第50話 有蹄類倶楽部


 荘厳なバロック方式の柱に挟まれた薄暗い廊下を、私はゆっくりと歩いていた。

 床に敷き詰められたのは、染み一つない真っ赤な絨毯で、私の重みでじっくりと沈み込み、足音すらも吸い取ってしまう。


 週に一二回の頻度で、私はこのような明晰夢を見る。

 いつも始まるのは、このどこかの建物の中の廊下の上を歩いている姿で、私はこの先に待っている、同じ趣味の仲間たちの元へ向かう。


 廊下は途切れて、広間へと出た。煌々と輝くシャンデリアが下がる天井に、正面には三つの形状の異なるドアが並んでいる。

 そこに十人が集まっていて、それぞれ何組かで別れて雑談に花を咲かしている。


 体系も格好も肌の色も異なる彼らは、全て動物の頭部をしていた。マスクではなく、この夢のこの場所では、みんなこんな頭になってしまうのだ。

 その証拠に、彼らをよく観察していると、イノシシの男性の口がしっかりと動いていて、ラクダの女性の長い睫毛のある瞼が上下する。


「ああ、シカさん」


 一番近くにいた、栗毛色の馬の頭を持つ男性が、私に気が付くとそう声をかけた。

 私たちは、お互いに干渉しないことが暗黙のルールとして、必要以上の情報を与えていない。名前も知らないので、頭の形から仮に呼び合っている。


 ウマさんは、人懐っこい笑顔で、私に歩み寄る。

 変なことを言っている自覚があるが、長い付き合いで、馬の笑顔というものが分かるようになっていた。


「こんばんは」

「こんばんは。今夜も遅かったですね」

「ええ。そうですね」


 私は曖昧に答えて、立派な角で重たい頭で頷く。

 現実での出来事は答えられないので、下手な誤魔化し方でもそう言うしかない。ウマさんも、それで納得してくれる。


「こんばんは、シカさん」

「リャマさん、お久しぶりです」


 ウマさんと話していた白いリャマの頭の男性が、今度はこちらに話し掛けてきた。

 ここのメンバーは、ちょうどいま寝ている人たちの集まりでもあるので、すれ違いが度々起こる。


「今夜はここ自体もすごく久しぶりなんです」

「そうだったんですか」


 にこやかに話すリャマさんは、興奮しているのか無意味に口を反芻させている。

 きっと最近、忙しくて睡眠自体から遠のいていたのだろうかと、私は彼の高級ブランド物のスーツを眺めながら思う。


 リャマさんの仕事は何なのかもちろん知らないが、きっと大企業の重役だろうと、私は勝手に考えている。

 彼のいつものネクタイは、モネの「睡蓮」の一部を切り取った模様だった。これはきっと、生半可な立場の者が着けることを許されないだろう。


 私は不躾な視線を送っているが、リャマさんは意に介さない。

 こういう時、黒目が大きい動物の瞳は非常に便利だ。コミュニケーションが円滑になれる。


 しばらく他のメンバーとも挨拶を交わしていると、廊下の真正面にある木製の一番大きなドアの前に、一人の男性が立った。

 黒い頭と少し前に伸びた鼻が印象的な獏の頭の彼は、その真っ赤な両目で私たちを舐るように見回すと、ぱんと手を叩いてこちらの注意を引いた。


「皆さん、今晩も有蹄類倶楽部ゆうているいくらぶへ、ようこそいらっしゃいました」


 こちらの目線を集めながら、彼は高らかに宣言する。

 「有蹄類倶楽部」というものが、この集まりの名前である。一見ばらばらに見える動物たちの集まりだが、その実、蹄を持っているという共通点がある。


 「有蹄類というものは、昔の分類方法だけどね」と教えてくれたのは、ツチブタという生き物の頭をした女性だった。ツチブタさんは動物学者で、いつも白衣を付けている。

 この夢に初めて入った人は、蹄のある動物でなりたいものになる。私は鹿の角に子供の頃から妙に惹かれていたからこうなったのだが、実際には角が重すぎて困ることの方が多い。


 先程挨拶したバクさんこそが、私たちをこの夢へ招待した人物だ。

 バクさんには個人個人が見る夢を、繋げてしまう能力を持っている。赤い両目のこともあり、恐らくその正体は人間ではないだろう。


「今夜もとびっきりの夢をご用意しています。正面にありますのは、一番人気の勇者の夢、左手側が野良猫の夢、最後に右手側が航海中の船長の夢です。皆さん、どうぞお好きな方へどうぞ」


 バクさんはそう説明し、胸に手を当てて慇懃に頭を下げる。

 この倶楽部の目的は、バクさんの能力を使って、全く見知らぬ人の夢を覗き見してしまうことだった。私たちはこれが悪趣味だと分かっているので、自分の顔を隠し、正体を知られないようにしている。


 他のメンバーは、思い思いの扉へ向かう。

 ツチブタさんが真っ先に、茶色の虎模様の扉へ入っていくのを眺めていると、またリャマさんに話し掛けられた。


「シカさんは、どちらを見ますか」

「勇者の夢です。いよいよ佳境に入っていて、魔王の城へ潜入したところなんですよ」

「少し見ていない間に、そこまで進んでいましたか。こういう時、録画とかできればいいのにと、思ってしまいます」

「そうですね」


 私は波風を立たないために、リャマさんに同調して頷くが、本心は真逆だった。「夢」という再現不可能な一度きりの舞台が、私は大好きなのだ。

 今では仕事で忙しく、滅多に行けなくなったために募った観劇欲を、私はこの場で満たしている。


 エメラルドグリーンの鉄製のドアへ向かったリャマさんはバイソンさんと合流する。

 丁度、扉をくぐるのは私が最後だったようで、バクさんと一緒に入った。


 そこは、古代ギリシャの円劇場のような、石で出来た椅子が半分のすり鉢状に並んだ場所だった。上を見ても天井は無くて、暗闇の中で星が瞬いている。

 放射状に客の目が集まるのが、ここの舞台だ。しかし、舞台上には誰もいなくて、何もいない、真っ暗闇だ。


「いよいよ、『彼』の旅も終盤ですね」

「ええ。魔王との対決が、楽しみです」


 一番前の席を目指して石階段を下りながら、バクさんとそう話をする。

 バクさんはこの夢の主と知り合いのようで、親しみを込めて「彼」と呼んでいるが、私は役者と話したくないタイプなので、個人的に会ったことは無い。


「思えば、ここも大きくなりました」


 石の椅子、オカピさんの隣に座ったバクさんが、感慨深く呟いた。確かに、勇者の旅を見始めた頃は、小さなオルゴールを覗き込むような形だったなと思い出す。

 それが、何故こうなったのかまでは不明だが、恐らく、勇者がこの夢を見られていると自覚したことがきっかけではないだろうか。


 私たち以外にも、観客がぞろぞろと座りだした。彼らは普通の人間が、ドレスコードを守っている格好だ。

 この人たちは、有蹄類倶楽部とは別口なのか、勇者やバクさんによって生み出された夢の中の人物のどちらかだろう。


 ブーと現代的なブザーが鳴って、ぱっと舞台に照明が当たった。

 そこは、この前の夢で勇者たちが入った魔王の城の中だ。本物を舞台の中に入れたようなリアリティで、黒い壁に、冷たい印象の大理石、ひび割れた石柱が立っている。


 上手の方から、マント姿の勇者が、魔法使いと僧侶と格闘家と剣士を連れ立って、入ってきた。勇者は十代後半と思しき、アジア人の少年だった。

 私が息を呑む中、勇者が剣を抜いて、声を張り上げる。


「とうとうここまで来たぞ! 魔王め、覚悟しろ!」


 そこから、夢が冷めるまで、私は前のめりになって夢中で眺めていた。






   △






 初めて訪れたJ社のビル内は、想像以上に豪華だった。

 まず、エントランスでは、それぞれ著名な画家の絵画が三作も私たちを出迎えてくれる。これは一体何億したのだろうかと、無粋な疑問が頭をよぎる。


 エレベーターで運ばれた最上階、都市のビル群を一望できる社長室へ、私は足を踏み入れた。


「遠路はるばる、ようこそいらっしゃいました」


 出迎えてくれたのは、J社社長本人だ。

 まだ若々しさも感じる中年の白人男性で、オールバックのブラウンの髪が輝かしい。その一方で、顔立ちは柔和で、初対面でも馴染み深く感じてしまう。


 本日、私はここへ商談をまとめに来た。豪華なアンティークの机で社長を挟んで、深く沈み込むソファーへ座る。

 話は以前より進めてきたのだが、予想よりもスムーズにことが運んでいく。


 社長が秘書に、別室から書類を持ってくるようにと頼んで、少し商談が止まった。

 その隙に、私は社長のネクタイへ目線をやった。


「素晴らしいネクタイをお召しですね」

「ああ、ありがとうございます。これ、オーダーメイドで、世界に一つしかないんですよ」

「そうでしたか」


 私は驚いて目を見開いたふりをして、改めて社長のネクタイを観察した。

 様々な青色を塗り重ねた水面と、そこに浮かぶ丸い葉、赤い花がアクセントとなっている――モネの「睡蓮」、オンリーワンのはずのそれを、私は何度も見ていた。夢の中で。


 彼のモネ談義を聞きながら、そんなことを考えている間に、秘書が戻ってきた。

 書類に目を通して、いくつかの項目を確認した後、彼は契約書にサインをした。私たちは立ち上がり、机の上で握手を交わす。


「今回は早く終わって良かったです」


 笑顔のままで出た本音に、社長は早速反応した。


「いつも時間が掛かるのですか?」

「はい。私と実際に合ってみると、掌を返す方も多いもので」


 私は肩をすくめて見せると、社長は寂しそうに眉を顰めた。


「それは酷い話ですね。人を見る際は、能力が一番重要だと思うのですが」

「だからこそ、この会社は著しく成長したのでしょうね。社長が、私のことを若い女性だからと言って、存外に扱わなかったことでよく分かりましたよ」


 そんなことを口から滑らせると、社長はやはり満足そうに笑って頷いていた。

 しかし、私は頭の中で、全く別のことを考えている。


 やはり、リャマさんは私がシカだということに気付いていない。

 現実で遭遇する可能性があるからこそあの夢の中では、徹底的に正体を隠さなければいけないのだ。例えば、私のように、性別まで変えてしまうとか。











































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