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 そのレンガ造りの建物は、何かの工房のようだった。馬を下りて中に入るなり、熱気が肌を炙る。上半身裸で働く男達の中に伊那の背中があった。興奮に尾が揺れ、赤い毛先が火の粉を散らしている。

 規模はさほどでもないが、立派な製鉄所だった。

「伊那姫、珍しいのかな?」

「珍しいに決まってるでしょ、エル。火ノ本には鉄器が、製鉄技術がないんですもの」

 伊那同様にプリミも、溶けるような暑さの中でさえ毅然としていた。エルフォンソはたまらず、襟元を緩めぱたぱたと手で風を送り込む。溶鉱炉と薪の出す熱、汗を光らせる男達のひといきれ……その中にあって、伊那の白い背中が涼しげで。同時に、夢中な熱意が散りばめられた赤に感じられた。

「わっぱ、これはたまげたのう。そうかや、ぬしらの剣やら鎧やら、こうして作るのじゃな」

 肩越しに振り返る伊那は鼻先へ玉の汗を光らせ、ご満悦の表情を浮かべている。

 まるで無邪気な幼子のようだ。

「その、わっぱというのは、そろそろやめませんか? 伊那姫」

 横に並んでエルフォンソも、溶岩のごとき鉄の流れを見下ろす。後は鋳型に流し込んで冷やせば、鉄は便利な道具になり、頑強な武具になる。大陸は今、鉄の時代の全盛を迎えていた。

「ふむ。ならば、わしのことはお伊那と呼びならわせ? それでよかろ、エルフォンソ殿」

「エルでいいです、お伊那さん。後、プリミのこともできれば」

「おお、あの下女はプリミと申すか。エルは果報者じゃのう。あれは相当腕が立つぞ?」

 エルフォンソはちらりと、後ろを振り返る。

 プリミは今、エルフォンソの後ろ、建物の入り口で職人達に事情を説明している。その立ち姿は、帝國の紋章に恥じぬたたずまいだった。エルフォンソの視線に気付くと、優雅に歩んでくる。

「何? エル」

「いや、何でも」

 エルフォンソ達は三人並んで、職人達の働きぶりを見渡す。誰もが忙しく駆け回りながら、薪を炉にくべ、流れ出る鉄を鋳型へと流し込んでゆく。ここで作られているのは鉄砲のようだ。その長い銃身は猟銃か何かだろう。

 伊那は目をキラキラと輝かせ、大きく尻尾を左右に振りながらその作業に魅入っている。

「これはこれは、ええと……とにかく、殿下! かようなむさくるしいところへ、よくおいでくださいました」

 声に振り向けば、小太りな男が手をもみ笑顔で立っていた。エルフォンソはなるべく簡素な服を、それこそ庶民の平服を着ているつもりだが。傍らにプリミがいれば身分は一目瞭然だ。もっとも、数多の皇子の誰かまでは解らないのを、咎める気にはならないが。

 身なりのいい男は恐らく、この製鉄所を運営する地主か何かだろう。

「お邪魔してます。なかなかどうして立派なものですね」

「もったいなきお言葉。これも天帝陛下と、領主様のお陰です」

 この当たりはもう、実質的にブレインド公の治める土地だ。帝國領になってからというもの、父の命で適正な税制と治安が保障されている。そして、実務を取り仕切っているのは領主のブレインド公ディッケン閣下という訳だ。

「見よエル、鉄砲がきたぞよ! ほぉーっ、これがなあ……ちょっと良いかや?」

 伊那は、完成品の鉄砲を運び出す男達の荷車に飛びついていった。獣人に驚きつつも、伊那にねだられるまま職人が困惑の表情をエル達へ向けてくる。

「すみませんね。いいですか?」

「いいですとも。おい! 一丁お見せしなさい」

 地主の声に待ってましたとばかりに、伊那は危なげな手つきで鉄砲を受け取った。その長い銃身を不器用に構えてみたり、銃口を覗いてみたり、鉄の臭いをかいで眉根を寄せる。まるで、おもちゃを与えられた子供のようだった。

「そうそう、これじゃあ。これでの、バカスカ撃ってくるんじゃ。堪らんかったのう」

 懐かしそうに一瞬、伊那は高い天井を見上げて目を瞑った。

 彼女の脳裏を過ぎる光景が、エルフォンソにはおぼろげにしか想像できない。押し寄せる鉄の軍団を前に、彼女達はどう戦ったのだろう? ルベリアの口ぶりでは、そうとう善戦奮闘したようだったが。想い描くだけの戦場は音も臭いもなく、ただエルフォンソには遠くの絵空ごとに思えた。

 ただ忌避の感情だけが、漠然と喚起される。戦は、おぞましい。

「のう、エル。プリミでもよいわ。これは、どうやって撃つのじゃ?」

 恐らく、戦場での見よう見まねだろう。伊那は構えて白い頬を銃身に寄せて見せるが、それはどこか収まりが悪く見える。

「はっはっは、さてはあのお方が有名な、もののふ姫ですか。誰か! 教えて差し上げなさい」

 地主の男が気を利かせてくれたので、職人達が伊那の周りに集まりだす。獣人への畏怖、先だっての事件の恐怖よりも、物珍しさ……とりわけ伊那の美しさが人を吸い寄せた。

「銃口から、そう、ここから弾を詰めるんでさあ。火薬はここから」

「んで、槊杖さくじょうで弾を押し込んでやって、後は引き金を引けば……ズドン!」

 できたての、まだ素材の香る銃を握り締めて、伊那は興奮に尾を波立てた。その無邪気な様子がまた、子供のように愛らしくて。厳つい職人達の中から笑い声があがった。

「凄いのう、凄いのう! これがあれば、今度は負ける気がせぬぞ」

「ハッハッハ! 流石は王都で噂のもののふ姫だ、まだ俺達と戦をやる気だぜ」

「豪気な娘っ子だなあ、おい。火ノ本ってのはしかし、鉄砲もないのかい」

 元気に「おうともよ!」と胸を張り、颯爽と礼を言って伊那は鉄砲を返した。そうしてこちらへ戻ってくる、その顔は僅かにゆるんでいる。まだ興奮気味で、瞳がいきいきと輝いていた。

「エル、あれは、鉄砲は都合がつかぬかや? わし、鉄砲が欲しいんじゃが」

「はあ。王宮に帰れば、一丁や二丁は」

「そんな数では駄目じゃ。火ノ本の兵が六氏族あわせて、まあ二万と四千。じゃから」

 腕組み真剣な表情に眉をひそめて、伊那は物騒なことを呟き始めた。

 そんな彼女をよそに、エルフォンソの隣でプリミが意外な一言を地主へ放った。

「あれは、どちらからの注文でお作りですか? 見たところ、随分数を揃えてるようですが」

 プリミははしゃぐ伊那とは真逆に、静かで柔らかく詰問の声を発した。

「へ、へえ、それは……」

「もしや、御領主様……ディッケン公爵閣下ではございませんか?」

 図星のようだった。愛想笑いを浮かべる製鉄所の主は、落ち着かない様子で額の汗を拭っている。熱気がもたらす汗ではないような気がして、エルフォンソの胸中はざわめいた。

 プリミの言わんとするところが、何となくエルフォンソにも理解くらいはできる。

 気付けばエルフォンソは、姉の書状を秘めた胸に手を置き、早まる鼓動をなだめていた。

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