第43話 ラブレター


「すみません。ケイ・クリスティー様の部署は、こちらですか?」


 不意にドアが開き、一人の郵便局員の男が、白い封筒を片手に顔を出した。


「クリスティーは今、出張中だ。もうすぐ帰ってくる予定だけど」


 部署の真ん中には、四つの机が向かい合わせで置かれていて、そこの一番ドアに近い席に座っていたチェスタトンが立ち上がった。


「分かりました。では、手紙を預かっていてもらっても、よろしいですか?」

「ああ。構わないよ」


 チェスタトンが手紙を受け取るのを、私は彼の隣の席から、カミュは私の斜め前の席から首を伸ばしながら、シェイクスピアは窓側にどっしりとした構えた部長用の机から、それぞれ眺めていた。

 仕事を中断して、私たちの視線を一点に集めているクリスティーの手紙を、チェスタトンはさりげなく眺めて、驚きの声を上げた。


「これ、クリスティーへのラブレターだ!」


 ばたばたと、立て続けにシェイクスピアとカミュが立ち上がる音がする。

 この流れを、以前にも見たなと感じながら、仕方ないので私も立ち上がり、三人でチェスタトンを囲んだ。


 手紙の宛名には、確かに「愛しのケイ・クリスティーへ」と書かれていた。

 私たちは、一斉に顔を見合わせた。


「差出人! 差出人は誰だ!」


 慌てたシェイクスピアの鶴の一声に、チェスタトンは手紙の裏側を見せる。

 差出人には、「ダニエル・フォーレス」とだけ記されていた。


「……知ってるか?」


 チェスタトンが我々を見回すが、全員首を振った。


「私たちが知らないだけの、クリスティーの恋人ではないのか?」


 私はそう発言すると、シェイクスピアの眉毛がぴくりと動いた。

 クリスティーはほぼ毎晩酒屋を飲み歩き、様々な男性と知り合っていると聞いた。その中から恋人が出来ても、可笑しくはない。


「けど、恋人なら、住所を知っているよな? 部署に送ってくるのは、変じゃないか?」


 冷静に、シェイクスピアが自身の疑問を口にする。

 その意見に納得して、カミュも頷いていた。


「確かに、矛盾しているよね」

「なあ、チェスタトン、そいつの部署、調べられないか?」


 急に怖気付いたようにシェイクスピアが懇願して来たので、呼ばれたチェスタトンは豆鉄砲を喰らったような顔になった。


「なんで俺が」

「お前、元人事部だろ。そこのツテで何とか」

「移動してからの方が長いから、無理だな」

「冷たいこと言わずに」


 二人がそうやり取りをしている間、私たちよりもずっと背の低いカミュは、手紙を見上げながら鼻を動かしていた。


「ねえ、この手紙、花の香りがするよ」

「なにっ!」


 動揺したシェイクスピアは、チェスタトンの右手ごと自分の方へ引き寄せて、手紙の匂いを嗅いだ。

 チェスタトンの不機嫌そうな「おい」という声も無視して、空気を吸っていたが、突然眉を顰めて、チェスタトンの手を離した。


「あまり匂いはしないぞ? 分かるか分からないくらいに、香水をつけてるのか? キザなやつだ……」

「ううん。香水っていうよりも、天然ものの、色んな花が混じったような匂いが、微かについているみたいな感じだった」


 カミュの説明に、シェイクスピアもなるほどと納得した。

 私もそれを聞いて、一つ思い浮かぶことがあった。


「意図せずに香りがついてしまったのではないか? 例えば、花屋のように花を扱う仕事をしているために、自然と手に移っているというのは……」


 三人が一斉にこちらを見たので、私の言葉は途中から小さくなってしまった。

 全員が、その通りだと頷き合っている。


「よし、チェスタトン、お前、町中の花屋を調べて、そのフォーレスってやつを探してこい」

「さっきよりもずっとひでぇこと言ってやがる」

「部長命令だ」

「それで納得すると思うなよ」


 シェイクスピアとチェスタトンが、再びコメディじみたやり取りを始める一方で、私はまた別の疑問について考えていた。


「しかし、何故クリスティーの家ではなく、ここへ送ってきたのだろうか? もしや、クリスティーは彼を知らないではないのか?」


 シェイクスピアがはっと息を呑む。


「ストーカーってやつか」

「そうとは限らないが。偶然、クリスティーが店に来て、名前だけを知ったのだろうか」

「どっちにしろ、厄介な男だろ」

「ねえねえ」


 シェイクスピアと私との会話を、珍しく黙ったまま聞いていたカミュが、突然話し掛けてきた。

 私たちがカミュを見ると、その顔はわざとらしいくらいににやついていた。


「さっきから、なんでクロムはラブレターのことを気にしているの?」

「はあっ!?」


 シェイクスピアは鼻の詰まった声でそう叫び、間髪入れずに顔が赤くなった。湯をかけられた猫でさえ、この反応の速さは超えられないだろう。

 鬼の首を取ったかのように、カミュはさらに追及する。


「やっぱり、相手のことを探そうとしたり、ケイのことを気にしたり、なんだかおかしいよ。好きなんじゃないの?」

「なんだ、まだ吹っ切れていなかったのか」


 私の口から素直な感想が滑り落ち、シェイクスピアに睨まれた。

 五人の中で、一番最後にこの部署へ入ったカミュは、やはりその事を知らなかったらしい。


「へええええええ。クロムがケイのことを口説かないと思ったら、別れた後だったんだあああああ。ねえねえねえねえ、どっちがふったの?」

「それは確か……」

「おい、答えるな。減給するぞ」


 シェイクスピアにそう言われたので、家族を三人養っている私は、口を噤むしかない。

 しかし、今度はチェスタトンが、腕を組んで感心したように頷いていた。


「お前ら、付き合っていたんだな。俺はてっきり、上手く行かずに自然消滅したもんだと」

「えっ! どうゆうこと! 詳しく、詳しく!!」

「ばっか、お前までっ!」


 カミュが楽しそうに跳ねて、シェイクスピアが慌てふためき、チェスタトンが話し始めようと口を開き、一方私は一言も漏らさないように口を結び……つまりはそれぞれがとても忙しかったため、ドアが開く音には誰も気付かなかった。


「……あなたたち、外まで声が漏れてたわよ。何集まって騒いでるのよ」


 室内に入ってきたクリスティーの言葉に、私たちは石になってしまったかのように、ぴたりと止まった。私以外の三人からは、嫌な汗が噴き出している。

 しかし、話の内容までは分からなかったようで、クリスティーは不審そうに我々を眺めていた。


「今、仕事時間じゃないの?」

「あ、クリスティー、お前に手紙が来ていたぞ」


 思い出したかのように、チェスタトンがずっと持ち続けていた手紙を渡す。

 多少よれてしまったそれを受け取ったクリスティーは、差出人を見て、ああと頷いた。そして、ためらいもなく、それを真っ二つに破った。


 私たちが呆気に取られている前で、クリスティーの手によって、我々の知らぬ差出人からの手紙は、細切れになっていく。

 渡した者の責任だろうか、チェスタトンが驚きのあまり震える声で、彼女に尋ねた。


「いいのか? 一応、ラブレターのようだけど」

「どうでもいいわ。だって、元彼からの手紙だからね」


 ふふっと、妙に爽やかな微笑を浮かべたクリスティーは、ごみ箱の中へ、手紙の残骸を捨てた。

 一瞬だけ、「愛し」という手紙の文字だけが見えてしまい、より悲しさを感じる。


「じゃあ、私、総務部への連絡があるから、後でね」


 クリスティーはそれだけを言い残して、踵を返すと、部屋から出ていった。


「さすが、稀代の悪女……」


 沈黙が支配した部署内で、チェスタトンがクリスティーのかつての二つ名を呟く。


「なんか、からかっちゃって、ごめんね?」


 カミュがシェイクスピアを見上げて、申し訳なさそうに言った。

 私はカミュが謝るのを初めて見たが、それにも反応せずに、シェイクスピアは目を見開いたまま、動かない。


「いい酒場を案内するから、今夜はとことん飲もう」


 私が、シェイクスピアの肩を叩いてそう励ますと、辛うじて彼は頷いてくれた。


























































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