第9話 再会の話
巨大地震が街を襲ったあの日、彼女も被災してしまった。
彼女やその家族は無事だったが、住んでいた家は全焼してしまい、長い避難生活を余儀なくされたという。
避難所となった運動公園の中には、動物園があった。
動物園と言っても、公園の中にふれあい動物園という形で、とても小さいものだった。しかし兎やモルモットなどの動物が無料で触れるとあって、とても人気が高かった。
彼女も避難生活の間、他の子供たちと一緒にその動物園に毎日のように通っていた。
余震が続き、家もなくなってしまった状況の中、まだ保育園児だった彼女の心の拠り所は、その動物園だった。
特に彼女が気に入っていたのは、ヤギのコーナーだった。そこには数カ月前に生まれたばかりの子ヤギ「テアナ」がいて、彼女は特にその子を可愛がっていたという。
テアナも彼女に懐き、彼女が来ると自分から近寄ってきたらしい。
しばらくして、彼女の家族は遠くの親戚を頼って、街を出てしまった。
それから一度も、その動物園には行っていない。
そういう話を彼女から聞いた時、俺はすぐにその動物園についてとヤギの寿命について調べた。
そして、動物園が今も同じ場所にあって、ヤギの寿命が十五年から十八年だということを知った俺は、彼女にテアナに会うのは今が最後のチャンスだということを伝えた。
奇しくも、もうすぐ地震の日から十八年が経とうとしていて、幼かった彼女も二十一歳の大学生になっていた。
△
真冬の街中を、運転免許を持っていない彼女の代わりにレンタカーを走らせる。
助手席の彼女は、そこが初めてきた街かのように、しきりにきょろきょろとしていた。
俺はハンドルを握ったまま、彼女に話し掛けてみる。
「どうだ? 町は随分変わったんじゃないか?」
「うん……そうだと思うけれど、地震の時以外の事はあまり覚えていないから、よく分からないや」
彼女はしょんぼりとしながら答える。
自分の生まれた街でも、ここまで記憶にないのは、彼女自身も悲しいのだろう。
「大丈夫。その動物園に行けばいろいろ思い出せるさ」
俺は、自分でも分かりやすいくらいの気休めを言ってみるが、彼女からの返事は無かった。
ビルに挟まれた大通りを走って車が何度か曲がるうちに、段々と山の中へ、人の少ない方へと向かっていく。
そうして、目的地の動物園の入り口ゲートが見えた瞬間、今まで黙っていた彼女が「あっ」と声を上げた。
「ここ、覚えている。そうだ、ここだよ」
目を輝かせて、ペンキの剥げかけた木製の四角いゲートを彼女は見上げる。
駐車場に車を止めると、すぐに外へ出て、ふらふらと吸い寄せられるようにそのゲート内へと入っていった。
動物園内に入ると、今まで不安そうだったのが嘘のように、彼女はぐんぐんと歩いていく。
平日だったため人が少なかったが、それでも何組かの親子連れが見える。彼女は兎やひよこやモルモットのコーナーを無視して、広場へとたどり着いた。
「……ここも、全然変わっていないね」
北から吹く風に吹かれながら、彼女は柔らかく微笑んだ。
そこは、枯草の上に円状の木の柵が設置され、その中に何頭かのヤギがいた。
柵の一部はドアになっていて、数人が中に入ってヤギと戯れている。
ヤギたちは草を食んだり、ぼんやり座っていたりと、それぞれ好き勝手過ごしていた。
俺はその中でも、一番体格の良くて立派な角を持つ、売られていた餌を人から食べている白いヤギを指差した。
「あのヤギじゃないか?」
「違うよ。テアナは女の子で模様があったから……あっ」
彼女は何かを見つけたようで、一目散に走りだした。
俺が「おい」と声をかけても、無視して柵の中に入ってしまう。
「テアナ!」
彼女が大きな声で呼びかける。すると、座っていた一匹の黒のぶち模様のあるヤギが、立ち上がって真っ直ぐに餌も何も持っていない彼女の元へと向かっていた。
そのヤギを、屈んだ彼女は抱き締めるように迎え入れた。
「テアナ! やっぱりテアナなんだね!」
嬉しそうに、彼女はヤギの名前を呼びながら、頭を撫でている。
ヤギも笑っているような顔で、彼女を見上げていた。
俺は、彼女とテアナが無事再会できたことにほっとして、柵の向こうからその様子を眺めていた。
そこへ、ここの飼育係らしいツナギを着た中年男性が隣に現れ、にこにこしながら俺に話し掛けた。
「あの子、もしかして一菜ちゃんかい?」
「はい、そうですけどもしかして……」
「昔からずっと、ここで働いていたんだよ。懐かしいね」
目を細めて、その男性は語る。そして俺の方を見た。
「一菜ちゃん、今は何歳かい?」
「二十一です」
「そうか……。もう十八年も経つからな、成人したのか……」
長い時の流れにしみじみと感慨を込めて、男性は呟く。
彼の中には、まだ保育園児だった彼女の姿が、残っているのだろう。
一方彼女は、肩から掛けた鞄の中から、ビニール袋に入ったスティックにんじんを取り出した。
「あの頃は真冬で、草もほとんどなかったからね。今日はおいしいにんじんを持ってきたよ。ほら」
そう言って彼女がにんじんを取り出すと、テアナは早速食べ始めた。
俺はそれを見て、顔をしかめてしまう。
「あいつ、勝手に……。すみませんね、こんなことして」
「はっはっは。仕方ない。園長には黙っておくよ」
明るく笑う男性の声が、俺にはとてもありがたく感じた。
「テアナ、おいしい?」
もぐもぐとにんじんを頬張るテアナの、目の周りにもぶち模様のある顔を覗き込みながら、彼女は優しく語り掛ける。
彼女とテアナとの間には、十八年の時の流れなど無関係に感じられた。
隣の男性も、彼女たちの友情を今の姿から見ているようであった。
「良かった。ティアラも一菜ちゃんと再会できて、本当に嬉しそうだよ」
「……ん? ティアラ?」
男性の口から出た、思わぬ言葉に、俺は彼の顔を見た。
それに気付くと、彼はああと納得したような表情で、説明してくれた。
「あのヤギの名前、本当はティアラっていうんだよ。ただ、一菜ちゃんだけは幼かったから名前をちゃんと言えなくてね、ずっとテアナって呼んでいたんだよね」
「ああ、そういう事か」
俺は一人得心が行って、何度も頷いた。
なぜ、ヤギにテアナという変わった名前が付けられているのか、男性が成長した彼女の事をすぐに気づいたのか、全て彼女の勘違いから来たものだった。
「テアナ、おいしかった? 良かったー」
持っていたにんじんを全て与え終えた彼女は、そう言ってティアラの背中を撫で始めた。
彼女がこっちに戻ってきたら、飼育係の男性を見て、驚くだろう。
それから、自分の勘違いを指摘されて、少し恥ずかしがるのかもしれないなと思って、口元から笑みが零れた。
まだ春が遠い冬の動物園に、微かに南風が吹き抜けていった。
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