第34話 春はまだ青いか


 完全に行き詰ってペンを回していると、店員の「いらっしゃいませ」の声が聞こえた。

 ファミレスの自動ドアの前へと振り返り、水瀬が女性店員と話をしているのを確認した。そして、俺の方に気付き、ばたばたと駆け寄ってきた。


「悪い、遅れた」

「いいよ。慣れてるから」


 それほど悪びれていない様子の水瀬に、俺もそれほど怒っていないように答える。

 彼の遅刻癖は、演劇部に入った当時からずっと続いているものなので、今更咎める気はしない。


 俺の正面に座った水瀬は、広げたままになっているノートを、無遠慮にじろじろ眺めた。


「大分まとまってきてるな」

「早く仕上げて、稽古に入りたいけどな」

「そうだな。でも、焦りは禁物だからな」


 水瀬は一丁前に腕を組んで、うんうんと頷いている。

 再来週、とある芸能事務所で新人芸人募集のオーディションに、俺たちは参加する。俺はノートに並んだ三つの文章の内、真ん中に丸を付けて、彼の方に回転させた。


「とりあえず、本番ではこのコントにしようと思ってる」


 「交通事故に遭って幽霊になった友人が現れるというコントをしようとしたが、演技が下手すぎるのでアドリブで友人がサイボーグにされたコントに変更する」という文を見て、水瀬は珍しく難しい顔をした。


「ラインで言ってたヤツだな。面白そうだけど、設定が凝り過ぎていないか? 俺はこっちの、画家のコントの方がいい気がするが」


 水瀬は、「売れない画家の元に遠い未来の子孫が現れて、画家の死後に売れた分の絵のお金を置いていくが、そのせいで画家は絵を描かなくなり子孫は貧乏になり、取りに戻ってくる」と言う文を指差した。

 彼の気持ちもよく分かるが、俺は首を横に振る。


「オーディションに相当な数の芸人志望が来るはずだから、そんな生半可な設定じゃあ、覚えてもくれない。それに、このコントは、一度未来に帰った子孫が質素な服装になって戻ってくるのが肝だから、小道具が用意されていないオーディション会場では、難しいと思う」

「そうか。面白そうだと思ったけどな」

「正直、全部に自身はあるけど」


 俺はそう言うと、水瀬と一緒ににやにや笑い合った。

 しかし、すぐに水瀬は、自信を失った顔をして、溜め息をつく。


「けど、俺、演技の下手な演技なんて、やったことないけど、大丈夫かな?」

「自信を持てよ。お前の実力なら、少しの練習ですぐ出来ようになるから」

「そうか?」


 水瀬は顔を赤くして、嬉しそうに後頭部を掻いた。

 たった一言でのせられるなんて、幼稚園児でももうちょっとは疑うだろう。


「まあ、それより、肝心のネタなんだが……」


 俺はページをめくって、ざっくりとしたネタの流れを水瀬に見せた。


「まず、俺と水瀬が一緒に立っていて、ネタ合わせをしている」

「うん」

「そのネタは、友人が交通事故に遭って、幽霊になるという内容なんだが、水瀬は自信があるからとろくにセリフ合わせもせずに本番に挑んでしまう」

「うんうん」

「しかし本番、舞台に現れた友人役の水瀬は、緊張しすぎて棒読みになったり、固い動きしか出来なくなる。そこで俺が、サイボーグに改造されたという設定にアドリブで変更して、水瀬も戸惑いながらもそれに合わせるというコントだな」

「なるほどなー」

「まあ、細かいところとか、オチとかはこれから決めていくけど」


 俺の一言に、水瀬は眉を顰めた。


「それは、大丈夫なのか?」

「……正直、考えれば考えるほど、何がいいのか分からなくなってしまっている」


 俺は痛み出した頭を抱えた。ネタは俺に任せろと言っていた手前、この状況が申し訳ない。

 しかし、水瀬はけろりとしていて、そういうこともあるよなと頷いていた。


「大丈夫だよ。俺も相談に乗るから。……あ、なんか注文する?」

「いや、いい。それより、なんか飲んだらどうだ? ドリンクバーは先に注文しているから」

「おお。ありがとう」


 水瀬はぱっと明るい顔をして、早速席を立って、ドリンクバーへと行ってしまった。

 俺は頬杖をつきながら、その背中を見送った。


 ……こいつとコンビを組むなんて、演劇部に入った頃は想像もしなかったなと、いつもと同じことを考えていた。

 水瀬は主演を何度もしている演劇部のエース、俺は主に大道具を作っている裏方で、部活内で話したのは五回も満たないだろう。


 俺は元々脚本志望で演劇部に入ったが、持ち前の社交性の無さで、全く活躍出来なかった。

 それでも高三の後夜祭用にと、裸の王様を下敷きにしたコントの脚本を書くことが出来た。その時の王様役は、同学年の水瀬だった。


 コントの内容は、身内ネタや流行のギャグを取り入れたものであり、隠れお笑い好きの俺にとっては、納得のいくものではなかった。

 しかし、公演から数日後に、突然水瀬が俺に話し掛けてきた。そして、一緒にコンビを組んで、芸人を目指さないかと言われたのだ。


 俺は耳を疑った。全国大会の優秀賞を取った舞台で主演を務めあげるほどの演技力と、高校内のミスター候補に選出されるほどのルックスを持つ水瀬は、てっきり俳優になるのだと思っていた。

 そのため俺は、これは何かの罰ゲームではないかと怪しんでいた。


 しかし、水瀬の話は真剣で、本気で芸人になりたいのだという熱意が伝わってきた。

 そして、その中で、何故俺を選んだのかという理由も言っていた。


「あのコントの、『どうした大臣、東名高速で降りるタイミングを間違えた時のような顔をしているぞ』というセリフで決めた」


 それは数少ない、俺のオリジナルのセリフだった。


 今までお笑い好きを自称していて、コントを妄想することもあった俺だが、実際に芸人になりたいなんて考えたことも無かった。

 だからあの瞬間、初めて自分のセンスを褒めてくれた、水瀬と芸人を目指そうと、そう決意した


 そんなことを考えている間に、水瀬がコーラの入ったコップを持って戻ってきた。

 席に着くなりコップを仰ぎ、中の氷をゴリゴリと噛んでいる。


「そう言えば水瀬、一昨日貸したDVD、見たか?」

「見たよ、全部」

「見た!? 二十枚全部を!?」


 俺はファミレスの中だということも忘れて、大声を出してしまった。一枚一二十分以上あるDVDを、約三日ですべて見たのか。

 「もちろん見たさ」と鼻を高くする水瀬をよく見ると、目の下にクマが出来ていた。


「ざっくりでいいから、感想聞いてもいいか?」

「まず、ラーメンズってコンビは今まで知らなかったが、すごく面白かった。知らなかったのが恥ずかしいくらい。コントの多様性にも驚いたが、個人的に一番は『採集』ってコントだな。まさか、コントを見てて怖いと感じるなんて。何もない舞台で、小林がパントマイムで何が置かれているのか、それにどういう意味があるのか気付いていく演技がすごかった。


 あと、バカリズムのコント。脚本担当のドラマを見たことがあったが、コントはこう、発想力と演技力が混じり合ってて、引き込まれた。特に昔話を下敷きにしたコントが気に入ったな。一休さんを城に呼んだ殿様とか。絶対にこんなやり取りは無かっただろうと思うけれど、それが妙にリアルというか、現代語訳したらこうなるかもしれないと思わせる感じだった。


 バナナマンもテレビでよく見るけど、コントの方も面白かった。二人がただの友達同士のような、どーでもいいやり取りに熱くなっているのが良かったな。日村がヒーローで、設楽がその相棒のコント、衣装が奇妙で、観客に何だ! と思わせたまま、話していることはそれとは全く関係のないことで、それが余計に気になっていくのが好きだった。


 東京03は、名前だけちょっと知ってるくらいだった。でも、観察力と演技力がものいうコントで、なんか新鮮だった。日常でこんな奴いるよなー、とか、なんか嫌な気持ちになる瞬間とかを切り取っているけれど、セリフと演技のお陰か、普通に笑えるのがすごい。タコパするコントが一番笑ったかも。飯塚が感情を爆発させているのに、その理由がいまいちわかっていない豊本と、同じく分かっていないのに殴られている角田が……なんだ、ぽかんとして」


 水瀬が長尺のセリフを喋り出したから、俺は口を開けたまま、それを聞いていた。

 それを馬鹿にされていると勘違いした水瀬がむっとしているが、俺は違う違うと首を振る。


「いや、尋ねたのはこっちだけど、まさかこんなに感想を聞かされるとは思っていなかったから……。というかお前、その情熱を勉学にも行かせよ」

「俺は興味のないことにしか努力しないのだ」


 万年赤点追試男は、そう言って胸を張った。

 ……確かに水瀬は、勉強は全くなのに、マクベスのセリフはすらすらと暗唱できる。まさに好きこそ物の上手なれタイプか。


 だが、それだけ才能溢れるこいつを、お笑いなんて不確定要素が多すぎる世界に引き入れてもいいのだろうかという不安が、俺の中に芽生えてきた。


「……水瀬、」

「なんだ、湯本」


 水瀬はまた、氷をバリバリ喰いながら返事をした。

 ちなみに、彼は初デートの際、この癖のせいで必ず彼女に失望されるらしい。


「お前は、本当に芸人になってもいいのか?」


 水瀬は噛み砕いた氷を飲み込むと、ぴたりと停止した。

 俺は、誘ってもらった分際で、こんなことを言うのは失礼だとすぐに気付いたが、本心が壊れた蛇口から流れる水のように、止められなかった。


「芸人になったら、四六時中お笑いのことを考えないといけない。生活のためにアルバイトをすることも必要になるだろうが、それすら笑いの糧にしなければならない。それだけ頑張っても、必ずウケるとは限らないし、心が折れて粉々になるまでスベることもあるだろう。


下積みに何十年もかかる可能性もあるし、そもそもそれだけで食っていける保証もどこにもない。まあ、それは他の仕事にも言えるかもしれないけど。でも、ブームになったからと言って、それがずっと続くとは限らない。一年も満たずに飽きられることも普通にある。


オリジナリティが大事だが、周りや時代に合わせる応用力も求められる。もしテレビに出たらプライベートを丸裸にされるし、人より苦しく辛い経験をするかもしれない。それよりももっと理不尽な目に遭うのかもしれない。それでも、なりたいのか?」


 自分で流暢に言いながら、俺は、これが自分でお笑い好きだけど芸人を目指さなかった理由だと分かっていた。

 好きだから、好きが強すぎるからこそ、現実の厳しさが見えている。憧れを抱いても、なりたいとは思えない。


 と同時に、芸人を目指すと言った時の家族や友人たちの反応を思い出していた。

 皆、口では「応援する」と言っていたけれど、表情はぎこちなかった。お笑いの世界で成功するなんて、殆ど無謀だと思っていたのだろう。


 俺の言葉を最後まで聞いた水瀬は、黙った俺を見詰めていた。

 普段に彼には珍しく、舞台で真面目なセリフを言う時のような、眼差しだった。


「俺さ、なんとなくで演劇部に入って、演じることの楽しさを知って、俳優になるのもいいかもなんて思ったこともあったけど、一度も満たされたことが無かった。初めて主演になった時も、大会で最優秀賞と取った時も、なんか物足りなかった。それは、もっと大勢の前で演じたいとか、映画に出てみたいとかそういう欲望とも違う、何かもっと別の満足感が欲しかった。……そんな時、最後の後夜祭で、俺は初めてコントを演じて、初めて爆笑を取った」


 水瀬は一度言葉を切って、斜め上を眺めた。

 彼の目の前にはきっと、あの夜のスポットライトと、体育館全体を揺らすように笑う全校生徒の姿が広がっているのだろう。


「あんなに嬉しくて、心が満たされていく経験は初めてだった。俺はよく、天然だとか言われて笑われることがあったけれど、それとは全然違う気持ちだった。幕が下りて、自分が肩で息をしながら、ものすごく興奮していたことを覚えているよ。あの時、芸人になったら、こんなことを何度も経験できるんだ、俺は芸人になりたいと、確かに思ったんだ」


 水瀬は再び俺を見詰めた。今度は不敵な、しかし自信に満ち溢れた笑みを浮かべて。


「確かに俺には、スベったり、下積み時代への覚悟が、足りないのかもしれない。だけど今は、ただただ楽しんだ。誰かを笑わせるために生きて、湯本と一緒にネタを考えて、これから練習をするのだと思うと、本当にわくわくする。素人だから、そんなことしか言えないけれど、芸人になりたい理由は、それだけで十分じゃなかな?」


 俺は黙って瞬きを繰り返した。その度に、目から鱗が落ちるような感覚だった。

 こいつは、俺がずっと踏み出せなかった一歩を、あっさり踏み出せた。それも、俺のことまで巻き込んで。


「……お前、ほんとにかっこいいよな」

「え? まじ? 湯本に褒められるのは初めてだ」


 水瀬はそう言いながら、嬉しそうに自分の頬を撫で回した。

 「顔のことじゃねーよ」と突っ込みそうになったが、気恥しかったので笑って誤魔化す。


「あ、そうだ」


 湯本はふと何かを思い出したようで、隣の椅子に置いていた自分の鞄を開けた。

 そこから取り出したのは、びっしりと鉛筆の字で埋め尽くされた、くしゃくしゃのチラシの白い裏側だった。


「ちょっと気分転換に、コンビ名から決めないか? 実は昨日、考えてきたんだ」

「そう言えば、まだ決まってなかったな」


 俺はその紙を眺めた。なんとか読めるけど、水瀬の字はぐねぐねとした酷い癖字だ。

 噂によると、これは水瀬が女子に失望される、第二の理由らしい。


「とりあえず、『水瀬と湯本』は却下だな」


 俺は、チラシの一番上に書かれた名前候補に、横線を一本入れた。

 というか、これが第一の候補としてでてくるなんて、この先大丈夫だろうか。


「えっ! なんで!」

「いや、これはどちらかというと漫才コンビっぽいだろ」

「……ああ、そうだな。とりあえず書いたけど、やっぱりそうなるよな」


 水瀬は納得したように頷いていたが、目が泳いでいる。

 こいつは恐ろしいほどの演技力の持ち主だが、いつもはそれで誤魔化したりせず、心配になるほど正直に生きている。


 そんなことを考えながら、他の候補にも目を通した。

 「水瀬湯本」「ミナユモ」「みゆ」「湯水」「イケメンとメガネ」「陰と陽」「ウォーターボーイズ」「なんかすごいふたり」「お笑い大好き」「おもしろいやつら」「けしごむ」「えんぴつ」「つくえ」「エロ本」「あいうえお」「ABCD」……なんか、これらにツッコミを入れるだけで、一本コントが作れる気がしてきた。


「あ、これ、いいんじゃないか?」

「どれ?」


 それでも、一つだけマシなような案があり、俺はそれに丸を付けた。

 水瀬がそれを覗き込み、その候補名を音読した。


「……『アオハル』」

「なんでこれが思い付いたんだ?」

「ごめん、全然覚えていない」


 水瀬が申し訳そうに首を振るので、俺もまあそうだろうなと頷く。

 そして、水瀬はにやにやしながら自画自賛する。


「けど、いい名前だよな」

「ああ。コンビ名としてはほどよくダサくて」

「え! ダサい!?」


 水瀬の声は驚きのあまりひっくり返っていた。こいつはそこそこ、『アオハル』という名前に自信があったらしい。

 打って変わって意気消沈する彼に、俺は励ますように言う。


「モラトリアムの延長線上にいる俺たちには、ピッタリじゃないか」

「そうだよな」


 現金な水瀬はすぐに嬉しそうに首肯した。

 しかしふと、真顔に戻る。


「モラトリアムって、どういう意味だ?」


 俺は、こいつにこれからの人生と自分の夢を賭けるのだと思うと可笑しくなり、声を上げて笑ってしまった。













































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