第四章 伏せられた想い

 木剣を強く握りしめる。ぎゅう、と音がするほどに力が入っている。カリムは自分が興奮しているのが判った。落ち着け。何度言い聞かせても、心臓の鼓動は早いままだ。これでは。

 手加減ができない。

 ウィルの方でも、カリムのただならぬ殺気は察していた。かつて、戦場で感じた空気。それを城の訓練場で思い出すことになるとは。剣先を上げて、カリムの動きに集中する。

「いくぞ!」

 先に踏み込んだのはカリムだった。正面から、神速の切り下し。ただならぬ気迫を感じて、ウィルはそれを受けずに後ろに跳んだ。剣筋が風を生み出す。二歩目の踏み込みで、今度は切り上げが襲いかかってきた。

 木剣でそれを弾こうとして、ウィルは逆によろめいた。恐るべき剣圧だった。最初の一撃を受けていれば、木剣は叩き折られて、ウィルは骨まで持っていかれただろう。慌てて体勢を立て直すと、ウィルは剣を逆手に持ち替えた。

 カリムは攻撃の手を緩めない。烈火のごとく攻め立ててくる。だが、ウィルにはその動きが予測できた。ルイザと訓練をしている成果が出ていた。騎士団の剣技には、特徴というか癖がある。集団で同じ剣技を学んでいるためだろう。それさえ見切ってしまえれば、似たような対応でいなすことができた。

 しかし、それでもカリムには隙らしい隙がない。攻め手も止まらず、無尽蔵に体力があるようだ。ルイザの時のように、木剣を弾いて終わり、とするのはどうやら困難だ。意を決して、ウィルは自分からもカリムに打ち込んでいった。

 二人の剣戟けんげきの音を聞きつけて、訓練場に人が集まり始めた。第二王女の警護役同士がやり合っている。それも、噂の義勇兵団の英雄と、騎士団の男だ。これ以上の見世物はない。ウィルとカリムが気付かないうちに、見物人の数は相当な数に膨れ上がっていた。

「ウィル・クラウド」

 カリムが激しく木剣を叩き付けてくる。渾身こんしんの力で、木剣がみしり、と音を立ててしなった。

「貴殿はメリア様のことをなんだと思っている!」

 その一撃を、ウィルは退がって避けた。下手に左右にかわすと、連続して猛烈な攻撃が襲いかかってくる。

 逃げながら、攻撃の合間を突いて打ち込んでいくしかない。

「なんだって、なんだよ?」

 声を出すのも一苦労だ。一瞬でも隙ができれば、そこで勝敗は決してしまう。

「メリア様は、アークライト王国第二王女メリア・アークライト姫だ。貴殿にとって、メリア様はそれだけの存在か?」

「メリアは――」

 ぐわっ、とカリムがウィルに向かって大きく踏み込んだ。

「呼び捨てにするな、無礼者が!」

 カリムの木剣が床に当たり、真ん中からへし折れた。そこだ、とウィルはカリムの手を狙ったが。

 その手加減が命取りだった。カリムは膝でウィルの腕を蹴り上げ、木剣を握る手で顔面を殴り飛ばした。

 落としそうになった木剣を握り直し、ウィルはかろうじて踏みとどまった。口の中に血の味がする。ぺっと吐き出すと。

「メリア様は、俺の警護対象、メリア王女だ」

 ウィルはカリムに向かって突進した。カリムは折れた木剣を投げつけてきた。ウィルの剣がそれを弾いて、カリムに切りかかる。カリムの手が素早く動き、ウィルの腕をつかんで後方に投げ飛ばした。見物人たちから、おお、と声が上がる。

「それだけか?」

 床に叩きつけられ、ウィルはうめきをあげた。だが、まだ体は動く。カリムが近付いてくる気配を察して、ウィルはよろよろと立ち上がると、手に持った木剣を脇に投げ捨てた。向こうが素手なら、こちらも素手で通す。五分で倒さなければ、この戦いには勝ったとは言えない。

「メリアは俺が昔、護りたいと思った大切な人だ」

 カリムは投げ技を使う。手足を取られたらおしまいだ。ウィルは迫ってきたカリムの手が届く直前で体を沈め、足払いを放った。カリムの身体が床の上に転がり、再び歓声が上がった。

 ダウンしたカリムに飛び掛かろうとしたウィルの腹に、蹴りが突き刺さった。ウィルの身体が跳ね上げられ、床の上でバウンドする。カリムは身を起こそうとして、ぐらり、と体勢を崩した。

「そんな戯言ざれごと!」

 気合と共に両足にかつを入れる。ウィルも起き上がり、再びカリムの前に迫った。姿勢を低くして、そのまま肩から突っ込んでタックルを仕掛ける。ぐぅ、とカリムの口から低い声が漏れた。

「お前はどうなんだ、カリム!」

 カリムは数歩後ろに下がったが、こらえてウィルの突進を止めた。お互いに密着した体制から。

「私にとって、メリア様は!」

 ウィルが、カリムのあごめがけて拳を振り上げ。

 カリムが、ひじをウィルの脳天に向かって振り下ろそうとした時。


「そこまでだ!」


 訓練場中に、メリアの声が響いた。

 見物人たちも、瞬時にしんと静まり返る。人だかりが割れて、ルイザを引き連れたメリアが前に出てきた。

「何の騒ぎかと思って来てみれば」

 ぼろぼろになったウィルとカリムに歩み寄ると、メリアは二人の姿をじろじろと眺めまわした。

「訓練、というには力が入りすぎているようだ」

 平静を装いながらも、メリアの声はかすかに震えている。様々な感情を全て押し殺して、メリアは大きく息を吸い込んだ。

「二人とも、治療を受けた後、私の部屋に来い」



 メリアの執務室で、ウィルとカリムは並んでデスクの前に立った。パメラが何事もなかったかのようにお茶を淹れていて、ルイザが入り口の脇で無表情に直立している。二人の汚れた顔を見比べて、メリアは呆れ返りながら説教を続けた。

「騎士団、義勇兵団、それぞれの立場があることは判っている。縄張り意識もあるだろう。しかし、君たちには私の警護という共通の任務に就いてもらっているんだ。私のところにいる間くらいは、その垣根かきねを越えて、仲良くとまでは言わなくても、いがみ合うことだけはしないでほしい」

 パメラがメリアの前にお茶を置く。一口それを飲んでから、メリアは腕を組んでふんぞり返った。

「返事は?」

 メリアの言葉を受けて、カリムは深々と頭を下げた。

「大変失礼いたしました。メリア様にご心配をかけさせるようなことは、今後一切いたしません」

 うん、とメリアはうなずいた。それからウィルの方に顔を向けると。

「ほら、ウィルも」

 メリアにうながされて、ウィルも渋々という様子で口を開いた。

「挑発にのったのは悪かった。俺としてはメリアの警護の仕事仲間だと思っている」

「呼び捨てにするな!」

 カリムが激昂げっこうし、ウィルに食って掛かった。

「しかもなんだその物言いは」

「挑発してきたのは本当だろうが」

 お互いに胸ぐらをつかんで、今にも殴り合いになりそうなところに、ルイザが割って入った。

「落ち着いてください、二人とも」

「こいつが」

「こいつが」

 目の前で繰り広げられるみっともない言い争いに、メリアは頭を抱えた。

「もー、いい加減にしてよ!」




 ウィルとカリムが激突したという話で、その日の城内は持ちきりであった。途中でメリアが止めて勝負は水入りとなったが、あのまま続けていればどちらが勝ったのか、そこかしこで議論が起きた。

 また、結局のところメリアがどちらを選んだのか、という話になり、こちらも結論の出ない言い争いの火種となっていた。


 陽が落ちて、城のほとんどの者が眠りについた後。騒ぎが過ぎ去った無人の訓練場で、ルイザは一人剣を振るっていた。ウィルとは、週に三度ここで組み手をおこなう約束をしていた。流石に今日のところはないだろうと思っていたが。

「よう、待たせた」

 ひょこひょこと軽く足を引きずりながら、ウィルが姿を見せた。

「ウィル殿、まさかやってくるとは思いませんでした」

 半ば呆れたルイザの顔を見て、ウィルは笑った。

「まあ、約束したからな。とはいえ、ちょっと今日は無理だ。ごめん」

「カリム様と立ち会って、その程度で済んだのは幸運ですよ」

 つられて笑みを浮かべて、ルイザは剣を下ろした。


「カリム殿は、やっぱり義勇兵団の俺が認められないのかな?」

 立っているのもそこそこにつらいので、ウィルは壁際にある休憩用のベンチに腰かけた。ルイザはその前で演武を続けている。見ることも十分に訓練になる。特に、ルイザの剣技は見ていて飽きが来ない。優美で、それでいて力強い。流れるような一連の動作は、きちんと攻撃と防御のていを成していた。

「それだけではない、というのはウィル殿も判っているのでしょう?」

「それは、まあ」

 メリアのことを、なんだと思っているのか。

 カリムはウィルにそう訊いてきた。つまりはそういうことなのだろう。騎士としてメリアに仕えながらも、カリムはメリアに対して特別な感情を持っている。

「カリム様の場合は、お立場もあります。ウィル殿のことを許せないというのは、私にはよく理解できる話です」

「立場って、騎士団の?」

 ルイザは動きを止めた。怪訝な顔をするウィルの方を一見すると、悲しげに微笑んでみせた。

「それは、私の口からは申せません」

「そうか。ごめんな」

 一緒に訓練をするようになって、ルイザはウィルに色々と話をしてくれるようにはなった。仕事の仲間であるし、メリアのことも聞ける。ウィルはルイザとはそれなりに親しくなれたつもりではいたが。

 やはり、ルイザにも騎士団としての立場はあるのだ。何でも話す、というわけにはいかない。

「カリム様は、真面目なお方です」

 そう言って、ルイザは空を見上げた。吹き抜けの向こうには、星がまたたいている。その向こう、遥か遠くを見やるように、ルイザは目を細めた。

「カリム様にはカリム様の苦しみがあるのです。勝手な言い分ですが、それもまた推し測っていただければと」

 カリムが何かに苦しんでいるのは、ウィルにもなんとなくは判っていた。剣を交え、殴り合いまでして、カリムはウィルに何かを伝えたかったのだ。

 そこにはきっと、単純な憎しみとは違う何かがある。ウィルにはそう感じられた。




 ウィルがメリアの執務室に入ると、首に湿布を貼ったカリムがいた。向こうも無傷では済んでいない。メリアは忙しそうに書き物をしていて、パメラが後ろに控えている。

 カリムはウィルの姿を認めると、メリアに向かって姿勢を正した。

「交代が来ましたので、下がります」

「はい、ご苦労様」

 メリアが顔を上げずに返事をする。カリムはそのままウィルの方を見ようともせず、言葉も交わさずに執務室から出て行った。

 少し足が痛むので、ウィルは椅子に座らせてもらうことにした。腰を下ろして、右足首を軽くひねる。まだ鈍痛どんつうが残っている。手加減も何もあったものではない。それはお互い様か。後先も考えずに、よくもまあ全力でぶつかりあったものだ。

「で、あれからどんな感じだい?」

 扉が閉まって、しばらく経ってからメリアが訊いてきた。

「どうもこうも、一言も口をきいてないよ」

 ウィルの答えを聞いて、メリアは苦笑した。

「カリムは真面目だからな。ウィルの自由すぎるところがかんさわるんだろう」

 ルイザも、カリムのことを真面目だと評していた。しかし、ウィルはそこまで自由だろうか。言われるほど奔放ほんぽうであるつもりはないので、その意見には納得しがたかった。

「カリム様は、お二人の関係が面白くないのでしょう」

 パメラに指摘されて、メリアはうーんとうなった。

「そうは言われてもなー」

 カリムがメリアに特別な想いがあることは確かだ。それはウィルにも判っている。まさか、当のメリア本人が気付いていない、などということはあり得ないだろう。

「メリアは――」

「呼び捨てにしない!」

 突然パメラに大声で注意されて、ウィルは飛び上がった。慌てて口をつぐむと、メリアがくっくっと笑い声を漏らした。

「二人きりの時は良いけどね。誰かがいる時とか、公式の場では注意した方が良いかな。ボロが出ると厄介だし、普段から習慣づけておいた方が良いかもしれないね」

「わかったよ、メリア、様」

 ペンを置くと、メリアはふぅと息を吐いた。とんとん、と書類を揃えて、脇に置く。軽く伸びをして、それからデスクにひじをついて両掌を組んだ。

「まあ、この話はウィルにはしておいた方が良いかな」

 メリアは後ろのパメラの方をうかがった。パメラが小さくうなずく。何事かと思っているウィルに向かって、メリアは滔々とうとうと語りだした。

「カリムはね、騎士団から、私を妻にするよう命を受けているんだよ」

 ウィルは言葉を失った。



 メリアに最初の縁談が持ち込まれたのは、十四歳の時だった。北方の小国の一つが、アークライト王家との繋がりを求めて見合を申し込んできた。相手は、王族の第二王子。身分としては申し分なかった。

 しかし、年齢が二十八歳とメリアよりだいぶ上だった。メリア自身もまったく乗り気ではなく、王子がアークライト城を訪れた際には脱走騒ぎを起こすまでに至った。初めての見合ということもあり、結局この話はすぐに破談となった。


「この時の騒ぎのせいで、ルイザが派遣されてくることになったんだよね」

「メリア様が婦人用トイレから脱走なさろうとするからです」

「女性警護が増えちゃって、不便なことこの上ないよ」

「普通は便利になった、と喜ぶべきなんじゃないのか?」


 うまくいかなかったとはいえ、メリアの結婚がいよいよ現実味を帯びてきて。カリムは騎士団から受けた命のことを嫌でも思い出させられた。自分が剣を捧げた主を、妻としてめとるように仕向けること。

 悩みぬいた挙句あげく、カリムはその特命をメリアに吐き出さずにはいられなかった。


「カリムは、真面目過ぎたんだ」

「隠すことに耐えられなかったのか」

「根は良い方なんですよ、カリム様は」

「悪い奴、とは思っていないさ」


 カリムはメリアに、洗いざらい告白した。自分は騎士団から命を受け、メリアの心をつかんで結婚し、アークライト王国と騎士団との間に繋がりを作るように言われていると。


「私としては、実はそういうこともあるかな、とは思っていたんだ」

「当時は帝国の脅威も大きかったですし、国王様もその辺りは察していたのではないかと」

「しかし、そんな理由でまだ子供のメリアと」

「いきなり見も知らない騎士をあてがわれるよりはずっと紳士的じゃないか」

「子供の頃から刷り込むようなやり口だって、紳士的とは言えないだろう」

「まあまあ、ウィル様、落ち着いてください」


 全てをメリアに話して。その上で、カリムはメリアに何一つ無理強いはしないことを約束した。

 自分は、メリアに対して騎士の誓いを立てている。メリアとの関係は主従関係であり、主の命には逆らわないと。


「真面目、というか堅物かたぶつだな」

「カリムがもうちょっと不真面目だったら、私は今頃手籠てごめにされていたかもね」

「恐ろしいことをおっしゃらないでください」


 カリムは、覚悟を決めていた。

 もしメリアがカリムのことを信じられないというのであれば。カリムをそばに置くことに問題があるというのなら。

 その場合は、遠慮なくメリアの警護の任から解いて欲しいと申し出た。


「まあ、結局そのままにしておいた」

「自分でそこまで言ってくるような男だから、か?」

「そう。真面目で堅物かたぶつ。馬鹿が付くくらい。これ以上信用できる人はいないでしょう?」


 カリムは騎士団という立場で、メリアとの主従関係と、メリアを妻とせよという命に挟まれて苦しんでいる。メリアはそれを全て承知した上で、カリムを警護として残していた。



「アークライト王国と騎士団の繋がりは大事なことだ。私もいつまでも我儘わがままを言っているわけにはいかない。いずれ、ともなれば、カリムを相手にすることは考えていないわけではなかった」

 メリアは第二王女だ。政略結婚にその身を使われることは、覚悟しておかなければならない。帝国との戦いが激化していくのであれば、カリムと結婚して騎士団との関係を深めることは、王女の選択としては間違ってはいない。

「そこに、貴方が現れたのですよ、ウィル様」

 騎士団に対抗する勢力、義勇兵団。彼らは実際に帝国と戦い、その軍勢を退けてみせた。このまま義勇兵団の力が増していくのであれば、アークライト王国は騎士団との繋がりに無理にこだわる必要はなくなる。むしろ、下手をすれば騎士団との関係は、負のしがらみとなってしまう可能性すらある。

「これはまあ、カリムにしてみれば面白くないよね」

 騎士として、カリムは精一杯のことを積み上げてきた。だが、横から来たウィルが、全てをかっさらって行ってしまったのだ。確かにカリムには立つ瀬がないだろう。


「カリムの気持ちっていうのは、どうなのかな」

 ウィルがそう言った途端。

 メリアはぴたっと口を閉じ、パメラが軽く咳払いした。

「・・・ウィル様、私たちは今、立場の話をしているのです」

 言われてみれば、その通りだった。カリムは、騎士団の一員としてメリアとの関係をどうするべきかで苦しんでいる。メリアは第二王女として、どの勢力と王国の関係を結びつけるのか、という観点で話をしていた。

 そこには、気持ちなんて何処にも入る余地はない。

「ウィル、第二王女である私に対して、そんな残酷なことは言わないでおくれ」

 メリアは背もたれに寄り掛かって、目を閉じた。

 カリムの気持ち。メリアもそれを知らないわけではない。七年もの時を共に過ごして、メリアの方でもそれなりの想いを抱かないことはなかった。

 さっきはわざと口にしなかったが、カリムがメリアに騎士団の命を秘密に出来なかったのは、恐らく騎士の誓いだけが理由ではない。カリムは、メリアに想いを寄せるからこそ、そんな裏があることを隠しておけなかったのだろう。

 騎士団から、メリアをめとるようにとの指示を受けている。それをメリアに明かして、それでもなお、カリムはメリアのそばにいたいと願った。メリアに、選んでもらいたかった。そこにそんなくわだてがあったとしても、お互いを必要とする想いがあるならば、カリムはメリアの愛を勝ち取ることができると信じていた。

 メリアもまた、もしこのまま無為に年を重ねていくようなら、何処かのタイミングでカリムの想いを受け入れるつもりだった。愚直なまでに、ただひたすらにメリアの警護を務めているカリム。その姿を、メリアは最も身近な男性としてとらえていた。常にメリアのことを気にかけ、メリアをすぐそばで護ってくれる人。例えそこに何かの打算があるのだとしても、安心して自分を任せられるのであれば、それでも良いと思っていた。

 ウィルとの再会をあきらめていた頃、すぐ目の前にまで帝国の軍勢が押し寄せていたあの時。メリアにはカリムだけが頼りだった。メリアを王女として立たせてくれていたのは、他ならないカリムの存在だった。それを否定することはできない。メリアの中には、確かにカリムに対する想いがあった。

 しかし、メリアはウィルと再会してしまった。もう会えないと思っていた少年は、義勇兵団の英雄だった。メリアの中で、ウィルの存在は再び強く光り輝いた。その光の前では、カリムの存在などはかすんで形を失ってしまう。

 メリアは自分でも、自分のことを酷い女だと思っている。ただ、カリムに申し訳ないと思う気持ちがあるのと同時に。メリアには、どうしても自分の想いを裏切ることができなかった。

「気持ちとか、そういう感情に左右されているようでは、王女は務まらない」

 メリアは目を開けると、ぽつりとつぶやいた。


「だから私は、姫様にむいてないんだ」




 ルイザと交代して執務室を出ると、ウィルは何処へともなく歩き始めた。今は、そんな気分だった。少なくとも、部屋に戻って横になっている気分ではない。

 メリアにも、複雑な想いはある。ウィルのいない七年間、お互いに様々なことがあった。メリアのその時間を支えていたのは、カリムだった。カリムは騎士として、あるじであるメリアに絶えず付き従ってきた。

 そこに、ウィルが現れた。思い出の中にいただけの二人が再び出会って、カリムはどう思っただろうか。護ってきたメリアを奪われて、自らの立場すら危うくされて。その苦しみは、ウィルには計り知れなかった。

 ふと顔を上げると、向こうからカリムが歩いてくるところだった。警護の担当でない間は、いつもこうやって城内の巡回をしている。カリムは騎士なのだ。このアークライトの城を、メリア王女を護る騎士。その職務に何処までも忠実な男。

 背筋を伸ばし、真っ直ぐに歩いてくるカリムに向かって、ウィルは深々と頭を垂れた。

「カリム殿、少々よろしいか」

「なんだ、ウィル殿。手短に頼む」

 カリムはウィルの前で足を止めた。メリアの警護という役割において、二人の立場は対等だ。ウィルは姿勢を正すと、じっとカリムの姿を見据えた。メリアを護るという、同じ使命と、同じこころざしをを持つ男。その一点において、ウィルはカリムのことを無条件に信じることができた。

「この城で、警護の任にある間、俺にとってメリア様は、アークライト王国第二王女、メリア・アークライト姫だ。それ以外の何者でもない」

 ウィルの言葉に、カリムはぴくり、と眉を動かした。

「それだけか?」

「そうだ」

 口元に笑みを浮かべて、カリムはまた歩き出した。

「情けのつもりか。いつでも撤回するといい」

 振り返ることなく歩を進めて、ウィルの姿が見えなくなる辺りまで来たところで。カリムは誰にも聞かれないように、そっと独りごちた。

「そうでなければ、私のようになるだけだ」

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