第11話『ゴブリンと戦う』

 訓練の翌日は筋肉痛でまともに動けなかったので、実戦は見合わせ、ちょっとした動きの確認程度のみ行ってほぼ一日休養した。

 少し前の話になるが、敏樹は体の衰えが気になって筋トレを始めたことがあった。

 筋トレ自体は十日と続かなかったが、その時に買っておいた一キロ入りのプロテインがまだ半分以上残っており、消費期限にも余裕があるので、飲んでおいた。

 筋肉痛にはやはりタンパク質だろう、ということで。


 そしてさらに翌日、まだ筋肉痛が残っていたので、万全を期すためもう一日休養に入る。

 一応無理のない程度に動きの確認程度の訓練は行っておく。

 もちろんプロテインと化膿止めは欠かさない。

 肩の傷の痛みはほとんどなくなっており、どちらかと言うと筋肉痛のほうが気になるぐらいだった。


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(よし、もう筋肉痛も気にならないな)


 ストレッチをしてみたが、多少全身にだるさのようなものは残っているものの、動きを制限するほどではない。

 左肩の痛みも、ほとんどなくなっている。


 いよいよあのゴブリン共と決着をつける。

 別に不倶戴天の敵というわけではないのだが、あそこで弓矢を構えられると、おちおちスライムも狩れないのだ。


 水鉄砲のタンクに塩素漂白剤を充填し、充電済みの電池をセットする。

 車の助手席と左側後部座席の背もたれを倒し、フラットにした後、そこにトンガ戟を置いた。

 そして水鉄砲を方にかけ、ジェットヘルメットをかぶり、作業用手袋を履き、車に乗り込む。


 今回まともな防具がヘルメットしか無い敏樹にとって、あの畑までの道のりは、百メートルに満たないものの死地といっていい。

 グリーンカーテンの向こうから狙われたらかわすのは困難だし、今回は水鉄砲とトンガ戟を持つのでフライパンを構えるのが難しいのだ。

 さらに前回のように怪我をしたのではつまらないので、短い距離ではあるが、思い切って車を出すことにした。


(っていうか、前回も車出しときゃ怪我せずにすんだな……)


 車を発進させ、ゆっくりとぶどう畑に近づく。

 畑を少し過ぎ、車の左後ろからグリーンカーテンの裏側を見られる場所で車を停めた。

 ただし、車の中からゴブリンたちの姿は見えない。


 車を停め、後部座席へ移動する。

 そして左側のドアを少しだけ開ける。

 畑の中を所在無げにウロウロする二体のゴブリンが見えた。

 どうやらここにはこの弓持ちのゴブリン二体しかいないらしい。

 ゴブリンに気付かれないよう足元の道路を見る。

 ここにスライムでもいて、万が一気づかずに踏んでしまったら計画は台無しだ。

 幸い、スライムらしい物は見えなかった。


 一旦外に出て体勢を整えるか、このまま水鉄砲を撃つか。

 少し考えたが、まだ気付かれていない状況でもあり、二体とも射程範囲にいるようなので、このまま射撃に入ることにした。


 少しだけ開けたドアの隙間から、慎重にゴブリンを狙う。

 一体はこちらに対して横を、もう一体は背を向けている。

 もし気付かれたら一旦ドアを閉めればいいだけの話なので、敏樹は焦らず落ち着くために数回深呼吸を行う。

 幸いその間にもゴブリンたちはこちらに気付くことはなく、少し落ち着いたところで敏樹は引き金を引いた。


「ゲッゲギギ!!」

「グゲァ! ゲガガ」


 水鉄砲から放たれた塩素漂白剤がゴブリンを捉える。

 二体のゴブリンに上手く当たるよう、銃身を左右に振り角度を調整する。

 どちらのゴブリンも横顔や後頭部に何かが当たったの気づき、驚いてこちらを向いたため、上手い具合に顔面を直撃できた。

 塩素の刺激がキツイのか、ゴブリンたちは顔を抑えて意味不明の喚き声を上げながらのたうち回っている。


 敏樹はドアを大きく開け、トンガ戟を持って車外へ躍り出た。

 畑の入口はゴミ集積場と消火栓で通りづらくなっているが、うまい具合にその隙間を縫い、畑に躍り込む。

 トンガ戟のゴムは車から降りた直後に張っている。

 一体のゴブリンは立ったまま顔を抑えて体を振り乱しており、一体は地面を転がりまわっている。

 立っている方のゴブリンが手前にいたので、首のあたりを包丁の刃先で狙い、タイミングを見計らって柄を持つ手の力を抜いた。


「ゴグェ!!」


 トンガ戟の先端に取り付けた刺身包丁の刃がゴブリンの首を貫いた。


「うわっ! ちょ!!」


 首に致命的な一撃を受けたゴブリンだったが、即死には至らなかったようで、必死に暴れまわった。

 その予想以上の力に、敏樹はトンガ戟を持っていかれそうになる。

 左手に持っていた水鉄砲を離し、両手でトンガ戟の柄をしっかりと持った敏樹は、力いっぱい引き抜いた。

 かなりの抵抗はあったものの、なんとかトンガ戟は首から引き抜かれ、ゴブリンは刃を抜かれた傷から血を吹き出しながら倒れた。

 吹き出した返り血をもろに浴びた敏樹だったが、顔にかかる分はヘルメットのバイザーが防いでくれた。

 ただ、そのせいで前がほとんど見えなくなったので、敏樹は咄嗟にバイザーを上げる。

 倒れたゴブリンから流れ出る血は勢いを失っており、鼓動に合わせて少し流れ出る量が増減する程度には収まっている。


 何とか一体を仕留めた敏樹だが、もう一体いることは忘れていない。

 慌ててそちらの方を見ると、先程まで地面を転がっていたゴブリンが膝立ちになって体勢を整えようとしていた。

 しかい相変わらず視力は戻っていないようで、喚き声をあげながら手にもった矢をデタラメに何度も突き出している。

 ふとトンガ戟の先を見ると、さっきのゴブリンの抵抗のせいか刺身包丁の刃が曲がっていた。

 これでは突いたところでまともにダメージを与えられまい。


(……よし、やるぞ! やるしかないぞ!! 俺!!!)


 声を上げて相手に自分の居場所を悟らせるわけには行かず、心の中で叫んで自らを鼓舞する。

 そして敏樹は腰を落とし、トンガの角度を変えて両手でしっかりと持ち直すと、耕作用刃がゴブリンの側頭に当たるよう狙いをつけて横に振った。

 しっかりと脇を締め、腰を回転させ、全身の力でトンガを振ると、見事その刃はゴブリンのこめかみに命中した。


「重っ!!」


 全力で振ったトンガはゴブリンの側頭に当たった後、その分厚ぶあつく鈍い刃が皮膚を裂き、骨を砕いてめり込んだ。

 敏樹は振り抜いた勢いでトンガの先端にゴブリンをぶら下げたまま、数十センチほどゴブリンを引きずったのだった。

 二体目のゴブリンは声を上げる間もなく絶命した。


「オエエェェ……」


 見た目の残酷さもさることながら、手に伝わる感触に思わず胃の中のものを吐き出してしまう。

 一体目の時にそれほど気にならなかったのは、ゴムの力で貫いたからか、あるいは後一体いるという緊張感からか……。

 しかし二体目のゴブリンは、自分の体から発生した力をトンガの刃に乗せたので、皮膚を貫き骨を砕く感触がダイレクトに伝わってきた。

 そして二体を倒した安堵から緊張の糸が切れせいもあろうか。

 敏樹はしばらくその場に手をついて嘔吐を続けた。

 スライムと違い、異形とは言え人形の魔物を倒した精神的苦痛は敏樹の想像を遥かに超えるものだった。


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 胃の中が空っぽになる頃、ゴブリンは消滅した。


(……ゴブリンは一体千ポイントか)


 今の今まであった嘔吐するほどの精神的苦痛は、ポイントの変動を見たことで自分でも驚くほど軽減していた。

 首から血を流し、あるいは頭から脳の一部を垂れ流しながら痙攣するゴブリンの姿はあまりにも現実味がありすぎた、というか、完全に現実だったのだが、いざその死骸が消滅しポイントになってみると一気に現実味が無くなってしまったのだ。

 辺りに飛び散ったり、体や武器に付いた血や脳漿まで綺麗さっぱり消え去っている。

 視界が遮られるほどの血糊がこびりついていたヘルメットのバイザーも今やキレイなものだ。

 最初こそ無様に吐いてしまったが、次からは大丈夫だろうという妙な確信が、敏樹の心に芽生えていた。


(実働時間は数分だったけど、それにかけた時間を換算するとどうにも割に合わんなぁ……)


 などということを考える余裕も出てきたようなので、おそらく大丈夫だろう。



(ん……?)


 ゴブリンがいなくなった畑をざっと見ていた所、どうにも見慣れない植物の葉があることに気づいた。

 雑草と言われればそう見えなくもないが、ポツリポツリと数株ほど点在しており、どうも周りの雑草に馴染んでいないように思えるのだ。

 しかし今は自らの仇であったゴブリンを倒したことの喜びを肴に勝利の美酒に酔いたいので、さっさと車に乗って数十メートルの家路についた。

 ただ、敏樹は元々ひとりで酒を飲む習慣がないので、コーヒーを啜るだけなのだが。


 結局その後、敏樹はゴブリン討伐のお祝いとばかりに家から一番近いコンビニMへと車を走らせ、ソフトクリームとコーヒーを購入した。

 コンビニコーヒーであってもインスタントコーヒーよりは上等なのだ。


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 家に帰り、ゴブリン討伐の喜びを噛み締めつつ、バラエティ番組を見ながらソフトクリームをお供にコーヒーを啜っている内に、ゴブリンを手に掛けたことによる不快感はほぼ消え去っていた。

 それと同時に、敏樹は先程見た植物のことをすっかり忘れてしまっていた。


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