5-5

 火ノ本のさぶらいは、一人が千の兵に勝ると言う。

 一騎当千という言葉は、大陸人が火ノ本の獣人達を、さぶらいを恐れた言葉だと伝えられていた。その意味を今、エルフォンソは肌身で感じ、見聞きしていた。改めてプリミを肩に背負いなおし、その荒い息遣いを鼓膜へ浸透させながら。

「大陸人は弱いのう! たかが女一人にこのザマかや? ほれほれっ、死にたくなくば道をあけぃ!」

 ディッケンの首をずずいと前に突き出し、堂々と大股に伊那が歩く。

 その気迫に圧されてか、はたまた主の死におののいてか、衛兵達はただただ下がる。それを油断なくねめつけながら、伊那は階段を降り、迅雷を伴い廊下を歩く。彼女は先程の言葉通り、本当に正門から出てゆこうとしていた。余りにも大胆不敵なその行軍。たかだか一人と一匹の大軍団に、エルフォンソは夢中で付き従った。

 だが、伊那の快進撃も大ホールまでだった。

 狭い廊下を脱した衛兵達は、開けた場所へと押し出されるや、開放感に我を取り戻したようだ。広いスペースに高い天井が、何より伊那とエルフォンソを、孤軍の小ささを悟らせる。たちまちエルフォンソ達は、規律を取り戻した衛兵達の包囲網に囚われた。

「そっ、そそ、そうだっ! 相手は二人と一匹だ! 圧殺しろ! 陣形を乱すな!」

 周囲を取り囲む、甲冑の隙間から執事の声が上がる。

 ただの客として招かれた貴族達は、大ホールを見下ろす廊下から身を乗り出すだけだった。先程からの騒動に驚きながらも、伊那が掲げる生首を見ては悲鳴を張り上げている。

「ふむ、扉が閉まっておるの。外の門はどうであろうな……この城、なかなか堅牢な作りじゃなあ」

 波打つ鋼鉄の鎧姿を前に、伊那は呑気とさえ言えるほどに落ち着いていた。落ち着いてはいたが、静かにその血潮を滾らせ、戦意も露に意気軒昂と口元を歪める。

「お伊那さん、やっぱり僕が……元は公爵が謀反人なんだ、それが解って貰えれば――」

「無駄じゃな。こやつらは帝國の、あの男の兵ではない。これの兵よ」

 これよこれ、と言いながら伊那は生首を揺さぶる。物言わぬ公爵は今も、その切断された首から、真っ赤な鮮血を滴らせていた。幾重にもエルフォンソ達を取り巻く衛兵達は、そのぞんざいな扱われ方に、いよいよ許せぬと剣を抜く。

 数の有利が実感できる、大ホールの広さが男達に蛮勇を与えていた。

 そう、後にエルフォンソは、彼等の忠節が蛮勇だったと思い知らされる。他ならぬもののふ姫、伊那の恐るべき力の撃発によって。

「さて、誰からじゃ? 束になってかかってまいれ……わしと迅雷が相手じゃあ」

 ちろりと乾いた唇を舐める、その舌は血よりも紅い。伊那は片手に首、片手に剣を持ったまま、鋭い視線を矢継ぎ早に放つ。深紅の眼差しに射抜かれた者は皆、踏み込みを躊躇し、その足並みを乱した。

 逆にエルフォンソは、伊那が一歩を踏み出すたびに、自分達を取り巻く軍勢が揺れるのを見る。伊那は平然と臆した気配を微塵も見せず、正面の巨大な扉へと歩んでいった。

「どれ、そこを退けぃ! ぬしらごと叩っ斬るぞよっ!」

 ぽん、と伊那がディッケンの首を宙へと放った。突然の動作で、衛兵達の視線が残らず吸い上げられてゆく。誰もが目で追う、その生首が重力へ捉まるより速く、伊那は両手で太刀を握るや振りかぶり、身を捻って気勢を叫んだ。

 既に扉は、伊那との間に何人かの衛兵を置いたまま、目の前に迫っていた。

 ただエルフォンソだけが、高い天井に舞う首よりも伊那の後姿を見詰めていた。朱をあしらった白い尾がピンと伸び、大上段に構えられた太刀が振り下ろされる。のみならず、二度三度と、横に縦にと縦横無尽に光の線が走る。伊那はゆるゆると首が落下するまで、無数の太刀筋を一息で振るった。

「剣気一閃っ! ……次に主君を追って、黄泉路の共をしたいのは誰じゃっ!」

 伊那は叫ぶや、落ちてくる首を空中でひったくった。そのまま凝立する衛兵の脇をすり抜け、巨大な扉を背にドン! と足を踏みしめ向き直る。

 直後、彼女と相克していた衛兵達は、胴から血しぶきを上げてくの字に倒れこんだ。轟音と共に分厚い樫の扉に筋が走り、鋭利な断面をさらして蝶番が吹き飛ぶ。僅か一瞬で伊那は、複数の衛兵を斬り伏せたばかりか、その背後の扉まで両断してしまった。開け放たれた向こう側に城門が、さらに向こうに寒々しい月が見えた。

「エル、こっちじゃ。ここからはわし一人に任せよ」

 我に返ったエルフォンソは、わたわたと駆け寄り伊那の緊張に満ちた声を聞く。

「一人に任せろって……お伊那さん、一緒に逃げましょう! 今なら」

「駄目じゃな。追っ手を防ぐ殿しんがりがおらねば。その華はわしが務めぞ? エル」

「そんな……僕にお伊那さんを置いて逃げろと言うんですかっ!?」

「そうは言うておらぬ。わしに任せて、今はプリミを――」

 刹那、銃声。

 エルフォンソの目の前で、純白の守護者がのけぞり天へと血潮を吹き上げる。

「お伊那さんっ!」

「ほれっ、相手は手負いぞ! 先の戦でもののふ姫と謳われた、火ノ本の女傑じゃ! うっ、討ち取って名をあげよ! 旦那様の無念をはらすのじゃ!」

 煙をあげる銃口を震わせるのは、件の執事だった。その顔面は恐懼きょうくにやつれ凍っている。銃声に誰もが、一時の動揺を振り払うように剣を構えなおす。しかし、その気配も、強さを増す敵意もエルフォンソの眼中になかった。彼の目の前で、ゆっくりと伊那が身をかたむけ、倒れてゆく。

 思わず伸べた手をしかし、エルフォンソは振り払われた。

「――っかはぁ! はぁ、ようやっと戦らしゅうなってきたの! やはり鉄砲は厄介じゃあ」

 辛うじて踏みとどまり、膝を突く寸前で身を起こした伊那。彼女は右肩を貫通した傷を一瞥すると、にやりと口元を緩ませた。その冷たい笑いが、勢いに乗らんとする衛兵達の気概を削ぐ。

「わしの首は高いぞ? 有象無象が数に頼んで、このお伊那を抜けると思うてかっ!」

 プリミの鼓動を背中で感じるエルフォンソは、胸倉をぐいと掴まれた。そのまま伊那の背後へと、半ば放り投げるように突き出される。振り向けば伊那の背中は、押し寄せる鋼の鎧姿を前に、一歩も退かぬ不動の構えだった。

 もはや半狂乱と化した衛兵達を前に、一度だけ伊那が肩越しに振り返る。

「ゆけい、エル! ……虚のない良い面ぞ。もとより虚のない奴じゃったが、今は尚良いのう」

「お伊那さんっ!」

「迅雷、ぬしもゆけぃ! エルとプリミの命、友に預けたっ!」

 怒号重なるうねりの中へと、出血をおして伊那が踏み込んだ。剣を構えた彼女を中心に、まるで竜巻が発生したかのように、次々と衛兵達が斬り伏せられてゆく。しかし伊那もまた、一太刀振るう度に血を振りまき、額に玉と汗を浮かべてことさら表情を険しくしていた。

 その姿をしばし呆然と見て、エルフォンソは意を決する。

 伊那はあくまで、ここで全てを塞き止め、立ち塞がるつもりだ。

 友の望みを無にはさせんとばかりに、迅雷が鼻先でせっついてくる。

「お伊那さん……いずれ! いずれ、またっ!」

「おうともよ! さあ次は誰じゃ……今宵まだまだ、わしの飯綱丸は血を吸うぞよっ!」

 威勢のいい声が朗々と響き、その声音が剣戟の音に消えてゆく。

 背中に未練を感じながらも、密着する鼓動が弱まるのを感じてエルフォンソは走った。追走する迅雷が先んじて、少数ながら正面の城門を守る衛兵を蹴散らす。まさしく伊那という鎖を解かれた猛獣のごとく、迅雷はひとたび牙を剥けば、夜気に血を巻き悲鳴を散らした。

「くそっ、やっぱり城門が閉まってる! ……けど、脇をっ!」

 エルフォンソが向かう先には、そびえ立つ城門と城壁。そして、城門の片隅に灯火が明るい、衛兵達の詰め所だった。そこだけは、有事以外は外に通じている筈。例えこの城が、半世紀ぶりの戦に、それもたった一人の軍勢に脅かされている今でも。

 現に今、そこからは外回りの衛兵達が幾人か、城内へと戻ってきているところだった。

「これが……そうか、今が……母上は、その時がくれば、戦えと」

 エルフォンソは、身の内から込み上げるものが、喉を焦がすのを感じた。せりあがってくる嘔吐感と戦い、それを捻じ伏せ、歯の根を固く閉じる。まだ彼には、この世の理が……戦の流儀が飲み込めてはいなかった。もとより背を向け、真っ向から否定してきた現実。それが今、目の前に……否、その渦中に我が身がある。

「そこの人達っ、下がって……逃げてっ!」

 空気を震わす、エルフォンソの悲痛な叫び。その伝播に先んじて、迅雷の野生が唸りをあげた。いまだ城内の惨劇を知らぬ衛兵達は、獰虎の餌食となって果てた。荒れ狂う獣が突入した詰め所は、そのほのかな明かりに舞い散る鮮血を浮かび上がらせた。

「あ、ああ……」

 思わず駆け寄る、エルフォンソの足並みが乱れる。鈍って止まり、彼は喧騒を背に俯いた。

 穏便にことを収めるべくこの地に赴き、出る時は仇と叫ばれ、血路を開かねばならない。どこでどう、なにを間違えたのだろうか? 自問自答する間も、背で感じる鼓動が細くなるような気がして、エルフォンソは嫌に軽いプリミの身を背負いなおした。

 ゆくも流血、戻るも流血……背後の戦騒が高まるばかりなのは、まだ伊那が生きて戦っているからだろう。それも自分の、自分達のためと思えば胸が軋る。エルフォンソは今、否定し続けていた現実に直面し、その当事者になってしまった。

 衛兵達の詰め所がそのまま死地に静まったところで、血まみれの迅雷が戻ってきた。

「駄目だっ! こんなの間違ってる、何かがおかしいっ!」

「……エル……逃げ、て……あたしを、置いて、逃げて」

 必死に現実を否定するエルフォンソの耳に、荒い呼吸を刻むプリミのうわごとが突き刺さる。同時に、友の意思を体現するように、迅雷がエルフォンソからプリミを引っぺがした。その小さな身体を乱暴にくわえ、首を巡らせ背へと仰臥ぎょうがさせる。さらには躊躇し立ち尽くすエルフォンソをも、その隣へと招いた。

「っく! 迅雷、君の主は、いや友は……それでも君はっ! ……いく、のか」

 悔しさと悲しさがないまぜになった心境を、エルフォンソは獣の背で噛み殺した。

 迅雷はその名の如く、詰め所を抜けて街道へ出るや、瞬く稲光の速さで王都へと駆けた。

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