第15話 秋空にかかる虹

 あれから、浩之に手を引かれながら家に帰って来た。

落ち込む私をリビングのソファに座らせ、コーヒーを入れてくれて隣に座った。

少しの間、二人を無音な空気が包んでいたが、浩之がその空気を打ち破った。

 「湊のおじいちゃんってどんな人だったんだろうな?」

 「え?」

 「おばあちゃんが言ってただろ?俺がおじいちゃんに似てるって。」

 「うん。どこが似てるんだろうね...。」

 「何か聞いた事ある?」

 「おばあちゃんから聞いた事ないけど、お母さんから少し聞いたことあるよ。

お母さんもあんまり覚えてないんだって。」

 「そっか、小さい頃だもんな。」

 「おじいちゃんは、新しいものが好きで、冷蔵庫やテレビとかすぐに買って来たんだって。あと、おばあちゃんが家族で一番大好きだった。うちの嫁が一番可愛いんだって言い歩いて、自分の子供たちにもうちの母ちゃんがどこの家よりも一番可愛いんだって言ってたんだって。お母さんは末っ子で、一番おじいちゃんに甘えてたって言ってた。それで、いつも膝の上に座って聞いてたことがあった。父ちゃんは誰が一番可愛いと思う?って。そしたらいつも決まって、母ちゃんだ。って言ったんだって。お母さんはそれが悔しくて、子供で誰が一番可愛い?って聞いたら、お前だよ。って言ってくれて、納得してたんだって。お母さんは、きっとどの子が聞いても同じこと言ってたんだろうって笑ってたけど...。」

 「おじいちゃんは、家族が大好きだったんだな。」

 「そうだね。あたしも会いたかったな。」

 「おじいちゃんはきっと湊を見守ってくれてるよ。もしかしたら俺が生まれ変わりだったりして?」

自分を指差し、真剣に言う浩之がとてもおかしくて、吹き出した。

 「何言ってんの?違うから。ぜーったい違う!!」

 「わかんないよ?おばあちゃんは見抜いたのかも。」

 「変なこと言わないで。おばあちゃんにも、お母さんにもおばちゃんたちにも怒られるよ。」

そう言って私は思いっきり笑った。

 「やっと笑った。帰るときから笑ってなかっただろ?また来年一緒に会いに行こうな。」

浩之の優しさが、もしかしたらおじいちゃんに似てるのかもしれないとその時、私は密かに思った。

 

 そして、あの日から2ヶ月が過ぎようとしていた。

その日は金曜日だった。私は浩之と朝ごはんを食べながら、夜デートしようって話していた時に、私の携帯の着信が鳴り響いた。着信はお母さんだった。

 嫌な予感がした。

 「もしもし。」

 「湊、たった今、おばあちゃんが亡くなった。お父さんには連絡したけど、会社近くまで行ってたみたいだから寄ってからすぐ帰ってくるから、今から湊がお父さんの荷物まとめてあげて。帰ってきたらすぐに荷物渡して帰らせてね。あと、翔太には湊が連絡してあげて。湊はとりあえずそっちで待ってって。」

嫌な予感は的中した。そして、お母さんは冷静に、私に報告して指示をする。

 「湊?聞いてるの?わかった?」

返事をしないといけないのはわかっている。でも、声が出ない。

浩之も、見かねて声をかけてくる。

 「どした?大丈夫か?」

その声に、だんだんと目頭が熱くなる。

 「ひろ、おばあちゃんが...。」

 「そっか。湊には俺がいるだろ?ずっと一緒にいるから。」

最後まで言わなくてもわかってくれたのか、私の事を抱きしめてくれた。

 「湊、ちゃんとみんなで見送ってあげよう。そのために今はちょっと頑張ってくれる?」

 「うん。わかった。」

やっとの思いで返事をし、電話を切った。

そのあと、職場に連絡をして休みをもらい、浩之を仕事に送り出した。

自転車で実家に帰り、お父さんの荷物をまとめた。

そして、お兄ちゃんに連絡をした。日本は朝の8時、ニューヨークは19時、ちょうど仕事を終えたばかりだったらしい。今すぐ帰る、明日中に行くから。そう言って電話を切った。

父を見送り、私は実家を出て家に帰った。いつでも田舎に帰れるように準備をしていたら、母から連絡があった。

今日はお通夜ができないから、明日おいでと言われた。

浩之が帰ってくるまではよく覚えていない。何もしないで、おばあちゃんとの写真を眺めていた。そして、高校を卒業してから会いに行かなかった自分自身を恨み、悔やんだ。無くなってから気づく大切なもの。当たり前のことが当たり前じゃなくなる。人はいつかいなくなる。初めて身近な人がいなくなってしまう現実に立ち向かった私には後悔しか残らなかった。

 翌日の早朝、私はおばあちゃんのところへ急いだ。浩之も黙って着いて来てくれた。何も話さなくても、彼の存在が隣にいるだけで立っていられた。

お昼過ぎに着いた頃、ちょうど仮通夜が行われていた。

ここで現実なんだと思い知らされた。もうみんな揃っていた。

みんなそれぞれに覚悟ができていたのか、元気だった。

仮通夜が終わり、弔問客を迎える通夜の準備をする。不思議とそこは昔のように賑やかだった。

たくさんの人が集まると余計に賑やかになる。知らない人も知っている人もみんながおばあちゃんやおじいちゃんの話をする。私の知らないおばあちゃんの事を話していた。おじいちゃんが生きていた時のこと、女でひとつで娘たちを育てあげた事、一人でどのように過ごしていた事、私たち孫の事、聞いているだけで込み上げてくる思いは例えようもない。

朝まで絶やすことができないろうそくと3分に一度の鐘の音。

夜も遅くなった頃、お兄ちゃんが息を切らしてやって来た。

海上タクシーを使って島に渡って来たお兄ちゃんは私のところに来て、二人でおばあちゃんと対面した。

お兄ちゃんが来るまで、私はおばあちゃんの顔が何故か見られなかった。

二人で見たおばあちゃんの顔は、今にも目を覚ましそうで、穏やかな夢を見ているような寝顔だった。

すると、おじさんがやって来て言った。

 「朝7時、先生が毎朝往診に来てくれてた。昨日も来てくれて、寝ているおばあちゃんを診察をしてくれた時に、先生が言ったんだよ。一番上のおばちゃんに聴診器を渡して、もうすぐお母さんが旅立たれますよって。本当は、ここ一週間が山だって言われてた。おばちゃんが聴診器を当てたときはまだ心臓が動いていたんだ。だから先生に渡した。でも先生は娘たちに最後に心臓の音を聞かせたんだ。先生はタイムリミットをわかっていたんだろうなぁ。再び一番上のおばちゃんに渡して、あと5回で止まりますよとカウントダウンをとったら、ちょうど5回目で止まったんだよ。苦しむこともなく、眠ったまま。先生はすごいよな。島の人みんな看取ってくれる。家族に最後の瞬間を看取らせてくれる。それに、ばあちゃんも身を持って娘たちに最後まで生きるということを教えてくれたんだよ。お前たちの母さんはこのばあちゃんの娘だ。お前たちは孫だ。最後まで生き抜くということがどういうことなのかわかるだろ?人はいつか死ぬんだよ。でも、生き方で死に方が変わる。どれだけ悲しいことがあっても、苦しいことがあっても立ち向かって生きたばあちゃんは今、幸せそうだろ?今、ばあちゃんは幸せなんだよ。寿命を全うして最後の最後まで生き抜いておじいちゃんのところへ今からやっと行けるんだよ。」

 おばあちゃんらしい最後だと思った。強くて逞しく、優しくて少し怖いおばあちゃんの事だ。今、上から笑っているんだろう。自分の作った家族を見て、満足して疲れたと笑っているはずだと思い、私は天井を眺めていた。

 みんなほとんど寝ていない中、朝がやって来た。告別式は本土でするために、おばあちゃんを連れていかなければいけない。出発前に最初の法事をし、家から出棺させる。この家からおばあちゃんを見送るのは最初で最後。不思議すぎて複雑な心境だった。亡くなった人だけが使う船台に特別な船が待っている。おばあちゃんを見送ってから私たちは港に急ぐ。

親族が船に乗り込むと、港には島の人たちが見送りに来てくれていた。

船が出発しても手を振ってくれる。その人たちに応えるように、そしておばあちゃんに最後に島を見せるように一周して本土に向かった。

 式場に着くと、大人たちは準備に忙しく、私たち孫たちは邪魔にならないように時間を潰していた。私と浩之のところにさっちゃんがやってきて、小声で話す。

 「みなちゃん。これ見て。」

差し出したのは数枚の写真だ。一番上は私が生まれて最初の親族写真だった。

 「なにこれ?懐かしいね。」

 「ばあちゃんに持って行ってもらおうと思って。じいちゃんに見せてもらわんと。」

 「そっか。いい考えだね。」

そして他の写真を見て行く。最後の2枚は2番目のおばちゃんとおじちゃんの新婚旅行の写真だった。

 「え!!なにこれ!!」 

 「シー!!声大きいよ。ほら、じいちゃんにあなたの娘はこんな人と結婚しましたって報告しないと。」

 「これはやばいでしょ。絶対怒られるって...。」

実際、式の最後におばあちゃんに花を入れる時に写真も入れていた。

さっちゃんのお母さんはそれを見つけて、写真を見ていたら急に怒り出した。

そして2枚の写真は没収されていた。

 式も終わり火葬場にやって来た時、とうとう最後のお別れだ。

台車に棺を乗せて、火葬炉の前室に入れる人数は決まっているために、喪主の叔父さんと娘3人と孫たちが入ることになった。係の人が、最後にお別れをしてくださいと時間をくれた。それぞれ年齢順にお別れをする。私は一番下だったので最後だった。

最後に見たおばあちゃんは、今にも目が覚めそうで、まだ生きているんじゃないかと思った。そう思えば思うほど、動けなくなった。

 係員が小窓を閉めたとき、みんな一歩下がったが、私は手を離せなかった。

 「もう時間ですので。」

そう私に話しかける。でも、体が動かない。

 「嫌だ。焼くなんていや。」

そう訴える事しか出来なかった。お母さんもお兄ちゃんも私を離そうとする。

でも、離れると最後だ。一番甘えたで、わがままな私の最後の抵抗だ。

 「離して!嫌だ。こんなところで一人にさせられない。もし目を覚ましたら?熱いまま苦しむなんて絶対いや。」

お母さんもお兄ちゃんもいう事を聞かない私に困ったのか、ガラス越しに見ていたお父さんが言ったのか、ガラスの向こうにいるはずの浩之が私を後ろから抱きしめた。

 「湊の気持ちはわかるよ。」

そう言った。

 「このまま連れて帰りたい。」

 「ダメ。今からおばあちゃんはおじいちゃんに会いに行くんだから。湊は20年以上一緒にいただろ?おばあちゃんは40年以上我慢してたんだ。もういいだろ?」

そう言われて、私は棺から手を離した。その瞬間を見ていた浩之が、私の手を取って自分の方に引き寄せ、お母さんに言った。

 「お願いします。」

お母さんは頷いて、係りの人も火葬炉に入れ点火した。

待っている間、みんな控え室で食事をとるため移動して行った。

私は前室からガラス越しにずっと火葬炉を見つめていた。浩之はそんな私を火葬場にある芝生の広場に手を引いて連れて行った。

 「上見て。雲ひとつないくらい晴れてる。」

笑いながら浩之が言う。

 「あの煙、空に向かって登って行くな。」

上を見ながら、なにも言わない私に続けて言う。

 「今頃、やっとおじいちゃんに会えたんじゃないか?きっとあの空までおばあちゃんを迎えに来てくれるはず。お疲れ様、ありがとう。って言ってるんだよ。おばあちゃんも、さっきの写真見せて笑って言ってる。私たちの家族だよって。なんか織姫と彦星みたいだど思わない?やっと会えたんだ。思い続けた大切な人とこれからはずっと一緒にいれるんだよ。」

 「うん。」

 「元気出せよ。ほら、空から二人に笑われるぞ?一番下はいくつになっても甘えんぼだって。」

 「いいもん。それがあたしだから...。」

 「よくねぇよ。いつまでもみんなに甘えただったら俺ちょっと困るし。」

 「なんで?」

 「なんでって、いつか俺らの子供ができたらどうすんの?俺はいつか欲しいなぁ。ってか、そのつもりなんだけど。」

 「ほんとに?」

 「嘘なわけないじゃん。湊のおばあちゃん!おじいちゃん!いいですよね?!もう心配しないでください!俺がちゃんと見てますから!!だから、お二人もずっと見守っててください!!」

空に叫ぶ浩之の声に返事は聞こえない。でも、満足している彼がそこにいた。

 「これからは俺に甘えるだけにしろよ。」

 「子供扱いしないで。」

 「今の湊、子供みたいだもん。」

私の頭を撫でながら、浩之は笑っていた。

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