第16話 青空職人


 角を曲がると、路地の真ん中が大きな梯子で塞がっていた。


 わたしの視界に収まり切れないほど大きなその梯子を見上げると、両隣の二階建ての家よりも高い場所に、青いつなぎに青いキャップを被った男の人がいた。

 男の人は、梯子の上から二番目に立っていた。梯子の一番上には青のペンキの缶と白のペンキの缶が開いたまま置かれている。


 男の人は長い棒がついたローラーのようなものを両手で持っていた。

 それを使って屋根を塗っているのかと思ったが、実際は青色で空を塗っている所だった。


 梯子の上の空は不自然なくらいに真っ白な四角になっていて、男の人がローラーを転がすと、綺麗な青色に染まっていく。

 わたしはほれぼれとするような男の人の手際に見とれていた。


 空に白い部分が無くなり、男の人はローラーを動かす手を止めた。しかし、自分が塗った空を見上げて、首をひねっている。

 確かに、塗りたての空の色は、周りの空と比べると鮮やかな分とても浮いていた。


 男の人が視線を下に向け、ずっとぽかんとした顔で空を眺めていたわたしに気が付いた。

 そしてにっこりと笑いかける。


「こんにちは。第二中の子だよね?」

「あ、はい、そうです」

「家はこの先?」


 男の人の質問に、わたしは大きく頷く。

 すると彼は困ったように眉を下げた。


「ごめんね、通せんぼしちゃって。まだ仕事が終わっていないけど、先に通る?」


 道幅いっぱいに広がっている梯子の脇を通るのは大変そうだし、梯子の真下を通るのはもちろん危険だ。

 わたしはさっきまで早く帰りたかったけれど、男の人の仕事を最後まで見たかったので、首を横に振った。


「最後まで待ちたいです」

「わかった。もうちょっとだけ我慢してね」


 男の人はまた人懐っこい笑顔を作った。

 わたしは口を真一文字に結んで、こくりと頷く。


 それを見て安心した様子の男の人は、ローラーの伸ばしていた棒部分を縮めて、梯子の上に載っていたペンキを持って、そのまま梯子を下りだした。

 降り切ってしまう前に、わたしが男の人の方へ駆け寄って、手を伸ばす。


「それ、片付けておきますよ」

「あ、助かるよ。そっちに置いといて」


 男の人の指差したブルーシートの上に、ハケやペンキなどがたくさん置いてあった。

 わたしがローラーとペンキをその上に置くと、男の人が「ついでに小さいハケと、右側のペンキを持ってきてくれる?」とお願いされたので、運んでいく。

 それらを渡すと、男の人は「ありがとう」と微笑んでくれた。


 再び梯子に上った男の人は、ベルトに下げた袋から伸び縮みできる棒を取り出した。それに小さなハケをくくりつける。

 そして、新しい薄い青色のペンキの缶を開けて、ハケを中に入れた。ぷわんとシンナーの匂いが辺りに漂う。


 手を伸ばして、元の青色と混ぜるように、男の人は空を塗っていく。

 真ん中の方が濃く、周りが薄くなるように。周りの元の空と馴染ませるように。時々白いペンキを混ぜながら。


 男の人の真剣な横顔や、空に深みを与えているハケの先の細かい動きをじっと眺めていた。

 空ってずっと同じ青色だと思っていたけれど、こうして塗っている所を見ると、全く同じ青色はないことに気付かされる。


「ふう」


 空を塗り終わった男の人は、ハケを持ったままの手をだらりと下げて、ため息を一つついた。

 完成された空は、ずっと見てきたわたしにも、どこが塗られた箇所なのか見失ってしまうほどの出来になっていた。


 梯子から降りてきた男の人の後片付けを、わたしは手伝っていた。

 右側の家の前に止めていた、紺色のバンに使い終わった道具と梯子を入れ終わってトランクの戸をばたんと閉めた後、男の人はわたしと向き合う。


「今日は手伝ってくれてありがとう」

「いえ」

「空を塗ってるのを見たの、初めてだった?」

「はい」

「今度からはもうちょっと空を見てくれよ」


 にっと笑う男の人を見て、わたしは気付かれていたんだと思って赤くなる。

 いつもいつも下を向いて歩いていたから、屋根よりも高い場所で男の人が空を塗っていたことに、角を曲がるまで分からなかった。


「……はい」


 わたしは男の人の顔を見上げて、強く頷いた。

 今日の空も、青くてどこまでも広がっていた。































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