第60話 醒めない夢の中にて
「俺、最近同じ夢ばっかり見るんです」
そう切り出すと、目の前で特盛カツ丼を食べていた梶井係長は、興味なさそうに「へえ」と言った。
アラフォーなのに、係長の食欲は衰えなくて、昼食も飲み会も、人一倍の量をぺろりと平らげる。見た目も年相応ながらにかっこよくて、俺の一番の憧れだ。
「同じって言っても、細部が異なるんですけどね。初めて見た時は、俺は仮面ライダー一号になっていて、次は二号で……」
「村上、仮面ライダー好きなの?」
係長がお冷に手を伸ばすついでにそう訊いてきたので、俺は自信満々に頷いた。
「ええ。好きですよ。今も見ていますし。小さい頃は、本気で仮面ライダーを目指していたくらいです」
「俳優にはならなかったんだな」
係長の、何気ない口調にどきりとしてしまう。
大手の空調メーカーに就職して、営業部として働く俺にとって、もっとも聞きたくない言葉だった。
「……ええ、顔が良いわけでも、演技が出来た訳でもなかったですからね。運動神経もいま一つなので、スーツアクターも目指せませんでした」
「ふうん」
訊いてきた係長は相変わらずそっけない返事だったが、その方が俺にとっては気が楽だった。
だけれども、係長に言われて、俺の中には今でも仮面ライダーになりたかったという思いが残っていることを意識させられた。その気持ちの所為で、あんな夢を見るのかもしれない。
「係長は、子供の頃の夢は何だったんでしたか?」
「俺の夢か?」
ごく当たり前の質問をしたつもりだったのに、係長はなんだか嫌そうに眉を顰めた。
そういう表情は珍しいので、ちょっと驚いてしまう。
「特になかったよ、夢とか。将来、サラリーマンになるんだろうなーと、漠然と思っていたくらい」
「えー。それ、本当ですか?」
俺の非難するような言葉に、係長はむっとした様子で俺を見る。
「なんだ、信じられないのか」
「子供の頃からサラリーマンになりたかった人は、キレて取引先の首根っこを掴んで持ち上げたりしませんよ」
「……それ、誰から聞いた」
「近衛元部長です」
たちまち顔面蒼白になった係長に尋ねられて、にやにやするのを押さえながら俺は正直に話す。
近衛元部長からこの話を聞いた時は信じられなかったけれど、目元を覆っている係長の反応を見ると、本当らしい。
「係長って、昔はツッパっていたんですね。元ヤンでしたか?」
「……俺の話はどうでもいいんだよ。お前の仮面ライダーになる夢は、今でも見るのか?」
苦虫を潰したような顔で、無理矢理話の矛先を変える係長を見ると、可笑しいけれど流石に申し訳なくなって、俺も最初の話を続けることにした。
「今朝も、その夢を見ました。すごくリアルで、俺がテレビで見た場面を全部再現しているんですよ。殴れたりしても痛くないってところ以外は」
「敵も出てくるのか?」
「はい、ちゃんと戦いますし、見事にやられます。ただ、一つ、不満があって……」
「なんだ?」
「敵の目が、全員真っ赤なんですよ。そこだけがちゃんと再現できていなくって」
俺がため息交じりにそう言った時に、係長の箸を持つ手がぴたりと止まった。
そして、俺の顔を黒い瞳でじっと見つめる。背筋がぞくりとした。
「へえ」
力を全く込めずに、係長はそう言っただけだった。
何か核心の付くようなことを言われるのではないかと覚悟した俺は、拍子抜けした。ただ、係長の口元が薄く笑っていることだけが、気にかかる。
「……まあ、夢ですからね、何でも全部完璧だったら、不気味ですよ」
「そうだな」
係長は、カツ丼を食べるのを再開した。
俺も、アジフライ定食を食べることに集中して、その後は二人とも黙ったままだった。
△
今夜も俺は、夢の中で仮面ライダーになっていた。
しかも、今回は俺が物心ついた時に初めて観たライダーだったので、第一話から順番に追体験している。
物語は丁度後半に差し掛かり、敵幹部の一体と正面対決をしているシーンだ。海を臨む港で行われている。
しかし、俺はあっさりと敵にやられてしまい、地面の上にうつぶせに倒れてしまう。コンクリートの上で動けない俺に、敵幹部の低い笑い声が降り注ぐ。
「弱い、弱すぎるぞ、貴様ぁ!!」
「ク、クソ……」
俺はライダースーツに身を包んだまま、悪態をつくことしか出来ない。だが、これも流れ通りなので、悔しさよりも何度も見たあのシーンを演じられている喜びを強く感じている。
敵幹部の見た目も声も演技も完璧で、何度も見たからこそイメージしやすいのだろうと思われた。ただ、今回も両目が赤いことが気になるけれど。
「これが最後だ!」
敵幹部はそう叫び、右手に掴んだ禍々しい黒色に発光する剣を、高々と振り上げる。
ライダー、危うし! ……という所で、俺の後ろの方から、誰かが走り寄ってくる音が聞こえた。
来た! 今まで、ずっとライバル関係だったライダーが、俺を助けに来てくれたんだ!
俺は演技を忘れて、思わず顔を上げて、敵幹部を見た。そして、予想通り、敵幹部は飛び蹴りを喰らって、後ろに吹っ飛んだ。
「え?」
俺は、ぽかんとしたまま、黒いスーツを着た乱入者の背中を見た。
顔は見えない角度だけど、その後ろ姿には見覚えがある。
「梶井係長?」
その時、三メートルくらい吹っ飛んだ敵幹部が、地面に叩きつけられた。丁度そのタイミングで、周り風景がぱっと消えて、灰色の空間に変わった。
俺のことには見向きもせずに、係長は仰向けになったままの敵幹部へと歩みを進める。革靴の足音一つ一つに、重みを感じる。
「ちょ、ちょっと待ってください!」
敵幹部が顔を上げて、慌てて弁解しようとする。さっきまでベテラン声優さんの声だったのに、それとは似つかわない、間抜けな若い男の声に変わっていた。
しかし、課長はそのまま敵幹部の前に来て、鎧のような体の、首の下にある突起を掴んで持ち上げた。敵幹部は二メートル近くあるはずなのに、その足は宙に浮いている。
「お前、俺の部下に何してんの?」
「いいじゃないですか、三日くらい!」
「うるせぇ。さっさと戻せ。三秒以内に」
係長が、低く威圧のある声でそう言うと、拳を高く掲げて、「いーち、にー」とカウントし始めた。
未だに状況が把握できない俺の視界が、動けないのに三百六十度回ったかと思うと、一気に真っ暗になった。
―――はっと目を覚ました時、そこは知らない部屋のベッドの上で、両親が心配そうに俺の顔を覗き込んでいた。
△
「この度は、お騒がせしました」
「いやいや、何ともなくて良かったよ」
俺が島田部長に深々とお辞儀をすると、部長は自然な笑顔で手を振った。
三日間、俺はずっと眠り続けていた。昏睡とかそういうものではない。
会社に来ていないことがきっかけで、住んでいるマンションに母親が入り、ベッドで寝たままの俺を発見した。
何をしても起きないので、病院に連れていかれてしまった。
病院で起きた俺は、念のために精密検査を受けて、何の問題もないことが分かり、退院した。
会社に来たのは、四日ぶりのことだ。病気なのかよく分からない理由で休んでいたので、申し訳なさが先立っている。
でも、営業部のみんなはとても優しくて、部長以外の先輩方も「もう来ても大丈夫なのか?」と心配されるくらいだった。
ただ、休んでいた分はちゃんと働かないといけない。これから外回りだ。
「係長、お世話になります」
「ああ」
俺は鞄を持って、梶井係長の後を追いかけて部署を出た。
速足で歩く係長にはすぐに追いつけずに、並んだのはエレベーターホールだった。
俺は、降りるボタンを押した係長を、左側からじっと見る。
朝で係長とは挨拶をしていた。係長からは、「元気そうだな」と言われただけだった。
「あの、係長……」
「なんだ」
係長が、俺の方を向く。心底不思議そうに、俺の言葉を待っている瞳を見て、「いえ、何でもありません」と返してしまった。
あの時、夢の中で俺を助けたのは、係長ですか? ……本当はそう尋ねてみたかったが、結局躊躇してしまった。
敵幹部に詰め寄っていた、係長らしき人は、何もかも全部知っているようだった。
赤い瞳の敵が、三日間俺を夢の中に捉えている張本人だという事も、あいつを倒せば俺が起きられるという事も。
ただ、今真横にいる係長が、あの時のヤンキー口調の係長と同一人物だとは、思えなかった。
俺がいつも頼っていて、その若い頃の武勇伝を聞いて憧れていた係長の姿を、無意識のうちに思い描いていたのかもしれない。
「村上、乗るぞ」
「……あ、はい」
考え事をしていたので、エレベーターが到着したのに気付かなかった。
中に入り、重苦しそうな扉がゆっくりを閉じていくのを見て、俺はやっと自分が日常に戻ってきたのだという実感が出てきた。
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