第2話 それぞれの性質

辛さは忘れた

孤独は覚えた

退屈は追い出した

道楽はそのうち





 足下に生い茂っていた草が、頭を下げるように道を開けた。まるで王族に平伏する民衆のようだ。エルフには自然を支配する力があるのだろうか。スパイトがそう言うと、ウェルテナは小首をかしげた。

「川が氾濫すれば逃げるだろう?それと同じだ。誰だって踏まれたいわけじゃない。民衆とやらが王様に頭を下げるのも似た理屈じゃないか?」

 澄んだ声が発する皮肉に、スパイトは少しだけ慣れ始めていた。ウェルテナの話は聞けば聞くほど、宮廷道化師のようで面白い。皮肉めいていて、話の道筋は気まぐれだ。それでいて語り口の面白さに耳を傾けずにはいられない。

 スパイトは王に皮肉を言う宮廷道化師に腹を立てたものだが、当の父である王は苦笑しながらも楽しんでいる風であった。穏やかな父の気性は、案外皮肉屋の宮廷道化師が保ってくれていたのかもしれない。

 極力茎を踏みつぶさないように、スパイトはウェルテナの後に続いた。恐る恐る大股で進むスパイトを尻目に、特に普段と変わらぬ歩調でウェルテナは歩いている。踏まれているはずの草は傷んでいる様子は見られない。

 それにしても、深い森だ。気ままに伸びている木は法則性がなく、道は頭を垂れる草とウェルテナ頼りだ。もしウェルテナとはぐれたらもう森からは出られない気がする。幾重もの歯を通して落ちる陽はどことなく緑色を帯び、辺りの草木の色をより鮮やかに彩っていた。

 足下の土は軟らかく、時折スパイトの長靴をすっぽり飲み込んでしまう。延々と続く森……。

「森は危険だと言っていたが、どう危険なんだ?」

「案内人の後ろは安全なのさ」

 ぴたりと足を止めたウェルテナが、弾むように飛んだ。頭を垂れていた草たちから大きく横にそれたところに、ウェルテナは降り立った。そして、ウェルテナの体が地面に吸い込まれていく。ウェルテナの足首が飲まれ、膝まで地面に食われている。ウェルテナは腕を組み、逃げようとしない。

 スパイトは外套の中からロープを投げた。

「こんなところがそこかしこにある。危険だろう?」

「いいから早くそのロープを掴め!死んでしまうぞ!」

「それじゃ遠慮なく」

 ウェルテナが礼をするように腰をかがめ、ロープを掴んだ。スパイトはすぐさまロープを引いた。ウェルテナがいくら華奢でも相応の体重はあるはずだ。スパイトは全身を使って一気にロープを引き寄せた。

 しかし、スパイトは無様に尻餅をついただけだった。スパイトの握るロープの先が空に伸びている。見上げれば、枝で覆われた空に舞うウェルテナの姿があった。スパイトの眼前に降り立ったウェルテナは、礼をしてロープの先端をスパイトに返した。

「あそこは浅いんだ。大きな危険を教えるのには最適だ」

 ウェルテナの差しだした手を、スパイトは掴んだ。スパイトの外套や服に付いた泥を、ウェルテナは優しく落とした。

「心配させるつもりはなかった。ただ、珍しい蝶や鳥に誘われないように注意したかっただけなんだ」

「私は子どもじゃない」

「その境目は曖昧だ。子どもみたいな老人もいるし、老人みたいに枯れた子どももいる。相手の性質を一言で表そうとすると無理が出る」

「私のことは私が一番わかっている」

「誰にも証明出来ないな。仮にお前を一番わかっている人間が現れたとしても、お前が受け入れなければそいつの正しさは意味をなさない。頑固者め」

「私のどこが頑固者だ。お前は、いま相手を一言で表すなと言っただろう?」

「無理が出るだけだ。全てじゃなく、一部分を簡単にまとめて、全体をじっくり見つめるんだ。何事においても、全体だけを見ると大ざっぱになるし、一部だけを見ると神経質におちいる。その兼ね合いが難しいな」

「私の中に、頑固者の性質がある、と言いたいのか?」

「そしてお前の頑固者を覆っているのが、善良な性格だ」

「善良?」

「頭のおかしいエルフを咄嗟に助けようとしたんだからな」

「頭がおかしい自覚があるのか?」

「俺の大事な一部だ。見落とすなよ?」

「見落としようがない」

「そう。お前の善良さも見落としようがない。道に落ちている金貨と同じさ。目立つし手に入れたい」

 善良……。その言葉に、スパイトは古傷をさすられたような気がした。痛みはとうにないのに、傷を負った時の辛さを思い出す……。父から浴びせられた言葉……。

(優しいだけでどうやって国を背負って立つのだ)

 スパイトはただ、飢えている民のために何か出来ないかと考えただけだった。自分たちの食事を減らせば、彼らの食事をまかなえる。

(体を壊した王に、国民が信頼を寄せると思うのか?)

 ウェルテナが言ったとおりだ。全体だけを見ると国民の生活に目が行き届かない。一人に目を向けると全体を見落としてしまう。ウェルテナの言葉は、芯を捉えている。

 宝石のような鱗粉を振りまく蝶が、スパイトの頬を掠めた。晴れた日の海を砕いたような、美しい青……。知らず知らず、スパイトは目で蝶を追っていた。

「ふふ」

 鈴のような笑い声に、スパイトははっと我に返った。珍しい蝶に目を奪われてどうするのだ。

「美しいものに目を奪われるのは当たり前だ。それが生きる活力だし、証だ。追いかけるのは自由だ。美しい蝶に目を奪われて死ぬのも、いい死に様かもしれないしな。俺は御免だが」

「私だって御免だ。エルフの霊薬を分けてもらえるまでは……」

 スパイトは言葉を止めた。他のエルフはいないのか?ウェルテナの奔放さに振り回されて疑問が湧かなかったのだが、考えてみれば他にもエルフはいるはずだろう。永遠の森には多くのエルフがいるはずなのだから。ウェルテナは意図的に他のエルフの存在を伏せているのか?

「ウェルテナ、お前は一人なのか?」

「俺は一人だ。他にも俺がいたら、会ってみたいね」

「違う、私が聞きたいのは他のエルフのことだ」

「この森にはいない。どこかへ去った」

「お前は……置いて行かれたのか?」

「残りたかったのさ。色々と思うところがあってね」

 ウェルテナの笑みに、微かな陰が落ちた。ウェルテナの瞳の輝きが一筋増した。

「じゃあ、お前は独りっきりなのか?」

「そうなるな。たまに迷子の世話をしたがね。今日も似たようなものだ」

「いつからだ?」

 大仰にウェルテナが肩をすくめた。聞かれたくないのだろう。スパイトは詫びを入れ、ウェルテナの後を歩き始めた。行けども行けども、景色に大きな変化が見られない。だが振り向けば既に森の入り口は乱立する木の幹に隠されている。頭を垂れた草だけがずっと続いている。

 永遠の森……。名前が示す永遠とはなんだろうか。どこまで行っても終わりがない。それとも永遠に存在し続ける。思いつく謎は堂々巡りを繰り返し、答えのないままスパイトの中に沈み込んだ。ウェルテナという、沼のエルフの謎と共に。

「エルフの霊薬とやらが欲しいんだったな?」

「そうだ」

「言い忘れてたんだが、あるかどうかはっきりしないぞ。最後に使ったのは随分前だからな」

「いつくらいに使ったんだ?」

「火竜とやり合って、怪我人が大勢出た時だな」

「火竜?」

 火竜とエルフの戦いと言えば、大昔としかわからない。それも口伝でのおとぎ話である。そんな大昔をついこの間のように――それも酔漢との喧嘩話のように――話すウェルテナに、スパイトは呆れと驚き、そして畏怖を抱いた。同時に落胆もした。

(そんな大昔に使ったっきりでは、もう……)

 霊薬としての効果は望めまい。火竜とエルフの戦いなど、数えるのも馬鹿らしくなるくらいの大昔だ。

「その頃に、お前は生まれていたのか?」

「そうだな。とんだ騒ぎだったから忘れようもない」

「霊薬は、その……言い伝え通りなのか?」

「もし違ったら、俺は土になってるな。霊薬のすごさは身をもって体験してる。体験者の話は信じてもいいんじゃないか?」

「すまない、疑っているわけじゃない」

「頭のおかしいエルフの話を疑わない方がどうかしてるさ」

「やめてくれ」

「霊薬はある。少なくとも、昔はあったよ。いるならやるよ。使う奴なんかいないからな」

「……すまない」

「簡単に謝る癖は直した方がいいな。善良さの悪いところだ。つけ込まれるぞ?」

 ずいと顔を近づけたウェルテナに、スパイトは驚き後ずさった。人形師が執念のすえに作り上げたような美貌に気圧されたのだ。宝石の瞳がわずかに細められる。

「俺はなにも気にしちゃいないさ。いちいち気にしていたら長生きなんて出来ないからな。長い間に、嫌なこともいいことも平にならされていくのさ」

 ウェルテナがぱっと、スパイトの目の前で両手を広げた。たおやかな指だ。手首も握れば折れてしまいそうだ。こんな細腕で、火竜と戦ったのか……。スパイトがおとぎ話として聞いた戦いを、ウェルテナは生き延びたのだ。恐らくは、スパイトの想像を遙かに上回るような恐ろしい火竜と。そして、最後に必ず勝つおとぎ話と違い、生き残りをかけた凄惨な戦いを繰り広げたに違いないのだ……。

 そしていま、ウェルテナは独りっきりなのだ……。久しぶりの話し相手にはしゃいでもおかしくはあるまい。知らなかったとは言え、スパイトは彼女を邪険に扱った。それがひどく恥ずかしかった。優しく励ましてくれる彼女が、ただありがたかった。

「ありがとう」

「善良さのいいところだ。自分の性格はよく見極めておいた方がいい。そうすれば、伴侶の選び方もすぐにわかるさ」

 歩き始めたウェルテナの髪がふわりと揺れた。それに合わせるように、木々が枝を揺らした。森は彼女を愛している。彼女が森を愛しているのと同じくらいに……。

「礼は必ずする。本当にありがとう」

「勇み足にもほどがある。霊薬は見つかってないんだぞ?」

「その為の案内人だ。頼りにしている」

「望んだ人生が歩めるのなら、何を犠牲にしても悔いはない。俺もそうだ」

「お前は偽悪が過ぎる。よくないところだ」

「見極める時間はまだまだある。霊薬の場所は知ってる。残ってるのを祈っておこう」

 エルフの祈りなら、きっと届く。スパイトはまた大股で歩き始めた。茎を、永遠の森を傷つけないように……。



                                                 ―― 続く

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