第20話 嵐の夜

 12月、今月末に私と浩之は入籍をする。

森崎さんのことがあってどうなることかと思ったが、なんとかここまでやって来た。

当分私の実家で新婚生活を過ごすことになるが、新居が建てば二人だけの生活に戻れる。今は今で私は不満はないけれど...。

 今年に入り、仕事から帰ってくることが遅くなった浩之は、帰宅する際には連絡してくれる。たまに同僚や後輩と飲みに行ったりするときも必ず連絡してくれた。

この日も同様、仕事が終わって私のケータイに電話をかけて来た浩之。

 「仕事終わったよ。今日ちょっと飲みに行ってもいい?」

そういう浩之に快く了承をした。

 「遅くなるかもしれないから先寝てていいよ。後輩がちょっと悩んでるっぽいんだよなぁ。」

そう言う浩之は少し嬉しそうだ。きっと相談に乗って欲しいと言われたんだろう。

 「そっか。ちゃんと解決してあげなね。先輩なんだから。」

 「わかってるよ。そうだ!明日の休み、指輪届いたらしいから一緒に取りに行こうな。」

 「うん!!すっごい楽しみ。」

 「あと、新居のキッチン早く決めろよ。夕方、電話かかって来たぞ。湊が電話出ないって嘆いてたから。」

 「あぁ。掛け直すの忘れてた。仕事中だったから...。」

 「とりあえずまた今度話そう。ごめん、後輩に呼ばれてるから行くわ。」

 「気をつけてね。明日指輪取りに行くんだから飲みすぎないでよね。」

 「わかってるよ。ちゃんと「先輩!!早く行きましょう。」あぁ、先に行ってて。」

後輩くんが痺れを切らして呼びに来たんだろう。

 「もしかして彼女さんですか?」

 「そうだよ。だから向こう行けよ。」

 「いやいや。変わってくださいよ。」

 「なんでだよ!変わんねぇよ。」

 「挨拶くらいさせてくださいよ。いつもお世話してますって。」

 「逆だろ!!世話してんのは俺だわ...。」

会話が電話から筒抜けだ。私は仲良いいんだなぁっと思って笑ってしまった。

 「ごめんな。うるさいやつで...。」

 「ううん。面白い子だね。なんかタケちゃんみたい。」

 「あぁ、どっちもバカだからな。」

そういう浩之の声はとても楽しそうだ。

 「じゃあ行くわ。湊、俺も明日楽しみにしてる。それと愛してる...。」

 「えっ?なに急に。」

 「言いたくなっただけ!!じゃあな。」

そして電話を切った。

いつもと何も変わらない普通の会話。ただ、きっと今頃冷やかされてるんだろうなぁと思うと笑えて来た。

 私は建築士の友達に電話を入れたが、結局留守電だったため話すことは出来なかった。

 今日は両親もいなかったので、適当に一人で夕飯を済ませ、お風呂に入った。

久しぶりにゆっくりと過ごす一人の夜。小説でも持ち込んで半身浴でもしようと準備を済ませ、お風呂に入った。

 30分ほどが経ったころ、私のケータイが鳴っているような気がした。

さっき電話した建築士の子だろうなぁと思いながら、後でかけ直そうと思っていたが、一向に鳴り止まない。切れても再びかかってくる電話。様子がおかしいと思い、すぐお風呂から上がりケータイを見ると、浩之から何回も着信が入っていた。なんだろう?と首を傾げていたらまたケータイが鳴った。

 「どうしたの?なんかあった?」

そう問いかけても何も言わない。

 「浩之?どうしたの?今どこ?」

何回か問いかけたあと、知らない男性の声が聞こえた。

 「湊さんですか?」

今にも消え入りそうな小さな声で話す彼に問いかける?

 「どちら様ですか?浩之は?」

 「先輩が...。中村先輩が...。」

 「浩之がどうしたの?!なにかあったの?!」

今日、一緒に飲みに行った後輩なんだろう。彼は動揺して何を言っているか全くわからない。

 「今どこ?それだけちゃんと言って!!」

 「今、北区の大学病院です。」

浩之に何かあった。それだけは間違いないはずだと思い、電話を切ってすぐに家を飛び出した。

タクシーに乗り、すぐに言われた病院に向かうと、待合いに力なく座っているスーツを来た若い青年がいた。

 「新村 湊です。あなたもしかして浩之の後輩の?」

 「瀬戸です。中村先輩にはいつもよくしてもらって...。」

そして泣き出す瀬戸くんに、私は何があったか聞いた。

 「先輩と飲みに行こうとして会社を一緒に出たんです。そしたら急に知らない男性がバットで殴りかかって来て...。倒れた先輩を何回も蹴ったり殴ったりしたんです。俺、びっくりして止めに入ったんですけどそいつ強くて。取り押さえられなくて...。そのまま走って逃がしてしまいました。本当に、申し訳ありません。」

泣きながらも私に何が起きたかを話してくれた。

 「あいつが逃げた後、意識朦朧とする先輩がうわごとのように言ったんです。湊、逃げろって。」

私はすぐに犯人が誰かわかった。森崎さんだ。

ここ数ヶ月、おとなしくしていたあいつだ。

 「あいつ先輩に意味わからないこと言ってました。嘘ついて泥棒するやつは地獄に落ちろって...。」

 「そっか。教えてくれてありがとう。浩之と一緒にいてくれてありがとう。それで浩之はどこ?」

 「まだ治療中です。」

私は瀬戸くんの隣に座り込んで頭を抱えた。不思議と涙は出なかった。

瀬戸くんも私の隣に座り、一緒に浩之の治療が終わるのを待ってくれていた時、私たちの前に警察が2人やって来た。

そして、少し離れたところで事情聴取されていたが、途中で一人の刑事が私のところにやって来た。

 「中村浩之さんの婚約者の新村湊さんですね?」

刑事さんが私に話しかける。

 「はい。」と答える私に直球で質問する。

 「新村さん、あなた犯人が誰かお気付きですよね?」

 「はい。」

 「誰ですか?」

 「森崎直樹だと思います。私のこと、調べてもらえばすぐにわかるはずです。早く捕まえてください。」

 「詳しくお話し聞かせていただいてもよろしいですか?」

刑事さんがそう言ったとき、看護師の人がやって来た。

 「中村さんのご家族の方いらっしゃいますか?」

 「私です。でも、まだ婚約者なんですが...。」

病院には守秘義務がある。家族でないと話してくれない場合もあるのでとりあえず聞いてみた。でも、その看護師さんは私にどうぞこちらへと診察室に促してくれた。刑事さんも「待ってます。」と声をかけ、去って行った。


 診察室に入ると、担当医が待っていた。そしておもむろに話し出す。

 「中村さんの状態ですが、頭を強く殴られたことによって脳を損傷しています。正直に申し上げて、今の昏睡状態からいつ目を覚ますかわかりません。目を覚ましたとして、今まで通りの生活には戻れないでしょう。どういう症状なのかも目を覚ましてからでないと分からないのが現状です。もしかしたら目を覚まさないかもしれません。あとは中村さんの生命力に賭けましょう。体の外傷は肋骨と胸椎が折れています。内臓には損傷はありませんでした。」

先生の話がBGMのように流れて行く。何を言っているかもわからない。1時間ほど前までは普通に話してたじゃん。意味がわからない。

私は先生を見つめることしかできなかった。

 「他のご家族の方がいらっしゃるなら呼んであげてください。」

その言葉に、私は絶望を感じることしかできなかった。

 放心状態の私を、先生は浩之のところまで連れて行ってくれた。

ICUでたくさんのチューブをつながれて、眠っている浩之は痛々しくて苦しそうだった。

 「手を握って、声をかけてあげてください。それが彼にとって最高の薬になるかもしれません。中村さんはまだ生きています。医者の立場でこんなこというのはおかしいかもしれませんが、奇跡というのは周りの人が作り出すものだと思うんです。家族の声がする中で、彼自身がこの中に戻りたいと強く思えばきっと戻ってくるはずだ。私はそう思います。」

そう言葉を残して先生は去って行った。

誰もいなくなり、私と浩之だけの小さな空間は機械の音や周りの患者さんやスタッフの存在すら感じさせないほど静かだった。

 「ごめんね。あたしのせいだね...。」

そう言いながら触った浩之の頬は暖かかった。その温もりは私の抑えていた感情を爆発させてしまった。

 「あたしが殴られたらよかったね。全部あたしが悪いのに。痛かったよね。苦しかったよね。ごめんね...。瀬戸くんに聞いたよ。逃げろって言ったんだって?でもね、あたし逃げないよ。これからはあたしが浩之を守ってみせる。どんな姿だっていい。ただ生きていてくれたらそれだけでいい。一生を掛けてあなたを守って行く。浩之があたしの生きる理由だから。お願い...一人にしないで...。」

何も答えてはくれないけれど、聞こえているんじゃないかって思う。

明日になればケロッと目を覚ましてくれるんじゃないかって信じたい。

 「湊ちゃん...。湊ちゃん、起きて。」

気がつけば、浩之の両親がいた。

私はあのまま浩之を抱きしめて寝てしまっていた。

 「警察の人から話は聞いたよ。なんであなたたちはこんなことになるまで黙ってたの?浩之、あんたいつまで寝てんの!!ちゃんとあんたから説明しなさい。いつまでもカッコつけてんじゃないよ。」

 「お父さん、お母さん。申し訳ございませんでした。全て私の責任です。謝って済む問題じゃないのはわかってます。でも、もうどうしたらいいのかわからないんです...。出来ることなら変わってあげたい。」

 「湊ちゃん、とりあえずあなたは一回帰りなさい。警察もあなたに話が聞きたいって言ってる。早く犯人を捕まえてもらわないと私たちも嫌だから協力して?それがあなたの責任の取り方よ。もう謝らなくていいから。いい?変なこと考えちゃだめだからね。それと、犯人が捕まるまで家から決して出ないこと。」

私の頭を撫でながらお母さんは言う。この人はきっと私のことを私が思っている以上に理解してくれているのかもしれない。

 「わかりました...。でも、今は彼のそばにいたいんです。」

 「だめ。何かあったらすぐに連絡するから。」

そしてそのままお母さんに付き添われ、ICUから出ると、昨日からずっと待っていてくれた刑事さんがいた。

 「湊ちゃんをよろしくお願いします。」

そして私を刑事さんに引き渡し、戻って行った。


 警察の車に乗せられて、家まで帰った。そこから私の事情聴取が始まった。

けれど、私は何をどのように話せばいいのか分からなかった。

色々話を聞かれているけれど、答えないといけないのはわかっているけれど、声が出ない。浩之のお母さんが言ったように、早く森崎さんを捕まえなくてはいけないのはわかっている。きっとこの人たちもすでにあの人の行方を追っているんだろう。

 「最後に中村さんと電話で話した時、何か変わったことはありませんでしたか?」

あの時、浩之が言った言葉を全てを思い返していると、最後の最後に涙が溢れてきた。

 「愛してる...。愛してるって。いつもは、そんなこと言わないのに...。」

 「そうですか。今、森崎を探しています。まだ捕まっていないので、いつ新村さんの前に現れるかわかりません。出来るだけ一人での外出は避けてください。家の前には警護をつけさせていただきます。今日は戻りますので少し休んでください。また来ます。」

刑事さんはそう言い残すと、リビングを出て行った。

一人になると、今まで張っていた気が抜け、私は声をあげて泣き続けた。泣いても泣いても足りなかった。

どのくらいの時間が経ったのだろう...。玄関の扉が開いたような気がした。

そうだ、きっと浩之が帰ってきたんだ。ふとそう思った私は玄関まで走った。

そこにいたのはやっぱり浩之ではなくて、お母さんだった。

 「湊、大丈夫だから。あなたも、浩之くんも大丈夫。」

私の姿を確認したお母さんは、何も問い詰めることもなく優しく抱きしめてくれた。そんなお母さんの温もりに、私は再び涙が溢れた。

涙は目から溢れる血液というが、それなら私はきっと出血多量で死んでしまってもおかしくはないのに...。なぜ私はこんなに健康なんだろう。

そんなことを考えてしまう自分がいた。

そして、思い出した。今日は浩之と一緒に出来上がった結婚指輪を取りに行くんだった。だから私は彼を迎えに行かないといけない。

 「お母さん...。あたし、行かなきゃ...。」

お母さんの腕の中から出て、私は家を出て走った。

背中にお母さんの叫び声が聞こえた気がしたけれど、一度走り出した私はもう止まらなかった。


 走って、走って、辿り着いたところは浩之がいる病院だった。

流れる汗もそのままに、浩之のところに行ったら彼の両親は驚いたように私を見た。そんな二人を気にも止めずに浩之の手を取った。

 「ねぇ、起きて?約束したじゃん。今日、取りに行くんでしょ?二人で指輪取りに行こうって...。早く行かないとお店閉まっちゃうよ?あんなに楽しみにしてたのに...。ねぇ、引き換え伝票だって浩之が持ってるんでしょう?あとね、昨日言ってたキッチンはやっぱりアイランドキッチンにしたいな。せっかくリビング広くするんだったらキッチンから見渡したい。もし子供が生まれたらその方が安心でしょ?理想はね、浩之と子供達がリビングで遊んでるところをご飯作りながら見てたいな。それがあたしの幸せになる。浩之はどう思う?湊の思うようにしていいよはダメだからね。あたし達二人の家だから一緒に考えようよ。ねぇ...。聞こえてるんでしょ?お願いだから何か言ってよ...。」

私は必死だった。周りも見えない。ただ私と浩之の二人だけの世界だと思いたかった。彼のご両親の気持ちすら考えられなかった。

 「湊ちゃん。あなた一人で来たの?」

お母さんの問いかけに、私は頷くことしかできなかった。

 「一人で外に出ちゃダメだって言ったよね?」

そういう彼のお母さんは少し怒ってるようだった。

 「あなた今の状況わかってるの?この子が目を覚ましていたらきっと同じことを言うと思うわ。犯人からしたら次のターゲットはあなたかもしれない。きっとこの子が最後に言った逃げろって言葉の意味は、俺と同じようになるなってことじゃないかな。逃げて、幸せになれってことよ。あなたにはあなたの人生がある。この子にはこの子の人生がある。もしかしたら本当に、この子はあなたを守るために生まれて来たのかもしれないわね。この子、あなたにプロポーズする前に言ってたのよ?俺の生まれて来た意味は湊のことを守って幸せにすることだって。でもね、親の立場からしたら正直自分の子が一番可愛いの。こんなことになるために産んでここまで育てたんじゃない。でも起きたことは変えられない。だから、あなたにもしものことがあったら、私たちはどうしたらいいの?この子が命をかけて守ったあなたも居なくなったら意味がないことになる。わかるよね?」

 そう言うお母さんの眼差しはとても強かった。溢れそうな涙をこらえながら私に問いかける。もういい大人なのに私はいつまでも自分本位の子供だった。

浩之が強くたくましいのはお母さんが強くたくましいからだ。

 「タクシー拾ってあげるから今日は帰りなさい。一人で家から出ちゃだめ。いい?」

 「でも...。そばに居たいんです。お願いします。ここに居させてください。」

 「そんなに目が腫れてるのに?ここに居ても辛いだけ。何かあったらちゃんと連絡するから。大丈夫。この子はあなたを残して逝ったりしない。落ち着きなさい。」

 それはいつか見た彼のお母さんと重なった。そう、私たちが再会することになったあの事故のとき。ただ違うことは一つ、今の状況は全て私のせいだということ。だからこそ彼女は私のことを気にかけたんだろう。彼のため、彼の家族のために今はここに居てはいけないんだと思った。

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