第十二章 たった一人あなたのため

 アークライト城にやって来た時、ルイザはおとぎ話の世界に迷い込んだ気分だった。美しい城、綺麗なお姫様。そして、お姫様を護る素敵な騎士。

 カリム・ファーガソンは、金髪の、雄々しくてたくましい騎士だった。今日から、彼がルイザの上司になる。カリムとメリアが話している様子を見て、ルイザはそれだけで胸がいっぱいになった。まるで、物語の中の一ページのようだ。ルイザは、それを一番近くで観ていることができる。幸せな時間だった。

 ルイザの中に、小さな火がともりはじめたのは、いつの頃からだろうか。良く覚えていないが、確かなことは一つ。

 ルイザは、カリムのことを誇りに思っている。

 騎士として、上司として。

 そして、一人の男性として。

 カリムの横に立つ者として、恥じない自分でありたいと願っていた。

 そのためには、ルイザは優れた騎士でなければいけない。騎士として、騎士団の命令には絶対に従う。任務は必ず遂行する。

 そこに疑問をはさむ余地などない。全ては、カリムのため。

 ルイザが愛する、一人の男のため。




 カリムが執務室の扉を開けると、六つの目が向けられた。そう言えば、扉の前で最後の身だしなみチェックをするのを忘れていた。普段なら馬を飛ばして一昼夜かかる騎士団領から、半日でやってきたのだ。何処かが乱れたままなのかもしれない。見苦しいかもしれないが、今回だけは勘弁してもらいたい。カリムは今、それどころではないのだ。

 執務室にいた三人、メリア、パメラ、ウィルは、全員疲弊しきった顔をしていた。疲れ、だけではないだろう。カリムはぐっと歯を食いしばった。言わなければならないことは沢山ある。だが、物事には順番がある。

「カリム・ファーガソン、戻りました」

 靴を鳴らし、気を付けして敬礼する。メリアが、ほっとしたように表情を緩めた。

「うん、おかえり、カリム。早かったね」

 パメラがお茶を淹れ始めて、ウィルがカリムを前へといざなった。メリアは黙って着席するように勧めてきたが、カリムは座らなかった。まだだ。まだ、座って動けなくなるような醜態しゅうたいをさらすわけにはいかない。

「大まかな話は、早馬より伝え聞いております」

 メリアは「うん」とうなずいた。ウィルが、残念そうにうつむく。茶器の静かな音だけが、しばらく執務室の中を支配した。

「ルイザに関しては、最小限の人間にしか事情を話していない。今は、塔の一室に監禁してある。その、申し訳ないが、自殺を防ぐために拘束もさせてもらっている」

 監禁。拘束。メリアの言葉が、カリムの心に突き刺さってくる。ぞわぞわと背中が粟立つ。パメラから差し出されたお茶を受け取り、カリムは少しだけ口に含んだ。味も香りも判らない。かちゃかちゃと、カップが受け皿にぶつかる音だけがする。耳障りだ。ちっとも落ち着かない。

「何も話してくれないので、こちらとしても困っている。事を荒立てたくないし、尋問もおこなってはいない。カリムが相手であれば口を開いてくれるのではないかと思って」

 尋問。ルイザが尋問される。その事実に、カリムは戦慄した。何が起きているのか。目の前にあるのは、本当に現実なのか。視界がぐらつきそうになるのを、カリムは必死でこらえた。しっかりしろ、カリム。お前は騎士なのだ。栄光ある白銀騎士団の騎士なのだ。何度も自分に言い聞かせ、心を奮い立たせる。そうだ、ルイザを、レビン王子暗殺の容疑で、尋問する。

「レビン王子は?」

 自分の声が震えていることに、カリムは少なからずショックを受けた。冷静なつもりだった。何一つ動揺などみせていないはずだった。それなのに、メリアもウィルも、パメラすらも、誰もカリムと目を合わせようとはしなかった。今自分はどんな顔をしているのか。カリムはこの場に、騎士として立っていられているのだろうか。

「ご無事だ。色々と察して、今は黙っていてくれてるよ。ただ、何も報告しない、というわけにはいかないだろうね」

 報告。事情を調べて、何が起きたのかを伝えなければ。そのためには、ルイザに話を聞かないといけない。ルイザ、カリムの部下、従士。三年前にアークライト城にやってきて、カリムに付き従ってきた、見習い騎士。メリアの警護担当。

「では、ルイザと会ってきます」

 もうダメだ。ここにいると、おかしくなる。カリムはきびすを返すと、執務室を後にした。ルイザ。今はとにかく、ルイザに会わなければ。ルイザに話を聞かなければ。何が起きた。どうしたんだ。ルイザ。ルイザ。

 知らない間に、カリムは走り出していた。



 尖塔の階段を一段登る度に、カリムの心は沈んでいった。足音がむなしく響き渡る。絞首刑に向かう者の気持ちとは、こんなものだろうか。冷たく薄暗い、この幽閉のための空間にルイザがいるのかと思うと、それだけでつらくなってくる。

 重い扉の前に立つ門番と話をした。門番は、何も訊かずに扉を開けてくれた。天井の高い部屋。はるか上方の窓から、かすかに陽の光が差し込んでいる。かびの匂いと、不愉快な刺激臭の向こう。冷たい石の床の上に転がる人影を見て、カリムは身体中から力が抜け落ちた。

 両手を縛られて。口には布を噛まされて。こんな哀れな姿、今まで想像もしたことがない。凛々しくて、女性であることすら感じさせないほどに勇ましくて。カリムの横で、背筋を真っ直ぐに伸ばして立っていた彼女。

 ルイザのあまりの惨状に、カリムは頭の中が真っ白になった。

「二人で話をする。下がっていてくれ」

 かろうじてそれだけ言うと、カリムは部屋の奥に進んだ。背後で扉が閉まる音がする。この場には、カリムとルイザの二人だけ。カリムはルイザのかたわらに歩み寄ると。

「ルイザ、私だ。カリムだ」

 優しく語りかけて、口の布を外してやった。

 はぁはぁ、と荒い呼吸を繰り返して、ルイザはゆっくりと目を開けた。

 カリムが、ルイザのことを見下ろしている。それだけで、ルイザは涙がこみ上げてきた。小さく「カリム様」とつぶやいた声に、カリムはうなずいて応え、ルイザの身体を起こしてやった。

「さあ、ルイザ、ここには今、私しかいない。何でも、正直に話しておくれ」

 手の拘束を解こうとして、カリムは一瞬躊躇ちゅうちょした。自殺を防ぐための拘束。カリムの様子を見て、ルイザは小さく首を振った。勇気をもってルイザを解放できない自分が、カリムは情けなかった。

「申し訳ありません、カリム様。任務に失敗いたしました」

「・・・任務?」

 カリムは自分の耳を疑った。今、ルイザは何と言った? 任務? 一体何の? まさか、騎士団の?

 カリムの顔に、幾つもの疑念が表情となって浮かぶ。ルイザは、ぐったりとうつむいて、ぽつぽつと語り出した。

「カリム様、私は、騎士団長様より、極秘の任務を仰せつかっておりました」

「極秘・・・私があずかり知らない任務だというのか?」

 ルイザははっきりと首肯した。

「はい。カリム様が騎士団領に呼び出されたあの時、使者の者は私にのみ特別な命を与えていきました」

 なんだそれは。

 カリムの知らない間に、カリムの従者であるルイザに、指示が出されている。それも、騎士団長から直々の密命が。

 身体の震えを、カリムは抑えることができなかった。なんだそれは。そんな密命、カリムは聞きたくなかった。聞けば、もう逃げられなくなる。今までのカリムと、ルイザではいられなくなる。歯の根が合わない。従士の前で、情けない。カリムは、騎士だ。栄光ある白銀騎士団の騎士だ。

「私は」

 ルイザの言葉が、遠くから聞こえてくる。やめてくれ。カリムは、それ以上は聞きたくなかった。知りたくない。これ以上は、知ってはいけない。

 ルイザ、お願いだ。カリムは声が出ない。出せない。ルイザはカリムの意志に反して。

 全ての核心を、その口から吐き出した。


「私は、帝国の間者に扮し、リゼリア王国第三王子レビン殿下を、暗殺するように命じられたのです」



 帝国は、ここのところ急速にその勢力を弱めていた。原因は幾つかあるが、その内の最たるものが、一年前のあの戦い、ウィル・クラウドの義勇兵団を相手にした敗北だった。

 あの敗北は、帝国にとってはただの歴史的敗北では済まされなかった。被征服民たちによって構成された部隊の反乱。その波はあの一戦に留まらず、今や帝国内部では各地で反乱の火の手が上がり、帝国軍はその鎮圧に躍起やっきになっていた。

 騎士団の入手した情報によれば、もはや帝国はその版図の半分以上を維持することがかなわなかった。北方への侵略どころではない。むしろ、帝国としての体制が、根幹から揺らぎつつあるとのことだった。

「このままいけば、帝国の北方への侵略は、しばらくどころか、永遠になくなってしまう見込みだそうです」

 戦争がなくなる。それは、世間一般的には良いことなのかもしれない。しかし、騎士団にとっては事情が異なる。騎士という軍事力を提供することを生業なりわいとし、北方をまとめ上げることに尽力している騎士団において、帝国の軍事的脅威の消失は死活問題だった。

 現に、北方連合の話は、騎士団を中心とした軍事連合の話から、経済中心の連携の話にシフトしてきてしまっている。北方の新秩序の中で、このままでは騎士団はその存在感を完全に失くしてしまうだろう。

「そこで騎士団長様は、帝国の脅威が未だ北方を脅かし続けていることを、各国に知らしめたかったのです」

 弱体化しているように見えても、帝国は北方の国々への侵略をあきらめてはいない。そういった認識が芽生えれば、騎士団への依存度は再び高くなるだろう。

「騎士団長殿が、そのように判断されたのか」

 カリムは愕然がくぜんとした。騎士団の目的は、帝国の脅威から北方の国々を護ることではなかったのか。それが、いざ帝国の侵略がなくなろうとした時に、騎士団の存在を保つために帝国の健在を誇示しようとするなど。

 なんと愚かな。まさしく本末転倒ではないか。

 そして、そのくだらないはかりごとのために。

 ルイザに人を、王族を、一国の王子を暗殺させようとしたというのか。

「リゼリアは小国、その第三王子が死んだところで、国勢に影響は少ないだろうと。むしろ、打倒帝国の機運が高まるであろうとのことでした」

 ならば、殺しても構わないとでも言うのか。王子を殺して、帝国のせいだと声を上げて。そうやって勢いを得て、騎士団は一体何をしようとしているのか。

「馬鹿げている!」

 カリムは声を荒げた。騎士団が必要とされない平和な世界が来るのであれば、それで良いではないか。騎士団が騎士団であるためだけに、わざわざ火種をいてどうしようというのか。帝国が滅びる。めでたいことじゃないか。

 それを、自らの手を汚して、帝国の責任だと吹聴ふいちょうして。

 騎士道とは、そのようなものであったのか。

「そんなことのために、ルイザ、お前は暗殺に手を貸そうとしたのか」

 カリムはルイザに詰め寄った。胸ぐらをつかみ、真っ直ぐにその眼を見る。そんな命令に、何故唯々諾々と従ったのか。何一つ疑問に思うところはなかったのか。

「カリム様、私は」

 ルイザの目に涙が浮かんだ。その瞳には、カリムの顔だけが映っている。カリムは息を飲んだ。


「私は、カリム様のために、この任務を受けました」


 帝国の力が未だ健在となれば、その最前線であるアークライト王国では騎士団との強い繋がりが要求されるだろう。北方連合を、騎士団と共にアークライト王国が主体となって引っ張っていくには、何よりも目立つシンボルが必要になる。

 アークライト王国と、騎士団の繋がりを示す象徴。


 騎士団を代表する男カリムと、アークライト王国第二王女メリアの婚姻。


 間違いなくその結婚が望まれ、推奨されることになる。

「馬鹿な! お前は、そんなことのために」

「そんなこと、ではありません!」

 ルイザはカリムに向かってまくしたてた。

「私は、カリム様の想いを知っております。三年もおそばにいて、気が付かないはずもありません。私は、カリム様に幸せになってほしかった。メリア様と結ばれてほしかったんです」

 カリムの手から、力が抜けた。ルイザがうなだれて、嗚咽を漏らした。

 お姫様は、お城の騎士と結ばれて、幸せになる。

 おとぎ話のような、明るい結末。ルイザが求めていたのは、そんな子供じみた夢。

 そんなことのために、人を殺して。嘘をついて。

 そこまでして、カリムをメリアと結び付けて。

 それで。


「だが、それももう終わりだ」

 カリムはその場に崩れ落ちた。暗殺は失敗し、ルイザは囚われた。カリムがこの話を知ってしまった以上、計画はここまでだ。これから先、どうすれば良いのだろうか。騎士団の名声は地に落ちる。王族暗殺の密命を知るカリムとルイザを、騎士団が放っておくとも思えない。騎士団の後ろ盾を失い、命まで狙われて。果たして。

「いいえ、まだです」

 力強く断言すると、ルイザはカリムの顔をしっかりと見据えた。尋常ではない覚悟を決めたルイザの表情を、カリムはぼんやりと見つめた。


「カリム様、ここで私を帝国の間者として処刑してください。それで、策はまだ効果を持ちます」


 ルイザが何を言っているのか、カリムにはまるで判らなかった。

「この話を知っているのは、アークライト城の中ではまだ、私とカリム様の二人だけです」

 ルイザが、帝国の間者、密偵で。

「カリム様は、私が帝国の間者であることを今まで見抜けなかったが、ここで正体を知り、処刑する」

 カリムが、ルイザを処刑して。

「帝国の者が、警護の中まで紛れ込んでいる。そう思わせられれば、騎士団は北方の各国に対して強く干渉していけます」

 それで、どうなるって?

「カリム様、ピンチはチャンスです。今ならまだ間に合います」

 ルイザが、ぐいっと顔を上げた。白い咽喉元がカリムの目の前にさらけ出される。


「さあ、私を殺してください。騎士団のために、メリア様と結ばれるために」


 ふらり、とカリムは立ち上がった。ルイザが、そうしろと言っている。すらり、と剣を抜いた。銀色の光を、朦朧もうろうとした意識で見下ろす。この剣で、ルイザを処刑する。

 ルイザが死ねば、この秘密を知る者はカリムと、騎士団の一部の者だけ。カリムは騎士としての立場も失わず、メリアの横にいて、共に打倒帝国の旗手となる。

 世界は平和に向かいつつある。帝国との戦いなんて建前になる。穏やかな時の中で、カリムはメリアと結婚して。

 一緒に、アークライトの城で暮らす。

 ルイザの首元に、切っ先を向ける。少し力を込めて、押すだけで。

 ルイザの命は消える。このたくらみが外部に漏れることも、なくなる。

 カリムの脳裏に、いつかルイザと観た劇の内容が思い出された。

 悪が倒されて。正義の騎士が、お姫様と結ばれる。メリハリのない、騎士におもねった脚本家の書いた、つまらない劇。

 ルイザは目を閉じて、じっとしている。どうして。カリムを信じて、ぴくりとも動こうとしない。何で。


「ふざけるなっ!」


 カリムは剣を投げ捨てた。石の床に当たり、乾いた音が反響する。驚いて目を開けたルイザの身体を、カリムは力の限り強く抱き締めた。

「カリム様?」

「お前は、お前は何を言っているのだ」

 ルイザを殺して。

 メリアと結ばれて。

 カリムに、一体何が残るというのか。

 今この手の中にあるルイザを失ってまで。

 そこまでして、何が欲しいというのか。

「私のためだと言って、お前に暗殺までさせようとして、その上私にお前を殺せなど、できるわけがないだろう!」

 カリムのために、王族に刃を向けたルイザ。

 カリムのために、命を投げ出すと言い出したルイザ。

 ルイザにそこまでさせた責任は、カリムにある。この娘を、ここまで追い詰めて。苦しめて。

 カリムは今、何をしようとしたのか。

 なんと恐ろしい。なんとおぞましい。

 剣を握っていた自分が、信じられなかった。立場を、騎士としての自分を護ろうとしていた自分が、たまらなくみにくかった。

「カリム様、お願いです。騎士団のために」

 ルイザがまだ、そんな言葉を繰り返している。ルイザの肩をつかむと、カリムはルイザの目を今度こそ真っ直ぐに見つめた。

「騎士団などどうでもよい!」

 ひっ、と咽喉の奥で声を出して。

 ルイザの身体から、何かが抜け落ちた。カリムは、自分の目の前にいるのが、まだ幼い少女なのだと知った。ただかたくなに、ひたすらに。自分の信じるもののために、周りも見ずに突き進んでいく。かつてのカリムと同じだ。カリムは、今度こそ間違えてはいけない。

「ルイザ」

 先ほどとは違い、カリムはルイザの身体を優しく抱いた。柔らかい。そうだ、ルイザは女性だった。赤毛が美しい。顔をうずめたくなる。手の中にある温もりが、とても心地良い。ああ、どうして気付けなかったのだろう。

 ルイザが、こんなにも愛しいということに。

「私はメリア様に先日申し上げた。自分の気持ちに正直であってほしいと。今、私は同じことをお前に言う。ルイザ、自分の気持ちに正直であれ。お前は今、どうしたい?」

「私、私は」

 カリムに抱かれて。

 ルイザの中で、色々なものが溶け出していた。レビン王子を殺そうとしていたこと。メリアの気持ちを無視して、カリムと結び付けようとしていたこと。カリムを騎士として立てるために、自らの命を捧げようとしていたこと。

 カリムがルイザのことを、優しく抱き締めてくれて。

 その全部が、形を失って崩れ去ってしまった。もう、何もかもが意味を持っていない。カリムが、ここにいてくれている。ルイザに生きてほしいと望んでくれている。ルイザは。ルイザが望むのは。

 ルイザは。


「私は、カリム様のおそばにいたいです」


「心得た」


 カリムは静かに、だがはっきりとそう応えた。

 その言葉を聞いて、ルイザは泣き崩れた。子供のように、大きな声を出して泣いた。




 レビンとウェイドは、応接の間に通された。中で待っていたのは、メリアとウィル。それから、侍女のパメラ。最小限の人間だけの密会だ。重苦しい空気の中で、メリアはカリムから聞いた話をレビンに説明した。パメラがお茶を淹れたが、誰も手を付けようとはしなかった。

 ルイザから話を聞き終えて、メリアに騎士団のはかりごとについて報告した後、カリムは自ら監禁されることを望んできた。ルイザはひとまず自殺の危険性はなくなったと判断されて、拘束を解かれ、カリムと共に監禁されている。二人とも、どのような沙汰であっても受ける覚悟であるとのことだった。メリアは見張りの者に「何も事情を聴かず、二人を丁重に扱うように」と指示を出していた。

「なるほど、事情は判りました」

 幸いにも、レビンは怪我一つ負っていない。ウィルがそばにいたことは僥倖ぎょうこうであった。

 暗殺というただならぬ事態であるのにも関わらず、レビンはここまで無暗に騒ぎ立てずに、静かに経緯を見守ってくれていた。そのお陰もあって、城内はそれほどおかしな雰囲気には包まれていない。「はて、レビン王子がいらしているはずなのに、妙に静かだな」程度で済んでいる。

「重ね重ねご無礼をお詫びいたします。アークライトの城の中であるまじき行為。平にご容赦を」

 メリアが深々と頭を下げ、ウィルがそれにならった。レビンは横に立つウェイドと顔を見合わせてから、メリアに頭を上げるようにうながした。

「メリア王女に落ち度はないでしょう。今回のことは騎士団のたくらみ。非があるとすればそちらでしょうが」

 ウェイドが顔をしかめた。

「すっとぼけるでしょうね。現状ではまだ騎士団の力は強い。下手に突っつくと違う蛇が出てくる」

 騎士団が指示を出したという証拠など、何処にも残されていない。問い質したところで、カリムとルイザが勝手にやったことだ、などと言い出すに決まっている。更に酷い予想としては、カリムとルイザを尋問のためにと騎士団領に連行し、そのまま人知れず始末してしまう可能性もある。

 何しろ北方の安定を身上とする集団が、小国のとはいえ王族の暗殺を企んだのだ。事情を知る二人を放っておくとは思えない。アークライト王国としても、安易に手を出せば火傷では済まないだろう。深刻、かつ微妙な事態だと言えた。

「あのう」

 おずおずと、メリアの後ろでパメラが手を挙げた。四人の視線を受けて、身体を小さく縮こまらせる。メリアのことを言えない猫かぶりだな、とウィルはその演技っぷりに感心した。

「カリム様とルイザ様のお二人を、許して差し上げることはできないのでしょうか?」

 王族への暗殺未遂は重罪だ。とはいえ、事情を知ってしまえば情も生まれる。メリアもウィルも、ルイザのことは不問としてやりたかったが。

「レビン王子が構わないのであれば、我々の間では二人の罪を問うことはしたくないのだが」

 実際に襲われたのはレビンだ。レビンが二人を許すべきではないと訴えるのであれば、それをさまたげることはできない。

「先ほども申し上げた通り、今回罪に問われるべきは騎士団だ。従士としてつらい任務を押し付けられたルイザ殿を裁くなど、私の望むところではない」

 レビンははっきりとそう宣言した。パメラがほっと胸を撫で下ろし、メリアとウィルは再び頭を下げた。

「恩赦、いたみいります」

 しかし、この場では許されたとしても、騎士団は黙っていないだろう。暗殺命令について問答すれば、二人を差し出せと言って証拠の隠滅を図るだろうし。かといって黙ったままで済ませた場合、騎士団のやり口を暗黙の内に認めたことにも繋がる。メリアとしては、カリムとルイザを助けた上で、尚且つ騎士団に牽制けんせいを仕掛けたかった。


厄介やっかいだなぁ、おい!」


 メリアはそう言って天を仰いで。

 慌てて口を両手で塞いだ。

 レビンとウェイドが、きょとんとした顔でメリアの方を見ている。

 大きな猫の下から、メリアの本性がコンニチワした。ついにやってしまったかと、ウィルとパメラは揃って顔を手で覆った。

「だから、普段から言葉遣いをとあれほど注意していたのです」

「すまん、これからは俺ももう少し気を付けるようにする」

 二人の顔色をきょろきょろと見比べて、メリアの我慢はとうとう限界に達した。

「うるさいな! 今のはちょっと気が抜けちゃったの!」

 レビンが小さく吹き出した後。

 愉快そうに、体を折り曲げて声をあげて笑った。そのさまは、まるで年相応の少年のようで。

 ウェイドが笑い、それに続いて、メリアたちもつられて大きな笑い声を上げた。




 夜遅くまでかかって、メリアは執務室で書簡を書き上げた。鈴を鳴らして係を呼び出すと「騎士団領へ」と言って持たせた。

「騎士団が躍起やっきになって口封じをしてこなければいいが」

 ウィルが心配そうにつぶやいたのを、メリアは耳ざとく聞きつけた。

「そんなことをしてきたら、そっちの方が怪しいだろう。こっちは事情を知っているってことを、きちんとほのめかしてあるから、心配しないで」

 ウィルに向かって、メリアは明るくウィンクしてみせた。

「こういう腹芸は、さすがお姫様って感じだな」

「冗談じゃないよ、姫様なんてむいてないって」

 うーん、と伸びをすると、メリアは椅子の上でぐったりと手足を伸ばした。

「ホント、姫様なんてむいてない」

 メリアが騎士団領に宛てた書簡の内容は、大体以下の通りだった。


 アークライト王国第二王女メリア・アークライトより。

 第二王女付き警護担当として派遣されていた騎士二人が、国賓として来訪中のリゼリア王国第三王子レビン・リゼリアに対して不穏な行動をとり、尋問したところ、『計画の全て』を白状した。

 この件に関し、メリア・アークライトは騎士カリム・ファーガソンとその従士ルイザ・レインハートの二名を第二王女付き警護担当から罷免ひめんし、騎士団に対して上記二名の破門を要請する。

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