《01-07》

「ささこと書いて、ささね。親の趣味と言ってしまえばそれまでだが、幼少の頃は好きになれない名前だった。今ではすっかり慣れてしまったがね」

「僕もです。小さい頃は、女の子みたいな名前だってからかわれました」

「子供というのは悪ふざけに際限がないからな」

 

 意外な共通点に緊張感が溶けた。

 重苦しい雰囲気は霧散し、会話も弾んでいく。

 菜留が昨日読んでいた本の話や、変化に乏しかったクラス替え。

 駅前のケーキ屋の新作まで。ころころと話題が転がった。

 

「ケーキには生クリームとフルーツが必須だ。これは譲れないな」

「先輩、違いますよ。チーズケーキのシンプルな味わいの方が奥深い物です」

「ひとつ忠告しておいてやろう。年長者の意見は聞く物だ。強情な人間は嫌われるぞ」

「誰にどれだけ嫌われても、僕は自分の信念を曲げたくないんです」

「信念、信念ときたか。ふふ、たかがケーキの好みくらいで随分と大袈裟な」

「たかがじゃないですよ。誕生日や結婚式。人生の節目でケーキは登場します。ケーキは人生を彩る重要なファクターのひとつなんです」

「なるほど。面白い主張だ。しかし、ある意味では的を射ているな」

 

 冗談に笑みを交換する。

 そこでチャイムが鳴った。十八時。下校を促すチャイムだ。

 

 菜留が大きく溜息をついた。

 楽しかった夢から現実に引き戻された気分になる。

 

「菜留くん、随分と話し込んでしまったな。迷惑ではなかったか?」

「特に予定はなかったですし。それにとても楽しかったですから」

「そうか。そう言ってもらえると安心できる。ところでだ」

 

 そこで止めると視線を外した。

 

「いきなりこんなことを言われると困るかもしれないが。その、もし君さえ、よければ」

「は、はい」

 

 まさかひょっとして。菜留の頭に青春を象徴する淡い単語が浮かぶ。

 都合の良い妄想とは解りつつも、期待を膨らませてしまう。

 しかし。

 

「もし、君さえよければ、私のクラブに入る気はないか?」

 

 クラブ勧誘だった。

 菜留の限界まで膨らんだ期待感は、しゅるしゅると萎んでしまう。

 

 その反応に沙々子は椅子を蹴った。

 早口で言葉を続ける。

 

「あ、いや、気を悪くさせるつもりはなかった。なんというか。その、そうだ。君の高校生活を充実させるための場所を提供したいというか。いや、君の高校生活が充実していないと言っているわけではない。その、ただ、私は……私は……」

 

 がっくりと頭を垂れた。

 

「済まない。忘れてくれ」

 

 力なく告げると、菜留を置いて立ち去ろうとする。

 

「先輩、待ってください!」

 

 菜留が立ち上がって呼び止めた。

 

「僕、入部します」

 

 沙々子が振り返る。

 見開かれた目はこれ以上ないくらいの驚きで満ちていた。

 

「……本当か?」

「はい。不純かもしれませんけど。先輩ともう少し話したいなって思って」

「不純だな。神聖な部活への冒涜と言ってもいいレベルだ。だが、私は……」

 

 緩んでくる頬を見られないように背を向ける。

 

 菜留にすら聞き取れない声で、「だが、私は嬉しい」と呟く。

 

「先輩?」

「なんでもない。では明日の放課後、必要書類を準備して部室に来てくれ。以上だ」

 

 それだけ残すと足早に立ち去る。

 菜留が唖然とするほどの速度だった。

 

 置いていかれる形になった菜留は椅子に腰を戻し、缶紅茶を一口すする。

 と、そこで。

 

「先輩のクラブって、どこなんだろう?」


 

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