第6話 プール≠海


 素足を、乾いたコンクリートが熱する。


 白く反射した入道雲。ジリジリと鳴く蝉の声。水色の飛び込み台の上に立ち、彼は世界を見回す。

 黒い水泳帽の上のゴーグルを、ゆっくりとかける。世界の影が濃くなる。


 日焼けした体を曲げ、手と足の指先を合わせる。背中は猫の如くしなやかな丸みを持つ。

 鋭く、ある一点のみを睨む。水面は太陽の光を反射して、網模様に輝く。彼にとって、目の前に広がるのはカルキの匂いを発する水ではない。


 そこは、海だ。




 どぼん。

 飛び込む。











 彼の侵入に驚いた銀の小魚が、さっと逃げ出す。

 共に入った空気は気泡となり、体から離れて上へと浮かぶ。水は下へ行くほどに青さを増し、見えない底は暗黒と化す。


 前へ進みながら、滑らかな角を描くように体を上に。

 濁りの無い、青すぎる砂漠がどこまでも続く。


 徐々に浮上し、初めての呼吸。顔を出し、どれほど酸素を欲していたかに気付く。

 夏の空と一羽のカモメが眩しい。潮の香りを肺いっぱいに吸う。


 再び潜水。と同時に、両足で水を叩く。泡が唇から漏れる。

 半円をなぞる手。指の間に小さな渦が生まれては消える。二度目の呼吸。


 イルカになれ。イルカになれ。

 すぐ下で泳ぎ回る、仲間たちがささやく。もっと躍動的に。もっと自由に。


 そろえられた両足が静かな水面を乱す。ぱっと散る飛沫。波が広がる。くぐもった水を蹴る音。

 力任せに腕を動かす。速度が上がる。一瞬の空。届いた透明な波の音。


 海の世界は限りなく澄んでいる。美しい。彼は素直にそう感じる。

 水平線は憧れのように白く輝く。肌に染み込む海水が冷たくて心地いい。移り変わる多彩な青を目に焼き付ける。

 水圧も抵抗も分からない。疲れを超えた部分で、夢中になって泳ぐ。


 彼と海の境界線が、徐々に溶け出していく。そうして彼は海と一体となる。




 ざばん。

 飛び出す。











 飛び込み台に乗せた腕で体を持ち上げる。カルキの水滴がいくつも垂れる。

 ぺたぺたとコンクリートに湿り気のある足跡を残しながら歩く。体中に疲労感が残っているが、清々しさの方が勝っている。


 彼は一度振り返り、また歩き出す。





































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