケースはみんな一律に練習ができなくなっているので、「こうしている間に誰かが」と嫌な想像をしなくて済んだのだろう。
体も十分にほぐれたところで、彼に「そろそろ行きましょうか」と言ってヨガルームを出た。
僕らは、プールへと向かう。今日の目的は軽めのウォーミングアップだから、鼻も塞げる水中ゴーグルであるスフェアくらいで、ネックウェイトは付けずに泳ぐことにしていた。
現在、プールに入っているのは二組だけ。僕は三レーン目、彼は四レーン目にドボンと落ちる。潜る順番はお互いに譲り合ったのでじゃんけんをして、僕が最初になった。
これまで湯船に入ることはもちろんしていたけれど、こうして腰の上までの深さの水に浸かるのさえ久しぶりで、皮膚細胞のがその冷たさに心地よさを感じている。周りを見渡せば、懐かしい水色が視界を埋め尽くしている。
早く、早く潜りたい。その気持ちを落ち着かせるために、何度も深呼吸する。
最後の一呼吸だけ大きく大きく吸い込んで、滑らかに水の中に潜る。地上の音は全くない水中で、そのまま飛び込み台のある壁を蹴り、進み始める。
目の下で、スタートラインを超えた。蹴伸びのようにしていた足と手を平泳ぎの型で動かす……この時、体が水面から出ないようにと注意が必要。
一度、こうして水をかいたら、自分の体が止まりきるギリギリまで体は動かさない。こうして、酸素の無駄遣いを防ぎながら、ゆっくりと、ゆっくりと自分の体を進めていく。
昔、大会を応援しに来てくれた母親から、「見ているこっちも息苦しくなる」と評されたことがあった。確かに、スピード重視の競技と違い、こちらの進みはどの泳法よりも遅い。
また、零点何秒を何とか縮めようとするあちらと違い、こちらは自分が事前に申請した時間よりも、少しでも水中にいようとしている。何もかもが正反対だ。
ここは酷く静かだ。今現在僕以外に泳いでいる人もいるし、すぐ隣のレーンではバディが並走しているはずなのに、ずっと同じ位置を見ているため、それを意識することはない。
これほどまでの孤独の中を進んでいるためなのか、それとも呼吸を止めて命を削っている為なのか、僕には、いつも潜ってくる頭に浮かんでくる光景がいくつかある。それは自分の思い出なのだから、きっと走馬灯の一部だと思う。
「泳ぐ」ということを生まれて初めて意識したのは、五歳の頃、海でイルカが群れになって泳いでいる映像を見た日だった。
底へ向かうほど、ぞっとするほど暗さを増していく海の中で、息をぴったりと止めているというのに、イルカたちは軽やかに楽しそうに海面と平行になって泳いでいた。あの時の僕が、イルカたちの無呼吸状態とか海の恐ろしさとかをどこまで理解していたのかは分からないが、なんて自由なんだろうと羨ましさを抱いていた。
それから、僕は泳ぐという行為に並々ならぬ興味を持つようになった。当たり前のように、最初の習い事はスイミングで、中学から大学までは水泳部だった。
しかし、プロの選手になるということは早々に諦めていた。様々な泳法を試したが、地方予選を突破できるほどの実力がないことは、自分自身がよく分かっていたから。
そうすることで、肩の荷が下りた気持ちになって、泳ぐということをさらに楽しめるようになった。
けれど、どこか腑に落ちなさがあったことは確かだ。それは、もっとイルカのような泳ぎ方が他にあるんじゃないかという探求心であった。
フリーダイビングをやってみたらどうでしょうかと、アドバイスを受けたのは就職してから、ジムのプールで知り合った人からだった。僕が泳ぐ時に、いつもルールのギリギリまで潜っているの見ていたから、そう言ってくれた。
水泳を長いこと続けていたものの、フリーダイビングは名前は知っているけれどまだやったことのない競技の一つだった。しかし、存外家の近くに合ったダイビングスクールで体験したことで、その魅力に深く沈んで行ってしまった。
そこまで思い返したところで、じわじわと減ってきていた肺の中の酸素が、もうそろそろ尽きそうになってきた。
このまま動かずに進んでいきたいが、一度水をかかないと止まってしまう。こうして手足を動かしている瞬間、酸素を無駄にしているような気持ちになる。
ただ、このひとかきが最後なのだろうなということは、痺れだした手足の先と脳みそが教えてくれている。背中で感じる水圧が重たい。
一度、サポート中にブラックアウト寸前の選手を間近で見たことがある。自ら顔を上げたその選手は、すっと意識が遠のきそうな顔になり、オッケーサインを出すカウントが終わったのにも気づかなかった様子で、何事もないように「アイムオーケー」と笑顔を見せた。
隣でそれを見た時、僕は血の気が引いた。後々、その選手自身から、あの時は記憶が一瞬飛んでいて、自分がブラックアウトしかけたということに気付かなかったと説明された。
それ以来、僕には未だ体験のないブラックアウトの恐ろしさが刻まれている。自分の体の隅々まで気を配り、浮上できる体力を残せるように計算をするようになった。
浮上時には、プールの壁やそこに体をぶつけてはいけないので、細心の注意を払って水面を目指す。
自分自身の浮力に任せて、軽めの一かき。潜り続けるのは苦しくて辛いのに、こういう行為はあっさりとできてしまう。
水面から顔を上げると同時に、プールの底に足を付けた。久しぶりの酸素だけど味わう余裕などなくて、必死に全てを吸い込もうと荒い息を繰り返す。
スフェアを脱いで、ひと呼吸を置き、横でカウントをするバディにオーケーサインをしながら「アイムオーケー」という。バディは、ストップウォッチを止めて言った。
「二分三十五秒四一」
「……うん、ウォーミングアップなら申し分ありませんね」
タイムに対してそう言ったのは、もちろん悔し紛れのためだ。もう少し潜っていられたはずなのにと、水中に出た途端にやかましく思ってしまう。
肺で空気を吸っているときは水中を懐かしみ、水中を潜っている間はブラックアウトを恐れて酸素を求める。我ながら、酷い矛盾だと思うのだが、それが事実なのだからしょうがない。
イルカのように泳ぐなんて夢のまた夢だけど、出来るだけそれに近付きたくて、僕はこれからも潜り続けるのだろう。自分の限界との戦いと言えばそれらしく聞こえるかもしれないが。
バディと一度休憩するためにプールサイドに上がったのに、僕は後ろ髪を引かれて何度もプールを振り返った。
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