第5話 土竜釣り
「姉ちゃん、ちょっと見て」
私に背を向けて草むしりをしていた弟がそう話しかけてきた。
振り返ると、横幅だけが広い庭の中で、しゃがみこんだ弟が、何やら地面を見つめている。
少し面倒とは思いつつ、久しぶりに立ち上がったために軽く伸びをする。それから、弟の真後ろに回った。
「あ、珍しい」
草を抜いた跡地に、拳ひとつ分の穴とその回りに盛り上がった土があった。
「これ、もぐらの穴だよね?」
「そうだと思うよ」
振り返って私を見上げた弟は、一瞬とても嬉しそうに笑うと、急に立ち上がり、そのまま走って庭から家の中に入ってしまった。
草むしりはどうするんだとため息をついて、私は元の位置に戻り、軍手をした手で草むしりを続ける。
その間、家の中からはがさごそと、何か探している音がしていた。
しばらくして、庭にサンダルを履いて降りてきた弟は、満足げな笑顔はそのままに、右手に父の釣竿を、左手には釣り道具を持っていた。
私はこれ以上ないほどの呆れ顔をする。
「まさか、もぐらを釣る気なの?」
「前々から一度やってみたかったんだ」
確かに私たちが好きなアニメには、もぐらを釣るシーンがあるけれど、本当にやるとは思わなかった。もう弟もいい歳なのに。
釣り道具の中から、弟は餌のミールワームがつまった箱を開けた。うじゃうじゃとうごめく芋虫に、虫の平気な私も少し引いてしまう。
弟はその中から一匹をつまんで、そのまま釣り針につけようとする。私は思わず「ちょっと待って」と言ってしまった。
弟が驚いてこちらを見る。
「どうしたの?」
「それ……そのままつけるの?」
「うん、そうだよ」
「……もぐらが食べたら、口に針が刺さってかわいそうじゃない?」
「確かにそうだけど、魚はかわいそうじゃないの?」
弟にそう投げ掛けられ、私もそれもそうかと納得する。
しかし頭を必死に働かせて、さらに反論する。
「魚は釣った後に食べるけど、もぐらは食べないでしょ?」
「確かに」
弟は納得して、時間を掛けて針を釣竿から外すと、ミールワームに直接巻き直した。
そうして出来上がったもぐら用の釣竿を、弟は大きく構えてそろそろと釣糸を穴の中に入れていった。穴の中は結構深いようで、するすると釣糸は落ちていく。
リールを二回ほど回した後、穴の底に餌が着いたようで、弟はその場に座り込んだ。
私は地面に釣糸を垂らしている弟の姿を観察した後に、草むしりの続きに戻った。
正直、もぐらが実際に釣れるとは思わなかった。この穴もいつ掘られたか分からないし、もぐらが餌に気づくことも考えにくい。
だが、もしももぐらが釣れたら、実際に触ってみたり、掌にのせたりしてみたい。
もぐらはよく写真とかで見るけれど、目の前に現れるチャンスは滅多にないから、どうしても気になって、草をむしりながらも、ちらちらと弟の方を見ていた。
「そういえば、もぐらにも漢字がついてるの?」
「あるよ」
弟の唐突な質問に、私はもぐらの漢字を思い出す。
「土に、竜巻の竜と書いて、土竜って読むよ」
「へー。全然竜っぽくないのにね」
弟の言葉に私は頷く。あの毛むくじゃらの小さな動物を見て竜を思い浮かべる人はあまりいないだろう。
そこで私は、ある仮説を弟に話す。
「多分、昔に人は地面が横に長く盛り上がっているのを見て、竜のように体の長い生き物がいるって考えたんじゃないかな?」
「そうなんだ」
「あ、今の私がテキトーに思い付いただけだからね、他の人には言わないでね」
「うん」
弟は無邪気に頷くが、どこまで本気にしているのか分からない。
明日には、両親に話してしまいそうで、心配である。
「姉ちゃんはもぐら好きなの?」
「好きだよ」
「顔がかわいいから?」
「顔も好きだけど、誤解されてるところが不憫で」
「誤解?」
「あのね、もぐらは畑に穴を掘っちゃうことはあっても、虫が主食だから、絶対に野菜を食べないの。ただ、もぐらの穴に入ったねずみが、そこから野菜を食べたりするから、それを見た人は、もぐらがやったんだと思っちゃうんだよね」
「そういえば、婆ちゃんが畑にもぐらが出たって、怒ってたことがあったんだっけ」
「そう。でも、もぐらの穴が遠因だから、対策はした方はいいけどね。ペットボトルで風車を作って立ててると、地面に振動が起きて、もぐらがよらなくなるから」
「あ、あれってもぐらよけだったんだ」
そんな実のない話をだらだら続けていると、もぐら穴の可能性を思い出した。
「ねえ、その穴、今はねずみがいるんじゃあ……」
「あれ?」
その時、釣竿が一瞬引いた。と思うと、大きくしなって、リールが勝手に回りだす。
「かかった! でかい!」
「ほんとに?」
慌てて立ち上がり、リールを力一杯回す弟とは反対に、私はまだ目の前の状況が理解できない。
それこそ、昔見たアニメにような光景だった。
弟は机に向かっているときにも見せたことのない真剣な顔で、体全体でリールを巻く。
弟の方が地面の中の大物に競り勝っているようだったが、まだあと一歩というところだ。
「姉ちゃんも引っ張って!」
「あ、うん」
今まで弟の奮闘を眺めているだけの私はそう叱咤され、やっと彼の方に歩み寄ろうとした。
直後、穴の回りに、何かがぶつかったかのようなヒビが、何本も走った。しかもそれらは、五十センチ以上ある。
しかし同時に、糸はぷつんと切れて、弟はしりもちをついた。
水面のようには乱れなかったが、地面からは何かが潜っていく轟音が静かに響いていた。
それが止んで、やっと私は弟の方に駆け寄って、手を出した。
「大丈夫?」
「姉ちゃん、来るのが遅いよ」
弟は恨みがましい声を出しながら、私の手を借りて立ち上がった。
それから二人して、地面の大きなひび割れを見つめていた。
「それにしても、大きなもぐらだったね」
「もぐらじゃないよ」
「え?」
驚いて弟を見ると、彼もこちらを見つめ返していた。
「あれは、
そう言った弟は、真剣な顔をしていながらも、目は好奇心に爛々と輝いていて、私は吹き出すのを堪えるのに必死だった。
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