第48話 この間
深夜のひっそりとした公園で、一人の青年がスケートボードの練習をしていた。
反り返った木製の台に向かって、力強く片足で地面を蹴る。シャーと、紙を切るような音を出して、スケートボードが疾走する。
勢いそのままに、見事な曲線を辿り、あっという間に頂点まで登った。
ボードが台から離れた瞬間に、体を半回転させる。空中でUターンした直後に、彼は地面にスケートボードごと立っていた。
彼は、ジャンプが上手くいったことに、声を出さずにガッツポーズをする。
今夜は調子が良かった。普段よりも深い時間だが、この感覚を忘れたくなくて、もう一度、台へとボードを走らせる。
周りには彼以外誰もいない。
犬の遠吠えすら聞こえない、珍しく静かな夜だった。
〇
港から海へと伸びる一本の防波堤の先に、二人の女子高生が並んで座っていた。
学校帰りの寄り道のようで、制服のまま、青い海と良く晴れた空を臨んでいる。
一人は、防波堤の先に座って仰向けに寝転んだまま、スマートフォンを操作していた。
もう一人は、膝の上で頬杖をついて、ぼんやりと足元の海を眺めていた。
「……波って、綺麗だね」
「疲れてない?」
海を眺める少女に一言を、友人はそちらの方も見ずにあっさり切り捨てる。
少女は海へ向けて、深い深いため息をついた。
「だって、明日もまたテストだからね」
「だから、現実逃避してるんだよねー」
友人の声は非常にのんきだ。少女も同じ気持ちなので、否定はしない。
午後の港には、人の姿も見えなくて、波に揺れている漁船の間を、カモメが飛んでいるだけだった。
魚でもいるかなと思いながら、少女はちょっと身を乗り出して、もっと海の中を見ようとした。
〇
今夜こそは、難易度の高い技が出来そうだと、彼はスケートボードを走らせながら、興奮した頭でそう思う。
先程よりも長い助走だったが、スピードに乗った彼はあっさりと台の上に至り、スケートボードのタイヤが頂点から離れる。
重力から逃れたかのように、宙を浮く彼の体。両足を曲げて、ボードの前を掴む。
決まった。彼がそう思った瞬間、目線は空へと向けられていた。
暗闇の中でも分かるくらいに、巨大で細長い四角の雲が、頭上に浮かんでいた。
その雲の先、彼と対角線上になる位置に、こちらを覗き込んでいる少女の顔があった。彼女の目と目が、合った。
〇
「えっ!?」
海底を覗き込んでいる少女が、素っ頓狂な声を上げたので、友人は寝転がったままで話しかけてみた。
「どうしたの」
「今、海の中でスケボーしている人がいて、目が合ったの!」
「そんなわけないでしょ」
振り返って必死に捲し立てる少女の言葉を、友人は無気力な声で足蹴にする。
「本当なんだよ……」
自分の見たものに自信を失った少女は、もう一度海の中を覗こうと、身を乗り出した。
青い光を反射させる波の間、じっと目を凝らせば、白いコンクリートの地面が見えてくるような気がする。
少女はさらに身を乗り出し、その結果、海の中へと落ちてしまった。
〇
「……人がいた」
一人でいる時は黙々と練習している彼が、ぽつりと呟いた。
無事に着地をして、台からスケートボードで降りた後、一度立ち止まって今見えたものについて思案する。
細長い雲の先にいた、少女の顔、ぽかんとした口を開けていたことまで思い出せる。
一体何だったのだろうかと、彼ももう一度夜空を見上げた。
すると、今度は空中を、制服のまま泳いでいる少女がいた。
位置は、細長い雲の真横で、水中にいるようにぼんやりとしているが、平泳ぎのフォームで空気をかいている。
少女が息継ぎをするように、真っ直ぐ上を向いたまま、さらに浮かび上がっていく。
そのタイミングで、彼は自分の目を擦った。
しかし、また顔を上げても、そこには誰もいなかった。
黒くて、平面に見える長い雲が、浮かんでいるだけである。よくよく目を凝らして、少女が覗いていた方の雲が、少し厚くなっていることに気付いただけだった。
「疲れてんのかな」
今日はいつもよりも練習したんだしと、彼は自分を納得させるようにそう呟くと、そのままスケートボードを右手で持って、帰路についた。
家に帰ったら、すぐに寝ようとだけ決めて。
〇
「大丈夫!?」
海面から顔を出した少女に、こちらを覗き込んでいる友人は、慌てた様子でそう言ってきた。
ぼんやりとした少女は、先程海底で見えた、スケートボードに片足を乗せた青年がこちらを見上げている光景を思い出していた。
「底の方が暗くなっていて、夜の公園になっていた。それから、この防波堤、コンクリートが海の上に浮いているみたいでね、こういう形になっていたの」
少女は自分の両手で、水中から見た防波堤の形を再現した。
それは、英語のZの下の横線が無くて、上の線と斜めの線が、くっつきそうなほど近付いている形だった。
要領を得ない少女の話に、友人ははっきりと呆れ顔になる。
「何言ってるのよ」
「ちょっと待ってて」
少女はもう一度、大きく息を吸い込んだ後に、海へと潜った。
しかし、防波堤は海底に固定されていた上、底には何もいなかった。
顔を出した少女に、友人は手を差し伸べる。
「ほら、引き上げるよ」
「うん。ありがとう」
水位が上がっていたので、友人だけの手伝いでも、少女は波止場に戻ってこれた。
「あーあ、びしょびしょ。ケータイは?」
「鞄の中」
服や髪の毛から海水を滴らせながら、少女は今見たものについて考えていた。
テストに疲れて、変なものが見えたのかもしれない。帰ってお風呂に入ったら、ちょっと眠ってみよう、と。
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