第八章 力ある者の責務

 アークライトのお城は美しい。シャロンの家も相当に古くて、とても価値があるとは聞いているけれど、アークライト城に比べれば全然小さい。大理石の床も、ふかふかの絨毯じゅうたんも、何もかもが素敵だ。だから、今日もお父様の仕事にかこつけて、アークライト城までやってきた。

 そしてこの素晴らしいアークライト城を、一番のお友達であるケイティに見せてあげたかった。「ケイティ、すごいでしょう?」得意になって自慢して、一緒にまだ見たことのないお部屋を探検しようと思っていた。

 シャロンがしょんぼりとしていると、横を歩く侍女のパメラが優しく肩に手を置いてきた。

「大丈夫ですよ、シャロン様」

 うん、と小さく返事をする。泣いたりはしない。シャロンも九歳になったのだから、もう簡単には涙を見せない。シャロンはロックウッド家の令嬢なのだ。ちょっとしたことでぴーぴーわめいて、お父様に迷惑をおかけするわけにはいかない。

 今回のことも、あまり騒ぎを大きくしたくないからこそ、こうやってパメラにお願いした。パメラはにっこりと笑って、心当たりを一通りシャロンと巡ってくれた。それでもケイティは見つからない。パメラは一瞬物凄く嫌そうな顔をして、「やむを得ないか」と低い声で呟いてから。

「メリア様にお願いしてみましょう」

 と、判りやすい作り笑顔で宣言した。シャロンはメリア王女のことはお姉さんのように慕っているし、メリアに頼れるのならそれは心強いことだと思った。パメラが何をそんなに懸念しているのかについては、とりあえず考えないことにした。

 前に来た時は、仕事が忙しいという理由でメリアには会えなかった。メリアの執務室にやってくるのは久し振りだ。確か、金髪で背の高い、格好いい騎士が警護担当をしていたと記憶している。あの騎士の人はまだいるだろうか。

「失礼します」

 パメラがノックして扉を開ける。室内に入ると、まずシャロンの目に飛び込んできたのは、デスクに山積みされた書類だった。

「メリア様、お仕事ははかどっておられますでしょうか?」

「これがはかどっているように見えるかい?」

 パメラに応えて書類の山がしゃべった。のではなくて、その向こうから不機嫌な声が聞こえてきた。

「今日中に全部に目を通すのはつらそうだな」

 デスクの横から、男の声がした。そちらに目を向けると、警護担当の制服を着た、黒い短髪の男が立っていた。金髪の騎士ではなくなってしまったのか。左手首に、金のチェーンのブレスレットを巻いている。おしゃれだな、と思って良く見ると、途中から鉄の鎖で継いである。そういうファッションなのだろうか。

 シャロンの存在に気が付いて、警護の男が姿勢を正した。

「メリア様、お客様です」

 書類の陰から、にゅうっとメリアの顔が覗いた。ちょっとやつれているが、間違いなくメリアだ。シャロンは優雅に一礼した。

「メリア様、ごきげんよう」

「やあ、シャロン、ごきげんよう」

 メリアの顔が、ぱぁっと明るくなった。対照的に、パメラの表情が暗くなる。警護の男も、やれやれと肩を落とした。

「不本意ながら、メリア様にご協力いただきたいのです」

 苦虫を噛み潰したようなパメラの言葉に、メリアは飛び上がって喜んだ。可愛いシャロンの頼みごとなら、少なくとも書類の山よりはやりがいもあるし面白そうだ。メリアの顔にはそう書いてあった。

「じゃあウィル、今日はそっち優先で」

 黒髪の警備兵はウィルというらしい。金髪の騎士よりも砕けた印象のウィルは、メリアの物言いに呆れながらも、何処か楽しそうだった。




 シャロンのお願いとは、城の中ではぐれた友達を探してほしい、というものだった。

 シャロンは父親であるロックウッド伯爵にくっついて、よくアークライト城の中にまでやってくる。今日は友達のケイティを初めて連れてきたのだが、目を離した隙に何処かにいなくなってしまった。怖がりで臆病な子なので、シャロンはケイティをなるべく早く見つけてあげたいとのことだった。

「ええっと、じゃあそのケイティって子の特徴は?」

 メリアに訊かれて、シャロンは口ごもった。首をかしげたメリアに向かって、パメラが代わりに応えた。

「猫ですわ、メリア様。ケイティは小さな黒猫です」

「ああ、なるほど」

 得心して、メリアは破顔した。

 ケイティは最近になってシャロンが飼いはじめた猫だった。屋敷ではいつも一緒にいて、一番の友達だ。シャロンはケイティにもアークライト城を見せてあげたくて、今日は我儘わがままを言って連れてきた。そこで、はぐれてしまったということだった。

「・・・猫探しか」

 ため息をいたウィルの方を、メリアがふふん、と鼻息を荒くして見やった。

「ウィル、シャロン嬢はロックウッド伯爵家のご令嬢だぞ? ロックウッド家の名前を、君は知らないわけではあるまい?」

 そう言われて、ウィルはようやく思い出した。ウィルが所属している義勇兵団は、アークライト王国の一部の貴族たちが資金を出し合って設立された軍隊だ。ロックウッドという名前を何処かで聞いたことがあると思ったら、そのスポンサー貴族の一人、義勇兵団にとっては頭の上がらない存在だった。

「で、なんでメリア様のところに?」

 手伝わざるを得ない、と覚悟を決めたところで、ウィルはパメラに尋ねた。パメラは眉をぴくぴくと動かした。

「私も、可能ならお仕事がお忙しいメリア様のお手をわずらわせることはしたくはなかったのですが」

 言葉にいちいちとげがある。最近メリアが何かと仕事から脱走するので、パメラの機嫌はあまり良くなかった。身代わりやらごまかしやらで、その辺りのしわ寄せが全てパメラの所にいくからだ。

 そのため、今回はなるべくパメラだけで対応しようとしていたのだが、どうにもケイティが見つからない。厨房や食堂などから探してみたが、一向にらちが明かなかった。

「城内のことに関しましては、まことに遺憾ながらメリア様の方がお詳しいかと」

 サボったりなんだりと、そういう実務に関係しない方向での城の知識については、メリアの方が一枚上手だ。それを認めた上で、パメラは断腸の思いでメリアに頼んでみようと決断したのだ。

「その辺の知識だったら、私の右に出る者はいないからね」

 鼻高々でふんぞり返るメリアを、パメラは悔しそうに睨んでいる。メリアのサボり癖が役に立つこともあるのか。ウィルはシャロンの様子をうかがってみた。

 シャロンは目を輝かせてメリアを見つめている。また一つ、サボりの口実を与えてしまった。今日は一日しっかりとデスクワークをしてもらう予定が、急きょフィールドワークに変更だ。こうならないように、普段から決裁を進めておいてもらいたかったのだが。

 カリムが担当の時だったら面倒なところだったと、ウィルはほっと胸を撫で下ろした。



「猫なんか何処にいるのか判るのか?」

「まあね」

 自信たっぷりに、メリアは先頭に立って歩いた。城内を進み、外に出て、城の裏手に向かう。その後ろを、シャロン、ウィル、パメラと続いていく。奇妙な隊列だ。すれ違う衛兵たちは皆、漏らさず一様いちように怪訝な表情で一行を見送った。

「城の裏の方に、温室がある」

 厚いガラスで作られた温室は、城で使われる薬や香料の材料を調達するのに使われている。普段は担当の薬剤師しか出入りしておらず、ほとんど人が近付くことはない。

「あそこはね、城の猫の集会場なんだよ」

 温室ということもあって、陽当たりが良くて一年中ぽかぽかと暖かい。それに、猫が好む匂いのする香草が生えているということで、すっかり城中の猫の憩いの場になっているのだという。

 温室の入り口には、鍵も何もかかっていなかった。毒性の強いものは別な場所で管理されているらしい。担当の薬剤師が、見た目にも綺麗なものを中心に栽培して、なるべく城の者にも楽しんでもらいたいという配慮からなのだそうだが。

「こんなところがあったんだな」

「はー、すごいですね。あったかい」

 ウィルもパメラも、そんな話は今の今まで聞いたことすらもなかった。

 見たこともない色の花や、珍しい形の葉っぱの草が植えられている中に、結構な数の猫がいる。匂いのせいなのか何なのか、揃ってぐでーんと伸びてだらしない限りだ。こうなっていると、ここはまるで猫のためにある、猫専用の保養所だった。

「あ、いた!」

 シャロンが大きな声を出して指をさした。温室の先、何匹かの猫に混ざって、赤い首輪をした黒猫がいるのが判る。「やっぱりな」とメリアが胸を張った。パメラにとっては残念なことながら、その慧眼けいがんは認めざるを得ない。

「ケイティ!」

 ケイティに向かってシャロンが駆けだした。それに驚いて、周りの猫たちが一斉に起き上がって、走り出した。温室の内側全体が、ざわざわっとうごめいたみたいで、パメラが「うひゃあ」と声を出した。一同が気が付かなかっただけで、周囲には数えきれないくらい大量の猫が潜んでいた。

 その雰囲気に驚いたのか、ケイティもビクッと身体を震わせて、温室の外に飛び出してしまった。

「ああっ、ケイティ!」

「追いかけるぞ、ここで見失うと面倒だ」

 メリアが素早くケイティの後を追った。シャロンも、たたた、と駆けていく。ウィルとパメラも足を踏み出そうとしたが、そこかしこが猫まみれで、二人はその場でわたわたとするだけだった。

「ちょ、これ、どうなってるんです?」

「よく走れるな、こんな状態で」

 ひいこらと言いながら温室を出ると、メリアとシャロンはもうはるか先だった。

「九歳児と同じ行動力か」

「感心してないで追いかけますよ。もうさっさと終わらせたいです」

 猫の毛にまみれてぼろぼろになったパメラの口調は、もううんざりという気持ちであふれかえっていた。



 パメラに合わせると、スピードは少々控え目となった。メリアに付き合っているから忘れがちだが、普通女性はこういう風には走れない。ぜいぜいと息を切らせたパメラを助けながら、ウィルは一人で立っているシャロンに近付いた。

「メリア様は?」

 シャロンは目の前にある大きな木を見上げていた。その目線の先を追いかけると、どうやらずいぶん高い枝のところに、ケイティがいる。赤い首輪が目立つので、黒猫とはいえ判りやすい。

 あそこにケイティがいるということは、もしかして。ウィルは嫌な予感がした。

「ぎゃああ、メリア様!」

 パメラが滅多にあげないタイプの悲鳴を上げた。ウィルの予想は当たった。木陰から覗く、白金プラチナブロンドの輝き。世界一美しいサル? あるいは美しすぎるサルか。どちらにしても、パメラが卒倒しそうになる気持ちはよく判った。

 メリアは木をよじ登っていた。優雅さの欠片もない。太い幹にしがみつき、枝をつかんで、樹液やら木の葉やら蜘蛛の巣がまとわりつくのもお構いなしだ。

「メリア様、ダメです、ダメ!」

 パメラが手をバタバタさせて叫んだが、メリアは涼しい顔で見下ろしてきた。

「大丈夫だよパメラ、このくらいの木、大したことないって」

 実際そうなのだろう。メリアは迷うことなく枝やらコブやらに手足をひょいひょい乗せていく。が、パメラは更に顔を青くさせて声を張り上げた。

「そうじゃなくて、メリア様、今スカート!」

 言われてから、ウィルもメリアも気が付いた。執務室からそのまま出てきたメリアは、普段着の紺のスカート姿だった。大きく足を開いて木の幹にしがみついて。立っていれば上品に膝下まであるスカートが、今は完全にまくれあがっている。それを、ウィルは真下から見上げるような位置にいるわけで。

「う、うわぁあ!」

 咄嗟とっさに足を閉じて、スカートのすそを下ろそうとして。メリアは見事に落下した。姫も木から落ちる。アークライトでは新しい格言になるだろう。慌ててメリアの下に飛び込んで、ウィルは身体全体で衝撃を受け止めた。重い、とは失礼になるから言わないが、落ちるくらいなら登らないでほしい、とは思った。せめて登る前に、恥じらいの確認ぐらいはしてほしい。

「あ、ケイティ!」

 そんなことをしている間に、ケイティは木から飛び降りて逃げ出していた。シャロンがその後についていく。しばらくもがいて、ようやくメリアは立ち上がると。

「・・・ウィル、えっち」

 真っ赤な顔でぼそっとそう言って、シャロンを追いかけはじめた。

 座り込んでぽかん、としているウィルの背後に、怒り心頭のパメラが立った。

「ウィル様、何かご覧になりまして?」

「み、見てない。見てないって」

 不可抗力だ、とは流石に言えなかった。ただ、メリアの健康的で白い足は、とても綺麗だった。




 城の裏手、雑木林の辺りでわいわいと騒いでいる一団を発見して、ルイザははぁ、とため息をいた。なんでこんなことになっているのか。今日は一日大人しくデスクワークをしていると聞いていたのに、この騒ぎはなんなのだろう。

 警護交代の時間になってルイザが執務室に行くと、そこには誰もいなかった。残された仕事の山を見て呆れ、デスクに置かれた「猫を探してきます」のメモを見て呆れ。

 そして今、すっかり薄汚れたメリアの姿を見て三度呆れた。救いようがない。今日はまともに仕事をするのはあきらめた方が良さそうだ。ばし、と自分の頬を両手で叩くと、ルイザは気合を入れ直した。

「何をやってるんですか」

「ああ、ルイザ良いところに」

 メリアがかいつまんで事情を説明する。その間に、ルイザはシャロン嬢に丁寧に挨拶した。カリムから話を聞いたことがある。ロックウッド家のご令嬢だ。騎士たるもの、いついかなる時でも、礼を失するわけにはいかない。

「騎士なの? 金髪の人は?」

 シャロンが不思議そうに尋ねてきて、ルイザは微笑んだ。

「カリムのことでしょうか。私はカリム様の従士です」

 おお、とシャロンが口を開けて驚く。可愛い子だな、と思ったところで。

「さあさあ、ルイザ、手伝ってちょうだい」

 ルイザはメリアにぐいぐいと腕を引っ張られた。礼節も何もあったものじゃない。


 ケイティは深い茂みの中に入ってしまった。それをウィル、メリア、パメラで周りから追い込むので、飛び出してきたところをルイザが捕まえる、という手はずになった。

「ルイザが一番反射神経が良いと思うんだよね」

 はぁ、と気のない返事をして、ルイザは茂みの前に立った。シャロンが不安そうな顔を向けてくる。いやいやこれも大事な仕事だ。気を取り直して、ルイザは神経を集中させた。

「行くわよ!」

 三方向から、わざと音を立ててがさがさと茂みを揺らす。出口はルイザがいる方向のみだ。ルイザの目は、何物をも見逃さない。暗がりの中から、何かが近付いてくる。

「捕った!」

 ルイザは黒くて小さな身体を両手でつかんだ。間違いない、猫だ。確かな手ごたえを感じたところで。


 がり。


「いっ、たぁーい!」

 力いっぱい引っかかれて、ルイザは思わず手を離してしまった。油断していた。まさか反撃してくるとは想像もしていなかった。

 自分の失態で逃がすわけにはいかないと、ルイザは着地したケイティの方を向いた。ぶわっと全身の毛を逆立てたケイティは、ルイザのただならぬ殺気を感じたのか。

 再び、一目散に逃げ出した。

「逃がすか!」

 猫に負けない猛烈な速度で、ルイザは追跡を開始した。小動物ごときが、白銀騎士団をなめるんじゃない。本気のルイザが、ぐいぐいと距離を縮めていく。

 その先に、ルイザは見知った人影があるのに気が付いた。金色の髪、真っ直ぐに伸びた背筋。機械仕掛けのように正確で、しっかりとした足取り。

「カリム様、その猫を捕まえてください!」

 ルイザの声を聴いて、カリムはその場に立ち止った。走ってくる猫と、ルイザの姿を見て。ゆっくりとした所作しょさで、膝を折ってしゃがみ込む。

 ケイティがカリムのすぐ目の前に迫る。そんな姿勢ではかわされる、とルイザが思ったところで。


「よしよし、良い子だ」


 カリムはあっさりとケイティを抱き上げた。ケイティは特に抵抗する素振りも見せず、カリムの腕の中で丸くなっている。

 拍子抜けして、ルイザはつまづいて転びそうになった。

「な、なんで?」

 驚きのあまり、声まで漏れてしまった。

 遅れて、シャロンがやって来た。シャロンの姿を認めると、カリムは優しく微笑んで一礼した。

「これはシャロン様。お久し振りです。本日はいかがなさいましたか?」

 きらきらと光る金髪を見上げて、シャロンが今日で一番に目を輝かせて。

 ケイティが、にゃおん、と一声鳴いた。




 金髪の騎士、カリム。やっぱり一番頼りになるのは、あの騎士だった。パメラも、ウィルも、ルイザも、メリアも。頑張ってくれたのは確かだけど、最後にケイティのことを捕まえてくれたのはカリムだ。何も特別なことはしていないのに。

 ひょっとしたら、ケイティには判ったのかもしれない。カリムは他の人とは違うって。

 カリムに会えたのは嬉しかった。もう一度会いたいって思ってたから。だって、物語の中に出てくる騎士様みたいで、とても格好いい。シャロンにも、すごく優しくて丁寧に接してくれる。

 騎士団の騎士はやっぱり素敵だ。お父様は義勇兵団なんてよく判らない軍隊を作っているみたいだけど、騎士団と比べたら全然ダメだと思う。

 今日メリアの護衛をしていた、ウィルとか言う黒髪。あの男も義勇兵団だということだ。そういえば、お父様がその名前を口にしていたような気がしていた。

 まあ、悪くはない。でもカリムとは違う。シャロンは、カリムの方が良いと感じた。カリムには、ウィルにないものがある。それを言葉にするのは難しいが、とても大事なことだと思う。

 シャロンの膝の上で、ケイティが大きなあくびをした。ケイティは困った子だ。屋敷の中ではこんなに大暴れしたことなんてなかったのに。お城があまりに広くて、びっくりしてしまったのだろうか。カリムもそんなことを言っていた。

 でも、今はちゃんとシャロンの膝で大人しくしている。シャロンがじっとしていれば、ケイティもじっとしている。これも、カリムに教わった。やっぱり、カリムの方が良い。シャロンは、騎士のことが好きだな。




「猫の気持ちになって考えてみれば良いのです」

 メリアをデスクにつかせて決裁業務に戻らせ、パメラの淹れたお茶を飲んで一同が落ち着いたところで、カリムは静かに語った。

「慣れない城内で、自分よりも大きな人間に追い回されれば、猫もおびえてしまうでしょう」

 猫から見れば、人間は大きくて鈍い生き物、ということになる。動きはそれほど早くはないが、自分よりもはるかに巨大で、力も強い。それが追いかけてくるとなれば、捕まらないように逃げるのは当たり前のことだろう。

 ケイティは初めて訪れるアークライト城の広さに面食らった。広い城内を彷徨さまよって、同族たちが集まる温室に辿り着いた。そこで一息ついていたところを発見され、その際にシャロンは大声を上げてしまった。

「大きな音、というのは我々でも驚きます。優しく、語りかけるようにするべきです」

 周囲の猫が逃げ出して、ケイティはそれにつられて外に出た。その後は、メリアに散々追い回された。

「追えば逃げます。こちらが恐ろしいものではないと判ってもらうためには、追わずに落ち着いてもらうのが一番です」

 木にまで登って追いつめた後は、茂みから叩き出して、ルイザが力ずくで捕まえようとした。ルイザの手の怪我を見て、カリムは小さく微笑んだ。

「力任せは一番いけません。相手の恐怖を逆撫でするだけです。手痛い反撃を受けることもあります」

 ルイザはしゅん、と縮こまった。さっさとケイティを捕らえてしまいたいという気持ちから、良くない手段をとってしまった。引っかかれた傷は大したことはなかったが、いましめとしては十分だった。

「騎士は力を持つ強い者です。それだけに、弱き者たちへの対応を間違えてはいけません」

 カリムは、常に自分にそう言い聞かせていた。騎士であるからこそ、その力をおごってはいけない。弱き者、守られる者のために、騎士団は存在している。それができるからこそ、カリムは騎士である自分を誇っていた。

 ケイティを見て、カリムはおびえきっていることがすぐに解った。だから無理に捕まえたり追いかけたりしようとはせず、その場で身を小さくした。自分は恐ろしくないものであると伝え、味方であることを示そうとした。素早く激しく動かず、大きく派手な音を立てない。たったそれだけのことで、大体の犬猫はカリムに気を許してくれるという。

「いずれにしても、シャロン様に飼い猫をお返しできたのは良かった」

 カリムの言葉に一同はうなずいたが。

「良くないよ」

 メリアだけが、ぶすーっとむくれていた。

「なんだよ、自分だけシャロンの前で良い格好してさ。ケイティの居場所を見つけたのは私が先だったんだぞ」

 カリムが面食らい、パメラとウィルは顔を見合わせて。ルイザが呆れて肩を落とした。

「これは失礼いたしました。メリア様の手柄を横取りするつもりは毛頭ございませんでした」

 そう言って、カリムはその場で気を付けし、敬礼した。

「では心置きなく決裁処理にお戻りください」

 メリアは、カリムに向かって力いっぱい「いーっ」と歯を見せた。




 温室の扉をそうっとあけると、メリアは静かに中に足を踏み入れた。音を立てないように。驚かさないように。

 昨日と同じく、温室の中は猫でいっぱいだった。メリアの気配を察して、猫たちは、ぴくん、と耳を動かした後、何事もなかったかのようにくつろぎ始めた。よしよし、と奥に進もうとしたところで。

「あれ? メリア様?」

「ウィル、どうしたの?」

 ウィルが床に座り込んで、大きな猫を撫でているのを見つけた。

 意外な先客の姿に唖然として、メリアはくすっと笑ってから。

「なんだ、ウィルもここに来たんだ」

 ゆっくりと歩いて、ウィルの隣に腰を下ろした。


 カリムに言われたことが気になって、メリアは執務室を抜け出して温室にやってきていた。

「判りきってるはずのことを、改めてお説教されるとさ、なんだか無性に腹が立つじゃない?」

 力を持つ強い者は、常に弱い者のことを考え、それを護るように動かねばならない。

力ある者の責務ノブレス・オブリージュ

 メリアにもよく判っていることだ。王族として国民の頂点に立つからこそ、メリアには果たさなければならない義務がある。国民のことを考え、それを第一にして政治をおこなわなければならない。

 自分の近くに寄って来た猫の頭を撫でて、メリアは小さく息を吐いた。

「私はちゃんと、この子たちのことも見てあげないと、だ」

 小さな猫一匹のことかもしれないが、メリアはケイティのことを考えず、ただ悪戯に追いかけまわしてしまった。もっとケイティのことを理解してあげていれば、捕獲なんて簡単なことだったのかもしれない。

 些細なことであっても、見落として取りこぼしてしまってはいないか。メリアは人の上に立つ、力ある者なのだ。それをきちんと判っていないのではないか。猫たちに囲まれて、猫たちの気持ちを推し測ることで、メリアはもう一度初心に返れるような気がしていた。

「ウィルは、どうしたの?」

「あー、俺は・・・」

 ウィルは頭を掻いてごまかした。単純に猫が好きというのもあるし。次にケイティが逃げ出すようなことがあれば、今度はうまく捕まえたいという思いもあった。

 それに何よりも、カリムがああもあっさりとケイティに心を許され、シャロンに気に入られていたのが、悔しかった。

 メリアに比べたら、自分の持っている理由なんて実にくだらない。ウィルはただ、メリアに良いところを見せたいだけだ。それに対して、不思議そうな顔をしているメリアは、やはり立派な王女、お姫様だった。



 仕事を放って逃げ出したメリアを追って、カリムは温室の入り口まできていた。並んで座っている二人の様子をうかがうと、気取られないように静かにその場を離れた。

 また少し決裁の書類はたまってしまうかもしれないが、メリアならどんなに時間がかかってもちゃんと仕事は成し遂げるだろう。

 メリアには、力ある者の責務ノブレス・オブリージュの自覚があるのだから。

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