第8話 お土産
日本に短期出張していた同僚のカミュが、今日帰ってきた。
彼が上司の机の前で、軽く出張の成果を説明をした後に、室内でも分厚いコートを着た上司のシェイクスピアは、真剣な顔をしていつも通りの鼻声で言い放った。
「ところで、カミュ……、今回の土産はどうした」
「もちろん、用意してるよ」
赤毛を揺らしながら意味深な笑みを浮かべたカミュは、足元に置いていた紙袋を机の上に置いた。
自身の机に座っていた二人の同僚が、一斉に立ち上がり、上司の机へと向かう。仕方ないので私も、彼らの後に続いた。
「一体何を買って来たんだ?」
「おいしいもの?」
子供のように目を輝かせながら、茶色いスーツを着たチェスタトンと、この部署では唯一の女性であるクリスティーが紙袋の中を覗き込む。
「えっとね、これはお饅頭ってやつで、みんなで分けて食べてね。あとは、一人一人にお土産があるよ」
多少不気味なほどにこにこしながら、カミュは袋から一つの箱を取り出し、机の上に置く。
クリスティーが素早くそれを取り上げ、中身を開けようとし始めた。
一方チェスタトンは、一人一人へのお土産という言葉に、嬉しそうに拳を握っていた。
しかし、シェイクスピアだけは、カミュに対して懐疑的であった。
年中風邪をひいている彼は、少し咳き込んだ後に、カミュを鋭くにらんだ。
「随分景気がいいじゃないか。今まで、そんな大盤振る舞いしたことなかったのにな」
「そんな、ただ、いつもお世話になっているから、そのお礼だよ。それに、そっちからせがんで、その言い草はないんじゃない?」
「そうだな、シェイクスピア。カミュもたまにはそう思うこともある」
「お前はもうちょっと、疑うことを覚えた方がいい」
シェイクスピアが私に対して苦々しい表情で皮肉を言うと、カミュはそれを「まあまあ」と制して、私の方に向き直った。
「はい。お土産の栞」
カミュが手渡してきたのは、目の粗い紙で作られた押し花の栞のセットだった。
「変わった紙だな」
「それ、和紙って言って、こう見えて結構長持ちするんだって」
栞のざらざらとした手触りを楽しんでいる私に対して、カミュはそう解説する。
嫌がらせでも何でもない、本の虫である私に合った土産で、むしろ周りの者たちの方が驚いていた。
「ねえ、カミュ、私には何を用意してくれたの?」
饅頭の箱を横に置いて、前のめりになって尋ねるクリスティーにも、カミュは紙袋からまた別の土産を手渡した。
「はい。これでもいい?」
それは黒い扇子だった。色とりどりの打ち上げ花火の絵が描かれている。ここら辺でも、扇子を使っている者は見かけるが、売っている店は中々ない。
「いいわね。ちょっと季節は早いけれど、すごく嬉しいわ」
クリスティーは早速、広げた扇子で自身を仰いで見せた。
「……普通に似合っているな」
「カミュに女物を選ぶセンスがあったとは」
シェイクスピアとチェスタトンが、それぞれぼそりと呟く。
それらを聞き流して、カミュはまた新しい土産を取り出した。
「次はハールトね。こういうのだけど、どうかな」
「おお、良いな、これ」
チェスタトンが受け取ったのは、青地に白い波模様の描かれた、ハンカチほどの薄さでタオルほどの大きさの布だった。
「これは手ぬぐいだな。前に、日本の映画で出てきたのを見て、欲しいと思っていたんだが……」
「うん、ハールトがそう言ってたの、覚えてたんだ」
胸を張るカミュに、チェスタトンは申し訳なさそうに頭を下げた。
「悪かったな。前の土産がニュートンのゆりかごだったから、正直あまり期待していなかった」
私は、以前特別だと言ったカミュから五つの銀の球が、半永久的に振り子運動を続ける実験道具をもらい、途方に暮れているチェスタトンの姿を思い出した。
「今、あれはどうしているのだ?」
「ああ、少し前までは子供のいい遊び道具だったが、今では完全に飽きられて、リビングで埃を被っているよ」
私の質問に、チェスタトンは苦笑いを浮かべながら、予想通りの答えを返した。
「本当は、木彫りの熊の置物と悩んだけどねー、やっぱ実用性重視で。じゃあ、最後はクロムね」
紙袋をガサガサ言わせながら、とんでもないことを言うカミュに、チェスタトンは「本当にこれで良かった」と妙にしみじみとしている。
そうしてカミュが取り出したシェイクスピアへの土産は、細長い箱だった。
「おお、これは!」
手持ち無沙汰に鼻をかんでいたシェイクスピアは、それを開けると中身が欲しかったもののようで喜びの声を上げる。
しかしクリスティーは、不思議そうに首を傾げていた。
「何かしら?」
「俺、これも見たことある。忍者が使う巻物だろ」
チェスタトンが自慢げに言うが、カミュは笑いをこらえながら「違う違う」と注意する。
「これは、掛け軸ってやつだよ。広げて、壁にかけておくんだ」
「絵とかと同じ用途だな。ほら」
シェイクスピアが掛け軸を結んでいた紐をほどくと、それは上下に長く伸びた。しかし、書かれているのは絵ではなく、日本語である。
日本語の読めない我々は、それを見て「おお」と声を出すことしかできない。
私には、一番上にある四角の付いた文字と、その下にある丸みのある文字とが、何とも奇妙な組み合わせに思えた。
「いやー、想像よりもいいもんだな。早く家に飾りたい」
「しかし、いきなり掛け軸を欲しがるとか、どうしたんだ?」
チェスタトンの最もな指摘に、シェイクスピアは口を尖らせて反論する。
「分かっていないなー、君は。今、若い女の子たちの間に、ジャポニズムブームが来ているんだよ。だが、それに便乗して、和風の物を身に着けているだけでは、浅い男だ。自宅にこういうものが一つ置いてあるだけでも、見る目は変わるってものさ」
「……やっぱり相変わらずねー」
この部署の女性代表のクリスティーが、非常にくだらないといった様子で切り捨てる。顔には、最後まで聞くんじゃなかったと書かれていた。
「まだそういうこと考えていたのか」
「もういい歳だろうに」
チェスタトンと私の辛辣な意見を受けて、シェイクスピアは思わず自身の胸を押さえていた。
「うっ……流石に、既婚者二人の言葉は効くな」
「ところで、カミュ、これにはなんて書いてあるの?」
「うん?」
クリスティーに尋ねられて、無邪気な笑顔を浮かべながら、カミュが口を開いた。
「咳をしても一人」
……一拍置いて、掛け軸を持ったまま、シェイクスピアが机を乗り越え、カミュ
へと飛び掛かった。
しかし、カミュはそれを紙一重で躱すと、笑い声を上げながら廊下へと出て行った。無論、シェイクスピアもそれに続く。
「待で、ごらーーーーーーー!」
廊下の方で、特徴的な鼻声が、段々と遠ざかっていった。
「……また、他部署から苦情が来るだろうな」
「これは全部カミュが悪い。俺たちは無関係だ。全部あいつに擦り付けよう」
「それより、このお饅頭、食べちゃわない?」
現実から目を背けるために、私とチェスタトンはクリスティーの提案にのった。
部長と部下の追いかけっこが始まった以外は、特に大きな事件もなく、部署内の時間はのんびりと流れていった。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます