3-5

 焚き火を囲んで、女達はかいがいしく働いた。プリミは勿論だが、伊那でさえ。

「それでの、迅雷は狩りがヘタクソなのじゃ。人が育てたからかのう」

「お伊那さん、言ってくれればあたしが町で都合したのに」

「うんにゃ、久々に野を駆け、獲物を狩ったぞよ。やはり、大地はいいのう」

「じゃあ、やっぱり火ノ本じゃこういう暮らしが日常なのかしら」

 ばちばちと燃える焚き火に、伊那が薪をくべる。その彼女の荷物にあったらしい火ノ本の茶碗で、エルフォンソはプリミから熱い茶を受け取った。何だか普段と違う器で飲むと、茶の味まで変わったような気がする。

「わしらとて屋敷を立てて住まうがの。大陸人のような真似はせなんだ」

「確か火ノ本では木と紙、藁とかだけで家を建てるのよね……ちょっと信じられないけど」

 共に夕食を準備し食す内に、伊那とプリミは完全に打ち解けていた。伊那はどうも、プリミみたいな種類の、いわゆる武芸を嗜む人間には心を開くらしい。ならばあのサフィーヌと親しげなのも、どこかエルフォンソには頷ける話だ。

 今日のメインディッシュは、迅雷がつかまえた兎。それをプリミが捌いて、焼いて食べた。新しい発見だが、火ノ本の獣人も、肉には火を通して食べるらしい。てっきり生肉を、それこそ獣のように貪るのかとエルフォンソは勘違いしていた。

「ん? なんじゃエル、わしの顔になにかついてるかや?」

「い、いやあ……その、手際、いいよね。その、火を、さ」

 先程から伊那は、適度に焚き火の加減を調節している。その後では、迅雷が身を横たえていた。火ノ本というのは、火のない文明ではなかっただろうか?

「プリミも同じことを言う……大陸人は少し誤解しておる。わしらは、火を使うぞ」

「あら、そうなの?」

「うむ。と、言っても、日に一度だけ、夕餉に飯を炊く時だけじゃが」

「初耳……ねえエル、聞いた? これ、大発見じゃなくて?」

 まあ、そうだが。元より火ノ本に詳しいプリミからすれば、驚愕の新事実といったところか。エルフォンソは漠然と、遠く極東の島国へと思いを馳せた。そのイメージに輪郭を与えるように、伊那が言葉を続ける。

「わしらは集落ごとに一つ、火種を絶やさず燃やして暮らすのじゃ。での、そこより日に一度、夕刻に火を借りる。火種はどこも火ノ守が管理しておるから、この千年で消えたことはないの」

 つまり、伊那の話を続ければこうだ。火は彼女達獣人にとっては、神聖にして不可侵な信仰らしい。畏怖と畏敬の念を忘れず、日に一度だけ借りる。そして、火に関するさまざまな祭事なんかを取り仕切るのが、火ノ守と呼ばれる特別な獣人。つまり長だ。

「じゃあ、お伊那さんがいつも名乗ってる、火ノ守統代ってのは」

「うむ。火ノ守を統べる、つまり国を統べる者のことぞ。わしはのう、偉いんじゃあ」

 えへん、と身を僅かに反って、伊那が胸を張る。

 揺れる焚き火に照らされた、彼女の白い顔が誇らしげだった。

「その、火ノ本の話をもう少し聞いてもいいですか?」

「おう。なんでも聞くがよいぞ。……何せもう、半分帝國領のようなもんじゃしな」

 一転して、伊那の表情が不機嫌に翳った。すぐ顔に出る。解りやすい娘だ。

「千年もの間閉ざされてた火ノ本は、その、六氏族? に分かれて暮らしてたんですよね」

 エルフォンソは自信がなくて、プリミの横顔を盗み見た。口うるさい近衛女中が訂正を挟まないということは、間違いではないらしい。そこで彼は少ない知識を総動員した。

「その、どうだったんですか? 政情というか」

「うむ、少なくともわしが生まれてからの二百年は、争いが絶えなかったのう」

 楽しげに言われても、エルフォンソはちっとも嬉しくない。落胆。

 それより今、耳を疑う一言が、さらりと頭に忍び込んできた。

「二百年!? お、お伊那さん、じゃあ」

「二百から次は数えておらん。まあ、火ノ本は戦国乱世、国盗りの真っ最中じゃったあ」

「あらエル、知らなかったの? 獣人は長寿なのよ」

 立ち上がってエプロンドレスを脱ぎながら、プリミが意外そうに笑った。そういう大事なことは、もっと早く教えて欲しかった。なるほど、エルフォンソが子供扱いされる訳である。

「そうか……木と紙、土と石で暮らしてても、結局は戦になるのか」

「当然であろ? それがのう、突然あの男が、天帝が攻めてきおって。わしらも随分慌てたものぞ。急いで六氏族を一つに束ねてのう。そこからはもう、天下分け目の大戦じゃあ」

「……楽しそうですね、お伊那さん」

「おうてばよ! このお伊那、敵の本陣に迫ること幾度となく、その度にほれ、あの鉄砲がの」

 伊那も篭手や具足を外し始めた。夜もふけ各々が寝支度を始めると、エルフォンソもとりあえず上着を脱ぐ。夏でよかった。少なくとも凍えるような寒さはない。

 エルフォンソは先程の落胆を失望で彩られ、うなだれながら寝床をしつらえた。

「何じゃ? エルは何をがっかりしておるのじゃ? これからが面白い話での、わしは――」

「エルは好きじゃないのよね、そゆの。あたしが教えても、剣さえ覚えないんですもの」

 無言で上着をかぶって、エルフォンソは横になった。

「ふむ。まあよかろ。火ノ本にもそういう者はたくさんおった」

「そういう獣人達は、どうやって暮らしてたのかしら?」

「そうよな、商いをしたり、漁や狩り、農耕。生き方は様々じゃな。まあしかし、戦のたびに泣いておったわ」

 どこか悲しげな声音に、エルフォンソは意外に思った。

「そりゃそうだ……はあ、僕が知りたいのは戦に泣かなくてすむ方法なんですよね」

 ごろりと二人の逆へ寝返りをうてば、焚き火が背を温かく炙った。

「難儀じゃのう。そのための戦であろ? 望まずとも、戦は避けられぬのじゃあ」

「あの人みたいな……陛下みたいなこと言わないでくださいよ」

 背後できっと、伊那は不思議そうな顔をしている。まるで本当に別世界の生き物だ。彼女をはじめとする世のことわりから、エルフォンソははじき出されたような疎外感を感じた。

「それはそうと、エル。朝方は夏でも冷えるけど? よくて?」

「何が?」

 肘を突きたて、腕を枕に振り返る。プリミは伊那とならんで迅雷の腹にもたれて座っていた。

「サフィーヌ殿が毛布も、の。流石は元近衛女中? じゃ。どこかのだれかさんと違って、ほんによう気が回るのう」

「あたしは野宿するハメになるなんて、思ってもいなかったんです。さ、エル?」

 呼ばれてしかし、エルフォンソは身を起こす代わりに、おやすみの声を放った。

 焚き火の向こう側から、二人が一つの毛布に包まる気配が伝わった。

「小さい頃は一緒に寝てあげたんだから、別に恥ずかしがらなくてもいいのに」

「戦場では、身を寄せ寝るは日常茶飯事ぞ? しかしプリミは美味そうな匂いがするの」

「やだ、獣人って人も食べるのかしら。お伊那さん、そ、それだけは……」

「冗談じゃ。獣人とて人よ、同じ人は食わぬ」

 化かしはするがの、と伊那が笑った。

 それから二人は、夜遅くまであれこれ語らっていた。エルフォンソはそのせいもあって、嫌に寝付けなかった。純白の姫君は、真っ赤な血に塗れた戦がお好みだ。何だかエルフォンソは憮然として、その訳もわからず身を縮めた。

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