第6話 降り積もる雪と一緒に

 浩之を見送ってからの記憶はない。気がつけばICUの入り口前のソファーでタケちゃんの膝の上で寝ていた。タケちゃんはずっとICUを真っ直ぐに見つめていた。

そう、私が目が覚めたことも気づかずに。

 「ねぇ、ひろゆきは?」

思ったより力が上手く入らず起き上がれなかった。そんな私にタケちゃんは目線を変えず、泣く子をあやす様に頭を撫でながら言った。

 「大丈夫。あいつはお前残して行ったりしない。今きっと戦ってるよ。あいつあれで昔から戦隊モノ好きだったから今頃ショッカー100人くらい倒してそろそろラスボスと戦うんだ。勝ったら帰ってくるよ。バカみたいな顔して笑って帰ってくる。」

そう言って笑おうとするタケちゃんの顔は今の彼が良くないことを意味していると思った。でも、ここで私が泣いてしまったら、タケちゃんを余計困らせてしまう。だから私ももう泣かない。

 「そっか。ヒーローは負けないもんね。でも心配。浩之は人一倍カリカリだからやっつけられると思う?」

  「湊、お前、何言ってんの?あいつはただのカリカリじゃない。昔、彼女がダイエットすると言った時、自分は鍛えようと思って一緒にトレーニングしたらまさかの彼女に筋肉ついて、あいつが痩せたんだぞ?レベルが違うんだよなぁ。」

 「ちょっと。そのあたしたちの黒歴史言うのやめてもらっていい?あたしたち地味に傷ついたんだから。」

 「知ってる。あいつあん時すごいショック受けてたから。俺、その話聞いた時爆笑したけどな。お前ららしいっちゃらしいしな。ってとりあえず、あのバカに会いに行くか?」

 「そうだね。」

昔のちょっとしたエピソードを話すだけで、浩之が戻って来てくれるような気がして私もタケちゃんも少し落ち着いたような気がした。


浩之の部屋に入ると病院特有の消毒液の香りがした。ベットの上で寝ている彼は色んなチューブに繋がれて、その先にある機械の音だけが浩之の命が繋がれている事を証明していた。

浩之のご両親も、お兄さんはきっと、一瞬も寝れていないんだろう。疲れが溜まっているのにも関わらず、私たちを受け入れてくれた。

そんな中、タケちゃんがズカズカと彼のベッドの横に歩いて行った。

 「ヒロ、生きてるか?早く目を覚ませよ。お前が好きで、大好きで、愛しい湊ちゃんがここにいるんだぞー!」

そう言って彼の頬をペチペチ叩く。

 「ちょっとタケちゃん。ダメだって!!ってなに言ってんのよ。」

 「そんな事言って湊の顔真っ赤。あぁーヒロはバカだよなぁー。こんな時でも寝てんだもん。こんな可愛い顔見れないんだもんなぁー。」

タケちゃんの言葉には何も言えなかった。正直すごく恥ずかしかった。でも、すごく嬉しかった。

すると、彼の手が少し動いたような気がした。

 「タケちゃん!手が、手が動いた!!」

私は思わず大きな声で叫んでいた。タケちゃんも、彼の家族もびっくりして浩之の手を見るが、動く様子がない。

 「湊、願望が幻覚に出てる。期待させんなよ。」

そう私を責めてくる。でも絶対に動いた。私は間違ってない。

 「嘘じゃないもん。動いたもん...。」

そう言って彼の手に触れてみた。すると中指がピクッと動いた。

 「やっぱり動いてる。今、中指が動いた。ほら!!」

次に気づいたのは、浩之のお母さんだった。

 「動いてる。私、先生呼んでくる。」

そう言って病室を出て言った。

私は無心で彼の手を握り続け、先生が来るまでの短い時間も一瞬のように感じた。

 「浩之、起きて。お願いだから目を開けて。あたしは、ヒロが起きてくれたらもう何もいらないよ。あたしの一生分の運をヒロにあげるから...。」

そう呟いた時、主治医の先生とお母さんが入って来た。

 「中村さん、分かりますか?」そう言いながら浩之を見ているが、何も変化はない。先生も、「きっと気のせいでしたね。こういう事もあるんですよ。」そう言って帰ろうとする。でも、気のせいなんかじゃない。

そう思うと私は、無意識のうちに浩之に話かけていた。

 「ヒロ、起きて。いつまで寝てるつもりなの?いっつもそうだよね。覚えてる?まだ付き合う前、デートに行った映画で寝てたでしょ。あたし気づいてた。いっつもあたしより先に寝て...。たまにはちゃんと起きなさいよ。今だけでいいから。」

もう、涙が勝手に溢れて来る。言葉も涙も止まらない。

 「湊、もういいから。」

見かねたタケちゃんも、あたしの肩を掴んで浩之から離そうとする。

 「いや。離して!ねぇ、本当は聞いてんでしょ?言いたい事あるなら早く言いなさいよ。」

 そう言った瞬間だった。

瞼が動いている。私も、タケちゃんも同時に先生を見た。

すると、浩之はゆっくり目を開けた。

 先生も、浩之の家族も、タケちゃんも、浩之に近づいて声をかける。

私は、目が開いた時、思わずタケちゃんの後ろに隠れてしまった。

すると、それに気づいたタケちゃんが、私に気づいた。

 「湊?何してんの?お前がヒロを叩き起こしたようなもんじゃん。」

笑いながらタケちゃんは私を浩之の前に出した。

すると、浩之の消え入りそうな小さな声にも関わらず、私の耳にはっきりと、拡声器を使ったくらいはっきりと、私の目を見据えて言った。

 「だれ?」


 今何が起きた?何て言った?身体中に激しい電流が走った。驚きを隠しきれない。全身が震えだす。

 「浩之、私の事はわかる?」

おもむろにお母さんが言った。

 「母さん。」

 「じゃあこの人は?」お母さんは左横を指した。

 「父さん。」

 「その横は?」

 「兄ちゃん。」

 「この子は?」そう言ってタケちゃんを指した。

 「タケ?」

 「じゃあこの子は?」

 「だれ?タケの彼女?」

この場にいる全員がおかしいと疑問に思った。

 「ヒロ、こんなところで嘘つくなよ?湊だぞ?お前会いたかったんじゃなかったのか?お前もなんか言えよ。」

タケちゃんは必死に訴える。

 「湊も、なんか言えって!」

 「いや、あたしは...。」

もう何の言葉も出ない。どうしても私の事が分からないんだろう。

 「タケ?俺がこの子に会いたかったって?何で?」

 「こいつは新村 湊。お前にとって絶対に忘れちゃダメな奴だ。どんな手を使っても思い出せ!じゃないと、あの時の言葉、有言実行させてもらうからな!」

そう言ってタケちゃんは病室を出て行った。

 私は、自分自身の震えを止める事が出来ない。浩之は私の事を真っ直ぐに見据えている。

 「浩之、しっかり思い出して。湊ちゃん、ちょっといい?」

そう言ったお母さんに肩を抱かれ私は浩之の病室を後にした。


 病室を出ると、タケちゃんがうなだれたように座り込んでいた。

私とお母さんがその横に座る。すると、お母さんは私の事を抱きしめてくれた。

 「湊ちゃん、大丈夫。あの子は必ず思い出す。大切な女性は自分の手で守る。そう小さい頃から教えてきた。大丈夫。大丈夫。」

そう私を落ち着かせようと背中をさすってくれる。私はその手にとても安心してしまった。自然と震えも落ち着いて、そのまま眠ってしまいそうだった。

 「湊、ごめん。こんな事になるとは思わなかった。本当にごめんな。引っ叩いてでも思い出させる。もしかしたら明日は思い出すかもしれないしな。」

 「思い出さなくていいよ。きっと忘れてしまったという事は、浩之にとって一番忘れたかったんだ。私の事。そうだよね、私なんてさ...。」

 「湊ちゃん、それは違うんじゃないかな?私はね、あの子が中学生だった頃、本当に物静かな子でね。家でも学校でもあんまり自分のことを話さない子だった。ねぇ、剛史くん。」

 「そうですね。あの頃は、正直一人でいる事が多かった。」

 「でもね、高校生になった頃から少しずつ変わってきた。よく話すようになった。特にあの子のお兄ちゃんと、コソコソ話してるの。女の子の話だってすぐわかったけどね。ちゃんと年頃の男の子でよかったと思った。きっとバレンタインデーでもらった黄色のラッピングされた箱が、一週間くらい部屋の机の上に置いてあった。中身も食べずにね。だから私が開けてあげたらね、それはもう怒っちゃって。あの時は長い事、口聞いてくれなくなっちゃった。浩之にしたら本当に嬉しかったんでしょう。ちょっとずつ垢抜けちゃって、湊ちゃんと付き合うようになった時、私に聞いてきたの。何だと思う?」

 「分かりません。私には、もう何も分かりません。」

そういうと、お母さんは少し笑いながら話を続けた。

 「プロポーズの言葉よ。本当にバカよね。早すぎるって話よね。でもね、俺には彼女しかいないって言い切るの。湊ちゃんにはあんた以外にいい人いるかもしれないよ?って言ったら、あいつはそんな奴じゃないって言い切ってた。それくらいあなたの事大好きだったのね。だから、一番忘れたかったって言わないで。一番想いが強すぎて一時的に忘れてるだけ。きっとすぐに思い出すわ。少しだけでいいからあの子の信じてあげて?お願いします。」

 そう言って私に頭を下げた。

 「頭を上げてください。それに、本当は私たち3年くらい前に別れてるんです。私、振られてるんです。もう、彼女じゃないんです。」

 「そうだったの?でも、こうして飛んできてくれた。それがあなたの答えよね?」

 昨日の夜、私はこの世から彼がいなくなったらという不安だけを考えていた。結太くんのことなんてすっかり抜け落ちていた。でも、やっぱり浩之が好きだ。

こんな中途半端な気持ちはダメだ。ちゃんと結太くんに言おう。それからちゃんと浩之に向き合おう。

 「お母さん、タケちゃん。私、帰ります。ちゃんと浩之に向き合えるようにします。だから、また来ていいですか?」

 「もちろん!いつでも来て。私たちはいつでも待ってる。」

そう笑顔で言ってくれた。早く、早く結太くんに会いたい。

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