第52話 「クリスマスだけど、」
十二月も半ばを過ぎると、さすがに外は寒くなってきた。
まだ、白い息を吐くまでではないけれど、ここよりずっと北で暮らしている彼女の方はもっと寒い思いをしているのだろうか。
朝、出勤のためにバスのつり革を掴んで、外を眺めてみる。
雪が降り出すほどの気温ではないけれど、北風に耐えるように肩をすくませる通行人が見えた。それとはまた別に、電気を消したイルミネーションを纏ったお店が目を引く。
そうか、今日はクリスマスだったっけ。はたと気付く。
バスを降りて、会社まで歩く。
酷い曇り空で、暗くはないが、空の青すら見えない天気だった。
「クリスマスのモードもへったくれもないな」と愚痴る同僚の隣で仕事をする。
僕も同じ気持ちだった。浮ついているのは街の空気だけで、僕たち会社員にとってはただの月曜日だ。
どうして僕は、クリスマスのことをそんなに気にしているのだろうか?
夕焼けに染まっていく街で、帰路につく途中、そんなことを考えていた。クリスマスはチキンとケーキを食べられたらいいみたいな感覚だったのに。
そんな時に、ふとバス停の前のベンチに、一組の男女が並んで座り、イヤホンを片方ずつつけているのを見た時に、僕は雷に撃たれたかのようにはっとした。
僕は、人恋しくなってしまっているのだと。
数合わせのために出向いた合コンで、一人の女性と出会い、彼女ともっと話がしたいがために恋人同士となった。
その半年後に彼女が短期の出張のために故郷を離れてしまって、遠距離状態になってしまった。この状態が、もう一年半も続いている。
彼女と付き合い始めて、もう二年くらいになるんだなあと、深い感慨に浸る。
初めて恋人というものが出来たのだけれども、ここまで続くなんてという気持ちも、多少はあった。
僕らの関係は、恋人というにはちょっと変わっている所がある。
スキンシップは手を繋ぐことぐらい、「好き」「愛している」と言い合ったことも無い。これは本当に恋人同士なのかと、尋ねられたこともある。
しかし、それでも僕は彼女を愛しているのだと、僕は言い切ることが出来る。
彼女のことを考えている時、彼女との思い出を眺めている時、彼女に会える日が近付いている時、この気持ちはどんどん強くなっていく。
日はすっかり落ちて、背中から夜が迫っていく中で、僕は自分のマンションへ帰ってきた。
ポストを開けると、赤い封筒が入っている。差出人は彼女だった。
エレベーターを待つ時間ももったいなくて、小走りで階段を上がり、四階の自分の部屋へ入った。
靴を履いたまま、玄関で鞄を小脇に抱えて、手紙の封を切る。
二つ折りの厚紙を広げると、クリスマスツリーのポップアップが立ち上がった。
それを見上げて、万歳をする兎と猫のイラスト、ツリーの後ろの夜空には、ソリに乗ったサンタクロースのシルエットが見える。
子供の頃から、レターセットを集めるのが好きだったと、昔彼女が話しているのを思い出した。
ただ、可愛いのを買ったとしても、使う機会があんまりないと嘆いていた彼女にとって、今夜はとても良い機会なのだろう。
『クリスマスおめでとう。正月に帰るから、またその時に』
彼女のメッセージが、プレゼントの絵の中の罫線に書かれていた。
そうか、次会えるのは正月か。僕の口が勝手に綻んでいく。
やっと玄関から上がって、着替えたり、軽い夕食を食べたりしながら、その間もずっと彼女のことを考えていた。
何度も何度も、カードのお礼のために電話をかけようとして、スマホを持ったり、迷惑かもしれないと、置いたりしている。
クリスマスソングが流れるテレビをぼんやり付けてから約三十分、覚悟が出来たので、彼女の番号へベルを鳴らす。
四回の呼び出し音、がちゃりと電話が取られた。
『もしもし』
「あ、もしもし、久しぶり」
三日に一回くらいは電話しているし、ほぼ毎日ラインで会話をしているのだけれども、僕からの挨拶はいつもと変わらなかった。
「クリスマスカード、届いていたよ。ありがとう」
『うん。良かった』
彼女の、優しい声が聞こえる。柔らかくて温かい猫の背中を連想させた。
途端に、僕の無意識から、一つの言葉が口をついた。
「クリスマスだけど、」
会えないなんてね。
自分がそう言おうとしているのに驚いて、ぐっと口を噤んだ。そんなことを言っても、彼女を困らせるだけだというのに。
直接会って、顔を合わせて一緒に話したい。
毎日のそんな気持ちが積もりに積もって、今夜とうとう崩れ落ちてしまったかのようだった。クリスマスの雰囲気のせい、とも言える。
「そっちはどう? 雪は降った?」
『ううん。晴れているよ。ただ、すごく寒くて。気温、五度なんだって』
彼女が苦笑しながらそう答える。冬の間は、寒くて寒くて堪らないのだと、よく彼女が愚痴っていた。
僕も南の生まれで寒がりだから、彼女の気持ちもよく分かった。
「これくらい寒かったら、雪が降ればいいのにとか思うよね」
『うん。でも、やっぱり、』
彼女の言葉が、不自然に途切れた。
『……何でもない』
彼女に尋ねる前に、彼女からそう断られてしまった。
もしかしたら、「一緒に見たい」と言いたかったのではないのだろうか、とか考えてしまい、僕は急に恥ずかしくなる。それを口にしても、彼女を困らせるだけなのだから。
『そう言えば、一つ教えたいことがあった』
「ん? 何?」
僕は何気ない調子で訊いてみた。
しかし、すぐに彼女は答えない。電話口の向こうで、彼女がなんだか緊張しているような気がした。
『来年の二月に、出張から戻れることになった』
「……へっ?」
自分でも驚くような、間抜けな声が出てきた。
彼女が、帰ってくる?
「……本当に?」
『嘘じゃないよ』
去年の七夕の時のような会話をして、彼女は嬉しそうにくすくすと笑っていた。
僕もやっと状況を飲み込めて、安堵の気持ちが心の中に広がっていくのを感じた。座っていたソファーの背もたれに全体重を預けて、天井のLEDライトの白い光を見上げる。
「そっか、帰ってくるんだ。長かったね、ほんとに。もうすぐなんだね」
『うん。私も今日教えてもらったばかりだから、まだ実感が持てなくて』
恥ずかしそうに答える彼女に、いいんだよと声をかける。
気持ちはとてもふわふわとしていて、このまま空へ浮かんで行ってしまいそうなくらいだった。
「思いがけないクリスマスプレゼントだ」
『あはは、そうだね』
彼女の朗らかな声に、僕はまた嬉しくなる。
それから軽く話をして、惜しく思いながらも電話を切った。
スマホを持ったまま、ぼんやりとまた天井を眺めていた。来年、二月、彼女が出張から帰ってくる。
僕は初めて、年の瀬が迫る季節に、新しい年を待ち遠しく感じた。
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