第21話 激流の先は

 あれから一週間が経った。私は仕事にも行けず、浩之のところにも行けず、ずっと自分の部屋に閉じこもった。鍵をかけ、誰にも会いたくなかった。そして、犯人が捕まらなず、どこにいるかも分からない警察は公開捜査に切り替えた。すると少し話題のニュースになった。世間からしたらいいネタかもしれない。ストーカーをしていた女の婚約者を襲って逃亡しているなんて面白いのだろう。おかげで私は家から出ることも怖くなった。マスコミは好奇な目で私を撮るだろう。それ自体は全く苦ではない。でも、そのせいで彼の家族や関係者に迷惑がかかることが怖いのだ。そんな中、兄がニューヨークから帰ってきた。ただ帰ってきたわけではなく、日本の本社に戻ってきた。今まで頑なに帰ってこなかったのに、自ら異動願いを出したらしい。私のせいで、自分の家族や浩之、彼の家族を苦しめている。私さえ居なければよかった。生まれて初めて自分がこの世に生を受けたこと初めてを後悔した。

この一週間、私は仕事にも行かず、ずっとこの鍵のかかった部屋の中で彼との思い出ばかりを見続けてた。今までは楽しいことも、悲しかったことも、喧嘩したことも全てがいい思い出だと思っていたけれど、今は全てが辛かった。彼の横にいるのが私ではなくて、別の女性なら浩之はきっとこんな目に合わなかっただろう。私が存在している全てを否定し、他の人たちにも否定して欲しかった。

もし、このまま彼が起きなかったらここから飛び降りようか?

でも所詮私の部屋は戸建ての2階だから死ねないかもしれないなぁ。

そんなことばかりを部屋のベランダから考え続けた1週間。

そんな私を見かねたのは兄だった。

いつまでそうしているつもりなんだと部屋の扉の前から言う兄の声はいつになく低かった。

ベランダから見上げる空はどこまでも青く、吸い込まれそうなほど澄み渡っていた。

開けるぞっと一言告げて入ってきた兄の声すらどうでも良かった。

 「お前、どうしたいんだよ。」

部屋の真ん中に座り込んだ兄が私に話しかけた。

それから何分経ったかわからないけれど、返事のない私にしびれを切らした兄は私の隣に来た。

 「お前、死にたいのか?」

そう問いかけた兄の言葉に、思わず頷いてしまった。

 「だったらここから早く飛び降りろよ。せっかくあいつが命をかけて守ろうとしたのに無駄だったって事だな。早くしろよ。俺が見届けてやるから。」

そういう兄の声は低く、震えていた。そして柵を掴む手も震えていた。

 「翔ちゃん...。ごめんね。あたしのせいで。」

一週間ぶりに出した声は、かすれて聞き取れなかったかもしれない。

 「湊、最後だと思って聞いて。父さんも母さんもあれからずっと心配してる。俺だって...。浩之だって...。お前は一人じゃない。お前は一人じゃないんだよ。

お前が、もしいなくなるとしても家族は、お前らのことずっと思い出して、自分たちのことを責め続けるんだ。一週間、湊が背負っていた感情よりももっと重いものを家族は一生背負い続けるんだ。それだけは解って。浩行は目を覚ますよ。あいつがお前を残して死ぬはずないんだ。それでも、どうしてもって言うなら飛び降りろ。安心しろ。お前は俺の、可愛いくて大好きな妹だから一人で行かせない。一緒に行ってやるよ。」

そう言い、柵に腰掛けた兄に私は驚いた。でも、兄まで巻き添えになんて出来ない。絶対にダメだ。

 「翔ちゃんはダメだよ...。これは私の問題なんだから。」

 「何度も言わすなよ!!なんのアニメだったかなぁ。湊が母さんのお腹の中にいた時に見てたアニメの主人公だよ。ある国の騎士が姫をいろんなことから守るんだよ。その騎士がカッコよくて...。妹が出来るって聞いて、俺は嬉しかった。それから父さんや母さんにずっと言い続けてた。僕が騎士になって妹を守るんだって。お前が生まれる直前に父さんが言ったんだ、今から生まれてくる姫の王子が現れるまでよろしくな騎士さんって。俺はその言葉が嬉しくて、アニメの主人公になったような気分だった。そのすぐ後だよ、お前が母さんから出てきたのは...。それを見て、誓ったんだ。俺があの騎士になって、妹のお前を...姫を守るんだって。だから、姫の問題は騎士の問題でもあるんだよ。」

兄は左手を差し出して、「さぁ姫、お供いたします。」と笑った。

私はなんの返事もできずに、首を横に振るしか出来なかった。

そして、枯れ果てたと思っていた涙が右目から伝い、兄はその涙を見逃すことは無かった。

柵から降りて、優しく抱きしめてくれた。

 「知ってる?右目から流す涙の意味。ごめんなさいってことだよ。罪悪感や自分を押し殺してる時に出るんだよ。もう、我慢しなくていい。よし!!いくぞ!!」

そう言って兄は私の手を引いて、閉じこもっていた部屋から連れ出した。

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