4-2
伊那とプリミがより親睦を深め、それにエルフォンソが相槌を打ったり口を挟んだりしている内に。彼等は日没を待たずに、どうにかディッケン公爵の城へと到着した。石造りの巨大な門をくぐり、広大な敷地内に足を踏み入れれば、かつて堅牢な城砦だったブレインド城がそびえ立つ。
使用人達の手で、すみやかにエルフォンソ達はディッケン公爵にお目通りが適った。
多少は迅雷が騒ぎを起こしてくれたが、伊那の傍にあっては大人しかった。
「おお、エルフォンソ殿下! 立派になられましたな! さぞや陛下もお喜びでしょう」
入城してすぐの大ホールで、エルフォンソはにこやかな笑みに迎えられた。
ブレインド公ディッケン……今や公爵の地位を得た、帝國の重鎮でもある。エルフォンソも幼い頃から何度か、ディッケン公爵とは面識があった。温厚な老紳士を思わせる顔には、天帝アルビオレと共に戦をくぐり抜けてきた古傷が無数にある。灰のように真っ白な髭が、笑みにあわせて揺れていた。
公爵の視線は、頭を垂れるエルフォンソの次に、丁寧な礼でスカートをつまむプリミを撫で、伊那を見詰めて止まった。プリミが小声で囁くのも無視して、伊那は槍こそ使用人に預けたものの、じっと腕組み公爵を睨んでいる。両者の交える視線が、場の空気を重苦しく圧縮していった。
「これはこれは、噂のもののふ姫ですな? わたくしはこの地を預かる、ブレインド公ディッケンと申します。音に聞こえた通りお美しく、凛々しくていらっしゃる」
破顔一笑、無作法な伊那に対して公爵は顔を崩した。そのまま近付いてくるので、エルフォンソがほっとしていると……隣の伊那は、腰の太刀に手をかけた。半身に構える彼女に、片眉を僅かにあげながらも、無防備に公爵は歩を進める。
「はっはっは、流石は火ノ本のさぶらいですな。何故、ご自身がこの場におられるかを解ってらっしゃる」
公爵は気にした様子もなく、伊那の前で屈んだ。
好機とばかりに鯉口三寸、石の刃が刀身を覗かせる。
「よい度胸ぞ、見事! 死に際を得たか……案ずるな、あの男の首はぬしに代わって、このわしが必ず取ってくれよう。あれは、わしの獲物じゃあ」
「お伊那さんっ! 違うんですってば、これは――」
慌ててエルフォンソは彼女を止める。公爵は何も、首を差し出している訳ではない。公爵がこうして身を屈め、伊那を見上げているのは、
「お伊那さん、手を。サフィーヌ様に習いませんでしたか? 挨拶です、手を」
「な、何じゃ? 観念したのではないのかや?」
「あーもうっ、そんな訳ないじゃないですか! 手を差し出すんです!」
隣のプリミはもう、畏まったままこめかみを押さえている。
怪訝な表情を浮かべる伊那。それでもエルフォンソの説得が伝わり、鍔鳴りの音と共に危機は去った。何か言いたげな彼女の手を取り、エルフォンソはそれを公爵の眼前にそっと伸べる。
「公爵、ご無礼お許しを……彼女はまだ、その、宮中の、というか、大陸の作法が」
「お気になさいますな、殿下。火ノ本の姫君よ、よくぞ我が城へ参られました」
篭手をつけた伊那の手の甲に触れて、そっと公爵が唇を寄せる。
瞬間、耳と尻尾をピンと立て、伊那が後へ飛び退いた。
「なっ、ななな、何をする! 無礼であろうっ! や、やはり斬り捨てるっ!」
「お伊那さん、あ、いや、伊那姫。これはご婦人への挨拶ですよ」
「武装越しとはいえ、乙女の柔肌に……屈辱じゃあ」
「はぁ……文化が違えばこうも。兎に角、無礼は伊那姫、あなたの方ですよ。この場合は」
先程まで伊那を恐ろしげに見ていた家中の者達が、忍び笑いで背を向けている。
当然だ、これではいい笑いものである。エルフォンソには、伊那の激怒が理解不能だった。
「さて殿下。突然の来訪なれど、わたくしにはいささか心当たりも御座います。もののふ姫に剣を向けられる理由も。そして、それが虚しい誤解であるということも」
立ち上がった公爵は、真剣な表情でエルフォンソを見据えてきた。
流石に迫力があって、エルフォンソは少しだけ気圧される。
「まずは皆様には旅の疲れを癒し、くつろいでいただいた後に……とも思いますが。わたくしとて一城の主。非礼とは思いますが、何よりも本題を優先したく思います」
斬られる前に、と微笑む余裕さえ公爵は見せた。エルフォンソはプリミと一緒に背へ、唸る伊那と迅雷を庇いながら黙って頷くしかない。
「わたくしに叛意あり……そう陛下は思っておられるのですな? それは誤解というものです」
「そ、そうであればと僕も、あ、いや、私も思います。では――」
「失礼ながら閣下、ご無礼を承知で申し上げます。町の工房に、銃を作らせていたようですが」
しどろもどろなエルフォンソに代わって、平伏するプリミの声は冷静だった。
近衛女中は、仕える主の剣にして盾。何より時には代理人であり補佐官でもある。楽観論を祈ってここまできたエルフォンソより、彼女の追及は鋭かった。
だが、公爵に動揺はなかった。
「ああ、あれですな? もののふ姫の前でははばかられますが……火ノ本再侵攻の気配ありと思いましてな。わたくしも陛下より領地を頂戴した爵位持ちなれば、一軍を率いて参陣せねばなりますまい? その準備ということですよ」
確かに、先だっての伊那の処刑が滞りなく行われれば、火ノ本への再侵攻は明らかだろう。天帝アルビオレは、牙を剥いてきた敵には嬉々として挑む人間だ。そんな王の言葉通りに、生き残った伊那をあの時返しても……やはり戦は避けられないだろう。
公爵の言葉、理屈は通ってる。
殺気立つ一人と一匹を背中で抑えながら、エルフォンソもプリミも取りあえずは納得した。
「確かに、父は……陛下はそういう御方です。何も躊躇わないでしょう」
「むしろ自ら望んで。あの御方は本当に恐ろしい。恐ろしい御方ですよ」
まさしく覇王、自らを天帝と名乗るだけの漢。
ふと、視線を外した公爵が遠くを見詰める。それも僅か数瞬のことで、どこか怯えたような表情はすぐに影をひそめた。元通りの笑顔を向けられ、エルフォンソの緊張も少し和らぐ。
「しかし、あの御方による世界平定はなりました。あの銃も無用の物になりましょうな」
「そうであればと願います、公爵閣下。道中で私が見たのは、何も銃だけではないのです。平和な民の暮らしを、その豊かさを感じました。それがこれからも続けばと思います」
「同感です、殿下。恥ずかしながら、わたくしの国であった時よりも、陛下の領地になってからの方が、どの町も栄えておるのです。税制も兵役も、全て陛下の仰せのままに」
かつて一国の王だった公爵が、そう言って苦笑した。
やはり父の勘違い……天帝アルビオレとて人の子だ。火ノ本の人質が刺客とは見抜けなかったし、重鎮を謀叛人と間違える。思えば争覇にかまけて半世紀――エルフォンソはそう、自分の中で今回の事件を纏めかける。父は僅かに歳を取ったのだと。
「陛下も老いました。此度のこと、誤解が解けてなによりと思います。公爵閣下」
「同感です、殿下。歳老いました、わたくしも陛下も。しかし陛下は、老いて尚」
「ええ。と、そうだ……公爵閣下。姉上より、ルベリア皇女殿下より手紙を預かっております」
ピクリと一度だけ、公爵の笑顔が震えた。
懐から書簡を取り出すエルフォンソは、僅かな違和感を覚えたが、黙ってそれを公爵へと渡した。
「早速拝見」
「どうぞ」
声音が堅い。どうしたのだろう? ルベリアのことだからまさか、公爵を処断するような内容が綴られている筈がない。声は出さずに目線で読み上げる公爵を見詰め、ふと振り返る。
伊那はまだ、プリミになだめられながらも、腰の太刀を掴んで息巻いていた。
エルフォンソはそっと声をひそめる。
「お伊那さん、穏便に。もう終りますから。斬らなくて済むんですよ」
「あやつめ、このわしに……いや、それよりぬしは気付かぬのか?」
「何がです?」
「まあ、大陸人には、弧黍の血を持たぬ者には見えぬか。……もうよい、エル。これがぬしの流儀だというのじゃな」
不服そうに構えを解くと、伊那は不満も露に、背後の迅雷に寄りかかった。
「そう大それたものじゃないわよ。エルのあれは、単に腰が引けてるだけなんだから」
伊那から解放されたプリミが、腰に手をあて呟いた。
たしかにそうかもしれない。だが、エルフォンソにはエルフォンソで、確固たるものがあるのだ。……それなりに。世の全てが戦で、力で解決されるという、世界の仕組みが嫌いなのだ。そしてそれは、彼だけの価値観ではないと信じたい。そんな思いを込めて、公爵に向きなおる。
「拝見しました。流石はルベリア殿下です、解ってらっしゃる」
「では……」
「万事、そのように取り計らいましょう。……陛下に代わって、此度の件をお詫びする旨、確かに受け賜りました。それと、殿下にはこのまま我が居城に御逗留いただきますように」
意外な一言と共に、公爵は手紙をたたみ、それを懐へとしまう。
「城をあげてもてなしましょうぞ。どうか殿下、むさくるしい場所で恐縮ですが、しばしゆるりと。勿論、もののふ姫にも是非」
王宮に色々と雑務を残してはいるが、それが断る理由にはなりそうもない。公爵の面子もあると、背後のプリミが無言の視線で訴えてくる。
「では、お言葉に甘えて。甘えついでに、できれば彼女達に湯浴みなど……なにせその、お恥ずかしい話ですが、昨晩は宿に泊まり損ないまして」
僅かに身をずらして、エルフォンソ達の背後にそびえる迅雷へと公爵は視線を投じる。そうして何やら笑いを噛み殺すと、愉快そうに喉を鳴らした。
「勿論ですとも。すぐ用意させましょう。殿下ともののふ姫、および家中の者一名と一匹……いや、二名。どうかゆっくりとしていって頂きたく思います」
慇懃に頭を垂れる公爵を見て、エルフォンソはひとまず胸を撫で下ろした。
「迅雷は家来などではないぞ。わしの友じゃ」
「お伊那さん、またそんな。話がややこしくなりますから」
伊那はこの時まだ、迅雷に寄り添いじっと公爵を睨んでいた。
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