第51話 デパート一階ホールの攻防


「なあ、坊主、親とはぐれたのか?」


 デパートの一階、吹き抜けになっている中央ホールで、柱を囲むようについているベンチに座って、ソフトクリームを舐めている僕に、そう声をかけてくる人がいた。

 見るとはなしに眺めていた人々から、視線をその男性に向ける。二十代後半くらいの男性が、黒のスラックスのポケットに右手を突っ込んだまま、こちらに笑いかけていた。


「違うよ。ママが洋服見に行っちゃったから、ここで待ってるんだ」

「そうか」


 男性は僕の言葉に納得していたが、行動は真逆で、僕の隣に腰を下ろしてきた。

 僕は横目で彼を観察する。黒いスーツにノーネクタイ、薄くストライプの入ったシャツを着て、従業員ではないようだが、手ぶらなのが気にかかる。


「おじさん、何してる人?」

「俺か? 俺はな、ここに雇われている探偵なんだ」


 黒手袋を嵌めた左手を、逸らした胸に当てて、男性はそう断言した。

 僕が訝しげな顔をしたので、男性はおやおやといった様子で目を瞬かせる。


「信じられないのか? 坊主くらいの年齢なら、喰い付くと思ったんだが」

「十歳でも、怪しいと思うよ」


 僕はおじさんから目を話して、溶け始めたソフトクリームをぱくりと食べた。

 クリームの部分が、あと半分になっている。


「ちゃんとここのオーナーから、給料をもらってるんだよ」

「歩合制?」

「……難しい言葉知っているんだな。パパから聞いたのか?」


 男性が苦笑するのを無視して、ソフトクリームを舐める作業を再開する。

 そのうち、彼はうーんと腕を組んで考え始めた。


「じゃあ、おじさんが解決した、難事件の話でもしようか。例えば、一度だけケーキ屋に来てくれた女性を、どうやって探し出したかとか」

「なんかつまんなさそう」

「辛辣だなぁ」


 男性は肩を揺すって笑っている。

 なぜ、僕に話し掛けてくるのだろう。そう思っていると、一人の黄色いワンピースの女性が真横を歩いていくので、自然にそれを目で追っていた。


「ただ、実際の探偵業だと、殺人とか誘拐とか、携われないのが現状なんだよな。迷子や落とし物を探すのが大半だ」

「ドラマとは全然違うんだね。嫌にならない?」

「いいや。平和が一番だよ」


 平和、と言って深く頷く彼の言葉が、僕の耳に残っているようだ。

 僕はもう一度ソフトクリームにかぶりついて、クリームの部分を全て胃に収めた。


「その代わり、おじさんがこのデパートに雇われることになったきっかけの事件を話そうか」

「どんなの?」


 男性があまりにもしつこいので、僕は彼に合わせる。

 見上げると、彼は昔を思い出すかのように目を細めていた。


「もう四年前の出来事だ。偶然、俺はこのデパートに買い物に来ていた。当時は閑古鳥の鳴いている私立探偵で、セールの日に奮発してスーツを買おうと思っててな。その時、このホールでだ、号泣している女性と、困った様子の従業員二人が見えたんだ」


 男性は、斜め前の方を向いた。

 僕たちが座っているのと同じような柱が立っている。きっとそこに、その泣いていた女性がいたのだろう。


「話を聞いてみると、婚約指輪を落としてしまったらしい。しかも、デパート内ということは分かっているが、どこで落としたのかまでは分からない。他の従業員たちが探しているが、まだ見つかっていないと。俺は、彼女からどこに立ち寄ったのかを聞いて、ある場所を確認するように頼んだ」

「それは、どこだったの?」


 無意識に前のめりになりながら、僕は彼に尋ねていた。いつの間にか、彼の話し方に呑み込まれているようだ。

 彼は僕の反応に満足したのか、きゅっと眼を細くして、口を開く。


「トイレの中の、下向きに手を入れて、風で乾燥させる機械があるだろ? 彼女が行った女子トイレの、その機械の中を見てもらう事にしたんだ。すると、機械の溝に挟まるように、指輪があった」

「へえー」


 僕は心からの感心の声を上げていた。

 怪しさ満点の彼だったが、探偵というのは本当らしい。今の話が嘘でなかったらという前提があるけれど。


「この話は、その日のうちにデパートの支配人に届いてな、正式の俺のことを雇いたいと言われたのさ。デパートでは、色々とトラブルが多いからね」


 胸を張って、そういう男性の鼻が、勝手に伸びていくのが見えるかのようだ。

 相手の思い通りになってしまうのも嫌だなと、意地悪い気持ちが出てきた僕は、ソフトクリームのコーンを半分呑み込んだ後に、彼の方に向いた。


「でもさ、やっぱり本当は、こういう小さくて退屈な事件じゃなくて、華麗に殺人事件とか、解決したいんじゃない?」

「何かが起こる前に解決させるのが一番だよ。ドラマとは違って」


 そう言った男性は、ぐっと顔を近付けた。


「ここで死人が出るのなら、それも止めたいと思っているんだよ、死神クン」


 男性の、おどけた口調の一方で真剣な声が耳に届く。

 僕は、自分の口角が上がって、目尻が下がるのを感じた。


「どこで分かったの? やっぱ、格好?」


 僕は自分の服装を見下ろした。

 白いシャツに、黒い短パンを黒いサスペンダーで吊っている。靴下は白で、靴は黒色に光っている。別段変ではないが、喪服だと見られても可笑しくはなかった。


 しかし彼は、あっさりと首を振る。


「最初に遠目で見た時は、ただの迷子だと思ったんだ。ただ、その割には落ち着き払っている。誰かを待っている様子もない。それから、時々通り過ぎる人に、目線を送っているのが気になった。特に目を引く人物でもないのに、何かを見つけたかのように。話し掛けないから、知り合いでもなさそうだった」


 ああ、そういう所を見られていたんだなと、僕は心の中で反省する。

 事前情報として、鬼籍にはもう目を通していたから、どうしても気になってしまうからだ。


「あとは……こういうのはあれだが、正直お前は違和感の塊だったんだ。子供らしくないし、いや、それ以前に人間らしくないというか……。探偵として、勘に頼るのはよくないと分かっているんだけどな」

「虫の知らせっていうのは、過去の経験から来るものだって、科学的に証明されているから、自信持ってもいいよ」

「もうちょっと子供っぽいことを言え」


 彼が苦笑するので、僕は肩をすくめてみせた。

 もう今更、「坊主」から「お前」呼ばわりになっていることだし、これ以上繕ってもしょうがないから、自然体に戻っていた。


 しばらくお互いに黙っていると、真横の男性が緊張して、手に汗を掻いているのが分かる。

 無理もないだろう。死神と対峙すること自体が、始めてなのだろうから。


「ここで、通り魔事件が起こるんだろ」

「なんで分かったの?」


 男性の横顔を見ると、丁度生唾をごくりと飲み込む瞬間だった。

 喉仏が、下へ降りて、またもとの位置へと上がっていく。


「お前が眺めていた人はな、女性と、子供と、老人だけだった。人数は五人。例えば、この建物が急に崩壊してしまうのなら、少ない。男性がいないのも可笑しい。それならば、ここで突然暴れ出す人物が現れて、逃げ遅れてしまったということが考えられる」

「なるほどね」

「ただ、それだけが根拠にしては心許ない。火事の可能性だってあるからな。だから、鎌をかけてみた」


 男性は僕の方を見て、弱々しく笑った。

 僕は、死神に対して鎌をかけるという言い回しが可笑しくて、小さく笑ってしまった。


「……被害を食い止めたい?」

「もちろんだ」


 彼は、余りに愚直すぎる眼差しを僕に送ってくる。

 「光すら吸い込んでしまいそう」と例えられる、死神の黒い瞳を直視しても、微動だにしなかった。


 僕は一瞬だけ悩んだ。人間に、運命についての重大な事実を教えてもいいのだろうかと。

 ただ、こんなに面白い機会はそうそうに得られないから、僕は何もかも正直に話そうと決めた。


「実を言うとね、人の死因を変えることは、結構簡単な事なんだよ」

「本当か!」


 彼の声が、分かりやすいくらいに跳ね上がる。

 僕は冷淡に頷いて、その先を続けた。


「ただし、『死』という運命を変えることは出来ない。時間がずれても、今日という日付が変わる前に、命が尽きることは決まっているんだ」

「そうか……」


 男性は落胆の表情でうなだれる。

 膝の上で、黒手袋の両手を祈りの形に組んだまま、考えていた。


 僕はその間に、残ったソフトクリームのコーンを口の中に放り込んだ。

 ばりばりとそれを噛み砕いている間、時間が止まったかのように、彼は動かなかったが、僕が全て飲み込んだ後に、顔を上げた。


「それでも、構わない。ここで惨劇を止めることが、俺の仕事だ」


 男性ははっきりとそう言い切った。

 しかし、その相貌には、未だに逡巡の形跡が現れていた。両眼がまだ、さまよっている。


 僕はそれを見て、すっかり満足してしまった。

 自分の視点を、彼から前方へと移す。


「あそこに、赤いダウンを着た男がいるでしょ?」

「ああ、あいつか」


 出入り口の自動ドア、その角の方で、じっと手に持ったスマホを眺めたまま、動かない男がいた。

 見開いた眼は血走っていて、スマホを持つ左手が小刻みに震えている。


「妙だったから、お前がいなかったら話し掛けようと思っていたんだ」


 男性はそう言いながら、ゆっくりと立ち上がった。口元には、笑みが浮かんでいる。


「え、説得するつもりなの?」


 僕は面食らっていた。

 鬼籍の情報から、あのダウンの男が刃物を隠し持っていることは確かで、探偵の方は今日が寿命ではないと分かっているが、刺されてしまう可能性だってあるからだ。


「それ以外に俺が出来ることは無いだろ。……じゃあな、坊主」


 男性はゆっくりと歩みながら、振り返らずに軽く右手を振った。

 手袋と下がった袖口の間、白い包帯で覆われているのが微かに見えた。


 怪しむ僕をよそに、探偵はダウンの男に、自然な様子で話しかけてきた。ダウンの男も、僕と同じような顔になる。

 しかし、手ぶり身振りで何か言っている探偵を見ている間に、ダウンの男の険が段々と取れてきて、しまいには噴き出していた。


「うそ、成功した?」


 僕は何百年被りに独り言を呟く。

 二人が肩を組みそうな勢いで歩きだし、人ごみに紛れて見えなくなるまで、ぽかんとそれを眺めていた。


 はっとして、鬼籍を取り出し、一ページ目をめくってみる。

 最初に刺されて亡くなる予定の黄色いワンピースの女性、彼女の死因が空白になっていて、死亡時刻も三時間後に先送りされていた。


 僕は鬼籍を閉じて、溜息をつく。吹き抜けになっている高い天井の、シャンデリアを見上げていた。

 探偵は、本当にやってのけた。一杯食わされたというのに、なんだか愉快な気持ちがしてくるのは何故だろう。


 さて、急に空いてしまったこの時間、どうやって潰そうかな。






































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