第49話 くるくると
突然降り出した雨によって、普段から差している赤い日傘は、あっという間に雨傘へと変わった。
今ではさほど珍しくなくなったが、昔は日傘を差す男はからかいの対象だったなと、彼は内側の骨組みを眺めながら思い出す。
赤い色も相まって、お前は女みたいだなと囃し立てる小学生の時のクラスメイト達の顔がよぎる。
嫌な記憶ほど芋づる式に掘り起こされていくようで、彼は傘の中で苦い顔をした。
水たまりを踏む足にも、勝手に力が入ってしまう。
彼は何も悪いことをしていなかった。
白い髪、透けるような肌、淡い青色の瞳、全て生まれ持ったものなのに、それらの「変わっている」は、注目の的となった。
「日本人なのに」「気持ち悪い」「変だよ」「男の癖に」「可笑しい」
言われた中傷は、枚挙にいとまがない。暴力を受けたことも、日光から身を守るための傘を隠されたことも、数えきれないくらいにあった。
赤信号の交差点で足を止める。
傘を目深に差す習慣がついていたので、隣の通行人は、彼の見た目に気付くことは無かった。
もしも今この傘を、放り投げてしまったらどうなるのだろうか、そんなことを考えた直後に、信号が青へと変わり、歩き出す。
人ごみは決められた流れに従って動くだけのようで、彼もこの瞬間は風景の一部だった。
自分は、誰からも愛されなかった。ここにいる人々も、愛してはくれない。
彼の心は、そんな思いに支配されていた。
それも仕方のないことだった。彼には友人が一人もいなかったからだ。
家族ですら、彼のことを疎んでいた。母親が、「あなたの髪が黒色だったら」と言っているのを、彼は確かに聞いた。
ただ、皮肉なことに、彼の顔立ちは整っている部類に入った。しかし、彼はそのことを自覚していない。
彼に愛を示した女性は数人いたが、人を信じることが出来ない彼はそれらをすべて突っぱねた。
その内、彼は一つの妄念に囚われるようになった。
この人ごみが、都会に聳えるビル群が、爆発によって粉々に吹き飛ばされてしまうという光景を、彼は何度も思い描いた。憎たらしい「人々」が、その内臓をぶちまける姿を。
高校を卒業した後、彼は一人暮らしを始めて、工場で働きながら、科学について勉強を始めた。
進学を拒んだのは彼自身の意思だった。心行くまで、他人から咎められるようなことを学びたかった。
そして、初めて彼が完成させた爆弾を、今日、駅前のベンチ下に設置した。
時間帯は、夕方の朝のラッシュ時を狙っていた。
駅前が臨める高台の公園から、のんびりと爆発の瞬間を見る予定だった。
しかし、突然の雨で、それは叶わなかった。
降水確率十パーセント以下の曇り空は、あっさりと彼を裏切ったのだ。
まだ、水に堪える爆弾を作ることが出来ない、自分の腕が歯痒い。
ただ、駅の中に設置することも、刺さる視線に負けて、実行出来なかった。
もっと力を付ける必要があるなと、彼は幾分か冷静さを取り戻した状態で考えた。
技術的なものはもちろんだが、精神力も鍛えなければならない。ついでに、裏社会との繋がりが出来れば、心強いだろう。
人の足音、雨粒が傘に当たる音、車のタイヤが水溜まりを跳ねる音。雨降る街は、普段よりも賑やかだ。
それらに耳を澄ませる彼は、頭の中で爆発音と人々の悲鳴を重ねる。
それは、それは、きっと素晴らしい音になるのだろう。
彼は、思い描き続けてきた、自分が「人々」への復讐を完遂するその瞬間に、傘の中で思わず笑みを浮かべる。
くるりくるり、くるくると、まるで無邪気な子供のように真っ赤な傘を回しながら、彼は一人で街を歩いていた。
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