第十一章 はるかに届かない空

 目を覚まして、最初にやることは胸に布を巻くこと。もう慣れた。決まりきった所作しょさのように、膨らんだ胸をきつく押し潰す。巻き終わってから、今日はカリムがいないことに気が付いた。だからなんだというのだろう。ルイザは自分が少しおかしいと感じた。

 制服にそでを通し、鏡に向かって髪を結う。カリムがいなくても、いつも通りだ。何一つ変わらないように。落ち着け。髪を持つ指が震えている。深呼吸して、目を閉じる。

 大丈夫だ。

 支度を終えてから、ルイザは衣装棚の奥に手を入れた。冷たい、しっかりとした感触がある。昨日、カリムの騎士団領への帰還を命じた使いの者が置いていったものだ。ルイザはやり遂げなければならない。

 意を決して、ルイザは顔を上げた。さあ、仕事を始めよう。




 城の中庭には、花園が広がっている。城の庭師が丹精込めて面倒をみており、一年を通じて四季折々の花々が美しい色合いを魅せている。しかし普段はあまり訪れる人がいないため、ここはすっかり庭師の趣味の空間だった。

 その趣味が、ようやく陽の目を見ることになった。今日はこの花園で、メリアとレビンが語らいの時を持つという予定になっている。メリアいわく、「お手軽だけど、まあ話をして理解を深めるというのは基本だな」ということだった。

 天気も良く、ちょっとしたハイキング気分だ。二人の親睦を深めるため、警護の者も遠巻きに花園の外で歩哨に立つ。ウィルも、ルイザと並んで遠目でメリアの様子を見守った。

 そのメリアは、意識しているのかいないのか、たまにウィルの方に向かって手を振ってくる。これは見合いなんじゃないのかと、ウィルは頭が痛くなってきた。

「ウィル殿、ルイザ殿」

 見ているだけなのも飽きてきたところで、誰かが声をかけてきた。黒髪の偉丈夫が、手を振りながら近付いてくる。レビンの護衛役、ウェイドだった。

「ウェイド殿。お疲れ様です」

 ウィルが敬礼し、ルイザも続けて敬礼する。ウェイドは苦笑いしながら敬礼を返してきた。

「いやいや、お疲れ様」

 昨夜の晩餐会で、ウィルはウェイドと話をしてお互いの事情について理解を深めていた。ウェイドはレビンの護衛役兼教育係であり、もう十年以上の付き合いであるそうだ。東方の剣術を学んだ傭兵で、リゼリアに流れ着いたところを雇われ、そのまま居ついたのだという。

「ルイザ殿も、昨日は失礼した。レビン様が、メリア様に対して色々と不躾ぶしつけなことを申し上げてしまった」

 そう言って、ウェイドは頭を下げた。晩餐会の時もこんな調子であった。義理堅いというか、カリムに似て真面目すぎるきらいがある。戸惑うルイザに、ウィルは肩をすくめてみせた。

「レビン様は、色々と焦っておられるのだ」

 メリアと歓談しているレビンの姿を眺めて、ウェイドは目を細めた。

 リゼリアは小さな王国だ。王族は国の発展のため、様々な手を尽くしている。第一王子と第二王子は、王位を継ぐ前提で国内のまつりごとに従事している。二人は仲が良く、国民からも厚い信頼を得て、リゼリアの新しい力になると期待されていた。

 対して、第三王子であるレビンは、リゼリアにおいて存在感を示すことができないでいた。まだ幼いということもあるが、二人の兄の前では何をやってもかすんでしまう。ウェイドに師事しながら、多くのことを学び、研鑽けんさんを積んではいたが、兄たちとの差は広がるばかりだった。

「メリア様との結婚は、レビン様にとっては自分の価値を示す重要な機会だったのです」

 自分にできることを探す中で、レビンは隣国であり、古い歴史を持つ強国アークライトに、自分と二つしか年の違わない第二王女がいることに目を付けた。メリア王女と、自分との間に婚姻関係を築くことができれば、リゼリアに大きく貢献できるかもしれない。そう考えて、レビンはメリアに求婚の書簡を送った。

「ですが」

 ウェイドは、はぁ、と息を吐いた。

「リゼリアには、アークライトに差し出せるものなど何もない。メリア様にはメリア様のご都合もありましょう。一方的にリゼリアの主張を押し付けるようなことを申し上げてしまいました」

「なに、レビン様はリゼリアを思って行動されたのでしょう。立派な心がけです」

 メリアに真剣に訴えかけるレビンの姿を、ウィルは思い出した。レビンは、至らない自分がリゼリアのためにできることを必死に考えて、メリアのところまでやって来たのだ。レビンにも、護りたいものがある。そう思えば、ウィルにはレビンの気持ちが理解できる気がした。

「北方連合の話は、帝国が大人しいこともあって停滞していると聞きました。リゼリアもそこまで焦ることはないでしょう」

 騎士団主体の話が主力ではなくなりつつあり、北方連合はそのあり方から今一度見直しが検討されている。そのため、レビンが慌ててメリアとの婚姻関係を結ぶ必要はない。リゼリアが北方連合への参加に焦りを感じるのは、ややフライング気味と言える。

「メリア様と親しくされることで、リゼリアと友好が結べればそれで良いのではないでしょうか」

 メリアの方も、恐らくレビンのことを無下にはできないだろう。ウィルは、メリアの性格を良く知っている。困っているリゼリアに対して、救いの手を差し伸べることに関して、メリアは躊躇ちゅうちょしないだろう。


「・・・帝国の脅威は、消えてなくなるわけではない」

 ぼそり、とルイザが口を開いた。ウィルとウェイドの怪訝そうな視線を受けながら、ルイザは言葉を続けた。

「油断は命取りになる。帝国は消えたわけではない。騎士団は、常に帝国の侵略に備えていなければならない。北方の国々は騎士団の庇護ひご下に入るべきなんだ」

「おい、ルイザ殿」

 ウィルにたしなめられたが、ルイザは話を止めなかった。身を乗り出して、拳を握りしめて。

 ウィルやウェイドではなく、その背後にいる誰かに向かって、ルイザは強い調子で語りかけた

「北方の平和を護れるのは騎士団だけだ。帝国ある限り騎士団の存在は不可欠。騎士団抜きでの北方連合などあり得ない。騎士団がいなければ・・・」

「ルイザ殿!」

 ルイザはようやく我に返った。知らない間に、むきになってしまっていたらしい。

「・・・すまない。やはり緊張しているみたいだ」

 うつむいたルイザに向かって、ウィルは明るく笑ってみせた。

「気楽にいこうぜ。メリア様も、その方が気疲れしないだろう」

 ウェイドもうなずく。二人の顔を上目づかいに見て、ルイザは小さく笑ったが。

 その表情は、暗いままだった。



「なんか揉めてるなぁ」

 ルイザが、ウィルとウェイドに向かって何かを訴えている。警護役同士でコミュニケーションを取ってくれるのは良いが、仲良くしてくれないと後々面倒臭い。何があったのか、後でウィルに聞いてみなければならない。

「メリア王女は、護衛の者と仲がよろしいのですね」

 レビンに言われて、メリアは慌てて視線を戻した。少年のような笑顔は、あどけなさが残っていてちょっと可愛い。

「失礼、よそ見してしまって」

「いえ、良いんです。私も、普段はウェイドに頼ってばっかりで」

 レビンはメリアにベンチに座るように誘った。メリアが腰かけると、自分もその横に座る。優雅な仕草だったが、どこかぎこちない。メリアがそう思っていると、レビンはふぅ、と息を吐いて目を閉じた。

「・・・やはり、私には荷が重いのでしょうか」

「レビン王子?」

 メリアがレビンの様子をうかがうと、レビンは小さく震えていた。

「申し訳ありませんメリア王女。私は、小さな国の王子です。何も知らない、何もできない、飾り物の鳥なのです」

 レビンの口から、とめどなく言葉があふれてきた。ただ、それは応接の間の時とは違って。

 レビンの、心の底から吐露とろされる声だった。

「私は、リゼリアの第三王子として生まれました。そしてそれからずっと、王宮の中だけで育ってきました」

 王位を継ぐのは、第一王子か第二王子。レビンに、国政を手にする機会はない。小さな国で第三王子の利用価値など、政略結婚か、人質か。どちらにしても良い運命など何処にもない。

「それでも、私はリゼリアという国が好きなのです」

 自分の生まれた国。城から眺める街の景色。美しいと思う。大切だし、自分が護るべきものだと思う。

「リゼリアを護るために、私は、私にできること考えた。私でも、リゼリアのために何かができると、信じたかった」

 隣国、帝国との最前線を務める、歴史ある国アークライト王国。そこの第二王女メリアは、今十七歳。もし他の権力者を出し抜いてメリアと婚姻関係を結ぶことができれば、リゼリアは一躍その名を上げることができる。北方の中で、その発言力を一気に押し上げられる。そしてそれは、リゼリアの歴史に残るレビンの功績となるだろう。

「私は、打算でメリア王女に結婚を申し込みました」

 勝算などなくても、メリアに訴え出るくらいはできるだろう。リゼリアの現状を訴え続ければ、同情を買うことはできる。そうすれば、第二王女という似たような境遇にいるメリアは、リゼリアとアークライトの政治的観点から、少しはレビンとの結婚について検討してくれるかもしれない。

「ですが、それは無理な話でしたね」

 最初にメリアを見た時、レビンには判った。メリアは、自分とは違う。自らを政治の道具として扱い、自分の価値を売り込み、買ってもらうような人間ではない。

 メリアは、自分の運命を自分で決める人間だ。その存在に、レビンは圧倒された。自分がかごの中の鳥であることを、思い知らされた。

「メリア王女には、想い人がおられる」

 レビンの言葉に、メリアはどきっとした。その様子を見て、レビンは微笑んだ。子供のような、無邪気な笑顔だった。

「素敵なことです。何処かに売られるだけじゃない。メリア王女には、自分がある。私はそれがうらやましい。そして」

 レビンは、メリアの手を取った。そよと風が渡り、花びらが舞う。メリアの白金プラチナブロンドが、光の粒子を作り出す。レビンは、メリアに優しく語りかけた。

「私は、メリア王女にはそれを大切にしてもらいたい。メリア王女を、私自身のはげみとするために」


 目を閉じて、しばらく何事かを考えた後で。メリアは、レビンの手に自らの掌を重ねた。レビンが顔を上げると。

 そこには、メリアがいた。アークライト王国第二王女メリア・アークライトではない。

 一人の人間。自分の意志を持った存在。レビンにはまぶしすぎる、メリアという女性。

「レビン王子はご立派です。リゼリアのために動こうとされたこと、それは紛れもないレビン王子の意志。私は、レビン王子はもっと自分を誇っても良いと思います」

 レビンの強い意志、リゼリアを想う気持ちは、メリアにも伝わった。レビンは何としてもリゼリアを救い、その成果を国に持って帰りたかったのだ。結婚は、そのための手段の一つに過ぎない。レビンなりに考えて、悩んだ末での結論であったのだろう。レビンの言う通り、第二王女という境遇にあるメリアには、レビンの気持ちは痛いほどに理解できた。

「なにも婚姻だけが関係ということはないでしょう。私は今、レビン王子とは良い友人になれそうな気がしています」

「友人、ですか?」

 面食らったような顔をするレビンに向かって、メリアは「ええ」と応えてにっこりと笑いかけた。

市井しせいの者は、『まずはお友達から』と申すそうですよ? 私たちもそうしてみませんか?」

 メリアの手を取ったまま、レビンは嬉しそうにうなずいた。




 その夜、メリアは執務室で書類の山を前に頭を抱えていた。パメラに散々注意されたので、服だけは普段着になっているが、イヤリングやらの装飾品や手袋は身に着けたままだ。ズボラなお姫様、という感じでむしろ違和感が酷かった。

 パメラがあくびを噛み殺しながらお茶を淹れている。みんな、疲労はピークに達しているようだ。デスクの前に立っているウィルも、そろそろ休憩が欲しいと思い始めていた。

 メリアは、リゼリアとの間に友好国宣言を発することをレビンと約束した。今までも、別に仲が悪かったわけではないが、今後はより一層仲良くしていきましょう、というものだ。

「具体的には、関税の引き下げとか、国境間の行き来に必要な手続きの簡略化とか」

 指折り数えて、メリアはぐったりと椅子の背もたれに寄りかかった。

「後は、実務者同士の話になるんじゃないのか?」

「その実務者が私じゃないか。うううー」

 国と国との条約について、決裁を担当しているのはメリア王女だ。メリアの前に積まれているのは、今までリゼリア王国やその周辺諸国と結ばれた条約に関する資料だった。現時点でのリゼリアとの条約の内容を確認し、周辺諸国と比べてどの程度の優遇措置を取るべきか。このバランスを読み違えると、今度は他の国との間が面倒なことになる。慎重かつ繊細な判断が必要な仕事だった。

「結婚の話は、ひとまずご破算か」

「そうだね、いきなりそこから始めるってことはなくなったかな」

 ウィルが肩を落とすのを、メリアは見逃さなかった。

「安心した?」

 悪戯っぽく、にやにやと笑ってウィルを見上げる。元から、メリアには結婚する意志などまるでなかったのだろうが。それでも、メリアの口からはっきりとした宣言を聞いて、ウィルがほっとしたのは確かだった。

「まあ、正直な」

 素直にそう言って、メリアから視線を逸らす。ウィルはメリアの警護担当だ。職務中はなるべくそういうことは考えないようにしている。そうでなくても、メリアの姿はウィルにはまぶしすぎるくらいだ。

「でもきっと、この手の話はこれからもいっぱい出てくるよ。中にはお父様から是非受けなさいって言われるものもあるかも」

 今回、リゼリアの第三王子がメリアに求婚したという話は、もう北方諸国には知れ渡っている。中には「出し抜かれた」と悔しがっている権力者もいるだろう。破談に終わったという知らせを聞けば、ならば、と申し込んでくる者は必ず出てくるはずだ。

 メリアの意志など、そこには介在しない。政治的に価値があると見なされれば、アークライト王国の国益のために受けるべき、と判断される相手もいるかもしれない。そうなった時、どうすれば良いのか。ウィルは、まだその答えを出せてはいなかった。

「何をおっしゃっているのやら」

 二人の前に、パメラがお茶を出した。心底呆れたという表情で、ウィルの顔をじっと覗き込む。

「ウィル様、良くお考えください。メリア様がこの国の外に嫁いで、無事に済むと思いますか?」

「あー・・・」

 ウィルの目の前で、だらしなくぐったりとしているメリア。レビン王子と話している時のような大きな猫を、メリアは果たしてどのくらいの間かぶっているられるものだろうか。アークライト王国のためにとあれこれと決裁を回しているメリアが、嫁ぎ先の国政に手落ちがあれば、口を差し挟まずにいられるだろうか。

 そして何より、気が付けば城から脱走しているような王女様が、いつまでもお人形みたいに一つの場所にじっとしていられるものだろうか。

「メリア様の場合、嫁ぎ先では塔にでも幽閉しておかない限り、二日後にはこの執務室で決裁をしておいででしょう」

「いや、それはないよ。せいぜい城下で焼き串でもつまんでいるぐらいだ」

 パメラがぎらり、と目を光らせた。ウィルもその話は初めて聞いた。笑うべきか、呆れるべきか。しかし、メリアらしいと言えばメリアらしい。

「こんなメリア様が、まともな結婚なんて出来るはずがないんです」

 そう言うと、パメラはウィルの左手を持ち上げた。そこには、チェーンのブレスレットが巻かれている。宝石が埋め込まれた金と、色せた武骨な鉄。いびつな輝きを見て、パメラはふっと相好を崩した。

「きちんと繋いでおいていただかないと、他国にまで迷惑をおかけすることになります」

 メリアを、メリアとして受け止められる人間など、そうはいない。誰もがメリアを、アークライト王国第二王女として見る。ウィルとの出会いは、とても幸せなことだったのだろうと、パメラはそう考えていた。

 ウィル・クラウドなら、メリアのことをメリアとして見てくれる。パメラは、ウィルの手を放すとメリアの後ろに下がり。

「よくよく、お考えください」

 目を閉じて、深々と一礼した。


「そ、そういえばルイザはどうしたの?」

 パメラにそんなことを言われるのは、余程の不意打ちだったのだろう。耳まで赤くなったメリアが、ウィルに問いかけた。

「ああ、やっぱり気疲れしてると思うんだ。今日はもう休むって話だ」

 ウィルも動揺を隠すように、早口に回答した。

 実際、ルイザは相当疲れているみたいだった。警護の時も様子がおかしかったし、やはりカリムが不在だと色々と思うところがあるのだろう。後は、普通に激務のせい、という理由もありそうだ。

「そうか。私も今日はもう休まさせてもらおう。ウィル、今日の警護、ご苦労様」

 メリアは軽く伸びをすると、ふわぁ、とあくびをした。いつもならたしなめるパメラは何も言わず、片目を開けただけだった。ウィルは靴を鳴らして気を付けし、メリアに敬礼して執務室を後にした。




 疲れがたまっているとは感じたが、ウィルは部屋には戻らず、城内を巡回することにした。カリムはいつもそうしていた。カリムがいない間は、できる限りその代わりを果たしておきたかった。あの勤勉さにも、学ぶべきところはある。

 普段よりもかがり火の数は多いが、全ての闇を照らし出せているわけではない。暗がりはそこかしこにある。ふと気になって訓練場を覗いてみたが、そこには誰もいなかった。ルイザの姿もない。やはり、今日は眠ってしまたのだろうか。

「やあ、メリア王女の警護の者だね」

 突然声をかけられて、ウィルは背後を振り返った。背の低い人影が、ゆっくりと歩み寄ってくる。剣に触れた手を、ウィルはそっと放した。

「レビン王子、このようなところでどうなさいました?」

 かがり火の下に姿を現したのは、レビン王子だった。栗色の髪が夜風に揺れる。穏やかな表情で、レビンはウィルの前に立った。

「ウィル・クラウド殿、義勇兵団の英雄。その名前はリゼリアでも聞こえていますよ」

 数千の帝国軍を、たった数百の軍勢で打ち破った義勇兵団。その噂を耳にして、レビンは心が躍った。リゼリアのような小国でも、帝国に対抗できるかもしれない。その力を、レビンは是非とも手に入れたかった。

 聞けば、義勇兵団を勝利に導いた英雄ウィル・クラウドは、第二王女メリアが自らの警護役としてそばに置いているらしい。なるほど、抜け目がないことだ。他の国に取られる前に、しっかりと囲い込んでしまうとは。

 最初、レビンはそう思っていたのだが、どうやらそれは間違いのようだった。

「ウィル殿、一つ聞かせてください。メリア王女の想い人というのは、ウィル殿のことですね?」

 突然の問い掛けに、ウィルは言葉を失った。レビンの眼は、あくまで冷静だ。沈黙を肯定と受け取って、レビンは小さくうなずいた。

 見ていれば判る、とは良く言ったものだ。メリアは明らかに一人の警備兵に対する態度が異なっていた。その男と話す時、耳打ちする時、メリアの表情は他とは違う、自然で、優しいものになっていた。レビンと話している時には出さない、深い信頼と、愛情に満ちた表情。

 レビンはメリアのそんな態度に、胸の奥がずきん、と痛んだ。

「ウィル殿、お願いがあります」

 メリアを前にして、レビンは自分の無力さを思い知らされるのと同時に。

 恋をした。

 美しいだけではない。芯のある強い意志、真っ直ぐな瞳。自分の足でそこに立っているという、確かな存在感。レビンにない沢山のものを持って、まぶしく咲き誇る大輪の花。レビンは生まれて初めて、誰かを「欲しい」と思った。共にいて、与えてほしいと強く願った。

「私から頼むようなことではないのかもしれませんが」

 同じかごの鳥なら、その傷を舐めあって生きていくこともできるだろう。そう考えていた自分が、レビンには酷く愚かで哀れに思えた。メリアはそんな存在ではない。はるか上空を舞う、自由な猛禽もうきん類。レビンなどに手が届く女性ひとではなかった。


「どうか、メリア王女を頼みます」


 レビンの目から、一筋涙がこぼれ落ちた。

 初めて、恋をして。初めて、失った。

 まだ何者にもなれない自分。そんなレビンに、もっと自分を誇って良いと言ってくれたメリア。何処までも遠く、何処までも高い場所にいる彼女の隣には、もっとふさわしい誰かがいる。

 悔しくて、苦しくて、レビンは身体がばらばらになってしまいそうだった。

「ウィル殿でなければ困ります。そうでなければ、私はこの苦しさを許せなくなる。ウィル殿だからこそ、私は負けたのです」

 間違いない。メリアの中には、ウィルがいる。力強いメリアを支え、メリア足らしめているのは、ウィル・クラウドという男。義勇兵団の英雄。いや、ただのウィルという一人の男だ。

 だから、レビンには勝てない。勝つことができない。王子ではないただのレビンは、メリアという光に憧れるだけの、小さな子供に過ぎないのだから。

 この手には決して届かない、素敵なお姫様。メリア・アークライトには、心から愛する男性ひとがいるのだ。


 ウィルはレビンの前に進み出ると、おごそかにひざまずいた。

「心得ました。レビン王子のその想いとご決断、決して無駄には致しません」

 レビンは微笑んだ。ウィルは、レビンにとっても自由の可能性。メリアと結ばれる相手がいるのなら、それは何処の王族でも、権力者の手先であってもほしくはない。メリアが一人の女性として愛する人、ウィル・クラウドであってほしかった。

 第二王女であるメリアが、自分の想いに従って生きることができると。レビンは二人に証明してもらいたかった。



「しかし、レビン王子はどうしてこのような場所に? ウェイド殿はいかがなされた?」

 ウィルは訓練場の中を見渡した。ここは本来城の内部の者しか立ち入らない場所であり、警備強化の対象からは外されている。かがり火の数もいつも通りだし、見張りに立っている者もいない。これではまるで。

「一人で来るようにとの呼び出しを受けたのだ。誰にも邪魔されず話がしたいと。私はてっきりメリア王女かウィル殿かと」

 レビンが全てを言い終わらないうちに、暗がりから誰かが飛び出してきた。ウィルが素早く反応する。剣を抜き、鋭い一撃を弾き返した。ぎぃん、と耳障りな金属音が響き渡る。ウィルの腕が、びりびりと痺れた。

 重い一撃だ。襲撃者は、真っ黒なローブに身を包んでいる。顔も何も判らない。手先から覗く剣の柄を見て、ウィルは背筋がぞっとした。

「帝国の紋章・・・!」

 間違いない。戦場で、何度となく目にしたものだ。まさか、この厳戒態勢の城の中に、帝国兵が入り込んでいたのか。ルイザの言葉が脳裏をよぎる。ここのところ侵攻が収まっていたとはいえ、油断が過ぎてはいけなかったのか。

「レビン王子、逃げてください」

 ウィルの声で、レビンが走り出そうとした。それを見た襲撃者の動きも早かったが、ウィルはそこを読んでいた。目的がレビン王子であるなら、その挙動に勘付き、追いかけようとするはずだ。ウィルの剣が、襲撃者の剣と激しくぶつかり合った。

 逆手で、相手に見えない角度からの攻撃のはずだった。襲撃者は、まるでそれを知っていたかのように受け止め、ウィルへと反撃を繰り出してきた。直線的な、ウィルの隙をついた強烈な踏み込み。

 ウィルは気が付いた。気が付いてしまった。

 この攻撃は、あまりにも見慣れていて。あまりにも馴染み過ぎている。

 大きく剣を振り回して、襲撃者の構えを横に弾く。前がわずかに空いたところで。

「許せ!」

 ウィルは襲撃者の腹部、鳩尾みぞおち目がけて、猛烈な蹴りを繰り出した。訓練では一度も見せたことのない動きだ。訓練場では、相手が女性ということを意識してしまって、どうしても出すことができなかった攻撃。こんなものが役に立つとは、思ってもいなかった。

「・・・くっ」

 あまりの痛みに、襲撃者が声を漏らす。バランスが崩れたところを見逃がさず、ウィルは襲撃者の手から剣を弾き飛ばし、更に柄で胸を強打した。

 そしてその時の感触で、疑念は確信へと変化した。

「お前相手だと、下手な手加減はお互いに無傷では済まないんだ」

 床の上に転がった襲撃者にまたがると、ウィルはローブのフードを乱暴にはぎ取った。赤毛が、はらりとこぼれ落ちる。こんな予想は当たっていてほしくなかった。ウィルは奥歯をぎりっ、と噛みしめた。

「どうしてなんだ、ルイザ」

 ルイザは何も言わずに、ウィルを睥睨へいげいした。頬骨ほおぼねが上がり、口の隅が開いて白い歯が見える。

 ウィルは咄嗟とっさにルイザの顔を押さえつけ、口の中に指を突っ込んだ。

「レビン王子、手を貸してください!」

 ウィルの必死な様子に、レビンは急いで駆け寄った。

「どうした?」

「毒です。歯に毒を仕込んでいる! 押さえつけるのを手伝ってっ!」

 暴れまくるルイザの身体を、レビンがしがみ付いて床に組み敷く。噛みつかれ、血塗れになりながらも、ウィルはルイザの口の中から小さな毒袋を取り外して。遠くに向かって、放り投げた。

「ルイザ・・・どうして!」

 毒を取り上げられると、ルイザは急に大人しくなった。全身から力を抜いて、その場にぐったりと横になる。

 乱れた赤髪が、涙に濡れて縮れていた。

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