第2話 傷

 本当に彼女は、どうしてしまったというのだろうか?

まさか本当に、超能力などという、妖しげな能力に目覚めてしまったというのだろうか?

だが、その後は彼女のその不思議な予知は、パッタリと起こらなくなった。

最初のうちは、またいつ、どんな事件や事故を予知してしまうのではないかと、毎日がヒヤヒヤものだったが、幸いにもあの飛行機事故以来、春菜の恐ろしい予知は起こらなくなり、いつの間にか私も彼女も、そんな出来事のことなど、忘れてしまっていった。


 それから2年後、私達はめでたく結ばれ、春菜も寿退社をして、私の正式の妻となった。

ところがそんなある日、あの忘れかけていた不思議な出来事が、再び私達に起こったのである。

きっかけは………………、いや、それがきっかけなのかどうかは分からないが、春菜の体に異常を感じた、ある夜のことだった。

結婚して8ヶ月。

まだ彼女には妊娠の兆候は見られず、その夜も私達夫婦は、子作りに専念、といった口実のもと、お互いの欲求の求めるまま、ベッドの中で愛しあっていた。

私の腕の中で、小さくあまえた声をもらし抱かれている、彼女の何と愛らしいことか。

傷一つ無い玉の肌に、柔らかく双丘をなす胸。

妖艶なまでに滑らかな腰のラインと、まさに彼女は美の女神のごとく美しい。

だが、何故か今夜の彼女には、妙な違和感があった。

恥ずかしながら、彼女とは結婚する前から何度か夜を共にした間柄だったので、私は彼女の体のことはよく知っているつもりだった。

ところが、

「あれ、何だコレ?」

「何、どうかしたの?」

彼女の背中にまわした私の手が、そこにあった傷跡に触れた。

部屋の明かりをつけて、恥ずかしがる彼女を後ろ向きにさせると、その白い柔肌に、今まで気付きもしなかった大きな傷跡が、肩口から腰にかけて残っていたのである。

しかもその傷は、最近のものではなかった。まるで何年も前の、子供の頃についたような古傷だったのである。

鏡に写った自分の背中の傷に、春菜は我が目を疑い声をあげた。

「な、何なのコレッ?」

彼女自身、今までそんな傷があったことも覚えてないと言うし、私だって知らない。

では、いったいいつからこんな傷が、彼女の背中にあったというのだろう?

 念のため、私達は最近の写真を調べてみた。

去年の夏に海水浴に行ったときの写真。

水着姿の彼女の背中には、たしかに傷らしきものは見えなかった。

他にも、結婚式でのスタジオ写真も調べた。

ウェディングドレスの彼女を、斜め後から撮影したものだが、背中の大きく開けたドレスを見ても、それらしい傷は見当たらない。

やはりこの傷は、最近ついたものに間違いなかった。

だが、どう見てもかなり古い傷跡だった。

「そ、そんな…………………何故こんな?」

「いったい何なんだ、これは?」

ワケの分からない、何かとんでもないことが起こっているような気がして、私と春菜は顔を強ばらせた。

そしてその日を境に、再び彼女の予知が頻繁に起こるようになった。

ただ、2年前の大事故や事件のような陰惨な予知ばかりではなく、もっと日常的な、それでいて、取るに足らないくだらない予知が多くなってきていたことが、まるで大事件の前触れのようで不気味でもあった。


 この異常事態を、どう解釈すればいいのか分からず、悩みに悩んだ末、私は学生時代の恩師である斎藤先生のもとを訪れたのは、それから1ヶ月後のことであった。

もちろん、もはや彼女の予知能力に疑いの余知がないと思った私は、いっそのことテレビの、ソレ系の番組に相談する事も考えなかったわけではない。

だが、彼女を見せ物にするようなマネはできないし、やはり心の中のどこかで、そういったオカルト的なものが、信じられなかったのも事実だ。

何よりそういった番組に出てくる、自称超常現象専門家なる連中は信用できない。

科学信奉主義の私から見れば、ああいった連中は専門家ではなく妄想家でしかないのだ。

「何だい、久しぶりに顔を見せたと思ったら、そんな妄想話を語りに来たのかい?」

すでに六十歳にはなっていただろうか、相変わらず気のいい斎藤陽三先生は、私と春菜が体験した不思議な出来事を、笑いながら聞き流そうとした。

すでに現役を引退したとはいえ、かつては高名な理論物理学者であった斎藤先生にしてみれば、予知能力など与太話以外の何者でもなかっただろう。

だが、ここ数日もの間、何度もあった彼女の予知といい、不気味な傷といい、もうどうしたらいいのか、私には分からなかったのだ。

「ふむ、まあいいや。君と私との仲だ。このまま帰るのも寝覚めが悪かろう。とりあえず事情を話してくれたまえ」

先生に促されるまま、私はこれまでの経緯を事細かに話した。

2年前の脱線事故と飛行機事故、ここ最近の様々な出来事の予知に、背中の傷の事を。

それらの話しを聞きながら、先生は予知の内容を一つ一つメモに記していった。

その幾つかの事柄を見比べ、

「ふ~む、妙だね……………………」

「はい。未だに私も信じられないのですが、春菜の予知は今まで全て、100%当っているんです。そんな非科学的なことなんて、どうしても信じられ…………………」

「いや、そのことじゃないよ」

「は?」

さっきのメモを何度も読み返し、先生は小首を傾げながら言った。

「なに、最初は君の冗談かとも思ったがね。だが、考えてみれば君がそんなコトを言うわけがない。だから君の意見は信じているよ。

しかし予知能力なんてモノが、この世にあるわけがないじゃないか。ならば、きっとこれらの出来事には、何らかの原因があって、予知と思われる現象が、起きているのではとも思ったのだが……………………、しかしこの予知の内容には一貫性がないではないか?

何か原因があるのなら、これらの事象には、きっと共通点があると思ったんだが」

「はい、私も最初はそう思ったんですが、その予知の内容を見ると、もう何が何やら?」

私も、肩をすくめて答えた。

今まで春菜が予知した内容とは、例の大事故から始まり、有名芸能人の結婚騒ぎや地方都市での大雨による災害や、野球の優勝チーム名。さらには新番組の司会者が誰なのか? 変わったところでは、テレビの特撮ヒーロー番組の悪役の名前など、何の繋がりもない、様々な内容ばかりだ。

それでも、後半の予知はある程度の情報さえあれば、誰でも予想することは可能かもしれないし、予知できたからといって、特に迷惑になるようなものではない。

だが、前者のような人命に関わるような予知ともなれば、それが見える春菜にとって、どれほど心に苦痛を伴うかくらい、私にだって容易に想像ができる。

例えば、どこそこで大事故があるから、その場所にいる人は避難してください、とか言っても、いったい誰が信じてくれるものか?

人の命に関わる情報を知っているにも関わらず、それを伝えることができないとなれば、まるでその人達を自分が見殺しにしたみたいで、春菜の心は日に日に傷ついていくのだ。

「まあ、私なりに調べてみるよ。何か分かったら連絡をするから……………………」

斎藤先生は、メモの内容をもう一度確認して、この非現実的な話題を切り上げようとした。

ああは言ってはいるが、やはりまだ信じきってはいないのだろう、苦笑いをうかべて言う先生に、私は意を決して、春菜が言ったもう一つの予知のことを話した。

「明後日の午後1時頃、N市を中心に震度5の地震があります。死者五八人、負傷者多数。JRのN市線が2日間に渡って不通になり、余震による土砂崩れで国道は通行止め。完全復旧に1ヶ月半を要すそうです」

「な、何をいったい………………………?」

「春菜の最新の予知です。先生が信じようと信じまいと、明後日には全てハッキリしますから」

「…………………………」

そう言って帰る私を、先生はまるでキツネかタヌキにでもばかされたような顔で見送った。

そして2日後、春菜の予知通りに、N市を大地震が襲った。

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