第5話 下山真奈美

 その後、春菜とその家族はしばらく話しをし、少ししてやって来た工事現場の関係者と警察とで、簡単な調書をとってから別れた。

別れ際、さっきまで泣いていた少女は、命の恩人である春菜に、ニコニコと手を振り、春菜な何故か苦笑いでそれを見送った。

「それにしても、みんな無事でなによりだ。ここで起こる事件の予知は、さっきの建材落下事故だったんだな」

「でも、春菜の予知から見て、事件はタワーが完成した後だと思ったんですけどね?」

「事件とタワーの絵とは直接関係がなかったのかもしれない。事件の予知を導くため、タワーが見えただけだったのだ。まあ、完成後に事件がないとは言いきれないが?」

一段落し、ホテルに帰る道すがら、私と先生はあれこれと、この奇跡的な出来事について話しあっていると、何故か浮かない顔の春菜は、いつまでも疲れたような顔をしていた。

「疲れたかい?」

「う……………………うん」

今の彼女は妊娠中なのだ。

あまり運動をさせるわけにはいかない。

そこで私は、彼女を途中あった公園のベンチに促して休ませた。

ベンチに座って彼女は、それでも浮かない顔で、疲れ切ったようにため息をついたかと思うと、突如両手で顔を覆い、震えながら脅えた声で言った。

「…………………そんなことって………」

「どっ、どうかしたのか?」

「あの子供は……………あの子供は私だった…………………………」

「な、何を言ってるんだ?」

突然の彼女の言葉に、私も先生もわけが分からず聞き返した。

彼女はゆっくりと顔を上げて、私達に悲しげな目を向けた。

「やっと分かった。いえ、思い出しました。私は、あの少女の生まれ変わりなんです」

「な、何をバカな? だってあの少女は、今現在存在しているし、そもそも生まれ変わりだなんて……………………?」

しかし春菜はかぶりを振り、

「彼女の名前は『下山真奈美』、K町小学校1年3組、出席番号3、得意科目は国語。今日は家族で外食に来ていて、そこで事故にあい死亡するハズ………だった」

「………………だった?」

春菜はベンチから立ち上がり、夕日に染まる工事中のタワーを見つめた。

「さっき、あの子を見て、ハッキリと思い出した記憶では、あの子は私で、本当なら今の事故で死んで、その後で私は、大前春菜として生まれ変わったんです」

「な、何だって?」

「おそらく、そのときに彼女は背中を打って死んで、その傷が私の背中に現れたんだわ」

言うと彼女は、服の上から自分の背中に手を添えて、傷を確認した。

「やはり、あの傷は消えているみたい。やはり今、彼女を助けたから……………………」

「ち、ちょっと待ってくれ。それっておかしくないか? だって普通なら、死んで別人に生まれ変わるのなら、死んだ時期より後の、未来に転生するハズじゃあないのか? だが、さっきの少女は明らかに君より年下だ。前世よりも現世の人間の方が、過去に生まれるわけがないし、それに輪廻転生なんて……………」

非科学的、と言いかけたが、すでに自分達は未来予知などという、非科学的な現実を何度も見ている事を思い出す。

「でも、間違いないのよ。私は彼女自身だった。その証拠に彼女のことなら何でも知っている。追いかけて本人に聞いてもいいわ」

私には、彼女の言っていることが突拍子もないコトに聞こえたならない。

確かに、もしもあの少女が春菜の前世なのなら、彼女が見た事件や事故のニュースや新聞の記憶が、転生という形でそれ以前の時間に生まれた春菜に受け継がれ、予知できてしまうという説明もつくだろう。まあ、それさえ普通に非科学的なのだが。

そもそも、記憶とは脳の神経細胞によるものであり、輪廻転生のような魂の移動では、決して伝わるわけがないのである。

だが、斎藤先生は何かに気付いたようで、

「いや、もしかしたら……………」

「どうかしたんですか?」

「ああ、今の段階では仮説、というよりも、想像や妄想の域を出ないが………………」

「?」

「まあ、今回は予知などという非科学的なことが起こっているのだ。多少は現実離れした話しになるが、まず何から説明しよう?

とりあえず、彼女の予知の原因は分かっただろう? あの少女が見聞きした情報が、春菜君に伝わったのだ。その点に疑いの余地はない。だが、問題は転生では知識を伝達することはできないハズなのに、何故、記憶が残ったのかは、まず、時間と空間の関係から説明した方が分かりやすいから、後にしよう」

先生はそこで一拍おいて、私と春菜を交互に見つめ、

「君達は車椅子の天才、ホーキング博士の事は知っているだろう? 彼の提唱したワームホールは、時間も空間も超越したものらしい。ちょっと聞いた分には、眉唾っぽく聞こえるかもしれないが、量子宇宙論では何年も前から言われていることなんだよ。

これは私の想像だし、科学者が死後の世界をどうこう言うのも変かも知れないが、もしも人は死ぬと魂はどこへ行くのだろうね?

一般には天国に行くとも、地獄に落ちるとも言うが、私はもしかしたら、人の魂はワームホールを通って、過去にも未来にも、場合によっては別の宇宙に行ってしまうのかもしれないと思うんだ。河内君、まさか私の口からそんな話しが出るとは思っていなかったようだね? だが、そうだと考えれば、あの少女が死んで、過去に生まれた春菜君に転生したという説明もつくだろう?」

「で、ですが、それなら何で、あの少女の記憶や知識が春菜に?」

「たぶん、彼女の存在自体が、この世界におけるバランスを狂わせたのかもしれない。

つまり、同じ時間と空間に、同じ魂を持つ2人の人間が存在してしまったために、その矛盾が2人の意識をリンクさせたのではないだろうか?」

先生の説は、普通に考えれば荒唐無稽なものだろう。

だが、今の春菜の状況や、これまでの出来事を思えば、それを否定する気にはなれない。

もしかすると、春菜は本当にあの少女の生まれ変わりなのかもしれない。

しかし、もしもそうだとすると………………

「ちょっと待って下さい。もしもそうなら、あの少女はここで死ぬはずだったのに、さっき春菜が助けてしまったということは、まさか……………………?」

私が言わんとすることを察し、春菜の顔が見る見る青ざめていった。

死ぬはずの彼女の前世が、彼女によって助けられたということは、その生まれ変わりである春菜は、この世に存在しないということになる。

いわゆる、タイムパラドックスというヤツだ。

自らの記憶という予知能力により、思わず自分自身の運命を変えてしまった彼女は、この後どうなってしまうのだろう?

今さらながら、あの少女を助けたことを、彼女は後悔しているようだった。

もしかしたら、このままこの世から消えて無くなってしまうのではないだろうか?

そう思ってか、春菜は視点も定まらずに、おろおろとあたりを見渡している。

だが、今のところ彼女が消えてしまうような兆候が見られない。

こうしている今現在も、彼女はこうして私達の目の前に存在しているのだ。

と、いうことは…………………、

「エヴェレットの宇宙分岐理論ですかね?」

「おそらくな。まさか実際にこの目で確認できるとは、思ってもみなかったが」

「な、何ですの? そのエヴェ…………何とか言うのは?」

私と先生が導き出した見解に、春菜が脅えた目のままで聞いた。

まだ自分が消えてしまうのではと、思っているようだ。

宇宙分岐理論とは、物理学者のエヴェレットが提唱した説で、もしもタイムマシンで過去の歴史を変えてしまっても、その瞬間に別の宇宙ができてしまい、本来の世界には何の変化も起こらないというものである。

(分かりやすい例えで言えば、人気コミックの『ドラゴンボール』の作品中で、トランクスが歴史を変えても未来世界は変わらなかったのと同じ。実はケッコー科学的な設定の作品なのかもしれない)

つまり、春菜が自分の前世の運命を変えてしまっても、彼女がこの瞬間にこの世界に存在しているという事実は変わらないので、決して消えてなくなるということはないのだ。

「で、では私は…………………」

「ああ、何も心配することはないよ。予知能力の方はまだ分からないけど、それ以外は何も心配することはないんだ」

「ほ、本当に?」

私の言葉に、春菜は戸惑いながらも安堵の吐息をもらして、緊張の糸が切れたように、へなへなと足下から崩れ、その場に座り込むと、ボロボロと涙を流しながらも、自分が消えて無くなる恐怖から開放されてか、彼女は私にできる限りの笑顔を見せてくれた。

思えば、彼女のこんな嬉しそうな顔を見たのは、何年ぶりだろうか?

ずっと彼女は、ワケの分からない予知能力などといったもののせいで、ずっと1人で苦しんでいたのだ。

心の底から喜べるなんてことは、もう何年もなかったのかもしれない。

私は、そんな彼女が不敏で、そして今まで何もしてやれなかった自分が情けなくて、思わず彼女を抱きしめていた。

でも、本当にこの後、何も起こらないのだろうか?

春菜の絵には、タワーは完成した姿で描かれていた。

あの少女が、今日ここで死んでいたのなら、完成したタワーを見ていないハズなのに?

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