第24話 肉まん探索記


 肉まんが食べたい。

 そう思ったのは夜の十一時五十六分。両親はすでに眠っている今がチャンス。私は早速動き始めた。


 コートを羽織り、マフラーを巻いて、ニット帽を被る。コートのポケットには、財布とスマホを入れておく。

 スニーカーを履いて外に出ると、真正面から北風が吹いてきた。寒さに身震いしながら、取り出した自転車に乗り込む。


 静まり返った夜の住宅街の中で、力強くペダルを漕いでいく。

 冬の空気はとても澄んでいて、夜空を見上げるとぽつぽつと星の光が見えた。


 目指すは一番近くのコンビニだ。

 家を出てから二十メートル進んで、右に曲がって大通りに出て、またニ十メートル進んだ交差点の角に建っている。


 自転車を止めて、鍵をかけた後、コンビニの中に入る。

 早速、中華まんの蒸し器を覗いてみたが、そこに肉まんの姿はなかった。


 あんまん、ピザまん、カレーまんは置いてあるが、肝心の肉まんがない。別にこれらが嫌いという訳じゃないが、私はとにかく今肉まんが食べたいので、酷くがっかりした。

 丁度レジに男性店員が一人いたので、声をかけてみた。


「すみません」

「はい、なんでしょうか?」


 笑顔をこちらに向けた店員さんに、私は蒸し器を指差して訴える。


「肉まんは売れ切れですか?」

「あー、すみません、今、作っている途中なんですよー」


 あまり申し訳そうにしていない店員の言い方にカチンとしながらも、私はもう一度尋ねる。


「どれくらいで出来上がりますか?」

「あとー、二十分くらいですねえ」


 そう言われて、私はがっくりと肩を落とした。

 二十分も待っていられない。しかし、私は今すぐ肉まんが食べたいんだと訴えても仕方がない。ここから別のコンビニまで自転車で五分ほどなので、そこに向かった方が早そうだ。


 私は店員の「ありがとうございましたー」の声を背にコンビニを出ると、自転車の鍵を外してまたがり、勢いよく出発した。

 目指すは、車道をもう一度横断して、五十メートル進んだ先にあるコンビニだ。あそこは今行ったところとは違う系列で、ポイントカードを持っていないけれど、気にしていられない。


 自転車を黙々と漕いでいくと、例のコンビニが見えてきた。と同時に、そのコンビニの出入り口を挟む形でたむろしている、五名の青年たちの姿も。

 ……私は、無言でそのコンビニの前を通り過ぎた。


 その理由を率直に言えば、あの青年たちが、とても怖かったからだった。

 駐車場には大きな黒いバンが一台止まっているし、青年たちはお酒らしきものを手に持って、地面に座って話しているし、金髪の人や赤い髪の人も見えたし……。

 偏見はよくないと分かっているけれど、女子高校生がこの間を通ってコンビニに入らなければいけないなんて、荷が重すぎる。


 交差点の赤信号で自転車を停止して、後ろを振り返ると、もうコンビニは見えなくなっていてほっとした。

 でも、あのコンビニに行けないのなら、どうしようか。一度Uターンをして、最初に行ったコンビニを過ぎて、今度は八十メートル進んだところにあるコンビニに行こうと決めた。


 舵を大きく左に切り、今通り過ぎたコンビニの裏にある住宅街を走る。

 住宅街は、大通りよりもずっと暗くて、ここを走るのはちょっと怖かったが、他に進む道もない。ハンドルをぎゅっと握って、ペダルをさらに強く漕ぎ出す。


 少しすると、向こうの方から自転車のヘッドライトがこちらに近付いてくるのが見えた。

 一瞬だけ、街灯の下を通り、前の自転車に乗っているのがお巡りさんだと分かった。


 まずい、こんな時間に外を出歩いていることがバレたら、間違いなく補導される。

 私はあまり深く考えずに、自転車で左に曲がった。そこは薄暗い路地で、ぶつからないぎりぎりの幅で何度も振り返りながらも、なんとか走り抜けた。


 しかし、慌てていて後ろばかり気にしていたあまり、私は今通った道が、避けていたコンビニの横壁だと気付かなかった。

 通り抜けた瞬間、私の自転車は、駐車場の縁石の横に置かれていた缶ビールを踏んで中身をぶちまけ、私は大きく転んでしまった。


「ねえ、君、大丈夫?」


 驚いたのと痛いのとで動けなくなった私に、誰かが駆け寄ってきた。


「大丈夫です……」


 顔を上げると、相手がコンビニの前にいた赤髪の青年だと分かり、私は途中で声が段々と小さくなっていった。

 どうしよう、彼のビールを零してしまったかもしれないと思い、血の気が引いていく。私は何とか立ち上がり、相手に頭を下げた。


「すみません、ビールを零してしまいました」

「それはいいけれど、怪我はない?」

「大丈夫です。何ともありません。それより、ビールは飲み途中でしたよね?」

「え? あ、ビールのことはどうでもいいんだけど……」


 彼が言い淀んだときにやっと私は、彼が心から私を心配しているのに気付いた。

 顔が真っ赤になって、私はズボンの埃をはたいてから、自分の自転車を立てた。


「本当に大丈夫です。心配してくれて、ありがとうございました」

「怪我がないならよかったけどさ、君、こんな時間に一人で外にいるの?」

「え、ええ……そうですが……」


 赤髪のお兄さんだけでなく、その後ろのお友達も、私のことを不安そうに見ていて、私はまた恥ずかしくなった。

 見た目で判断してしまったけれど、この人たちはとてもいい人だ。やっぱり、偏見はよくない。


「……ちょっと、君たち、何してるの」


 その時、私が通った路地から、お巡りさんが自転車を押しながら現れた。

 喉の奥で「ひっ」という声が出た。頭が再び真っ白になる。


「あ、お巡りさん、大丈夫ですよ」

「大丈夫って言っても、未成年と素行の悪そうな青年たちだからね。何してんの?」

「いや、初対面ですよ、俺たちは。あと、成人しています」

「運転手の俺は飲んでませんよー」


 赤毛のお兄さんとお巡りさんの会話に、バンに寄りかかっていた別のお兄さんがペットボトルのコーラを掲げながら割り込んできた。

 それでもお巡りさんは険しい顔を崩さずに、私の方を見た。


「じゃあ、君は?」

「私は……コンビニに行こうとしていまして……」

「一人で?」

「……はい」


 観念した私は、全て正直に答えた。

 ああ、今まで無遅刻無欠席で、一度も補導されたことなかったのになあ。


「お巡りさん、その子送ってあげなよ」

「言われなくてもそうするから」


 赤髪のお兄さんにそう言われて、お巡りさんは舌打ちしそうなほど不機嫌そうに頷いた。


「家はどっちの方向?」

「あっちです」


 私が指差した方へと、お巡りさんは自転車を押しながら進んで、私も同じように続いた。


 後ろから、「今度から気を付けろよー」という赤髪のお兄さんの声が聞こえて、なんとなく彼の言いたいことは分かってしまった。

 お巡りさんが一度振り返り、「お前らもだべってないで、さっさと帰れよー」と返すと、彼らがゲラゲラと笑う声が聞こえた。


 最初に立ち寄ったコンビニの前の横断歩道で信号待ちしていると、お巡りさんが私の方を見ながら尋ねた。


「そういや、さっき、コンビニに行ったと言っていたが、何も買わなかったのか?」

「あー、まだ入っていなかったんです。あのお兄さんたちのビールを零してしまって」

「ちなみに、何を買おうとしていた?」

「肉まんです」

「肉まんか、それは夜中に食べたくなるよな」


 お巡りさんは納得したように、何度も頷いている。そして、真正面のコンビニを指差した。


「あっちでは買わなかったのか?」

「あと二十分待ちだと言われたので」


 そう答えた後、私はスマホの画面を見て、なんだかんだで二十分が過ぎていることを知った。


「あ、もう二十分経ってる」

「じゃあ、ちょっと寄ったらどうだ?」

「え? いいんですか?」


 きょとんとした顔をお巡りさんに向けると、彼は酷く目付きの悪い顔に、初めて笑みを浮かべていた。


「逃げるわけじゃないんなら、別にいいぞ」


 その直後、歩行者信号が青になったので、私たちは進む。

 横断歩道の半分くらいで、お巡りさんが提案した。


「その時、ついでにカレーまんを買ってくれたら、今回の補導はなかったことにする」


 どうする? と悪い顔で問いかけられて、私は瞬きを繰り返した。


「こちらとしてはとても嬉しい案ですが、お巡りさんがそんな買収じみたことをしてもいいのでしょうか?」

「別にいいんだよ。俺は派遣みたいなものなんだし」


 お巡りさんは素知らぬ顔をして、横断歩道を渡り終わった。

 私は、公務員に派遣なんてあったけ? と思いながらも、時々勤務地が変わるってことかもしれないと考えた。


 コンビニの前で自転車を止めた後、お巡りさんは自分の財布からカレーまん代を出した。しっかり、消費税込みの値段だった。

 「ここで待ってるから」と、横壁に設置された灰皿を指差して言うお巡りさんに見送られ、私はもう一度同じコンビニに入った。


「いらっさいませー」


 やる気のない声で私を迎えたのは、二十分前と同じ店員だった。

 中華まん蒸し器に肉まんが三つ入っているのを確認して、また来たと思われるのは嫌だなーと思いながらレジの前に立つ。


「すみません、肉まんとカレーまん、一つずつ下さい」

「はいー」


 一人で二つ買うのはやっぱり恥ずかしいが、ここで買うしかないので、そのままポイントカードと会計分のお金を出して支払った。

 店員さんの「ありがとうございましたー」の声を背にコンビニを出て、壁側に回ると、お巡りさんは煙草を吸いながら私を待っていた。


「お、思ったより早かったな」

「他にお客さんがいなかったからです」


 お巡りさんはまだ半分も吸っていない煙草を灰皿の中に落として、私の差し出したカレーまんを受け取った。

 ありがとという軽い調子のお礼を聞きながら、私はお巡りさんの横で、自分の肉まんを取り出す。


 暗い中でもぼんやりと白くてつややかなその表面に目が釘付けになり、鼻先をほかほかの湯気の匂いがくすぐっている。

 私はごくりと生唾を飲み込んで、自分のできる限り大きく口を開け、肉まんにかぶりついた。ふかふかの皮と肉汁のハーモニーを、出来立ての温かさと共にじっくり味わう。


 ああ、肉まんは、どうにもならないくらいに、おいしい。

 コンビニには、今までいろんな種類の中華まんが登場した。おかず系、スイーツ系、コラボ系など。確かにどれもおいしいが、私が戻ってくるのは結局肉まんだ。原点にして頂点には、誰も勝つことが出来ないのである。

 ……隣の人は、「カレーまんが一番うまい」と、しきりに呟いているが。


 やっと一口目を飲み込んで、私は夜空を見上げた。恐ろしいくらいの闇の中でも、小さな小さな星が瞬いている。

 もう十二時はとうに過ぎていた。思い付きで肉まんを食べようと外に出て、こんな冒険じみたことになるなんて、三十分前の私は想像も出来なかっただろう。


「……帰ったら、テスト勉強頑張ろう」


 無意識に口をついた言葉に、横のお巡りさんが噴き出す音がした。






























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