6-3

 玉座の間に、激しい剣戟の音が響き渡る。

 気付けばエルフォンソは、背後から嬉々として抜きん出る父へと手を伸べていた。すぐ脇には、唸り声を上げて今にも飛び出さんとする迅雷が控えている。

「へっ、陛下! 危険です! だ、誰か、陛下をお止めして」

 衛士達を無言でかきわけ、天帝は玉座に突然現れた決闘場……衛士達が囲む空間の最前列を占めた。その顔には、興奮がありありと浮かんで上気している。

 アルビオレを喜ばせているのは、激しく火花を散らす二人のデュエル。天帝の右腕と詠われたルベリアを前に、プリミは一歩も退かなかった。ただ、その肩口を染める流血が、徐々にエプロンドレスを真っ赤に染めてゆく。

 ルベリアには余裕すら見て取れたが、その美貌は今、怨嗟に凍てついていた。

「そこで見ていなさい、エル。そこの男がわたくしから奪ったように……貴方の近衛女中を、今度はわたくしが奪ってあげましょう。永遠にっ!」

 慌てて父に駆け寄るエルフォンソの耳朶を打つ声。そこにはもう、聡明な第九皇女の面影は微塵も感じられなかった。ただ手負いのプリミを追い詰めながら、じわじわとその身を刻んでゆくルベリア。

 アルビオレはただ、抜き身の剣を床に突き立てると、その柄に手を置いて不動の姿勢。そのまま戦いの行く末を見守りながら、静かに言葉を紡いだ。

「恨みつらみもまた、乱世の常よ。ルベリア、貴様の相手は我ではないのか?」

 焦れたような声に、アルビオレの口髭が震える。その身から発する威圧感に、思わずエルフォンソは身が竦んだ。

 だが、プリミの突きをいなしつつ、応えるルベリアの声は張り詰めていた。

「当然ですっ! ですが、天帝アルビオレ! 貴方の前に……この娘を八つ裂きにし、わたくしの喪失感を愚弟にも刻んでやりましょう。そうでもしなければっ!」

 プリミとルベリアの剣が、激しく交錯して金切り声を歌う。素人のエルフォンソの目にも、プリミはよく善戦しているように見えた。だが、その旗色が悪いのもまた、すぐに察知できた。

「……サフィーヌのことか」

 父が零した呟きで、エルフォンソにはやっと合点がいった。

 その名を出された瞬間、姉の形相は一層険しくなった。

「わたくしのサフィーヌを……サフィーヌは、母上に代わってわたくしを支えてくれる、筈だった! それを、貴方という人は」

「ルベリア……我の右腕と称されて何年になる? まだ解らぬか? どうして力で奪われたものを、力で奪え返そうとしないのだ。我は力で全てを奪う! 欲する全てをだ!」

 アルビオレとの問答に感情を剥き出しにする、その昂ぶりがルベリアの剣にも宿ったかのようで。一際激しい応酬に、プリミが顔を歪ませた。

 彼女の手から剣が宙へと舞うのは、エルフォンソがたまらず飛び出したのと同時だった。

 吹き飛ぶプリミが床に突っ伏す、その足元へと滑り込む。トドメとばかりに剣を振りかぶる、ルベリアに向かって剣を抜き放つ。横に並ぶ迅雷が、憤怒の第九皇女へと飛び掛った。

 遠くで、プリミの剣が小さな音を立てて、床へと突き立った。

 同時に、短い悲鳴を吼えて、迅雷の巨体が衛士達の壁へともんどりうって倒れこむ。

「おどきなさい、エル。順序が逆になってしまいます」

 獣の血で濡れた剣を、ルベリアは一振りして血糊を払う。

「もっ、もうお止めください、姉上! よしんば僕を、父を討ったとて、何になりましょう!? 復讐と先程言われましたが、それを為した後でどうするつもりです」

 エルフォンソはがたがたと全身を震わせていた。歯の根が合わず、ガチガチと鳴る。

 まさしく復讐鬼と化して、それでも尚美しいルベリアが、途方もなくエルフォンソには恐ろしかった。背後で立ち上がろうとするプリミの矮躯を、庇ってやるだけで精一杯だ。姉へと向ける剣の切っ先が、己の内心を透かして浮かべたかのように、揺れに揺れて定まらない。

「玉座など、弟や妹にくれてやりましょう。わたくしは、サフィーヌと静かに……そうですね、どこか静かな場所を見つけて、そこで穏やかに暮らしましょう。何もかも捨てて」

 一瞬、ルベリアが視線を天井へと逃がした。悪鬼羅刹あっきらせつの如き形相がなりをひそめて、うっそりと目元をほころばせて想いを巡らせる。

 穏やかさを取り戻したその横顔には、狂気じみた陶酔が浮かんでいた。

 それもすぐに消え去り、再びルベリアはエルフォンソへと剣を向ける。

「さあエル、おどきなさい。貴方にも、半身を奪われる絶望を知らしめてあげましょう」

「いっ、嫌だっ!」

「剣など振るったこともなく、戦に出たこともない貴方が……大人しく死を待ちなさい!」

「嫌だと言いました、姉上っ! 母上は言われた、大事なものを守るため、戦えと!」

 エルフォンソの精一杯だった。既にもう、手の内は冷たい汗に濡れて、全身が強張っている。これ以上は、一歩たりとてこの場に踏みとどまれない。同時に、踏みとどまらねばならない……強くそう念じて、思惟に逆らう我が身を奮い立たせる。

 その時、ルベリアの気配がいびつに変わった。捩れ撓んで、一層歪んだ。

「そう……母上が」

「母上は死の間際に仰った。避けられぬ戦いがあると……姉上が今そうならば、僕だって」

「わたくしも、その言葉が欲しかった。母上が旅立つ、その場で!」

 あっけなくエルフォンソの剣は、ルベリアの一撃で叩き落された。手に痺れが走って、思わず苦痛にエルフォンソは顔をしかめる。

 ルベリアの渦巻く憎悪は、最高潮に達したようだった。

「母上が苦しみ、息絶えんとしている時……わたくしが何をしていたか解りますか? エル」

「あっ、姉上は」

「あの男の、天帝の背を守り剣を振るって、数多の敵を殺していたのです」

 ルベリアは剣を天帝に向けた。ぎらつく刃の先で、ただアルビオレは鼻を鳴らして笑う。

「あの男はサフィーヌを奪ったばかりか、母上の死までわたくしから……なのにエル! どうして貴方は、わたくしが奪われた両方を持っているのです! 力が全てのこの世界で、どうして力を振るわぬ貴方が!」

 ルベリアの負の感情が、決壊した。

 激昂と共にルベリアが剣を振り上げる。

 エルフォンソは身を大の字に開いて、プリミの前に立ちはだかった。背中で聞く悲鳴に、振り向く余裕もない。決して目を逸らさず、身を奮い立てて、プリミの盾になる。

 エルフォンソの命を絶つ剣は、振り下ろされなかった。

「どうした? ルベリア、エルフォンソを殺せぬのか?」

 二人の父だけがただ、先程から状況を平然と受け止め、泰然と成り行きを見守っている。その姿は、今にも自分への挑戦者を待ちわびているようだった。

「言われるまでもありません。僅か一瞬でことは為りましょう。次は貴方です、天帝アルビオレ……貴方を倒して、わたくしは自分を取り戻すのです」

「ほう? 自分と言ったか?」

 躊躇に止まった剣を、一度降ろしたルベリアは、胸に手を当て僅かに俯いた。

「わたくしは、天帝の右腕になどなりたくなかった。しかし、サフィーヌを失ったあの日から、わたくしは修羅に入るしかなかったのです。力こそが理と奉じる、貴方の世界を壊し潰すために! 母の死さえ得られぬ、この世を砕き散らすために!」

 きっ、ときつくアルビオレを睨む、ルベリアの眼差しが一瞬潤んだ気がした。

 それを確かめる間もなく、再び剣がエルフォンソへと向けられる。エルフォンソは恐怖に固まったまま、目の前の姉に気付けば一人の面影を重ねていた。それは遥か東方、火ノ本からやってきた獣人の姫君だ。

「姉上は……本当は、戦いたくないのではないですか? 本当は……」

「おだまりなさい! 貴方のように、それがわたくしに望めたと思いますか? 望めはしません……わたくしはひたすら牙を、爪をひそめて研いできたのです。あの男を殺し、全てを取り戻すために」

 身を切るような響きだった。ルベリアの独白には、血を吐くような痛みが感じられた。

「母上の今際の時ですら、わたくしは戦っていたのです。そうして、戦狂いの第九皇女になってしまった……天帝の右腕と言われるまで、登り詰めた! 全ては、今日この日のため……復讐のために」

「僕は……姉上に良く似た人を知ってます。それは――」

 伊那だ。やはりルベリアは伊那に似ている。確実に似ているのに、決定的に違う。

「その人は戦国乱世の国に生まれ、民のために戦い、故郷のために帝國とも戦いました」

 ルベリアが意外そうに、一瞬固まった。

 天帝はただ顎を手でさすっている。待ちわびている……その手の剣を振るう瞬間を。だがエルフォンソは、それを許さぬよう懸命に言葉を選ぶ。

 気付けば周囲の衛士達も静まり返っていた。

「わたくしがあの、蛮族の獣人と似ているというのですか」

「似ているところがあります……姉上もまた、優しさと哀しみを知っている。なのに、どうしてそれを隠そうとするのです。今の姉上を、母上は、サフィーヌ様はどうお思いですか!」

 沈黙が訪れた。既に周囲は水を打ったようで、空気は固有の振動数を忘れてしまった。

 その静寂を引き裂いたのは、天帝だった。

「エルフォンソ、もういい。お前は確かに我が子、マリアルデとの子ぞ。さて……ルベリアッ! 貴様も一度、力にその身を委ねたならば……最後まで意地を通せ! エルフォンソを斬らば斬れ! そうして、この我に正面から挑んで来いっ!」

 轟、と玉座の間を満たした空気が律動した。居並ぶ衛士の誰もが萎縮し、流血に伏して尚荒ぶる迅雷ですら、びくりと身を竦める。天帝と呼ばれ恐れられる大陸の覇王が、一歩、また一歩とルベリアに近付いてゆく。

 まるで父から吹き出る闘気が見えるかのような錯覚を、エルフォンソはその目に確かに映していた。

 同時に、ルベリアの顔が初めて恐怖に強張るのを見止める。

「……いいでしょう。エル、お別れです。母上と共に待ちなさい。すぐに貴方の近衛女中と、あの男とを同じ場所に送ってさしあげましょう」

 いよいよかと突きつけられた刃に、エルフォンソは身を声にして叫んだ。

「お断りしますっ! 姉上、僕は戦う……そして守る! プリミも、母上の思い出も……この帝國の平和も。そして姉上、あなた自身もっ!」

 迫る父から距離を取りつつ、ルベリアが剣を構えて踏み込んでくる。

「誰も泣かない世界のために、僕も姉上も、みんなが泣かない世界のために……僕は僕なりに、戦ってみせるっ! 僕のやりかたで。だから、先ずは僕が泣くのをやめるっ!」

 覚悟を決めたエルフォンソはしかし、余りの恐ろしさに固く目を瞑った。

 その時、視界を閉ざして尚閉ざせぬ、エルフォンソの耳を悲鳴と怒号、そして懐かしい声が打った。

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