第五章 お芝居の中で

 まだ暗いうちに目を覚ますと、ルイザはすぐに身支度を始めた。上司であるカリムの朝はいつも早い。その従士であるルイザは、本来ならその更に前から活動していなければならない。今はカリムが認めてくれているからその言葉に甘えているが、いつでも従士としてあるべき姿でいられるように気を引き締めておく必要がある。

 第二王女付き警備兵の制服に身を包む。元々女性向けのデザインではないので、そのままでは少し胸の膨らみが目立つ。色々と邪魔であるし、布をきつく巻いて対応しているが、最近ではそれも苦しくなってきた。鏡の前に立って、とりあえず違和感だけはないことを確認する。

 次に、髪を結ぶ。ざっくりと切ってしまった方が楽なのだろうが、どうしても躊躇ちゅうちょしてしまう。編み込んでつなのようにして、顔の横に垂らす。手間はかかるが、これで良い。リボンでも着ければ女性らしくなるかと考えて、ルイザは慌ててその妄想を振り払った。

 ルイザは、メリアに比べれば美しくはない。比較対象が一国の王女というところで既におかしい気もするが、常に横にいる女性がメリアなのだから仕方がない。美しい白金プラチナブロンドの髪を持つ、ほっそりとした美人。並んで歩けば嫌でも見比べられる。王女より見目麗しい警備兵などいるはずもないが、あまりにも無骨すぎるのもどうなのか、と思ってしまう。

 パメラに比べれば、女性らしさも足りていない。王女付きの侍女であるパメラは、ふんわりと柔らかい物腰で、いつも笑顔を絶やさない。もっとも、その笑顔は大体貼りついた仮面で、裏では何を考えているのか判らないことがしばしばだ。ただ、所作しょさの優美さ、という点においては、パメラは優秀な侍女であった。

 周囲にいる女性たちの姿を思い描いて、それからルイザは再び鏡の中の自分を覗き込んだ。綺麗でもない赤毛をたばねて、化粧もしていない十八の娘。可愛いと言われたことは久しくないが、勇ましいとなら言われたことがある。城に入った当初は、メリアやパメラに影響されてあれこれと努力してみようとはしたが、無駄だと悟って今では何もしていない。

 それに、騎士として見るならば、ルイザには恥ずかしいところなどは一つもない。鍛えられた身体、異変を見逃さない眼、動きやすい服装に髪型。必要なものは全て持っている。ルイザはメリア王女の警備兵であり、カリムの従者だ。

 よし、と一声出して、ルイザは気を引き締めた。今の時間から食堂に行けば、カリムと一緒になる。そこで合流して、そのまま今日一日の予定を確認する。後はまあ、何事もないことを願うだけだ。この前のウィルとカリムのいざこざ、あんなことが起きるととにかく面倒だ。ウィルには剣の相手をしてもらっていることもあって、あの時のルイザはどちらの顔色もうかがう羽目になって大変だった。

 そういえば、今日はメリアから頼まれ事をしていたのだった。

 これも面倒の種にならなければ良いのだが。とりあえず朝食を摂ろうと、ルイザは部屋の外に出た。




 アークライト城の裏手には、そこそこの広さを持つ林が広がっており、美しい自然の風景を見せている。その中を進んでいった先には、天然の芝が生えた広場が存在していた。城の中からは見えにくいその場所は、城内の者が隠れて何かをするにはもってこいだと言える。

 実際、そこには運動用の軽装で木剣を持ったメリアと、ルイザの姿があった。

「えい、えい!」

「はい、良いですよ、もっと打ち込んで」

 メリアがルイザ目がけて木剣を幾度となく振り下ろす。ルイザはそれを、ひょいひょいと軽く弾いてさばいた。メリアの剣の扱いは、決して悪いものではない。鋭く、それなりにさまにはなっている。ただ、ルイザの技量はそのはるか上を行っていた。

「はあ、ふう」

 息が上がってきたところを見計らって、ルイザはメリアの手元に重い一撃を放った。

「あっ」

 手が痺れて木剣を落とした隙に、メリアの頭をコツン、とルイザの剣が叩いた。

「ぎゃん」

 奇妙な悲鳴を上げて、メリアはその場に座り込んだ。金髪をさすりながら恨みがましく見上げてくるメリアに向かって、ルイザは優しく笑いかけた。

「もうおしまいですか、メリア様?」

「うー、ちょっと休憩!」


 アークライトの城に来てしばらくして、ルイザはメリアに剣を教えてほしいと頼み込まれた。最初は恐れ多いと断っていたが、真剣に何度も頼まれたので、今では仕方なく週に一度程度相手をしている。

 メリアの剣の稽古けいこは、城の訓練場ではおこなわない。王女様が剣の鍛錬をしているなど、表沙汰になったらそれなりの騒ぎになるからだ。メリアにもそのくらいの分別はあった。脱走して、剣の修業をして、次は世直しでも始めるのかなどと言われるのは、いくらなんでも願い下げらしい。

 最初はカリムにも頼んでいたのだが、そちらは取りつく島もなかったということだ。

「メリア様に剣を打ち込むなど、なんと恐れ多い!」

 カリムはがんとして言うことを聞かず、木剣で打ち込めば叩かれるままになっていた。これでは別な噂が立ってしまうと、メリアもあきらめざるを得なかった。

 そんな事情もあり、同じ女性の警護としてルイザが着任した際、メリアは喜び勇んで剣の稽古けいこを依頼してきたのだ。

「ルイザなら、遠慮なく私に打ち込んでくれるでしょう?」

「その言われ方は、ちょっと誤解を招きそうなのですが」

 カリムがメリアに本気で剣を向けられないというのは、理解にかたくないことだった。いくら頼まれたとしても、メリアは騎士の誓いを立てた主人であるし、カリムの想い人だ。カリムがメリアに剣を打ち込んでくれとせがまれているところを妄想すると、ルイザはちょっと可笑おかしかった。

「今ならウィル殿がおられるでしょう」

 ルイザにそう言われると、メリアは顔を赤らめた。

「あー、ウィルに頼んだとするでしょう?想像してみてほしいのよ」

 人知れず、城内の人目につかない場所に通うメリアとウィル。しばらくして「今日は激しかったな」なんて会話をしながら、揃って息も上がり、汗だくになって戻ってくる。

「・・・マズイですね」

「マズイよ。私はパメラとお父様に大目玉、ウィルとカリムは今度こそ決闘だね」

 二人は声を上げて笑った。メリアと話している時、ルイザは従士であることをつい忘れてしまう。メリアがまるで友人のように気さくに話しかけてくるからだ。

「しかし、今のメリア様にはもうカリム様やウィル殿がいらっしゃる。無理に剣を学ぶ必要はないのでは?」

 メリアが剣を学ぶ理由。それは、子供の頃に賊にかどわかされそうになった経験によるものだという。その時に何もできなかったことを反省し、ある程度のことは自分でもやれるようになりたいと。メリアはルイザにそう訴えていた。

「まあね。私には私を護ってくれる人たちがいる。それは判っているよ」

「メリア様には騎士団がおります。遠慮なく頼ってください」

「ありがとう、ルイザ」


「賑やかだな」

 そんな声がして、林の中から誰かが姿を現した。城内で賊ということもないだろうが、ルイザが素早く剣を手に取る。

「ウィル、どうしてこんなところに?」

 出てきたのはウィルだった。メリアが驚いて目を見開く。ほっと緊張を解いて、ルイザは剣を離した。

「城の中で、人目につかずサボれそうな場所、ってのを見て回ってるんだ」

 そう口にしてから、ウィルははっとして二人の様子をうかがった。

「へー、そうなんだー」

 メリアはやれやれと呆れて。ルイザは不審感にあふれた視線を向けてきている。

 今更何を言いつくろっても手遅れであると感じて、ウィルはそそくさとその場を退散した。




 激しく木剣がぶつかり、気合の声が漏れる。良い踏み込みだが、まだ勢いが足りないと、ウィルは相手を身体ごと押し戻した。バランスを崩したのか、兵士は数歩たたらを踏んだ後で、背中から訓練場の床に転がった。

 どっと笑いが起きる。苦笑いしながら、ウィルは兵士が起き上がるのを手伝ってやった。

「よし、次!」

 そう言って横を見ると、ルイザも兵士の一人を軽く打ち取ったところだった。涼しい顔で、汗ひとつかいていない。大したものだ。毎度のことながら、ウィルは感心した。

 ウィルとカリムが訓練場で対決して、それに感化されたのか、多くの兵士たちがウィルに剣の組手を申し込んできた。練度が上がるのは良いことだと、メリアも許可を出してくれた。その結果、メリアの警護の合間に、ウィルは余裕があればこうして兵士を相手に木剣を振るっていた。

 意外だったのは、ルイザが協力してくれたことだった。騎士団のこと以外には興味がないのかとも思ったが、城の守りを固める上では重要なことであるとして、カリムにわざわざ許しを得ることまでしてくれた。

 こうして、不定期ながらウィルとルイザの剣術道場が開設された。兵士たちはどちらでも好きな方に挑戦して、一本でも取れれば夕食をおごるという話になっている。一本というハードルの設定が高いのか低いのか、今のところ誰一人としてウィルにもルイザにも夕食の代金を支払わせた猛者もさは現れていない。

 困ったことがあるとすれば一点。始めた当初は剣の鍛錬という話だったのが、今ではどうにかしてルイザと夕食を共にしたい、という方向に目的がすり替わっていることだった。ウィルが一人を相手にする間に、ルイザの方は三人を相手にしている。どちらにしても瞬殺なのだから、あまり意味はないのかもしれないが。

 動機がどうあれ、訓練ができているのであればいいことだ。ウィルはそう思っていたが、ルイザの方はやや呆れていた。それでも相手はしてくれるのだから、なんだかんだ言って付き合いは良い。

 その日は午後からカリムが警護の担当であったため、かなり長い時間兵士たちの相手をしてやれる見込みだった。ルイザの体力も無限ではないのだから、夕方辺りには誰か一人くらいルイザ嬢に夕食を御馳走される勇者が出てきてもおかしくはないだろう。ウィルの方も、自分の相手よりもルイザの勝敗の方が気になって仕方がなかった。

 しかし、数組も相手をしないうちに、その日の組手は中止となった。

 訓練場に、パメラとカリムが入ってきた。珍しい取り合わせだな、と思った後で、そういえばメリアはどうしたのだろうかとウィルは気が付いた。

「あれ?メリア様はどうした?」

 ウィルの問いかけを聞いて、カリムはがっくりとうなだれた。

「ここにもいらっしゃらないということは、久し振りにやらかされたか」

 パメラも珍しく顔を青くしている。ルイザはやれやれ、と肩をすくめた。

「今日はここまでだな。メリア様がエスケープされたようだ」


 午後の公務が面倒臭いという理由で、メリアは行方をくらませてしまっていた。

「今日の午後の公務は観劇です。劇場で、王立劇団の歌劇を鑑賞するご予定でした」

 その話はウィルも聞いていた。観劇とは優雅なものだ、と思った覚えがある。ぞろぞろと警備の者が付いて回るのも無粋ということで、カリムのみが随伴ずいはんする予定であった。

「座って観ていれば良いだけなんだろう?」

 何か弁を述べる必要もないし、誰かと会談するわけでもない。ただ劇場の専用席に座っているだけで良いのだ。それがそんなに面倒な仕事なのだろうか。

「はい、五時間。たった五時間座っているだけで良いんですよ」

 パメラの言葉を聞いて、ウィルは先ほどまでの考えを撤回した。五時間。どんな劇なのかは知らないが、静かに五時間座っていなければならない公務というのは、それはそれで大変だ。特にメリアの場合、執務室のデスクワークであっても、すぐに「飽きた」とかなんとか言ってパメラとおしゃべりを始めたりする。耐えられるはずがない。

「以前も似たようなことがあって、その時はパメラ殿に身代わりを頼んだのだが」

 ふるふると、パメラは首を振ってみせた。

「申し訳ありません、本日に限りまして、城の出入り業者との打ち合わせが入っているのです。こちらの方は私の代役を立てるというわけには参りませんので」

 パメラにしか判らない仕事もある。こちらを立てればあちらが立たない状況で、ウィルはうーん、と考え込んだ。

「あまり大騒ぎにはしたくない。十中八九これはメリア様ご自身の意思によるエスケープだ。捜索は最小限の人数でおこないたい」

 しばらく脱走することがなかったので、カリムもすっかり油断していた。メリアは身を隠し、逃げ出すことにかけては天才的だ。先手を打って捕まえておけない場合、向こうから出てくるまで見つからない公算の方がはるかに高い。

「それじゃあ劇の時間が・・・」

 そこまで言って、ウィルはルイザの姿を見た。それに気付いて、パメラとカリムもルイザの方を見る。三人に視線を向けられて、ルイザは思わず一歩後ずさった。

「ええっと、何を考えていらっしゃるのです?」




 ごとごとと音を立てて、アークライト王族の乗る馬車が劇場の横に停まった。貴賓室に続く、専用の出入り口の前だ。先導していた騎馬から一人、カリムが降り立つと、うやうやしく馬車の扉を開けた。

 中にいる人物の片手を取り、外へといざなう。ゆったりとした水色のドレスに身を包んだ夫人が、おずおずと姿を現した。

「もう少し堂々としたまえ」

 カリムが小さな声でそう話しかけると。

「無理を言わないでくださいっ」

 ルイザは今にも悲鳴に変わりそうな声色で、なんとか周りに聞こえない程度に返事をした。


 幸いにも、ルイザとメリアは背格好が近かった。パメラが超特急で縫製ほうせいを手直しし、ルイザは一番代役がバレにくいという、やけにふわふわとしたドレスを着させられた。

「意外、胸に詰め物がいらなかった」

 こういうところが、ルイザがパメラを苦手な理由だった。ルイザは普段、あまり自分を女性とは意識していないようにしている。メリアも、そのことを言外に察して、あまりルイザに対してはそういうことを言わないようにしてくれている。

 対して、パメラはなんというか、手加減なしだ。

 髪の色が違うのが致命的なので、大きなカツラをかぶせられ、更にその上にコサージュのついた帽子を載せられた。

「専用席だし、別に帽子取らなくて良いですからね。一緒にカツラまで取っちゃったら、そこから喜劇ですから」

 そんな喜劇は御免こうむる。

 色々な工夫が凝らされた結果、ルイザは遠目にはメリアと区別がつかない程度には偽装できた。

「歩き方とか、その辺はもう間に合わないからカリム様がうまくエスコートしてあげてください」

 パメラの言葉で、ルイザはようやく事の詳細と重大性を理解した。

 メリアに変装したルイザは、カリムと一緒に劇場に行くのだ。


「私、おかしくないですかね?」

 劇場に入り、観覧席までは辿り着いた。今のところ、誰にも気付かれてはいないらしい。すぐ横に、警護としてカリムが立っている。はたから見れば、何か雑談をしている程度にしか思われないだろう。

「大丈夫だ。静かにしていれば良い」

 カリムは優しく微笑んだ。

 それは、そこにいるのがメリアであるということを示すための芝居だったかもしれない。

 だが、ルイザには十分だった。カリムが、騎士として付き従って、自分の脇に控えている。不思議な気持ちだった。上司と部下として、いつも一緒にいるはずなのに。今はなんだか、初めてのことのように思えてくる。

 カリムの姿を、ルイザはまぶしく見つめた。メリアの騎士、カリム。そのことは十分承知している。今は芝居とはいえ、ルイザの騎士。ルイザだけの騎士。

 ずっと表に出さなかった感情があふれそうになって、ルイザは舞台の方に視線を戻した。そちらに集中していなければ、妄想が膨らんで酷いことになってしまいそうだった。




「見つけたぞ、メリア様」

 城の裏庭の奥、雑木林の一角で、ウィルは木の上に向かって声をかけた。下からは判りにくいが、枝の間にロープが渡してあって、ハンモックが作られている。そこで横になっているのは、運動用の軽装姿のメリアだった。

「ありゃ、良く判ったね」

「言っただろ、サボれそうなところを見て回ってるって」

 メリアに脱走癖があるということは、ウィルもパメラから聞かされていた。そもそも、ウィルがメリアと出会ったのも、離宮からメリアが脱走してきたからだ。

 そうであるならば、メリアの脱走ルートや隠れ場所については、調べておくに越したことはない。ウィルは城の中を歩き回って、それらしい場所のアタリをつけていた。

「騎士様と違って、こっちは山育ちだからな」

「はぁ、ウィルを相手にする時は、また違う方向性で考えないとな」

 観念したのか、メリアはひょいっと木の上から飛び降りてきた。城の中で育っているお姫様とは思えない。パメラやカリムが手を焼くはずだと、ウィルは呆れるのと同時に感心した。

「メリア様、今日隠れたのはわざとだろう?」

 ウィルにそう訊かれて、メリアは悪戯っぽく微笑んでみせた。

「まあね。パメラに身代わりになれない予定が入ってたのは知っていたよ」

 元々退屈な観劇はボイコットしたかったし、都合よくパメラがその日に打ち合わせをおこなう予定になっていた。それならこうなるだろうと予想して、メリアは久しぶりに身を隠すことにした。

 ここに探しに来たのがウィルで、その様子を見る限り、全ては思惑通りに運んだのだろう。誰かに相談するわけにもいかなかったし、うまくいくかどうかは微妙なところだったが、結果オーライだ。

「じゃあ騒ぎが大きくなる前に戻るぞ。その方が、あいつらも落ち着いて観劇できるだろう」

「はぁーい」

 子供のような返事をすると、メリアはウィルの前に立って歩き始めた。

「もうちょっとウィルと遊びたかったなぁ」

「そういう目的じゃないんだろ?」

 それでも楽しそうな口調のウィルを振り返って。メリアは、へへっ、と笑った。

「じゃあ、せめてお城まで競争っ!」

 走り出したメリアの背中を、ウィルが追いかける。懐かしい空気を感じて、ウィルはメリアの横に並んだ。きらきらとした笑顔は、昔見たメリアそのままだった。




 早馬からの知らせで、カリムはメリア発見の報告を受けた。やれやれと肩の力を抜き、観劇中のルイザにも伝える。ルイザもほっとした様子だった。

「いつものエスケープだ。ウィル殿は良く見つけてくれたよ」

 二人は声を殺して笑い合った。

「今から入れ替わるのは逆に目立つ。今日はこのまま身代わりで通そう」

 カリムの言葉に、ルイザはうなずいた。まだしばらく、この夢のような時間が続く。

 五時間をこんなに早く感じたことは、ルイザには初めてだった。



 城へ戻る馬車の中で、ルイザはドレスを脱いで警備兵の制服に着替えた。やはり、こちらの方がしっくりくる。胸周りがきつい方が、気が引き締まる感じだ。

 水色のドレスを、そっと手に取った。これを着ている間、ルイザはお姫様だった。騎士に護られて、手を引かれて。カリムが優しくルイザの手を取るなど、初めてのことだった。あんまり動揺せず、もっとしっかり感触を覚えておくべきだったと、ルイザは少しだけ後悔した。

 魔法が解けてしまえば、ルイザはいつも通りの従士だ。城に入って、ここから出れば、今まで通りの生活が待っている。

 一日、いや五時間と少しの夢。長いような短いような、素敵な夢だった。ドレスを抱きしめて、匂いを嗅ぐ。甘い香り。メリアの匂い。

「メリア様、ありがとうございます」

 パメラが正面突破なら、メリアはフェイントだ。恐らく判ってやってきている。とても正直に言えば、こういうところはパメラよりもずっと苦手だった。

 何しろ、勝てる気が全くしない。

「姫様なんて、むいてません」

 ルイザはドレスを置くと、背筋を伸ばして座り直した。



 馬車から降りると、ルイザはカリムに敬礼した。任務は完了し、ここにいるのはもうカリムの従士、ルイザ・レインハートだ。カリムも敬礼を返して、「ご苦労」と言葉をかけた。

 メリアは執務室にいるということで、二人でそちらに向かう。並んで歩いていると、カリムがルイザに尋ねてきた。

「今日観た劇、どうであった?」

 不意を突かれて、ルイザは口ごもった。「え」とだけ言って、後は言葉が出てこない。その様子を見て、カリムは破顔した。

「後でメリア様が誰かに感想を聞かれた際、何かお伝えしておかなければ困るだろう」

「あ、はい。そうですね」

 慌てて内容を思い返す。しかし、ルイザは横にいるカリムのことばかりが気になっていて、ほとんど劇など観ていなかった。確か、正義の騎士が悪の枢機卿すうきけいを倒して、王女と結ばれるというような。

「・・・なんというか、ありきたりというか」

 ルイザの感想を聞いて、カリムは今度は声を出して笑った。

「騎士団の顔色をうかがう脚本家の手によるものだからな。どうしてもああなるのだろう」

 王立劇団の関係者たちは、王女や騎士団に気に入られてスポンサーを継続してほしいと思っている。そのため、内容は判りやすく王族や騎士を持ち上げる内容となっており、今回のようにわざわざ王族であるメリアを招待して観てもらっているのだ。

「私はもっと展開にメリハリがある方が好きだな」

 楽しそうなカリムの顔を見て、ルイザも緊張が解けてきた。

「同感です。メリア様が退屈だと言うのもわかります」

 アークライトの城に来て三年。ルイザはこんな風にカリムと話すのは初めてだった。毎日顔を合わせて、言葉だって交わしているのに。並んで歩くことも、日常のようにこなしているのに。

 今日この時だけは、まるで違う。隣にいるのは、騎士カリム・ファーガソン。ルイザの上司。ずっと付き従い、共に第二王女メリアの護衛を務めて。

 ルイザが密かに、想いを寄せている相手。

「ルイザ、君と劇を観て感想を言い合うというのも、考えてみれば初めてのことだな」

「役者不足、でしたでしょうか」

「いや、たまには良い。公務でなければもっと良かったのだが」

 カリムの言葉が、胸の奥に響く。どうしても、従士ルイザ・レインハートに戻れない。そうしなければ、全てをさらけ出してしまいかねないのに。大丈夫だろうか。表に出てしまってはいないだろうか。

 胸に巻いた布の下に隠した、ルイザの気持ちが。


 ルイザの心配は、取り越し苦労だった。二人はすぐにメリアの執務室の前に到着した。

 扉を開けるまでもなく、執務室の中からはパメラのお説教の声が漏れ聞こえてくる。カリムとルイザは顔を見合わせて苦笑した。

「さあ、我らは怒る側なのだ。緩んだ顔をしているなよ」

 カリムに言われて、ルイザは表情を引き締めた。この扉を開ければ、騎士カリムと従士ルイザだ。メリアに感謝はしているけど。

 ルイザには、従士としての務めがあった。

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