第79話 落雷鑑賞会
授業終了の鐘が鳴り、先生も教壇の片付けをし始めた十分の休憩時間、クラスのみんなも席を立ったり教室から出たりしていた。
私は窓際の一番後ろの席で、次の授業のために日本史の教科書を取り出す。その時、自分の目の前をふわっと長い髪の人が通りかかるのがぼんやりと見えた。
窓の前へ向かったその人は、クラスメイトの女子である都築さんだった。じっと身じろぎせずに、夜と見間違えるくらいに曇っている空を眺めている。
一体何を見ているのだろうと、真剣な眼差しをドキドキしながら見ていた。毎日同じ教室で授業を受けているとはいえ、一軍女子に話しかけるのは気後れしてしまう。
でも、どうしても気になって、私は「都築さん」と話しかけていた。
自分が声を掛けられるなんて思いもよらなかったような表情で、ぱっと都築さんが振り返る。私は邪魔してしまったことを申し訳なく思いながらも、ごく当然の質問をぶつけた。
「何か見えるの?」
「雷。あっちの方で、光ってる」
「え? どこ?」
都築さんが透明のネイルをした指先で、窓の外を指した。
私は、自分の目の前にいるのが一軍の子だとを忘れて、席から立ち上がって彼女の隣に立った。
三階にあるこの教室から見下ろす住宅街のそのまた向こう、地平線に近い所で黒い雲が厚く立ち込めている。あの辺りは雨が降っているのだろうか、家の影が灰色でぼんやりとしている。
その辺りで、青白い光の筋が、蛇行しながら上から下へと落ちた。はっと息を呑む。距離が遠すぎるのか、音はここまで届かなかった。
「ね、見えた?」
「うん。すごくはっきり見えるね」
都築さんと顔を見合わせて頷く。あんなにはっきりとした稲妻を見るのは久しぶりだったから、私は密かに興奮していた。
「あーけみっ!」
そんな時、都築さんの背中におんぶされるような形で、一人の女生徒が飛びついてきた。
ちょっとエビ反りになった都築さんとその明るくて大きな声に驚いた私が確認すると、それは都築さんの友達の福井さんだった。小柄な福井さんは、背伸びをして都築さんにぶら下がるような形で、都築さんの顔を覗き込んだ。
「何見てるんの?」
「雷だよ」
「え、どこどこ?」
「あっちあっち」
都築さんは福井さんの格好など気にせず、先程と同じ方向を指さす。都築さんは全くいやそうじゃなくて、むしろニコニコしている。
私はそんな二人のやり取りを見てどぎまぎしていた。二人にとっては当たり前なのかもしれないけれど、私にとってはこういうコミュニケーション方法は選択肢になかった。
三人が固唾を飲んで見守る中、また雷が落ちた。青白い稲妻が、今度は一瞬だけ二回光った。
わあっと嬉しそうに拍手をしながら、福井さんは都築さんの隣に並ぶ。
「すごい! 綺麗だったね!」
「見惚れちゃうよねー」
「これが学校に落ちたら、停電になって帰れるかな?」
「リサ、あんなに遠いから無理だよ」
同じクラスメイトでも、福井さんのことは都築さんよりも遠く感じる。自由な学風とはいえ、いつもばっちりメイクしていて、耳にピアスを開けていて、正直自分と違う世界の人のように感じていた。
だけど、こうしてみる福井さんは思った以上にフレンドリーな人だった。「停電してほしい」という気持ちは共感できるし、無邪気な笑顔は可愛らしかった。
「何してるの」
私の誰もいなかった真横からそう声をかけてきたのは、一番仲の良い友達の奈々枝だった。縁のない眼鏡の奥で目を丸くして、珍しい組み合わせの三人を眺めている。
奈々枝は、私が言える立場ではないけれど、クラスで一番おとなしい女子だ。今の話しかけた声も、私にしか聞こえていない。
「あ、赤崎さん、やっほー」
福井さんが明るい口調で手を振るのを、奈々枝は目礼で返した。
クラスメイトだからここまで他人行儀じゃなくてもいいのにと思うけれど、いきなり福井さんから「やっほー」と言われた時の正解を、私も知らない。
「みんなで雷を見てるの」
都築さんが朗らかな口調で教えてる。当然のように「みんな」の中に私も含まれていることを意識すると、心がくすぐったくなってくる。
奈々枝は「ああ」と蚊の鳴くような声で納得して、窓の外を見た。みんなも、示し合わせたように同じ方向を向く。
直後、稲妻が落ちた。黒い雲の中から現れた青白い線が空間のひび割れのようだ。
今度のは先ほどよりも近くに落ちたようで、数秒後に爆発音が鳴り響く。その音に、全員が肩をすくめた。
「鳴神」
一瞬静まりかえった合間に、奈々枝がそう呟くのをみんな聞き逃さなかった。六つの瞳から注がれる視線を一身に受けて、奈々枝は顔を真っ赤にして俯いている。
その中で都築さんが、優しく尋ねた。
「それって、どういう意味なの?」
「俳句の季語。雷のこと」
「すっごい! 赤崎さん、賢い!」
奈々枝の返事に間髪入れずに反応したのは福井さんだった。ぱあっと明るい顔で、小さな拍手を送っている。
正直私は、他人から言われる「賢い」という誉め言葉には、小馬鹿にしたようなニュアンスが絶対含まれていると思っていた。だけど、この福井さんの反応は純粋すぎるくらいで、無垢な人って本当に要るんだなと変なところで感心してしまった。
「でも、今の雷、さっきよりも近付いているね」
周りを見回しながらそう切り出すと、全員が頷いてくれた。
「鮎子、傘は持ってきてる?」
「うん。降るって聞いているから」
「山本さんも? 朱美は?」
「持ってきてるよ。でも、傘さしていると落雷に会うって本当かな?」
「えー、それなら、雨降っても、あたしは差さないでおこう」
そんな話をしていると、また雷が落ちるのを私たちは見た。今度は二つ同時で、右側の方は地面に向かう途中で二つに分かれていた。
腹の底に響くような雷鳴を聴いていると、なんだか高揚してきた。一緒に黙り込んでいる三人も、同じ気持ちなのだろう。
丁度チャイムが鳴ったので、私たちは自分の席に戻ろうと踵を返した。
そして、目の前にいる相手を見上げて、雷が鳴った時よりもずっとびっくりした。
「みんな、全然気づかなかったね」
バレー部でクラスの女子で一番背の高い原田さんが、笑いを噛み殺しながら言った。
恥ずかしくなった都築さんが、それを誤魔化すように原さんの腕をはたく。
「もう。幸香、見ているんだったら言えばいいのに」
「ごめんごめん。なんか、夢中だったから声かけづらくって」
原田さんは心底愉快そうに言う。
私はそんなに雷に夢中になっていただろうかと首を傾げていて、福井さんは「いじわる」と頬を膨らませて、奈々枝はますます赤くなって小さくなっていた。
「ほら、そろそろ先生来るよ」
四者四様の反応を目いっぱい楽しんだ原田さんが指差す先で、日本史の先生が横開きのドアを開けた。
私たちは、ばたばたと解散して、自分の席に戻っていく。私の席が一番近かったので先に座り、都築さんが教科書を机から取り出すのを不思議な気持ちで眺めていた。
教壇に立った先生が、前回の授業の話の復習をしてくれている。私はそれを聴きながら、横目で窓の外が白い閃光で包まれる瞬間を見た。
もう、一緒にはしゃいでくれる相手はいなためか、私は結構冷静だった。意外と、卒業式の時に思い出すのは、ああして五人で雷を見ていた十分間なのかもしれないと、頭の片隅に過った。
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