第81話 M.N.さんについて


 M.N.さんは、去年、私の働く部署に中途採用で入ってきた男性である。


 もちろん、M.N.というのはイニシャルであるが、これはプライバシー配慮による表記ではない。M.N.さんは毎日名前が変わるのだが、イニシャルだけは変わらないので、そのように呼ばれている。

 初めて我が部署に配属された日、M.N.さんの名前は「夏木光信みつのぶ」だった。二日目は「仁科茂太郎もたろう」、三日目は「野崎誠」で、同じ名前は二度と登場しない。


 また、見た目も毎日変わる。顎髭がダンディな五十代の日も、小柄で童顔な二十代の日もあった。一応、定年制のある会社なので、十八歳から五十九歳までという縛りはあるらしい。

 人種も変わってしまうので、初めてM.N.さんがアフリカ系だった時には全員が驚いた。今ではすっかり慣れて、ラテン系の顔立ちに、赤と黒のツートンカラーの坊主頭のM.N.さんが出社しても、みんな普通に「おはよう」と挨拶をする。


 私たちは、毎朝、部署内にいる全く知らない人の社員証を見て、それがM.N.になっているかを確かめている。

見た目が変わっても記憶は引き継いでいるため仕事に関しては全く支障がなく、先方と接する仕事ではないので特に混乱をきたすことはない。


昼休みになると、社食にいるM.N.さんに人だかりができる。全員が、毎日変わるM.N.さんの採用前の話を聞きたいからだ。M.N.さんの前職は、シマリスのブリーダー、セパタクロー選手、風見鶏職人と、いつも統一感がない。

アマゾンでピラルクを釣った話、東京タワーの頂上を点検した話、ハリウッドスターのプライベートジェットを運転した話など、M.N.さんはお喋り好きなのでどんな経験でも話してくれる。ギャンブル依存症から立ち直るまでなど、聞くのが辛い話もあるが、私も毎日必ずM.N.さんを囲んでいる。


 ただ、M.N.さんの見た目と経歴と矛盾していることが多々ある。一度、二メートルを超える長身なのに、相撲の新弟子検査で身長が原因で入れなかったと言っていたことがあって、私は思わず新弟子検査に最高身長の制限もあるのかと調べてしまった。

 他にも、明らかに二十代の顔立ちなのに、和食割烹で三十年間包丁を握っていたと話したり、生まれた時から右手がないため苦労したといいながら、その右手は箸をしっかり掴んでいたりと、色々可笑しなことを言う時もある。ただ、それを指摘したらどうなってしまうか想像もできないため、誰も何も言わない。


 そんなお喋り好きのM.N.さんでも、プライベートの話は全くしない。彼が独身なのか、休日は何をしているか、好きな芸能人は誰かすら、私たちは知らない。

 誰かがM.N.さんを飲み会に誘っても、必ず断れてしまう。ラインやメールアドレスを交換した人もいない。警備員さんもM.N.さんが出社と退社の瞬間を見ているが、どこから来てどこに行くのか分からないという。


 M.N.さんの正体は一体何なのか。たまに社内で論争が起きる。

 私は、会社が用意した仕事のためだけの人工生命体か、この会社に不採用にされた人々の情念の塊という説を唱えた。だけど、答えは出ないし、M.N.さんは仕事を人一倍やってくれるので、きっとこれからも変わらず一緒に働いていくのだろう。
















































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