第5話 吹雪の夜は
あれから一年と半年が経った。私がここに来て二年半だ。結太くんとは約一年順風満帆と過ごしていた。
ただ、仕事環境が変わっていた。今までは言わば男尊女卑で男社会、女が出世するのは至難の技だった。どれだけ仕事ができても出世となると話は別だった。
そんな古い体制でやって来たが、時代の流れや社会情勢から女性の管理職を増やそうと会社が動き出した。
私が属する部署も例外では無かった。もともと女性スタッフが少なかったので年功序列だと思っていたが、課長は私を押してくれた。先輩方を差し置いての結果だった。
私は専門職で入社したため、フィットネス系の資格は何個か持っていた。たまたま取っていたイベントをするための資格も持っていた。先輩方は「私たちはこの部署では出世出来ないから新村が頑張りなさい。将来、課長の椅子に座るのは貴方だ。」と言ってくれた。
そんな期待も一身に背負ってしまった。
課長や主任達も応援してくれた。でもそんな状況を面白く思わない人もいる。
部長と係長は面白く思っていない人間だった。
大きい会社というのは派閥がある。うちのホテルも例外ではない。
総支配人(GM)と副総支配人(副総)で分かれている。
運営する会社の社長や本部長だって分かれている。
GM派は社長にうちの部長、係長。副総派には本部長、課長が付いていた。
最終的に人事を決定するのは副総の仕事だ。私は課長の猛プッシュのお陰で名前に上がるようになっていた。
それがGM派の部長や係長の気にさわったのだろう。
課長は若くして出世した強者だ。部長よりも頭も仕事も切れている。部長を飛び抜け上に取り入る事も気にくわない。
そんなときだった。課長が退職届を出したのは。私の最強の後ろ楯が居なくなったら瞬間だった。
突然だった。うちの課に激震が走った。
理由も分からない。でも部長が受理したのは目に見えている。会社、ホテルのスタッフ全員が分かっている。前日、部長室でお互いの怒号が飛び交っていたらしい。
そんな中、私は課長に小さな倉庫に呼び出された。3畳程の狭い中に洗濯機と乾燥機が置かれていた所にだ。
課長は正座して座っていた。私も自然と正座になる。すると課長は淡々と話し出した。
「今月末で辞めることになった。噂は聞いていると思う。お前の事を引き留めて、三年間は俺が責任もって育てるつもりだった。なのにこんな中途半端な結果になって申し訳ない。」
そう言って土下座する課長に私は何も言えなかった。
沈黙が続く中、やっと絞り出した言葉は「謝らないで下さい。」と掠れた声だった。
「新村はうちの期待のホープだ。入って来たときから今までも変わらない。後の事は係長にお願いしているから大丈夫。加藤や田中だっている。お前の事を支えてくれる。困ったら本部長を頼れ。副総も本部長もお前の事ちゃんと見てくれているから。大丈夫。俺が居なくなるまでにちゃんとして行くから。」
私を安心させるように言葉を選んで話してくれる。
「課長は何で辞めるんですか?」私は思わず聞いてしまった。
「俺はあの人に付いていけない。俺はただの課長だよ。あの人に、会社に付いていけなければ辞めるしかない。心配するな。新村の事は俺の最後の仕事だよ。」
私の目から涙が溢れそうになる。いや、溢れていた。
そんな私を宥めるように優しく頭を撫でてくれた。課長の手は安心させる魔法がかかっている。
あれは以前、何回か辞めたいと言った時、一度だけ本気で怒られた。
「いつまで辞めたいと言うつもりだ。何回も同じことを言わすな。いい加減にしろ。時間の無駄だ。ここを辞めてどうするつもりだ!お前も俺も暇じゃない。くだらない事言う暇があったら仕事しろ!」
どれだけミスしても、ふざけたりしても本気で怒られた事は無かったのに初めて本気で怒られた時だった。
私だって本気で辞めたかった。仕事に未来を感じられなかったからだ。それを泣きながら訴えた。
「泣けば済むと思うな。これだから女はと言われるのが落ちだ。いいか?涙が武器と思うな。仕事ではマイナスになる。日々の仕事をこなせない奴に未来があると思うな。日々の小さな仕事から未来が見えてくるものだ。」
そう言って私の頭を撫でてくれた。
あの時と一緒だと思った。本当に泣きたいのは私ではない。課長なんだ。そう思った。
あれから課長が去るまでは本当に早かった。係長は課長代理になった。田中さんが係長になった。加藤さんは一人で主任をするようになった。
少しづつ何かが壊れ始めていた。目に見えない亀裂が入っていた。
そんなときだった。私を窮地に追い込む彼が入って来たのは。
課長代理推薦の北原さんだ。彼は私より三歳ほど年上で、学生時代ここでアルバイトをしていたそうだ。
彼は最初から主任ポストでやって来た。ただ名目上は平社員。それは私が居たからだ。
私以外のスタッフには「今度俺が主任になるんで。新村さんには悪いけど。」そう言っていたそうだ。
先輩達はみんな不振に思っていたらしい。そんな思いに耐えられなかった一人の先輩が私に教えてくれた。
所詮私は女だ。会社は社会にいい印象を与えるために打ち出しただけで、本気では無かったのだ。
私だけではない。他の部署の女性達も同様だった。
出世目前の彼女達は辞めていった。こんなところに未来は無いと。
みんな仕事が出来る人達ばっかりだった。そんな彼女達が私に残した言葉だった。私もも我慢の限界だった。
北原さんは私に敵意剥き出しだ。目に見えていた。
私は以前、課長に言われていた言葉だけで仕事をこなしていた。
「日々の仕事をこなせない奴に未来はない。」
彼より私の方が仕事が出来る。いつか見返そう。ただそれだけだった。
三ヶ月が経った。年が明けようとしている。嫌な事は私に押し付ける。そんな日々だった。
心が折れようとしていた。結太くんはそんな私を見かねて仕事を辞めてこっちにおいでと言ってくれる。私は正直まだ結太くんとの未来が見えない。一生一緒にいるとも思えていない。
だからといって仕事も辛い。逃げてしまいたい。結太くんに逃げようか。
そんなときだった。久しぶりにタケちゃんから連絡が来た。それも仕事中から大量の着信が残っていた。留守電まで残っていた。
留守電にはすぐにかけ直せと残っていた。
私は軽い気持ちだった。同窓会?そんなにも緊急?っと少し呆れながら折り返し電話をした。
「タケちゃん。掛けすぎ。酔っぱらってんの?」そう笑いながらいうと、すぐに電話を取ったタケちゃんは驚くほど低い沈んだ声だった。
「湊、よく聞け。浩行が事故にあった。今は手術中でまだ様子が分からない。今市立病院にいる。」
意味が分からなかった。思わず携帯電話を落としてしまった。拾い上げることも出来なかった。立ち尽くしていると、落とした携帯だ鳴った。
一回電話を切ってもう一度かけてきたタケちゃんだった。
なんとか拾って耳に当てた。
「湊、今すぐ帰って来い。いいか?今すぐだ。」彼はそれだけを言って電話を切った。
私は無意識のうちにバスに乗って電車に乗って浩行がいる病院にやって来ていた。
その間、何も覚えていない。病院に着いても何も言えず、ただただ震えて立ち尽くしていた。
警備員のおしさんがそんな私に声をかけてきた。
「どうしました?もう診察も面会も出来ませんよ?」
私はただ、「浩行は?浩行はどこ?」そういって訴えることしか出来なかったが、警備員のおじさんは機転を聞かせて手術室まで連れていってくれた。
手術室の前には何人か人がいた。きっと浩行の家族だろう。その中にタケちゃんがいた。
私に気づいたタケちゃんがこっちにやって来た。
「湊、やっと来た。ありがとうございました。」私の代わりに警備員のおじさんにお礼を言って私の手を引いて扉の前に連れていった。
「ここでずっと浩行が頑張ってる。生きるために。それにはお前の力が必要なんだ。」
そういって私の肩を掴む。その手は震えているが、力強かった。
「湊だけじゃない。浩行だって本当はお前が必要なんだよ。あいつ不器用だからお前の事避ける事しか出来なかった。でも誰よりも大切に想っていた。それは今だって変わらねぇよ。なぁ、お前ら運命なんだろ?それを見せてくれよ。今見せないでどうすんだよ!」
タケちゃんが声を張り上げる。掴んでいる肩を揺らしながら訴える。
「何か言えよ!何なんだよ。なんでこうなんだよ。」そういって座り込んでしまった。
私を支えいていた手が離れて私も一緒に座り込んでしまった。
私はやっと口を開くことが出来た。
「運命ってなに?これが、今が運命なの?嫌だよ。こんなの」
聞こえるか聞こえないかの声が響いた。
「本当はあいつ、もうすぐお前を迎えに行くはずだった。降られても仕方ないけどって。でも約束したんだろ?卒業した後の未来を。叶えろよ。叶えてやってくれよ。お前だって一番は浩行なんだろ?バレバレなんだよお前ら。昔からじれったくって仕方ねぇんだよ。いい加減に早く出てこいよ。湊がここに居るんだぞ!早く迎えに来てやれよ!!」
そう扉の前で叫ぶタケちゃんを、一人のおばさんがそっと肩に手を置いた。
「剛史くん。あの子は大丈夫。きっと笑って帰ってくるわ。」
そう言って私達と同じ目線で声をかけた。
「あなたが湊ちゃん?ごめんね。浩行が迷惑かけて。」
真っ直ぐ見据えられたその目は真っ赤になって腫れている。浩行のお母さんだ。
「浩行の母さんだよ。俺が言ったんだ。あいつには大切に想ってる人がいるって。」
「剛史くんから聞いたわ。あなたみたいな人がちゃんと居たのね。」
そういって私に微笑み掛けようとしてくれた。上手く笑えてはいないけど。
「新村湊と申します。私、浩行と・・・」
続きが言えなかった。何て言えばいいのか分からなかった。
「浩行、原付で走ってたら居眠り運転の車に跳ねられたそうなの。詳しい状況は分からないんだけどね。」
そういって私の事を抱き寄せた。暖かくて優しい温もりだった。
すると手術室が開いて、医師の先生が出てきた。
「出来る限りの事はしました。あとは本人の生命力に賭けましょう。詳しいお話は後ほどさせていただきます。」
そう言うと、ストレッチゃーに乗った浩行が出てきた。
私は居ても立ってもいられなくて浩行にしがみついた。
「嫌だよ。このままじゃ嫌だ!早く迎えに来てよ!!私の事大切なんでしょ?ちゃんと言って。何で寝てんのよ・・・。」
すると主治医の先生に離されてた。
「今はまだ麻酔が効いています。頭も強く打っています。あまり刺激は良くありませんから。」するとそのままICUに運ばれて行った。
このまま帰って来なかったらどうしよう。そんな恐怖の闇に引き込まれて行った。
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