第75話 Dさんは死んでいる


「久しぶり」

「おう」


 僕が挨拶をすると、海原うみはらはそう頷いて、右手の煙草を一吸いした。

 ここはワンルームマンションのリビングだった。海原は、テーブルの上に腰掛けて、黒のスラックスの足を組んでいる。


「どれくらいぶりかな?」

「二年くらいか」


 仕事を終えて道を歩いている途中で、このマンションのベランダから煙草を吸っている同僚の海原を見かけた。

 声をかけると、海原に招かれて、この部屋に入った。それからこうして、物が殆どないリビングで海原と向き合っている。


「あーちゃんはどうした」

「今は休憩室で寝ているよ」


 海原が僕の周りをきょろきょろ見ながら尋ねるので、にこやかに答える。僕とあーちゃんがいつも一緒だと認識してくれていることが、なんだか嬉しかった。

 今はもう夜遅い。この部屋に置いてある時計は、十二時過ぎを指していた。


 ふいに同僚と会った時にするのは、大体お互いの近況についてだ。あるいは、相手に関する噂話の真相を尋ねてみるとか。

 そのため、僕は「そういえば」と切り出した。


「霧島から聞いたけど、警察官をしていたって?」

「よく知っているな」


 海原は苦い顔で肯定したので、尋ねた方なのに耳を疑ってしまう。海原ほど目つきの悪い警察官がいてもいいのだろうか?

 そう考えてしまったのを見透かして、海原はその鋭い目をますます細めて僕を睨んだ。


「お前、似合わないと思っただろ」

「うん。正直言うと」

「ちょっとした興味で交番勤務してみたんだが、性には合わなかったな。場所が路上喫煙禁止だったのが一番きつかった」

「あー、それは大変そうだったね」


 僕には警察経験はないけれど、路上喫煙禁止の言葉に同情した。

 海原は、ヘビースモーカーで、こうして話している間にもすでに一本吸い終わり、携帯灰皿に捨てている。間髪入れずに二本目を咥えて火を点けた彼は、長く煙を吐いた後に続けた。


「制服だから、おいそれと破るわけにもいかなくてな」

「へぇー、そういうルールは守るんだ。意外」

「妙なところで揉めたら面倒だからな」

「どれくらい勤務していたの?」

「半年くらいか」


 ふと、海原が「お前、知ってるか?」とにやにやしながら煙草を持った右手を、指揮者のように振るいながら尋ねた。

 煙がくにゃりと曲がるのをぼんやり眺めながら、「何を?」と尋ね返す。


「三茶にデパートがあるだろ? そこの一階に探偵が雇われてんだけど」

「ううん。初耳」


 その話と僕らとに、何か関係あるだろうかと、首を傾げた。フィクション作品と違って、僕らは探偵と縁が薄い。

 対する海原は、意気揚々と話を口を開いた。


「星影が、あそこの探偵は面白いと言ってたらしいぞ」

「えっ! 星影が!?」


 突如出てきた同僚の名前に、驚きを隠せない。

 殺人者以外の人間に、星影が興味を持つとは。これから地球が上下さかさまになりますって言われた方が信じられる。


「理由までは知らないんだけどな、その探偵と直接言葉を交わしたらしい」

「らしいっていうけど、また聞きの話?」

「ああ。霧島からな」

「あー、霧島かー」


 再び出てきた同僚の名前に、信憑性があるぞとすぐに思った。他の同僚からの噂だったら、頭ごなしに否定していただろう。

 そう納得する一方で、今度は霧島の方が気になってきた。


「……霧島って、こういう話、たくさん知っているよね」

「あいつは顔が広いからな」

「同僚全員と知り合いなんじゃないの?」

「まさか」


 海原はそう笑い飛ばそうとしたが、すぐに真顔になった。


「……まあ、ありえるかもな」

「そう思うでしょ」


 二人同時に黙った。きっと、お互いに霧島の顔を思い浮かべていたのだろう。

 俳優だと言っても差し支えのない爽やかさで、縁のない眼鏡もよく似合う、愛想のいい霧島。そんな風体で、ストレートな毒舌を吐いているのだが、不思議と彼が嫌われているという話は聞かない。


 話が妙な方向になってきたらしい。

 灰皿に灰を落としている海原に、僕は、自分の背後を指さした。


「ところで、彼は?」


 僕の指の先には、一人の男性の死体があった。


「ここの住人」


 煙草を吸いながら海原が簡潔に教えてくれた。僕もなるほどと頷く。

 僕らは地上に家とかはないから、海原の家ではないだろうとは思っていたけれど。死体の彼のことは、ここの表札の名字から取って、Dさんと心の中で呼ぶことにする。


「死因は?」

「薬をアルコールで飲んだことによる副作用」

「それ、一時期減ったけど、未だに無くならないね」

「確かに」


 俯せに、大の字の格好で死んでいるDさんを見下ろしながら、僕たちは淡々と会話を続ける。

 人間たちにはこの上なく奇妙な光景に映るのかもしれない。ただ、人の最期に立ち会い続ける僕たちには、もはや日常の一部だった。


「立木、今度この辺で祭りがあるらしいぞ」

「あ、楽しそう」


 そう言いながら、海原はテーブルの上のチラシを見せた。大輪の花火と一緒に「○○まつり」という力強い文字が印刷されている。

 全くの他人のDさんの部屋で、テーブルに座っていることと言い、海原の立ち振る舞いは傍若無人だ。今はお互いに霊体だから、指紋が残る心配とかはないけれど。


「焼きそばも売ってるかな」

「普通にあるだろ。あーちゃんと一緒に行ったらどうだ?」

「うん。部長にこの日は休みたいと言っておくよ」

「許してもらえればな」

「大丈夫。僕は君と違って信用されているから」

「よく言うよ」


 苦笑する海原に合わせるように、僕も笑った。

 人間たちが僕たちの存在自体を嫌っていることはよく分かっているけれど、これくらいの楽しみは許してほしいとか、後ろのDさんに対して、言い訳がましく思う。





































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