3-4

 エルフォンソ達は、とりわけ伊那は、職人達に温かく見送られながら製鉄所を後にした。その後も、街道に沿って町並みを見て回る。あっちへこっちへとはしゃぎまわる伊那とは対照的に、エルフォンソとプリミの口数は途絶えていた。それが再び、会話を取り戻したのは、

「駄目ね、エル。どこの宿も虎は困るって」

「……だろうねえ。やれやれ、参ったなあ」

 とっくり日も暮れ、長い夕暮れの時を迎えてからだった。

 夜通し歩いても、ディッケン公爵の城には少し遠い。伊那の寄り道三昧もあって、今夜はこの町で一泊と思ったが、ここで問題が生じた。

 迅雷だ。

 今でこそ大人しいが、王都のコロッセオでは有名だった猛獣である。自然とどの宿も、申し訳なさそうにやんわり断ってきた。それも当然の話で、無理強いもできない。

「ん? わし等か? 気にせずともよいぞ、エル。後宮暮らしで少し、土が恋しいでの」

 伊那はもう野宿する気でいる。エルフォンソ達を置いて、一人すたすたと町を抜けていった。その向こうにはまた、野を貫く街道が伸びている。遠くの峰々も、今は紫色に縁取られていた。

「お伊那さん一人を野宿させる訳には……しょうがない、プリミ」

「この季節ならさほど困りませんわ。雨も降りそうもないし」

 こういう時、近衛女中という人種は驚くほど逞しい。元が、いかなる状況でも皇族を守るために教育された屈強な銃士なのだから。彼女は手綱を引きながら、伊那を追って町を出た。

 エルフォンソは後ろ髪を引かれる思いで町を振り返る。白いシーツにランプの明かり。温かい料理のもてなし……ささやかでいいから、そういうものを期待してたし、それで当然と思っていた。

 だが、飯支度の煙を燻らす町並みを外から眺めるのは悪くない。

「平和な、いい町じゃないか」

「町自体はね。でもエル、少しだけきな臭いんじゃなくて?」

 そうだろうか? プリミの言わんとするところは解る。つまり――

「ブレインド公が大量の銃を都合するのはでも、そんなに不思議なことなのかい?」

「当たり前よ。いい、エル? 先だっての火ノ本鎮定で、帝國にはもう敵はいないの」

 プリミの講釈が始まった。いつもの調子で、姉貴面の小さな近衛女中は歩を進める。

「でも、あの人は戦争をしたがってる。ちょっと前まで、火ノ本再侵攻の話だって――」

「そうね。あの銃、軍用だった。銃剣用の留め金がついてたもの」

「へえ、そんなことまで解るの?」

「遠目に見ても、それくらいは。手に取ればもう少し、詳しく解るんだけど」

 物騒な話だ。正直、辟易する。

 エルフォンソはプリミが導くまま、街道沿いの大きな木の前で馬を下りた。既に伊那はもう、迅雷と今宵の寝床に陣取っている。あれだけ後宮で騒ぎをかもし出しておいて、それでも彼女には随分と窮屈だったらしい。

「エル、わしはちっくと肉を獲ってくるぞ? 水と大陸餅はほれ、わしの荷物に入っておろう。サフィーヌ殿は気が利くお人じゃからの。ゆくぞ、迅雷!」

 荷物を降ろして槍を大樹に立てかけると、伊那は迅雷を伴い行ってしまった。その姿は薄暮の夕闇へと消えてゆく。街道を外れればそこはもう、うっそうと生い茂る暗い森だ。

「大陸餅?」

「パンのことよ。伊那姫はあまり、お気に召さないみたいだけど」

 プリミも手際よく馬を木へ繋ぐと、再度町の方へと足を向けた。

「薪とか、あと飼葉を少し調達してくるわ。十五分くらいで戻るから」

「あ、ああ、うん。それじゃ、僕は……ええと」

「とりあえず、ここから動かないで頂戴。何かあったら困るわ。はいこれ」

 プリミは腰の細剣と短銃とを、エルフォンソに放ってきた。わたわたと受け取る。

「……はったりにもなりゃしない。僕、使えないよ? そりゃ、銃くらいなら」

「何かあったら銃で知らせて。いい? 陛下の言葉を忘れないで。ここはもう、ブレインド公爵領なんですからね?」

 ブレインド公に叛意あり……本当だろうか? 天帝アルビオレはしかし、恐ろしく鼻の利く人間だ。エルフォンソが生まれる前から、幾度となく謀殺暗殺をかいくぐり、その首謀者達をことごとく誅してきた漢だ。

 ようするに、普通の人間じゃない。

 火ノ本の獣人を寵姫に迎え、三度斬りかかられて尚、平然としているばかりか……首を取りに来た張本人に、謀叛人を何とかしろと言う。豪放にも程がある。きっと心臓は鋼でできてるに違いない。

「じゃ、行ってくる。エル、大人しくしてて頂戴ね?」

「はいはい」

 プリミはついとスカートを両手でつまむと、町の方へと駆けていった。その背を見送り、エルフォンソは大樹の根にどっかと腰を下ろす。手にはプリミの剣と銃。

「やれやれ、飯も寝床も女任せか。ま、いいけどね」

 ひとりごちて、ゆっくりと夜の帳が訪れるのを眺める。

 思惟は勝手に、とめどない思考を紡いだ。改めて実感した平和と、その影に潜む内なる敵……天帝が餓えて求める戦は、枯れることを知らぬ泉のようにそこかしこから湧いて出る。

「世界が一つになっても、戦の火種がなくならないなら……何が間違っているんだろう」

 剣も銃も放り出して、エルフォンソは大樹に寄りかかった。頭の後ろで組んだ手を枕に。

 既に日は暮れ、首をめぐらせれば、ほのかな町明かりが温かく見えた。

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