第27話 窓を挟んで
「あーあ、明日も学校かー」
赤いランドセルを背負った少女は、とても嫌そうにそう言うと、地面を蹴るように大股で歩いた。
彼女のすぐ横を歩く少年は、その様子を見て、苦笑を浮かべている。
「あさちゃんは、学校好きじゃないの?」
「あんまり。むしろ、もう三年生にもなって、学校楽しいって言っているのは、りっくんだけだよ」
少女が不服そうに口を尖らせると、少年は声を上げて笑った。
家路の途中にある商店街を、二人は通っている。背後では真っ赤な太陽がゆっくりと沈み、空はオレンジ色に染まっていた。
買い物中の客たちで、商店街は活気づいていたが、三月の初めでまだ寒さが残っている日だった。
「ぼくも、自分が変わっているのはよく分かってるけど、クラスが変わってもそれに付き合うあさちゃんも変わってるよね」
「たまたま、家が近いだけだから」
少女は不意に向けられた少年の真っ直ぐな視線から目を逸らすと、少しだけ早足になっていた。
少年よりも先に歩きながらも、声は少年に届くようにわざと大きくして話す。
「家帰ったら、何しようかなー。Wiiパーティ? それとも、マリオ?」
少女はそんな話をしていたが、少年は横から視線を感じて、立ち止まった。
その方向を見ると、古い喫茶店があった。少年はまだ入ったことが無かったが、レンガの壁や少し薄暗い店内、そこを照らす鈴蘭型の照明など、大人の雰囲気のする店だと昔から思っていた。
喫茶店の窓側に座っている老女が、少年の方を見て、口元に微笑みを浮かべていた。臙脂色のカーディガンを着て、テーブルの上には湯気の立っていないコーヒーカップが置かれている。
少年は老女の顔を誰かと似ていると思った。少し茶色っぽい目の色や、真っ白な髪の毛の癖などに、どうも見覚えがある。
頭の中に疑問符を浮かべる少年に向かって、老女は会釈をした。
やっぱり知っている人だろうかと思いながらもまだ釈然としない少年は、きょとんとした顔のままで会釈を返した。
「りっくんー、何してんのー」
少年が立ち止まっている間も歩いていた少女が、こちらの方に振り返って少年を呼んでいた。
慌てて少年も「今行くー」と走り寄る。
「遅いよ、りっくん」
「……あさちゃんさ、おばあちゃんが今家に来ていない?」
「え?」
少女に追いついた少年は、彼女の顔が先程の老女と似ていることに気が付いた。
しかし、尋ねられた少女は、不審そうな顔で首をひねっている。
「どっちのおばあちゃんも、来ていないと思うけど」
「そっか」
少年は納得して頷く。
こちらを見ていた老女と少女は、結局他人の空似だったようだ。
「ね、りっくんは、Wiiパーティーとマリオ、どっちがしたい?」
「うーん、マリオかなー」
二人は並んで、もう一度歩き始めた。
夕日がゆっくり沈んでいき、茜色の空では鴉が鳴いている。買い物客とお店の人のやり取りが、商店街に彩りを与えていた。
そしてこの賑やかさは、いつまでも続くように思えた。
▢
――ふるさとの商店街を映していたモニターが消えて、代わりに部屋の照明が点けられた。
しばらく真っ暗なモニターを見詰めていた老女は、両手で握っていたハンカチで目を拭う。
後ろで、自動ドアが開く音がした。
老女がそちらへ顔を向けると、白衣を着た女性がドアの前に立っていた。
「朝倉様、お時間です」
「……ええ、分かっています」
少し申し訳なさそうに告げる女性に、老女は自分に言い聞かせるように頷くと、椅子から立ち上がった。
年老いても足腰に自身のある彼女だったが、体の震えは誤魔化せない。そのまま、最初来た時よりも時間をかけて、椅子しか置かれていない部屋を横断した。
「いかがでしたか?」
「……全て、あの日のままでした」
部屋から出た老女は、女性に尋ねられて、そう答える。そして、部屋の出入り口に置かれた入力モニターを見た。
そのパネルには、「2011年3月10日17時 岩手県」とまでが映されていた。
「本当にすごいですね。まさか、私が生きている間に、タイムトラベルの理論が確立されるなんて、思ってもいませんでした」
「ありがとうございます。ただ、歴史を変えてしまう可能性がありますので、こちらから干渉は出来ず、見ることしか出来ないのですが」
申し訳なさそうに言う女性に、老女はゆっくりと首を横に振った。
「いいんです。りっくんとまた会うことが出来たのですから」
「りっくん?」
「私の……近所に住んでいた友達です。クラスが別だったので、あの時私は理科室にいましたが、りっくんは体育館にいて、それで――」
老女は、下を向き、ハンカチを強く握りしめていた。声の震えが段々と大きくなる。
「朝倉さん、無理に話さなくても結構ですよ」
「はい。もう、もう大丈夫です」
女性は心配そうに老女の顔を覗き込んだが、彼女は気丈そうに笑っていた。
改めて、老女は女性に頭を下げた。
「本日は、私の願いを叶えてくれて、ありがとうございました」
「いえ。……また、よろしければいらしてください」
「……はい」
お互い可笑しな間を空けながらも、二人はそう話して、別れの挨拶を交わした。
ただ、頷きながらも、老女はまたここへ来ることはないのだろうと、心のどこかで感じていた。
老女は、さらにもう一つの手押しのガラス製のドアを開けようと、そのノブに手を当てた。
その前にもう一度、後ろを振り返る。
こちらに背を向けた女性は、パネルを操作していた。そこから前方に移動し、巨大モニターがある部屋のドアの開閉ボタンを押す。
その瞬間見えたパネルのモニターには、もう何も映っていなかった。
老女は思い出していた。賑やかな商店街を、大好きなりっくんを、そして初恋も知らなかった頃の自分を。
泣き始める直前のような溜息の老女がつくと同時に、鉄のドアは完全に閉じられた。
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