第42話 ここから先は、夏
がたんと、電車が小さく揺れたので、私は読んでいる本から思わず顔を上げた。
クーラーがよく効いたこの車両には、私以外の誰も乗っていなかった。海沿いの田舎町に続く路線だから、そんな光景もきっと珍しくない。
青い空を背景に、すごいスピードで、昭和アニメで見るような古い一戸建てが、車窓を通り過ぎていく。
赤い鳥居の神社や、何かの二階建てのお店なども見えて、私は今更遠くに来てしまったのだと感じていた。
漁師の男性と結婚した、中学の頃の友達に会いに行く途中だった。正直聞いたことのない名前の港町に、今は親子三人で暮らしている。
赤ちゃんが生まれて、いつか会いたいと思っていたのになかなか時間が取れず、とうとうその子が一歳になった後に、やっとまとまった休みを貰えた。
空を見上げただけでも、太陽の眩しさが伝わってしまうほどの暑さだった。
梅雨らしさの感じられない季節の後の七月だからか、この暑さだけで辟易してしまう。
本にしおりを挟んだ後に真横に置いて、大きく伸びをする。平日のため、電車内は貸し切り状態だ。
向かい合うように置かれた赤い長椅子の、東側に私は座っている。誰も触っていない白い吊り革が、時々揺れる以外はとても静かな光景だった。
ふと、私は顔だけで振り返ってみた。
出発前に見たスマホの地図によると、私が座っている方が、海に面しているとあったからだった。
しかし、そこから見えるのも、平凡な家々の壁と屋根だった。じっと目を凝らしても、家と家との隙間には庭の木々が生えているだけで、期待していた光景は無かった。
私が溜息をついた瞬間、白い光が車窓から飛び込んできて、思わず目を細めた。
目の前に、海が広がっていた。
深い青色の海と、決して混じり合わない空の青が、緑の木々と港に囲まれて、悠然と凪いでいた。
思わず私は自分が座っていた席に膝立ちになって、窓を上に開けた。
クーラーの冷気が外へ逃げて、潮風が入ってくるが、そんなことは気にしていられない。
この夏の海を見るためには、一枚のガラスさえ邪魔だった。
しょっぱい匂いを一気に吸い込み、髪の毛の間を風が遊んでいくのを気にせず、少しだけ窓から頭を出して、海の表面で反射する光を目一杯受け入れていていた。
ここは今、夏だ。夏になったんだ。
そんなことを考えながら、瞼をシャッターのように何度も瞬かせて、海の色を眺めていた。
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