第78話 てんとう虫マンション
五歳の息子と近所の公園へ行く途中、必ず銀行の前を通ることになっている。
五月のある日、息子は銀行の生け垣のところで足を止めた。
「てんとおむし」
つたない発音でそう言った息子が指差す先には、小さな葉っぱの上にてんとう虫がちょこんと乗っていた。
「ほんとだ。可愛いね」
「みて、いっぱいいるよ」
嬉しそうに息子は、そのすぐ側の葉っぱを指さす。最初に見つけた、オレンジ色に黒い水玉模様のてんとう虫とは別に、黒字に赤い丸が二つ付いたてんとう虫がそこにいた。
改めてみると、てんとう虫があちらこちらに点在している。生垣になっている植物に蔓状の植物が巻き付いていて、そっちの葉っぱを住処にしているようだった。
「あ、違う虫もいるよ」
「ううん。これは、てんとおむしのあかちゃん」
私が見つけたのは、黒色にオレンジの点が二つ付いた、てんとう虫と同じくらいの大きさのぶよぶよとした芋虫だった。
しかし、息子によると実はてんとう虫の幼虫らしい。息子は虫が好きで、保育園でも虫に関する本を色々読んでいるので、私よりも詳しいのかもしれない。
「よく知ってるねー」
「ふふふふふ」
私が頭を撫でると、息子は嬉しそうに笑った。
それから得意になった息子は、私に色々なてんとう虫の知識を教えてくれた。最初に見つけたてんとう虫はナナホシテントウ、二番目に見つけたてんとう虫はナミテントウというらしい。
「それにしても、数えきれないくらいいるね」
「マンションみたいだねー」
息子が自分の住んでいる場所になぞらえて言った一言に、私はなるほどと頷く。
「てんとう虫のマンションだ」
「てんとおむしマンション!」
息子は、私の言葉を繰り返して、楽しそうに万歳をした。
△
毎週末に、公園に行く途中で銀行の生け垣を覗くのが、私たちの楽しみになった。
どうしててんとう虫がここに集まっているのだろうと不思議に思っていたが、息子がてんとう虫の餌になるアブラムシが蔓上の植物にくっついていることを教えてくれたので、それが理由のようだ。
また、何週間に渡って観察していると、てんとう虫の幼虫の数が少しずつ減ってきていることにも気付いた。
五月はてんとう虫が卵を産んで、成長していく季節なのかもしれない。
「それでね、てんとおむしは、てきにたべられたら、にがーいしるをだすんだよ」
「へえ。それじゃあ食べられないね」
「うん。ぼくもそのしる、なめてみたい」
「それは、ちょっと止めた方がいいかなぁ」
息子はてんとう虫についてもっと知りたいくなったようで、新しいてんとう虫の本を読んだら私に話してくれる。
ただ、好奇心が妙な方を向いてしまっていることがあるので、変なことをしないかが心配になる。夫はそういうのには寛大なようで、触れて学ぶことも大切だと言っているが。
「きょうは、てんとおむしをゆびにのっける」
「そしたら、どうなるの?」
「ゆびのいちばんうえで、とんでいくんだって」
今日も公園に向かう途中、息子は新しい実験をしようと鼻息を荒くしている。
それくらいの実験なら、やってもいいかなと苦笑しながら、手を繋いだ息子と銀行の前を通りかかった。
「あれ?」
やはり、その異変に気付いたのは息子が最初だった。
生垣が綺麗に刈り揃えられている上に、そこに巻き付いていた蔓が全て無くなっている。息子は背伸びをして、生け垣の後ろの方も見てみたが、そこにも蔓が無かったようだった。
「てんとおむしマンション、無くなった?」
「そうみたいね……」
見上げる息子の泣きそうな顔に、胸を詰まらせながらも肯定するしかできない。
銀行側からすれば、生け垣を綺麗に保つことは当然のことだろう。だが、息子にその話をしても納得しないだろう。
「てんとう虫マンションは、ここよりももっといい所に引っ越したんだよ」
「うん……」
俯いた息子の頭を、あの時よりもずっと優しくなでる。
小さく泣き出しそうな息子の声を聞きながら、てんとう虫マンションは息子の心の中でずっと残っていてほしいなんて、勝手なことを願っていた。
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